6月24日のJcastニュースに、「「黙れ!」「お前が黙れ!」授業中に教員激怒、男性が罵声 動画拡散…立教大「適切に対処したい」」という、実に興味深い記事が掲載された。
立教大学のある授業で、遅刻してきた上に態度が悪かった学生と、それに怒った教授が激しく罵り合ったという内容で、しかも、それを撮影した学生がいて、映像をツイッターにアップしたというのだ。ヤフコメでも、その映像をみたという人がたくさんいた。私は、この記事で知ったし、記事掲載時には、映像は削除されていたのでみることができなかったが、別に見たいとも思わなかった。
記事からやりとりを拾うと
S「考えらんないよ。」
T「考えらんねえのは、お前の脳みそ」
T「黙れ、邪魔するんだったら出てけ!」
S「お前が黙れ!」
T「お前とかよく言うな。人のことハゲだなんだって」
S「こいつはハゲだ」
T「くだらないこと言ってんじゃねえよ、こら」
S「くだらなえこと言ってるのはお前だよ」
T「つまんなかったら、出て行けや」
S「おもろい授業してみろよ」
まだまだ続いたらしいことと、映像については、大学当局も、立教大学の授業で起きたことだと認めたそうだ。
ヤフコメをみると、こんなことは別に珍しいことではないという書き込みもけっこうある。教員と学生の暴力沙汰も稀にではあるが起きる。違う学部ではあるが、私の大学でも噂としては聞いたことがある。アメリカでは、日本よりもこうしたトラブルが多いと言われている。
私自身、大学で講義をする身として、こうしたトラブルが起きないように、かなり注意はしていた。ただし、注意の仕方は、この事件を巡るコメントなどとは異なる考えだった。コメントでは、授業を妨害する学生は、追い出す、単位を与えないのがよい、という見解が多数だが、私は、まったくそうした対応をしたことはない。
私が学生だったころ、そして、大学の教員として勤め始めたころ(1990年代ころまで)と、退職時期に近くなったころ(21世紀)では、授業習慣(ルールではない)がまったく変わってしまった。
私が学生だったときの4年間、出欠をとる授業はひとつしかなかった。そして、その授業に、私は一回しか出席しなかったが、勉強はしていたので、成績は優だった。つまり、出席しないと単位がでないなどということはなかったのである。逆に、休講は頻繁にあった。私の指導教官だった人は、毎日講演をしていた印象があり、授業があると学生間の話題になったほどだ。そして、「今日は授業があるらしいぞ」と言われて、あわてて教室にいくという感じだった。私が、大学教員としての新人時代には、先輩教員で、頻繁に休講する人が何人かいた。やはり、授業よりも外部の仕事を優先していたわけだ。
私は、大学の授業は、学習意欲があり、授業で勉強したいと思っている学生だけがでればいいと思っているので、出欠をとって、成績に反映させたことは、最後までない。当初は出席などまったくとらなかったが、21世紀にはいると、学生のほうから、出欠をとってください、とらないのは私くらいだと言われるようになり、また、大学当局の方針としても、出欠管理をきちんとするような通達がでるようになった。それで仕方なくとるようにはなったが、名前を呼んで確認するのは、時間がかかるので、名簿に各自がチェックする方式をとっていた。そうすると、ごく稀に、チェックしてから退出する学生などもいたから、授業の終わりにとるなどしたが、最後までこんなことする必要ないのになと思っていた。
授業に出て、課題も優れているのがよいに決まっているが、では、授業に出るけど、試験やレポートはできがよくない学生と、授業にはでないが、試験やレポートは優れている学生とで、どちらにいい成績をつけるべきだろうか。私は、基本的に後者だと思っている。優れた結果を出すことは、勉強している証拠であって、授業に出ることはあくまでも、勉強方法のひとつに過ぎず、もっと自分にあった勉強法があれば、そうすればよい。
出欠を厳しくしないことは、トラブル対策でもあった。この立教大学での例でも、学生の遅刻が背景にあった。遅刻はけしからん、というのは一般的にはそうだが、通学時間が2時間近い学生もいるし、また、深夜のバイトをしていたり、一人暮らしの学生などは、やはり遅刻せずに来るのがなかなか難しい。私は講義の多くを一時間目に設定していたので、遅刻はまったく問題にしなかったし、また、授業中の退席もまったく問題にしなかった。断りなしに退席してよいとしていた。1時間目の授業に来るような学生だから、つまらないから退席するという者は、私のみる限りなく、トイレとか、気分が悪くなったなどの理由だ。「トイレにいっていいですか?」などと了解を求められるほうが、よほど授業妨害的で、だまって行ってくれたほうがいい。
出欠をとらないと、授業を聴きたい学生だけが出席するから、授業もやりやすくなる。
こうして、出欠、遅刻、退出を自由にしておくと、それだけでかなりトラブル回避になる。
そして、多くの教員が悩んでいたのが、授業中のおしゃべりだろう。ただ、学生のおしゃべりでトラブルになったことはない。私の講義は、大教室であっても、討論をする、学生に意見を求めるという形式をとっていたので、あまりおしゃべりがなかったこともあるが、気になるくらいまわりでしゃべっていた場合、指名して、意見があるようだから、ぜひみんなの前で意見をいってください、というと、多くは、意見を言うし、いわない場合には、しゃべらなくなる。それでもやめないときには、追い出すのではなく、教室の前のほうに移動するように言う。それも拒否する学生には、幸いなことにあったことがない。
授業中のおしゃべりについては、第一回のときから集中する雰囲気をつくっておけば、半年間はきちんと維持されるものだ。しかし、他学部の授業で、数人の教員が分担して受け持つ形式でやったことがあったが、その時には、非常に困った。3人目の担当で、私の初回前に、既に7,8回行われていて、その間に、完全に授業を無視しておしゃべりに興じる雰囲気ができていた。他学部だから、お互いに知らない。自分の学部の授業で使っているテクニックを駆使して、3回目くらいには、聞いてもらえるようになったが、最初は、なんだこれ、と思っていた。おそらく、普段のその学部では、学生のことなど無関心で、たんたんと教員がしゃべって終わりというような授業をしていたのに違いない。学生の噂だから、真偽はわからないが、ある教授の授業では、最初に出欠の確認があり、それが終わると、ぞろぞろと学生たちが退席してしまい、数人しか残らない。それでも、文句もいわず、教授は授業をしているというのだ。
立教に関する最初の記事だが、コメントでは、ほとんどのひとが、学生が悪いと非難していた。客観的にみればそうだろう。しかし、大学の教員をやっていた人間としては、この教授の対応が、あまりに無為無策に感じる。6月のことだから、既に何度も授業はしていたに違いない。だから、出席学生の雰囲気については、だいたい理解していたはずである。ならば、こんなトラブルを起こさずに、もっと有効な対応策を予め考えるなりして、うまく収める必要があるのではないだろう。それができるのは、学生のほうではなく、教授のほうなのだから。
こういうときに、よく出る意見は、大学の教師は予備校の講師をもっと見習えというものだ。コメントにもいくつもあった。しかし、それは無理というものだ。予備校の講師は、教材と回答が決まっていて、それをどう教えるか、という点に絞って準備する。教える内容は、まったく自分では考えないのだ。
それに対して、大学の授業は、教師が教える内容そのものを1から創っていくものだ。そして、それには、膨大な研究的蓄積を必要としている。だから、授業の準備は、教える内容をつくることであって、教え方を考える余地は、極めて少ない。もし、教える内容を自分では考えずに、教え方だけ工夫しているという教師がいたら、それは高等教育の担当者ではない。語学の入門を教える場合はそれにあたる。ヨーロッパの大学において、外国語の基礎を教える教員は、助教である。そのままでは昇格もできない。
だから、予備校講師のように、面白い授業ができないのは、仕方ないと思うが、やはり、年齢的にも地位的にも、絶対優位にある教授のほうが、トラブル対応を日常的に工夫して実践すべきなのである。