ウクライナのみに停戦(つまり降伏)を求める鈴木宗男氏

 鈴木宗男氏は過去の人かと思っていたら、ウクライナ侵攻が起こってから、俄然注目度を増している。いい意味ではない。ロシアを批判することなく、ウクライナを責めるという、彼のスタンスは、一貫しており、その意味では分かりやすい。短いから、スポニチの記事を引用しておく。
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「鈴木宗男氏、ウクライナへの武器供与と資金援助「長引かせるだけで、犠牲者が増えるだけ」」
 ロシア通で知られる日本維新の会の鈴木宗男参院議員が23日、自身の公式ブログを更新した。
 この日、太平洋戦争末期の沖縄戦から77年となる「慰霊の日」を迎え、「先の大戦で20万人以上の尊い命が奪われた。77年前、日本が半年早く和平に応じていれば、沖縄戦はもちろんだが、東京大空襲も広島・長崎に核爆弾が落とされることもなかった」とした。
 その上で、ロシアによるウクライナ侵攻について「この事は、ウクライナ紛争でも言えることではないか。一日も早く停戦する事により、一人でも尊い命が守られるのである」とし、「26日から始まるG7(主要7カ国会議)で岸田総理は『1にも2にも停戦だ』というメッセージを発信すべきだ。武器供与、資金援助は、長引かせるだけで、犠牲者が増えるだけである。私は一貫して『停戦に向け、岸田総理はリーダーシップを発揮すべき』と国会でも訴えてきた。待ったなしの責任を果たして戴きたいものである」とつづった。(2022.6.23)
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 他にも似たような主張をしている人はたくさんいるが、氏の主張が最も簡潔明瞭で分かりやすい。逆にいえば、論理のおかしさが、明瞭に浮きでてもいる。
 先の大戦で多くの日本人の犠牲者が出たが、もっと早く和平に応じていれば、犠牲者は少なくて済んだ、という認識が全体にある。だから、ウクライナも同様だ、と。

 しかし、子どもでもわかることは、太平洋戦争とウクライナ戦争は、まったく立場が異なる。太平洋戦争は、日本が起こした戦争であって、日本が戦争を止めるという決定をすれば、いつでも止められたのであるし、また、戦争などをしない選択だってあったわけだ。だから、東京大空襲や、原爆投下という事態に陥っても、なおかつ降伏を認めなかった当時の政治権力者たちの責任は重い。日本が、これはだめだ、と思ったのは、原爆投下ではなく、ソ連の参戦だった。だから、ソ連参戦の前に降伏していれば、北方領土問題なども起きなかった可能性が高いのである。東京大空襲の前に降伏していれば、民間人の死者はかなり少なかったはずだし、東京大空襲のあとには、支配層に降伏を真剣に考え始めたが、結局見送られた。
 早く降伏すれば、犠牲が少なかったことは確かである。だからといって、それをウクライナに当てはめることはできるか。ウクライナは、戦争を始めた側ではないし、侵略されたから、しかたなく闘っているだけだ。だから、太平洋戦争だけではなく、日中戦争も含めての15年戦争でいえば、中国に、降伏すれば、あんなに犠牲が出なかったのに、といっているようなものなのだ。中国人に、そういうことが言えるだろうか。あるいは、鈴木氏は、プーチンと直接会ったことがある政治家だが、プーチンに、ソ連はドイツともう少し早く停戦すれば、レニングラードやスターリングラードでの戦死者は、もっと少なかったでしょう。停戦して、包囲を解いてもらうべきだったのではないですか、などと言えるのだろうか。
 太平洋戦争で、戦争を自分の決定として終えることができたのが、日本であるという、その立場と同じなのは、ウクライナではなく、ロシアである。だから、戦争を早くやめなさい、という相手は、ウクライナではなくロシアであることは、子どもでもわかることだ。
 プーチンに働きかけることもしていないようなのに、ウクライナに停戦を進めることは、ウクライナに降伏を勧めることだ。そして、ウクライナの領土をロシアに割譲することを意味する。しかも、それをウクライナ人は拒否している。
 
 ある暴力団が、町の中心の商店街を、これは俺たちのものだから寄越せといって、武器をもって強奪しようとしているとする。勇気のある人たちが、これに抵抗をして、被害も出ている。当然警察は、町民たちの援助をしてくれているし、暴力団を追い出そうと一致協力している。それに対して、暴力団と闘ったから、被害も大きくなるから、暴力団と話し合いをして、店を差し出したらどうか、というのが、鈴木宗男氏の提言だ。
 はっきりしていることは、この暴力団がやっていることとは、比較にならない酷いことを、プーチンはやっている。今プーチンと停戦をすることは、東部ドンバス地方を割譲することになり、ウクライナの一大工業地帯を失うことになる。そんなことを、ウクライナが受け入れることができないことは、十分に理解できることである。
 
 では、なぜこんなことを鈴木氏は主張するのだろうか。スポニチの記事には、鈴木氏のブログに書かれているというので、公式ブログを見たが、こうした主張は見当たらなかった。ブログは、ほとんどが選挙活動の詳細な報告で、ほぼ写真で埋まっている感じだ。だから、自身の言葉での、この主張を知ることはできなかった。
  ただし、別の日のブログも話題になっていた。ここにはもっと刺激的なことが書いてある。
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 ウクライナゼレンスキー大統領は「武器を供与してくれ、少ない」と訴えている。欧米諸国は協力する姿勢を示しているが、それでは戦争が長引き、犠牲者が増えるだけではないか。
 自前で戦えないのなら潔く関係諸国に停戦の仲立ちをお願いするのが賢明な判断と思うのだが。
 名誉ある撤退は「人の命を守る」上で、極めて大事なことである。また、物価高で世界中が悲鳴を上げていることを考えるべきだ。
 「ウクライナは負けない」と強弁してきたが、国力からしてロシアと1対1の戦いでは、その差は明らかである。ここはゼレンスキー大統領の勇気ある決断を願ってやまない。
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 ちなみに、鈴木宗男氏のブログは「花に水 人に心」という題がついている。「弱い奴は強い奴の言いなりになれ」というのが、鈴木氏の「心」なのか。
 これは完全に勝者の論理で、現代の日本に、強者の論理を露骨に書く政治家がいるとは思わなかった。このような人は、強いの人の味方であるが、自分は強いわけではない。強い者に寄り掛かっているだけだ。
 ごく自然な現象だが、このブログには、そういうひとたちが集っているようだ。「正と悪を単純にみるべきではない」という一見もっともらしいことをコメントしている人がいたが、結局、悪を認める思考様式になっている。多くの場合、確かに正と悪は単純に分けられるものではなく、入り交じっている。しかし、今回のウクライナ戦争については、プーチンが悪であることは、否定できないだろう。経済的、政治的立場から、プーチンを非難しない国家はあっても、公然とプーチンのウクライナ侵攻は正しい、と擁護しているひとたちは、ロシア人以外に存在しない。国連のロシア非難に反対した国家も、ロシアが正義の立場だから、全面的に賛同しているという意志表明を行ったわけでもないのである。
 鈴木氏のブログは、選挙活動を伝える写真で埋めつくされているが、選挙民の良識を示してほしいものだ。
 

投稿者: wakei

2020年3月まで文教大学人間科学部の教授でした。 以降は自由な教育研究者です。専門は教育学、とくにヨーロッパの学校制度の研究を行っています。

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