まだ予想ではあるが、2022年の日本の出生数の予測値がでた。80万を超えているけれども、予測値より実数はたいへい少ないので、80万人を下回る可能性が高いと報道されていた。80万というのは驚きだ。
私は団塊の世代真っ只中の生まれで、所謂団塊の世代の出生数は平均で278万人ほどになる。80万というと、30%未満ということになる。それだけの少人数で高齢者を支えるのは大変ということは、多少割り引く必要がある。現在でも団塊の世代は人口比で大きな割合を占めているが、今年生まれたひとたちが20歳になるときには、団塊の世代は90歳代の半ばに達しており、かなり死亡して、少なくなっているはずだからだ。それにしても、この少子化は、様々な面で大きな影響を与えるに違いない。
最初に危機に陥ると想定されているのは、大学や教育産業だ。大学といっても、国立大学はそれほど大きな影響を受けるとは思えないが、私立大学への影響は甚大だろう。現在でも私立大学の最大の課題は、入学者の確保である。私が在籍していた時期に、大学は既に「冬の時代」を迎えており、文科省が入学定員の厳格化をしたおかげで、受験生は確保できていたが、当時は「2018年問題」が話題になっていた。つまり、2018年までは、少子化の傾向が比較的小さく、18歳人口は平坦に近かったが、2018年から、再び少子化の波が激しくなり、18歳人口が減り始めるということだ。そして、その時点で、18歳人口はまだ100万人を超えていた。それがやがて80万人以下になるということは、20%減少することだから、当然進学率が大幅に上昇しない限り、入学者が20%減り、かなり多くの大学が倒産することになる。入試がそれだけ緩くなるから、学習塾や予備校などの教育産業も大きな痛手を受ける。
受験に左右されない学習が可能になるので、教育改革には有利な条件が生まれるともいえるが、競争があるからこそ勉強する、などという古い意識が払拭されないと、逆に学力の停滞が生じる危険性もあるわけだ。ここらは、また別の機会に考えたい。
現在の大学の危機は、別の面からも押し寄せている。偏差値の高い大学については、そこを目指している優秀な高校生のなかから、日本の大学より海外の大学で勉学をしたいという者が次第に増えていることである。つまり、大学の国際ランクが、そうした入学者獲得にも影響を与えつつあるということだ。
そして、オンラインでの学習スタイルが普及してくると、大学教育の受け方が多様化していくことになる。文科省の政策がどうなるかにもよるが、効果的なオンライン教育を実施する大学が、正規の単位認定をすることによって、必ずしもその大学に所属しなくても、水準の高い講義を受けることができ、ある種の資格を取得できるようになると思われる。高い授業料やその他の納入金を払って、正規の学生になる必要もなくなるわけだ。そうすると、そうした授業を広く提供できない大学は、ほぼ地域の生徒だけを獲得するしかなくなり、じり貧になっていくことになる。対面授業とオンライン授業、正規の学生と、部分的な単位取得学生、社会人対応などを、構造的・創造的に構成できる大学が、多くの学生を獲得し、そうできない大学から廃校になるところが多数出てくることになる。私は、定年退職してしまったので、そういう現場に立ち会うことがないので、傍観者的になるが、日本全体の高等教育の向上のためには、そうした動向は大いに進んでほしいと思っている。
子どもの人口が減れば、当然義務教育学校の必要数も減少する。
私が、学校選択制度のための、東京のある区の審議会の委員をやっていたときに、教員組合は学校選択制度に猛反対で、その理由のひとつに、学校選択は学校統廃合の手段になるということがあった。しかし、私はそのとき、その主張にはまったく賛成できなかった。というのは、東京の学校数の最大値は、当然私の属する団塊の世代か、あるいは第二次ベビーブームのときだったはずである。私の小学校時代には、学級定員の制限はなかったので、50人以上在籍する学級などもあったから、定員が決められたことや、東京への人口流入などの影響で、第二次ベビーブームで学校数は最大値になったといえる。そして、審議会で、情報として提出されたのは、その区の学齢期の人数は、最大のときの半分になっているということだった。在籍数が半分になれば、学校の数を維持することは、いかにも不合理である。小学校では、学級数を減らすことができるから、教職員の数も減らすことができるが、それでも、半分に減らすことはできない。だが、中学の場合には、教科担任制だから、生徒数半減としても、それほど教師の数を減らすことはできない。つまり、財政的な合理性からすれば、当然学校は統廃合しなければならないのである。
教育を充実させるためには、学校数は維持すべきだ、統廃合すれば通学負担か増えて、教育水準が落ちるということもあるが、東京のような人口密集地では、学校の統廃合による通学負担の増大はそれほどではない。そして、福祉全体を考えれば、教育にだけ財政を優先的に振り分けることも、説得性のある理由は見当たらない。
やはり、人数が半減している以上、それなりの学校数の削減は必要なのである。とすれば、どういう規準で、どの学校を廃止するのかということの、合理的な理由についてのコンセンサスをえることが重要である。しかし、統廃合絶対反対という立場だと、そうした議論が不可能になってしまう。そして、事実としては、行政は学校の統廃合を進めることになる。そうすると、必然的に、地域性を考慮して、廃校を決めることになる。たいていは、生徒数の少ない学校が廃校にされる。
しかし、たまたまその地域に住んでいた人たちは、何ら自分たちに責任がないのに、突然学校が廃校になってしまうことになる。それは如何にも不合理なのではないだろうか。
そこで、私は、学校選択を実施すれば、人気のない、つまり評価されない学校が廃校の対象となりうるので、多少は合理的な廃校決定になると思うのである。
今後も、小中学校の統廃合は、都市部でも進行するだろうが、どういう理由で廃校を決めるのか、そうしたことの議論も必要になっている。
他にも少子化の影響はたくさんあると思われるが、私は少子化を否定的には捉えていない。人口が減って、経済規模が小さくなっても、別にそのこと自体は問題ではない。人口の少ない国で豊かなところはいくらでもあるが、そうした国の「経済規模」は決して大きくないのである。むしろ、GDPが世界三位なのに、一人あたり換算すると、20位台になってしまうことを、もっと深刻に考える必要があるだろう。そして、国際的には、少子化が問題なのではなく、人口過多が問題なのである。途上国の人口爆発を抑えることが、緊急の課題なのであって、先進国は少子化によって、人口過多を解決する指導性を発揮すべきなのだ。