太田ゼミインタビュー(こんちゃん・岳)1

今回はこんちゃん(心理学科)と岳(人間科学科)のインタビューです。

小さいころの自分

お 小さいころはどういう子でしたか。小学生くらいまで。
岳 やさしい子だったようです。
お 男の子がやさしいというのは、どういうこと。
岳 母親がいうには、公園なんかにいって、夏場の最後になるとセミとかが、ひっくり返って死んでるじゃないですか。それに一枚一枚葉っぱをかけてあげて、「よく頑張ったね、おやすみ」みたいなことを言ってたらしいです。
お それ覚えているの?
岳 覚えていないです。
お 何歳のころ?
岳 小学3年生くらいですね。
お 小学3年生なら覚えているでしょう。
岳 あまり。

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お 今から考えると、たしかに自分はそういうことをしそうな子どもだったと思いますか。
岳 たぶん、無意識ですね。
お 覚えていることでは、どんな子どもだったんですか。
岳 お祭が近くなって、やぐらを組んでいるときに、まだ骨組みくらいのときに、ここで遊ばないでくださいと書いてあっても、そこで遊ぶような子だったようです。覚えていることでは。
お 母親の像とは大分ずれがあるよね。
岳 小学校で大分変わったみたいですね。
お こんちゃんは?
こ 私は小さいころは、たぶんいい子でした。先生から見たら、たぶんいい子なんだろうなという感じの。ただ、すごく泣き虫でした。
お いじめられてというわけではなく。
こ そうではなく、なにか泣き虫でした。今自分の声低いので嫌いなんですけど、逆に小さいころは、声がすごく高かったらしくて、きゃんきゃんうるさいって、よくお兄ちゃんに怒られていました。
お 声変わりしたの?
こ はい(笑)
お 女の子は声変わりしないでしょう。
こ する人はするらしいですよ。少し低くなったりするらしいです。
お 身体が大きくなればね。共鳴体が大きくなるわけだから。
こ とにかく泣き虫でよく泣いていましたね。
お 悲しいドラマをみていると泣いてしまうとか。
こ どっちかというと、何か、強いことを言われてすぐ泣いちゃうという感じです。でも、小6くらいで、泣き虫で面倒くさいって言われて、そのときに、泣くのだめなんだと思って、泣くのをやめました。
お 泣くのは意図的にやっていたの?
こ いや、意図的ではないですね。
お 泣くと、いわれなくなったとか、そういうことがあった。
こ いや、特には。感情から泣くということだけでした。
お 言われて泣くんでしょう?
こ はい
お だから、言われて泣くと、言われるのがやむのか。
こ 余計に言われます。お兄ちゃんがそういうのを、泣いたら解決するのか、泣いて解決するわけじゃねえんだよ、とよく言われました。
岳 いいそうな感じですね。
こ うちは、上にふたりお兄ちゃんがいて、真ん中が年齢が近いので、よくけんかして、泣かされてました。
岳 学校でもそうだったの。
こ 学校でもけっこう泣き虫でした。

子どものころの遊び

お 子どものころは何をして遊んだ?
岳 子どものころは自分の近くに森があったので、木に登ったり、セミをとったり。
お 森というのは、公園みたいなの?
岳 そうですね。そこで夏祭をやったり、普段はおじいさん、おばあさんがゲートボールやっていたり。散歩のコースになったり。朝晩のラジオ体操もそこでやりましたね。そういう森があったので。
お アリエさんは、ケイドロをやりましたっていってたけど、ケイドロって知ってる?
岳 われわれはドロケイですね。
こ わたしも。
お ドロケイなんだ。
岳 派閥があるみたいですよ。(笑)ケイドロ派とドロケイ派と。
お 関東はドロケイで、関西はケイドロのような?
こ どうなんでしょう。
岳 千葉県のなかでも、派閥があるような。なんとか中学はケイドロだけど、なんとか中はドロケイと呼んでいるみたいな。
お ドロケイはやったの?
岳 やりましたね。
お 普通の鬼ごっこはしないの?
岳 そうですね。普通の鬼ごっこはつまらない。
こ わりとやっていました。
岳 あとドッチボールもボールをふたつにしてやっていました。
こ わたちたちもやっていました。
お ドッチボールはよくやったの。
岳 わりとさかんでした。
こ 休み時間の度に。
お 最近ドッチボールは?
こ 野蛮だみたいな。
岳 いってますね。
お 授業でやっちゃいけないみたいな。
岳 いま卵プロジェクトでいっている小学校では、普通にやっています。体育でドッチボール入っているし。
こ 今スポーツ心理学とっているんですけど、投げたり、チームワーク考えたりとか、発達にもよい影響するスポーツらしいです。
岳 あてるから野蛮だというのも、随分短絡的な感じだと思うんだけど。
お 言われてみれば、あてるスポーツってあまりないね。
岳 そうですね。
こ 人にあてるというのはたしかに。
岳 相手に害を与える目的があるわけだから。言われてみれば、ドッチボールくらいかも知れない。
お そういう趣旨なのかな、反対は。僕からすると、ボクシングのほうがよほど野蛮なスポーツだけど。

中高大での部活

岳 自分が入っている部活が強かったので、大変でしたね。
お それは何だったの
岳 テニスクラブです。
お 軟式?
岳 はい。軟式テニスです。総体での全国大会出場常連校で、顧問の人がずいぶん力が入っていました。とりあえず一年は、キコクラ(?)と20週するまで帰るなって。
お あつい人だったんだ
岳 あつい人でしたね。
お その反動として、今帰宅部なんですか?
岳 自分はあついの好きなんです。一生懸命練習するのが、好きだったんで、一生懸命身体動かして、うまくなるって、いいじゃんと思って、そういう側だったんですけど。一生懸命やりたかったんですけど、アクトテニスはちょっと違うなと。テニスじゃないな。活動の柱がお酒だなのと思って。
お 体育会なんかあるじゃない。
岳 そうなんですけど、大学では他にもアルバイトとか、旅行とか、やりたいことがあったんで、そんなに毎日は、でれないなと思って、じゃ、サークル、週2回くらい練習しようかと思って入ったんですけど。
お 物足りなかった。
岳 そうですね。2時間ちょっと練習して、よし飲みにいくぞって感じで、もう時間かあと思って。
お テニスは中高やったの。
岳 はい。高校は硬式になって。
こ テニスは全然できないので。
岳 テニスはまったくのど素人がある程度のレベルまでいくのが、一番速いスポーツだと思うんだけど。
こ えー。テニス本当にできない。教えてほしい。
お スポーツ一般はどうなの。
こ とにかく球技がだめです。水泳なんかも。
お 得意なのは何なの
こ 陸上系か、器械体操。中学で新体操していたので。

kondo
お 身体はやわらかいんだ。
こ 今は固いです。
お 当時は。
こ 当時もそんなにやわらかくなかったんですけど、幼稚園からやっていたので、
お 新体操って、ボール使うよね。
こ 使いますね。あのボールは大丈夫なんです。バスケとか、ボール奪い合うじゃないですか。
岳 競技スポーツとなるとということか。
こ だけど新体操は、自分で扱うだけ、自分で転がしたり、まわしたりして、自分の周りだけで使うだけなんで。
岳 相手を意識しないですむ。
こ それは大きいですね。
お 陸上系というのは。
こ 走るほうですね。
お 飛ぶとかは。
こ 高飛びは嫌いじゃなかったんですけど、幅跳びは嫌いでした。
岳 幅跳びが一番好きだった。(笑)
お 幅跳びって、走る延長でしょ。
こ そうですね。でも飛べなくて。
岳 踏み切りとか。
こ 踏み切りのタイミングがうまく掴めないですね。直前でダダダとなっちゃって。飛ぶの失敗してとか。
お 中高での部活は。
こ 中学ではさっきいったように、新体操で。
お 部活なの?
こ 部活です。
岳 新体操部って、あるのかなって。
こ 市内でも7校しかなくて、少ない部活でした。高校は、続けたかったんですけど、高校になかったので、ダンス部に入りました。
お 創作ダンス?
こ 今大学にあるダンス部や創作ダンスというのではなくて、表現のダンスをするんです。テーマ決め手、それをダンスで表現する。ヒップホップなんかもやっていました。あとは、地域のなんですけど、八木節を踊ってました。音にあわせて踊るのが、昔から好きなんです。本当にスポーツっていうと、球技が多いと思うんですけど、そういうのはあまり得意じゃないです。
岳 自分は体操が苦手ですね。
お スポーツの王者は陸上だからね。
岳 そうですね。体操、身体が固くて。身体固いとマット練習できないし、開脚前転なんて絶対起き上がれないし、だから今千葉県の教採の実技がマットなので、いま必死に柔軟体操しています。
こ 身体が柔らかいほうが怪我なんかもしないので、お風呂あがりに、柔軟するといいです。
岳 そういいますね。
こ でもやりすぎると、股のところを内出血して、真っ青になっちゃったりする人がいます。
お 僕も身体固いけどあまり怪我しないんだけど。
岳 それは激しい運動しないってことじゃないてすか。
お 自転車で激しく転んだときとかあるけど。一回転したことがある。
岳 自分も身体は固いけど、大きな怪我はしないですね。医者にかからないです。インフルエンザの予防接種くらい。
こ すごいね。
お 予防するの?
岳 予防しますね。
こ えらい。
お したことない。
岳 うち、父も母や教師なんで、感染源になってはいけないということで、みな必ずインフルエンザの予防注射うつようにということで、2本ブスってうつんですよ。
お 感染源になったとしても、ちゃんと予防注射はしていますと。
岳 建前ではないですけど。

太田ゼミインタビュー(こんちゃん・岳)2

文教大学にはいって

お 文教大学はどうして入ったんですか。
岳 文教大学は落ち武者的な感じで。千葉大学の教育学部の初等社会を志望していたんですけど、見事にセンターでやってしまいまして、それからどうしようということで、今から文教の教育学部入れるほどの対策もできないし、この大学にいる先輩から、人間科学部にはいっても、小学校免許の取得のコースがあると教えてもらって。
お 先輩というのは。
岳 母の教え子ですね。
お その先輩の言葉がなければ来なかった。
岳 来なかったですね。
お 国立落ちても、いろいろ受けるでしょう。
岳 そうですけど、センター以外考えていなかったので。センターの模試でけっこういい成績とれていたので、もういけるんじゃないか、という油断があって。
お 普通滑り止めというのを考えるでしょう。世の中では。
岳 滑り止めもセンターセンター利用で。
お うちもセンター利用あるでしょう。
岳 文教大学の人間科学部を知らなかったんですよ。教育学部でしか、先生にはなれないと思っていたんです。で、文教大学教育学部のセンター利用もできず、日大もできず、あと東洋もひっかからなかったので、さて、どうしようということになって。
お では、何ではいってきたの?
岳 A日程ですね。
お でも、センター試験だめで、A日程の申し込みまで、ほんのわずかしかないよね。
岳 はい、ですから、センター終わって、母さん、どうしようかとなったときに、たしか先輩もこんな感じだったから、話を聞いてみたらということで、センターの次の日に話しをきいて、そこは速かったですね。
お なるほど。でも、B日程ではいってくる学生で優秀なのがいるんだよね。B日程というのは、すべてだめだったという人だから、できないイメージかも知れないけど、逆の場合が多い。
こ 私は、一浪しているんですけど、現役時代は、もともと教育学部志望で、群馬大学と、秋田大学を受けたんです。だめで、滑り止めでの大学では、幼稚園の免許がとれたんですけど、親が一浪していいよ、といってくれたので。浪人のときには、宮城教育大を志望していたんですけど、滑り止めで文教と東北福祉大学を。文教は、心理と特別支援でだしました。

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お センター利用で。
こ はい、でも、文教の特別支援が落ちて、心理が受かって、心理でも特別支援教育の免許が今年からとれるということを知っていたので、心理でいいかと思っていました。宮城教育大は、特別支援が前期しかなくて、後期は地元の県立を受けたんですけど、そっちも落ちて、選択肢がここしかなかったんです。それでここにきました。
お それにしては、今は優秀だよね。
岳 そうそう。
こ 心理はとても楽しいので、それが向いているんじゃないかと思います。
お 高校の勉強と大学の勉強では、大分違うなあということですか。
こ 大分違いますね。お勉強というのは、あまり好きではないんで、センターもぼろぼろでしたし、特に英語ができないので。でも、心理や人間科学部の授業が楽しいので、大学ではそこそこの成績がとれているかなという感じです。
お 特別支援をやるきっかけというのは。
こ 私の母が、作業療法士なんですけど、職場が肢体不自由の人がくる養護園なんですね。そこにはいっている子とか、外来でくる子とかが、重複の子もけっこういて、職場によく遊びにいっていたので、そういう子がいることは知っていて、あと、小学校が、敷地内に特別支援学校が併設されている学校だったので。
お 特別支援学校が。学級でなくて。
こ 学校でした。
岳 それすごいとこだね。
こ 群大の付属だったんです。
お 群大の付属にいたの。
こ はい。
お そうなんだ。
こ なので、群大受けたかったんですけど。
お 群大の付属ってどこまであるの。
こ 中学までです。幼稚園、小学校、中学までは、付属だったんですけど、高校はないので、別のところにいきました。併設されていたので、ここで交流が総合の時間などにあって、自分でも聾学校に総合の時間にインタビューにいっていたんです。特別支援いいなあ、やりたいなと、思っていたのと、他にもうひとつ、理科が好きなので、理科でもいいかなと思ったんですけど、父と母の仕事の中間くらいなんですね、特別支援というのは。それでやりたいなと思って志望しました。
お 群大の付属は小学校から入ったの。
こ 幼稚園からです。
お それは入園テストがあるわけ?
こ あります。
お どういうの。覚えている?
こ 私は覚えていないんですけど、母からきいた内容では、受け答えができるとか、挨拶できるとか、簡単な数字書いたりとか。あとは、最後に商店街のガラガラってわかりますか、あのガラガラをひいて、それで金色の玉がでできたら合格という。
岳 え?
こ 最後は運ですね。
お 国立の付属ではよくあるんだよね。
こ たまたま幼稚園から入れたので。
お 中学まではそのままストレートでいける?
こ そうです。
お 高校は何故ないの。
こ なんでないでしょうね。わからないですけど。だいたい頭のいい子たちしかないので、上のほうの高校にはいります。群大の医学部に入るとか。
岳 すごいね
お 岳君は、小学校の先生には何故なろうと思ったの?またいつごろから。
岳 小学校に入ったときというか、自分の父親と母親の姿をみていたからかも知れないです。
お ふたりとも教師なんだ。
岳 はい。父は高校。教師をやって、家に帰ってまだ仕事をしていて、それがとても楽しそうだったので、教師って楽しい仕事なんだなあと。その反面、自分の小学校高学年になったときに、日本が不景気になって、過労死だとか、社会的な労働災害が問題になってきて、他の仕事がこんなになっているのに、母さんたちは、なんでこんなに仕事しているんだろうと思って。小学校の先生も様子をみていると楽しそうだなと。
お でも、最近の小学校は大変だよね。
岳 そうなんですかね。
こ 楽しそうだよね。うちの父親も楽しそうですね。
岳 また、自分は事務仕事があまり好きじゃなくて、もちろん、教師も事務仕事の固まりだと思うんですけど、そのなかでも、人間と接する面が多いなと。
お そういう面はね。
岳 同じ事務仕事をするにしても、自分は教育に携わりたいなと思って。小学校を選びました。

大学での生活

お 大学にはいってどうですか。
こ 大学、すごく今楽しいです。わたしは、内弁慶なので。
お まあ、内弁慶はそうだよね。そう思うよ(笑)
こ 人見知りがすごく、人と交わるのに時間がかかるんですよ。でも文教の人って、おおらかで、やさしい人も多くて、すごく居心地がいいなと思います。キャンパスも派手なところにないし、落ち着いているし、すごく好きです。

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お 勉強とかは。
子 心理学は楽しくて、学んでいると、学校現場にいかせると思うので。本当は特別支援専修にはいりたかったんですけど、そっちにいるよりも、こっちにきてよかったと思っています。
岳 期末が近づいてきて、レポートださなきゃいけない、この日までにテスト勉強しなければいけない、来週の月曜日までに、ゼミの中間論文をまとめて、発表しなければいけない。そんなのがあって、いま勉強は大変ですけど、高校のときよりは、楽しいですね。自分は数学が嫌いだったので、無理やりやらされている感だったですね。
こ 大学では、自分の責任だもんね。
岳 そうだね。それに、心理とか、特支とかの分野でも、どこを勉強しても、将来教師として役立つだろうという内容なので、これもいいな、これもいいな、という風に感じて、これは嫌だというのはあまりないですね。
こ 人間科学科って、何やってるの?存在が謎なんだけど。
岳 何やってんだろう。全部やってるんじゃないかな。広く薄く。概説系はいっぱい受けた気がする。
こ 心理は心理メインだ、臨床は臨床で。人科人科って?
岳 教育学概論も、臨床心理学概論も受けたし、うーん。何やっているかと言われるとこまるか。
こ 福祉のところは、多いよね。
岳 そうだね。福祉の授業もけっこういったけど。あとはジェンダー論。どっちかというと、小免の色が強いかも知れない。~~教育論とか、家庭教育論とか。心理を混ぜつつ、ちょっと、教育に重きをおいた学科かな。どうですか。
お 僕は臨床心理学科なので、わからないね。(笑)
岳 そういう印象ですね。
お 小免の人って、固まる傾向があるね。
岳 志が具体的になったメンバーが集まるわけですから。全く同じような人間が集まっていると思います。
お 高校から大学にきて、一番違うなと思ったことは?
岳 自分の時間が増えたことですね。高校も部活だったし、一時間目から6時間目まであって、家に帰るのが7時を過ぎていたりして。大学は、日によっては、2時間目終わったら帰るみたいな。土曜日なんか。
お そういうときは、帰っちゃうの。
岳 そうですね。帰ってバイトしてお金をためて。別のことに使うとか。あとは、勉強するとか。

太田ゼミインタビュー(こんちゃん・岳)3

学生だからできること

お 学生時代にしかできないので、こういうことをやっておこうという話がよくあるけど、それはどうですか。旅行にいくとか
岳 旅行はいってます。14カ国いきました。
こ 海外がメインなの?
岳 海外がメインです。
お 一人で?
岳 はい。
お 大変だよね。
岳 大変です。だからガイドさんとかも予め頼みます。インドなどは大使館に連絡とって。ガイドサービスなどはありますかね、って聞いて。

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お ガイドさんを頼むわけね。
岳 頼んで、空港まできてもらいます。ペルーに行ったときには、ガイドさんが現地語と英語しか話せなくて、自分は日本語とちょっとの英語しか話せないので、かなりぎくしゃくしたものになりました。何か飲み物が飲みたいというと、カレーが出てきたりとか。(笑)
お 日本人だから、ほしいのはカレーに違いないとか。
岳 トイレにいきたいというと、ずいぶん見晴らしのいいところにきてしまったり。
お レストルームとか言ったからじゃないの。
岳 そうですね。
お この人休みたいんだと。
岳 はい。
お ずっと一人旅で?
岳 友達が、俺もつれてってと、一回言われたので、一緒にオーストラリアにいったことがあります。そのくらいですかね。
お なんで一人で。
岳 ひとりだと自由時間がおおいし、ツアーだと、自分がここもう少しみたいと思ったときに、あと20分でいきますよっていうようなことか、嫌だったんで。
お ツアーのが安いでしょう。
岳 安いときもありましたが、基本は、そうでもないですね。自分でとった場合のほうが、安いことが多かったですね。
お 安いところに泊まったりするのかな。
岳 そうですね。
お ツアーはけっこういいところに泊まるからね。
岳 そうですね。インドでは、列車のなかにとまりましたね。
お 危ない目にあったとかは。
岳 危ない目は何度もあります。砂漠でテントに寝泊まりしているときに、砂嵐になったとか、インドの列車に乗っているときに、ガイドさんに飲み物買ってきてもらったときに、ガイドさんが戻ってくる前に列車が発車してしまったりとか。
お ガイドと分かれちゃったわけだよね。そのあとどうしたの。
岳 電車の次の駅でおりて、携帯にかけました。
お ガイドをつけず、自分でまわったとかは?
岳 3回あります。メキシコとロシアとカンボジアです。
お かなり際どいところだよね。なかなか難しいところだ。
岳 ロシアは自分で、単語帳片手にいきました。今わたしはどこにいます、というような例文です。一泊二日でした。
お 一泊二日でロシア?
岳 一泊三日ですか。
お 飛行機のなかで一泊だね。ロシアはどういうところにいったの。
岳 イルクーツクにいきました。バイカル湖の近く。バイカル湖が凍ると、凍っているところとそうでないところの間がきれいだ、というのを見たので、いってみようかと。きれいでした。
お 14カ国、あげてみて。
岳 ペルー、ボリビア、メキシコ、アメリカ、ロシア、カンボジア、オーストラリア、インド、ノルウェー、ザンビア、ジンバブエ、ナビビア、南アフリカ、今度カナダいって、14ですね。
お けっこう危険なところ行ってるよね。
岳 そうですね。フランスとか、イタリアは、行ってみたいんですけど、そこらは、年取って、定年のあとでもいけるかなと思うんですけど、さすがに、アフリカのジンバブエとか、3週間は年取ってからは無理かなと思った。
お そうだよね。
岳 今のうちに行けるなら行っておこうと。
お いままで一番危ない目にあったのは?
岳 アフリカですかね。襲われたというよりは、サイがかなり近くにきた。オープンカーで簡単な覆いがあるんですが、トイレ休憩にしましょうということになって、サファリのなかで、とまったんですけど、自分が荷物をとりにいこうと、後に行ったら、ふと前みると、距離1メートルくらいのところに、サイがいたんです。サイが茂みのようなところから、すっと現れたんで。(笑)
お 空腹じゃなかったんでしょう。空腹じゃないと襲わないから。
岳 大丈夫でしたけど、あのあと、ガイドさんは、誰か死ぬかも知れないと思ったというようなことを言っていた。でも、呼吸の鼻の動きまで見えましたね。バフーバフーという感じではなくて、スースーっていう。
こ 冷静に観察していたね。
岳 一瞬で冷静になった。「ああ、サイか」みたいな。(笑)
お 写真はないの?
岳 さすがにそのときの写真はないですね。
お 安全になってからは。
岳 いろいろ撮りました。
お こんちゃんはどうですか。
こ 旅行はあまりしないですね。
お 国内でもいいんだけど。
こ 遠出はしないです。せいぜい2泊3日くらい。近場くらい。旅行は好きなんですけど、誰かが一緒じゃないと動けないので、家にいて、本を読んだり、ゲームをしたりとかのほうがおおいです。
お 学生じゃないとできないというのではなくて。いつでも人生できるさって感じですか。
こ バイトはいろいろしたいと思っていますけど、今のところに落ち着いているし、部活が忙しいので。
お 部活ってなんだっけ?
こ 「なずな」です。りゅう君と一緒です。わりと忙しいので、休みでも、イベントがはいって、出かけるのが厳しくなります。今役職についているのもありますし、部活はとても楽しいので。(笑い)
岳 (何枚かのお札を見せて)お金です。いろいろあります。お金をメモかわりに使うインドとか。あとジンバブエドルって知ってます?
お 知らない。
岳 数年前に財政破綻して、スーパーインフレを起こしたんです。これは一体日本円でいくらだと思います。(ジンバブエドル札をだして)
お 0がいくつついているの。10こついているから、50億ドルだよね。いくらかっていうことね。どうせ、こういうこときいているんだから、1000円くらいかな。
岳 これは、12円です。
お 12円?へえー。
岳 だから、コーヒー一杯分もないそうです。
お でもこれ自体は、高く売れるよね。
岳 そうですね。だから、自分がいったときには、既に財政破綻していたので、これをおみやげ屋さんで売ってました。
お もう少したったら、歴史的な貴重な資料になるよね。
岳 第一次大戦後のドイツみたいに。
お そうそう。
岳 これもそうですね。これは10ドルでした。12円なのに、10ドルでした。
お お札としてではなく、記念品として10ドルね。
岳 ジンバブエにはいったときの入国ビザです。
お こんちゃんは、パスポートはもっているの?
こ もってないですね。だから、国外には旅行にいけないです。
お 申請すればいいじゃない。別にいかなくてももっていて損はないし。
こ 必要性がないので。身分証明も運転免許証でなんとかなるので。
お 免許はもっているんだ。
こ はい。もってます。
お それで長距離ドライブとか。
こ いや、そもそも免許とってから、一回も車乗ってない。(笑)9月にとったんです。だけど、こちらに住んでいるので。車はもてないし。

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お 実家にいればね。
こ 実家だと乗るんですけど、こちらだと必要性がないですね。
岳 実家だけど、迎えにきてとか、パシリとしてつかわれています。
こ うらやましい。でも、3年は忙しくてとれないと思ったので。
岳 この春休みとった。合宿で。
こ わたしより乗れると思う。
岳 話しきいていると、そうだなと。週3回くらいは乗っています。
こ いいな
岳 母親が運動会で忙しいと、ごめん、迎えにきて、なんて。はいいきます。みたいな。
こ 群馬は、ほんとうに車社会なんで、実家に車3台あります。車ないと生活できないから、群馬帰るなら、免許とろうと思って、とったんですけど、結局、こっちに。
お こっちだと、意外と近場で必要だよね。遠くにいくときには、公共交通機関を利用する感じで。
東京だと、どこいくにもバスとか電車だけど。
こ 群馬だとバスも電車も便利じゃないので、遠くも車です。こっちは駐車場ない店があるでしょ。群馬ではありえないので。

太田ゼミインタビュー(こんちゃん・岳)4

仕事以外にやりたいこと

お 将来は先生になる希望だよね。それ以外に、何かそれだけじゃなくて、こういうこともやりたいということはありますか。
岳 ツアーガイドなんかはやってみたいですね。英語も好きだったので。
お あるいは、国連にはいっている国はすべて制覇するとか。
岳 いつかいってみたいのが、南極ですね。まだ行ってない大陸は南極だけなので。オーロラもみてないんだな。
こ オーロラ見たいな。
岳 オーロラはノルウェーでうっすら緑色の幕がかかっているかも知れないレベルでは、みたことがあるんですけど。
お オーロラは、今年卒業した学生が、オーロラ見るためだけのツアーにいって、4日間の猶予があったけど、2日間すばらしいオーロラを見ることができたって、すごくラッキナーだったらしいんだけど。
こ いいですね。下手すると見れないですもんね。
岳 見れないほうがおおいようね。
お こんちゃんは。
こ わたしは、幼稚園の先生か。やはり、先生ですね。

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お 先生やりながら、それ以外にやりたいことなんだけど。
こ あわせてですか。手芸とかミズクラフトがとても好きなので、そういうのやりたいなと思っています。ときどき作っているんですけど。
岳 デザイナーですか。
こ デザイナーというより、趣味程度でいいんですけど。絵を描くのも好きだし。
お こんちゃんっていうと、どこかに落ち着いて、なんか一人でこつこつというイメージ。
こ 外にいくのも好きなんですけど、それより、結局、自分のために動くのが面倒くさいんですね。誰かと一緒にお出かけというと行きたいですけど、自分一人でいくには、そんなにお金もかけたくないし、着替えたり、とかも面倒くさいし、それなら、家のなかでやりたいことをやれたらいいなというところがあるので。
お 群馬の女性というと、かかあ天下というのがあるけど、それとはちょっと違うよね。
こ そうですね。
お こんちゃんタイプのほうが、むしろ、かかあ天下の典型なの?
こ いや、わたしは違うと思います。
岳 亭主関白。
こ 母は福島の人なので、群馬とは違うかも。
お 群馬に住んでいて、ああ、あの人やはり群馬の女性だと思うような人はいる?
こ いますね。男より強くて、行動力もあって、主導権握っていて、ぐいぐいいくような人もいます。女性が強い。しっかりしているんです

大学への要望

お 大学に要望なんかありますか。こういうことがあるといいけどというような
こ 履修の制限が一番つらいです。
岳 そこかも知れないです。
こ 心理学科って、人科人科のひとよりも、単位をたくさんとらなければいけないんですよ。その分、自分の学科の授業がとれなくなるんですね。制限があると、1、2年で全然とれないので、3、4年が忙しすぎて、手がまわらない感じです。
岳 そうですね。
お 4年はそんなに忙しくないでしょう。
こ どうなんでしょうね。
お 特別支援は実習が2回あるからね。
こ 単位もまだけっこう、自分の学科のも3、4個残って、教職も3、4個残ってというような感じになっています。
お そのくらいいいんじゃないの。
こ たしかに週1しか学校にこない先輩もいるので、どうなのかな、とは思うんですよ。学費も払っているし。4年のほうが理解力あるので、そのとき勉強したほうがいいかと思うんですけど、今の3年の忙しさは、尋常じゃないです。
岳 忙しいね。
お そうなんだ。それは、再検討する余地はあると思うけど、君らの世代では無理なので、しっかりバランスとって勉強してください。では今日はありがとう。

ゼミ生インタビュー第一回(1)アリエ&りゅう

卒業生シリーズを始めたわけですか、現役生にも登場してもらうことにしました。今4年生は採用試験や就活の真っ最中なので、それが一段落つく秋に出てもらうことにして、まずは3年生から2人ペアで登場してもらうことにしました。今年度の3年生太田ゼミは、非常に珍しく男女同数なので、ペアがいいかと思いました。
最初は、アリエさん(ア)とりゅう君(り)です。
文教大学に入学したきっかけ

お 先陣をきって登場してもらったわけですが、まずは文教大学に入ったきっかけについて話してください。
ア 教師をずっとめざしていた関係で、教師になるといったら、文教大学を受けようかなと。特別支援の教師になりたかったのですが、人間科学部なら、選抜試験受かればなれるし、ここにしようと思いました。
お 新潟ですね、実家から遠いでしょう。家族の反対はなかったんですか。
ア ないですね。
お どこにでもいきなさいと。
ア そんな感じですね。(笑)新潟に教師になれる私立とかなくて、国立落ちたので、どこでもいいよという感じだったです。
り 僕も一緒で、教師をめざしていて、高校の先生に、文教を勧められて、国立も受けたんですが、結果的に文教にはいりました。
お 教師には何故なりたいと思ったのですか。
ア 私は、弟が自閉症で、特別支援学級だったんですが、先生が障害について十分配慮してくれなかったのです。それなら私がいい先生になって、できることないかなと思って、なりたいとおもいました。
お その先生は、障害について勉強したわけでもないし、自閉症をどう扱っていいか、普通の教師はわからなかったんじゃないかと思うけど。
ア そうなんですよ。その先生が悪いというわけではなくて、特別支援の免許もっていない先生が、代理でやるみたいな感じだったので、対応は難しかったのかなあ。小学校の免許の先生でした。
お そういうのはめずらしくないけどね
り 僕は、年が10歳くらい離れた弟がいて、その弟に接していたり、教えていたりするうちに、教えるというのは楽しいな、やりがいがあるなと感じるところから、教師をめざすように。
お 弟だと、どうしてこんなことわからないのか、というような教えるもどかしさなどを感じることはあるでしょう。
り もどかしいのはありますけど、それも含めて、できたときには、「できた」と、こっちも達成感があるし、相手も達成感があるので、楽しいなと思って。
お 僕も弟で、兄貴に教わったことなんかないんだけど、弟って、喜んでお兄さんに教わるものなの?
り 年が離れていたというのもありますね。一つ上に姉がいて、姉と一緒に弟をかわいがって教えていましたね。

文教大学について

お 文教大学に入ってどう感じましたか。
ア ちょっと田舎にあるせいか、学生みなが、静かというか、穏やかな印象をうけますね。やさしい感じがしますね。
お 自分が突出している感じですね。
ア ははは。それも感じますね。(笑)それから授業などもまじめな感じがします。教職に特化しているというか、教師を目指している学生がとても多い。

藤井
お 企業というと、競争社会にはいっていく感じだけど、そういうのには、むかないイメージですか。教師、福祉職、カウンセラーのような仕事が向いている?
ア 確かに。競争社会にむいていそうな人は少ない印象はありますね。
お 現代社会にはあまり適応できない感じという意味?
ア そうでもないんですけど、のんびりしている人が多いかなという印象かあるので
り 三学部あるじゃないですか。教育やる人は、教育学部だけだと思っていたんですけど、人間科学部にいざ入ってみると、先生やりたいという人がいっぱいいて、すごくよかったです。
お では、企業就職をめざしている人というのは、疎外感を感じているような?
ア 学科によるとおもいます。人間科学科だと、公務員、教師志望が多いんですけど、心理学科だと、企業就職が多いので、自分がいる場所によるかとおもいます。
お 心理学科には、就活ゼミというのがあって、そこには、学部としてかなりの力を入れているんだよね。

部活について

お 部活は何をしているんですか。
ア 私はCフラというボランティア部にはいっています。活動内容は、点字とか、手話を勉強したり、子どもたちと遊ぶことです。特別支援の先生になるために必要かなと思って入ったんですけど、実際の聾者さんと話す機会がもてて、入部して毎日とても充実していますね。
お 具体的にはどんな活動をしているんですか。
ア 手話は、週2で、単語勉強したり、ゲームをしたりとか、点字も週1で、点字の文字だけではなく、法則があるので、詳しい勉強とかしています。あとは、障害児と遊ぶ活動があります。
お 手話はいろいろな流派があるようなんだけど。独自の文法をもっているのと、日本語をそのまま置き換えているというのと。
ア 日本手話と日本語手話です。私は日本語手話を勉強しています。それは、日本語の文をそのまま単語ごと手話の単語に置き換えるんです。
お 私 いく 学校 へ とか
ア はい。それに対して、日本手話というのは、最初から耳がきこえない人がやるもので、独自の文法をもっている新しい手話の言語なんです。
お 双方の手話の間での会話は可能なんですか。
ア できます。なんとなく、構文が違うんですけど、できなくはないです。
お でも、微妙な表現は難しそうだけど。
ア 疑問の仕方などは、違うかも知れません。
お 前から手話に関して思っているだけど、英語にもあるしドイツ語にもある。各国にありますね。その通訳できる人はいるの?
ア そこはわからないです。確かにいるかも知れませんね。
お そういうをめざした人いないのかな
ア 私も考えたことないので、調べてみます。
お 前から卒論で手話をやるという学生がたまにいるんだけど、手話の通訳とかを研究してと言うんだけど、魅力を感じてくれないんだけど。
ア 気になりますけどね。
お そうだよね。そうしないと、国際交流はできないから
ア そうですね。しないといったら、それで終わりですからね。
り 僕は、学習ボランティアなずなに入っています。週1で児童養護施設で子どもたちと遊ぶのですが、部員が、予め出し物とか、遊びを用意してもっていきます。
お なずなは、部会は分かれているんですか。
り 三パートに分かれていて、障害をもった子どもと遊ぶパートが2つあって、児童養護施設の子どもと遊ぶパートがあります。
お 児童養護施設の子どもと接して、なにか感じることは?
り ほとんど普通の子どもと変わらないですね。ちょっとやんちゃだったり、やりすぎることがあるかな、遊びでも。
お 甘えが足りないとかよくいうじゃない。
り それはあります。一番最初にいったときでも、人見知りしないでなついてくる。一人を独占したがる傾向は強いですね。
お それで喧嘩したりというようなことは?

 

須田
り ありますね。でも、そこは学生がうまくおさめています。一人としか遊ばないという子どもも多いですね。一人の学生を毎回独占して、ずっと一人としか接していない。その学生が、活動にいかない日があると、今日はやらないといって、部屋に戻ったりとか。一人を独占するタイプの子どもは多いですね。
お 学生もたくさんいないと困ってしまうね。
り そこはうまく、学生がいろいろな子どもと接するようにして、一対一で遊びたい子ども同士を一緒に遊ばせるように配慮しながら、やっている感じですね。
お 今日はこの一対一をチェンジしてみようということはあるの?
り それは意図しなくても、けっこうやっています。
お 自然に。でもさっきの子どもだったら嫌がるでしょう。
り 嫌がりますね。そしたら、一緒になって遊んだりして、いろいろな学生とその子が遊べるようにしています。

ゼミ生インタビュー第一回(2)

バイトについて

お バイトなどは
ア 私は焼き肉屋さんで働いています。個人経営なんですけど、ゼミのならちゃんも一緒に働いています。
お そういうところは、面白い話がありそうだけど。
ア けっこう店長がユニークなかたなんですね。シャンパンのコルクをあけるときに私にあててきたりとか。持ち込みも自由で、お客さんもユニークなんですよ。毎回床をケーキだらけにしていくお客さんとかいます。
お ケーキだらけってどういうこと?
ア 誕生日会を毎月やるんですよ。それで、顔面にケーキをなげる祝い方あるじゃないですか。
お 実際に見たことないけど。
ア うちは毎月いらっしゃるんです。毎月投げて、床を掃除しなければならない。でも、うちぐらいしか、やるとこないんですよ。

cake
お そういうのやる人って、やられるのが好きなの?
ア 仕方なくやられているんだと思います。やるほうが楽しいんですよ。
お 誕生日はどっちなの?
り やられるほうです。
お それって、どこの習慣なの?
ア 学生はけっこうやるんですよ。どこからきたのかはわからないですけど。
り やりますね。
ア パイ投げって呼んでます。
り パイ投げのケーキ版。
ア 学内にケーキ散乱していることありますよ。
り けっこうやられています。
お どこで?
ア 中庭のあたりとか。豆腐とかもありますね。
お 掃除はどうするの。掃除のおじさんにまかせてしまうの?
ア 新聞紙を敷いて、あとで回収します。
お 先生でも知っている人いる?
ア どうなんでしょうね。あまり好ましい事実ではないですよね。
お たとえば、アフリカに飢えた子どもがいるのにとか。
ア ははは。こんなことに使ってしまうのは。
お 野球のビールかけってあるでしょう。あれも、我々世代はもったいないという感覚なんだよね。
ア ああいう感じですよね。
お りゅう君はバイトは?
り 僕は居酒屋で。アリエさんの近くです。
ア この前もきてくれて。
お 先生なんかもよく来るの
り 青山先生が月1くらいで。
ア 私も青山先生がきてくれました。
り 青山先生のゼミ生とかが、わりと常連さんで。あとは吹奏楽部の先生が。
お 柳田先生だよね。

ゼミでの勉強

お 太田ゼミではどういう勉強をしていますか。
り 太田ゼミでは、自分の興味関心のあるテーマについての研究(特別支援、家庭教育、学級など)のメインのゼミに加え、サブゼミがあります。社会科、特別支援、埼玉セミナー、メインサブゼミが開講されています。私は、特別支援ゼミ、埼玉セミナーゼミ、メインサブゼミの3つのサブゼミに参加しています。特別支援ゼミでは、オリバー・サックスの「妻を帽子とまちがえた男」という神経学者のオリバー・サックスがみた患者の記録を読み感想を出しあっています。埼玉セミナーゼミは、主に論文練習で、他の人の文章にコメントをしたりしています。メインサブゼミでは、勝田守一の『能力と発達と学習-教育学入門』を読み、章ごとにまとめを発表し、議論したり、疑問点を出しあうということをしています。
私は、メインゼミで「自閉症の子ども」について、研究しています。対人関係の築きが困難な自閉症児がどのような人間関係の環境に身をおいているのか調べようと思っています。毎週グループごとに各自の研究の進行を発表しあい、議論したり、課題を見つけていくという作業をしています。
今は、自閉症についての基本的な特徴を文献や論文から勉強しています。また、自閉症の人が書いた自伝や、対話録などを読んでいます。
ア 私は将来特別支援の教員になることを目指しているので、そのために必要な知識はもちろんのこと教師としての質の高い教養・知識を身に着けたいと考えています。また、研究を通してインクルーシブ教育を中心とした特別支援に関する深い知識を学びたいです。

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太田先生のゼミでは、月曜に行われるメインゼミと、他にもサブゼミと呼ばれる勉強会も行っています。本ゼミは、自分の研究したい分野に別れてそれぞれ研究を進めています。私は「地域」のグループで「インクルージョン教育」について研究を進めています。今は文献を読み進めたり問題提起を整理したりしています。そのうち生徒にインタビューに学校訪問をしたりする予定です。グループで質問しあったり指摘しあったりするので大変勉強になります。サブゼミは、複数ありゼミ生がそれぞれ自分の勉強したいサブゼミに入って専門性を高めています。私の場合は、特別支援のサブゼミとゼミ生の全員が対象となるメインサブゼミの二つに入って勉強しています。どちらも文献を読み進める勉強ですが、特別支援のサブゼミは、メーリスで行っており、主にオリバー・サックスの書いた書籍をみんなで読み進めて、意見交換しています。メインサブゼミは木曜の2限に集まれる人が勉強しています。ゼミ生一人一人が分担して内容を要約したり、みんなでわからないところを話し合ったりしています。他のゼミ生のレポートを読んだりみんなで討論したりするので大変刺激になります。ゼミでは充実した時間を過ごせています。

特別支援教育について

お 卒業後は教師になるということですが、それ以外は考えたことはない?
ア 聴覚障害児の指導という授業を受けていまして、文教大学卒業生は一年群馬大学に通うと特別支援の聴覚障害の分野もとれるよと言われて、そういう道もあるのかと。
お それは、今の教員免許法だと、特別支援教員の免許では、視覚障害、聴覚障害、知的障害、肢体不自由、病弱等の領域を扱うためには、それぞれ指定された単位をとる必要があるんだけど、今の人間科学部でとれる特別支援の免許では、そこまでカバーしていないということですか。
ア はい、そうなんです。私たちは、社会科を基礎免許にして、特別支援の免許をとるので、聴覚障害の授業はあるんですけど、その領域の担当になるための必要な単位には不足しているんです。手話を勉強していて、ちょっと聾学校も興味があって、行きたいなと思ったですけど、そのためには更に専攻科で学ぶ必要があるんです。
お 以前、特別支援の勉強会で、オリバー・サックスの『手話の世界』という本をみんなでじっくり読んだんだけど。
ア ゼミにはいる前に先生に勧められて読んで見ようと思ったんですけど、まだ読んでいないです。
お 難しいけど、面白い本だよね。手話は音声言語より優れているという。
ア けっこう突飛ですね。
お 音声言語は二次元だけど、手話は三次元だ。だから表現力が優れているという説なんだけど。
ア 手話は盲聾のひとたちって、目が見えなかったり、耳が聞こえなかったりしても、触って会話したりもできるので、有効かも知れないですね。
お りゅう君も特別支援には興味があるみたいなんだけど、
り きっかけは、補助教ボランティアに入ったことがあって、そこにふたり発達障害の子どもがいて。
お どういう障害?
り 自閉ともうひとりは、重複していて、重い感じです。特別支援学級に入ったほうがいいような子どもだったんですけど、親が反対していて、入れなかったんです。そういう子どもをみていて、通常学級でも、発達障害の子どもが普通にいる時代だから、特別支援教育は大事だなと思った。
お ボランティアとしてみていると、あまりうまくいっていない感じですか。
り うーん、2学期から、軽度の子どもは、特別支援学級に通うようになって、すごくいい影響があったみたいで、様子みると、活発になったし、いろいろと話すようになってくれたんで、それをみて、特別支援教育ってすごいなと。うまくいっていなかたったというわけではないです。
お 将来そちらの方向にいこうというわけではない?
り 考え中ですね。そっちにも興味がでてきたので。

ゼミ学生インタビュー第一回(3)アリエ&りゅう

小さい頃のこと

お 小さいころはどういう子どもだったんですか
ア 目立ちたがり屋。まわりのひとより、自分はお姉さんだと思っていて、読み聞かせをするような感じでしたね。そんなに大人びているわけではなかったんですけど。
お 同年代であっても、。
ア ひとつ下でも面倒みたがるような感じだったので、教師になりたい感覚は小さいころからあったんですね。保母さんなんかにもなりたかった。
お おかあさんがそうだったとか。
ア おかあさんに面倒みてもらえなかった感じなんです。仕事がいそがしくて。むしろおばあちゃんに面倒みてもらっていたんです。でも弟がいたのが大きかったですね。私が弟の面倒みなきゃって感じですね。
お こういう風にして遊んだというのは?
ア 本読んだり、アニメの主人公になりきるとか。幼稚園のときに、アルプスの少女ハイジが好きだったんです。私は今日クララなのといって、園に入っていって、一日クララとして過ごすとか。ハイジとして、あるいは今日私はトトロよっていって、トトロになりきって過ごすとか。

kindergarden
お まわりもそのつもりで応対してくれる?
ア そうだったんじゃないでしょうか。先生とかも。友達もけっこうなりきりごっこが多くかったです。少女まんがの人物になったりとか。
お それは幼稚園ですね。小学校ではどうだったの。
ア 小学校は、ふつうにケイドロとか。警察と泥棒という遊びなんですけど、檻の場所を決めて、そこに泥棒と警察がいて、泥棒が警察に捕まえられたら檻にいれられるという遊びです。
お 鬼ごっこみたいに逃げるわけ
り でも泥棒が檻にいる泥棒をタッチしたら逃げられる。よくやっていましたね。
お けっこう足が速かった?
ア いや。全然速くなかったです。私が警察なんかやると、みんな泥棒逃げちゃうんですよ。
お スポーツはどうなんですか
ア あまりできなくて、でも、親がスキーをやっていて、小三から一対一で教えてもらったので、大丈夫です。あとスノボもやってみたらできたので。
お 今年卒業した学生で、運動オンチで、運動会が大嫌いだったけど、スキーはすごく上手だという人がいました。スキーは独特なものなのかな。
ア 私はたぶん、一対一で教えてもらったことが、大きいです。
お 他も一対一で教えてもらえればできたに違いないと。
ア たぶんそうだと思います。去年、水泳をやっていたんですけど、知らないおじさんが、泳ぎ方をおしえてくれて、それで泳げるようになりましたね。
お 運動部に入ったことは?
ア ないです。
お 地域のスポーツクラブなんかは
ア ちょっとバレーとテニスを隔週でやるところにはいっていたんですけど、なかなかできませんでしたね。
り 子ども時代はずっと野球少年だったです。リトルリーグ。

baseball
お 硬式を?
り 硬式はやっていないです。中学までずっと野球やっていました。
お リトルリーグのチームはどの程度だったの
り そんなに強くないですけど、市で二部のところで。
オ リトルリーグも部にわかれているの?
り 市単位でわかれていてて、四部までありました。大学と同じ感じで。トーナメントだったり、部内部でのリーグ戦だったりがありました。
お 中学では野球部?
り はい。
お りゅう君の年代の野球のアイドルはだれなの
り 斎藤佑樹、ダルビッシュ、まーくんとかが一番はまる感じですね。あとは清原、桑田とか。
お 清原と桑田って、すごく分かれるじゃない。ファンも。どっち派なの。
り 小学校のときピッチャーだったので、桑田派ですね。
お 僕もずっと桑田派なんだけど。なんで世間はあんなに清原をもちあげるの?って思っていたけどね。
り 日本はすごいバッターがあまりないような気がするんです。ピッチャーなら野茂とかいるんですけど。ホームランバッターはいない。
お 王とか野村とかいるじゃない。僕らの世代だとアイドルは長嶋と王、それから金田。
り バッターってあまりいない気がします。いま考えても
お 高校にいったら?
り 違うのをやろうと思って、ハンドボールやっていました。
お 野球とハンドボールって似ているよね。
り いや、全然違いますよ。投げ方が全然違うんです。野球は肘じゃないですか。ハンドボールって、投げる競技で一番重いボールなんです。
お 砲丸投げとかバスケは、投げるという感じではないからね。あれ、重いんだ。
り けっこう重いです。肩からいかないとけがする。肘はまげない。しなる感じです。けっこうむずかしかったです。ジャンプ力も必要だし。
お ハンドボールって、日本はあまり強くないよね
り そうですね。
お それは何故だと思う
り 競技人口が一番、すくない。富岡が国体があったところで、群馬ではさかんで、そこしか強くないです。
お 会場をとりにくい気がするけど。
り そうです。ちょっと、大きいんですよ。体育館でも足りない。バスケ2面とるじゃないですか。でもその大きさだとむずかしいんですよ。余白がなくなって、危険なんです。
お 勢いあまって、ぶつかるとか。それで大学にきて、なずなというのは、また大きな変化ですね。
り 独り暮らしで、運動部にはいっていたら、やっていけないという心配があって、おとなしめの部活にはいって。運動すると疲れるし、身体がもたないです。
ア バイトもしてだしね。

大学に望むこと

お 大学で過ごしていて、こんなことを望みたいということがあれば。
ア もっと自由に授業がとれたらいいなと思いますね。かぶったりするし。単位制限もある。そもそも聴講できないのがあったりして。
お 講義科目でも?
ア そうですね。自由じゃないのかなあと、もっと自由に。
す 僕らの一つ上の学年は、単位制限がなかった。申請書出せば全員とおる。僕らは、教職が卒業単位に含まれないのに、それを含んで単位制限28単位なので、それがちょっと厳しいですね。3年生になって、すごく授業をこなさなければいけない。
お それは4年でとらないと思っているからというのもあるんじゃない?
ア 私は10単位くらいは4年にまわしているんですけど、実習のことを考えると、それが精一杯かな。
お 実習は、別に考慮されるはずですね。
ア でも勉強したりという意味では。
お 授業とるからには、ちゃんと勉強したいと
ア はい。
お では、今日はどうもありがとう。ゼミだけでなく、大学生活全般頑張ってください。

 

宮地さつきさんのインタビューを掲載

太田ゼミの卒業生で、スクール・ソーシャル・ワーカーの草分け的存在であり、現在法政大学で後進の指導にあたっている宮地さつきさんのインタビューを掲載しました。 順番が違ってしまったのですが、1→2→3の順番で読んでください。 これからも、卒業生インタビューだけではなく、現在の学生インタビューも掲載していきたいと思います。

卒業生インタビュー1-1 宮地さつきさん(法政大学)

これから太田ゼミの卒業生が、いまどこでどんな活躍をしているかを紹介していくシリーズを発足させることにしました。かなりの人数が社会で活躍しているわけですが、第1回に、最近話題のスクール・ソーシャル・ワーカーとして福島県で7年ほど活動し、今年度から法政大学の現代福祉学部の助教になられた宮地さつきさんに登場していただきました。インタビューは、5月18日、緑豊かな法政大学多摩キャンパスで行いました。(文責 太田 和敬) DSC07207-2

大学時代 人と関わる仕事をしたかった

-宮地さんは臨床心理学科の卒業生ですが、入学の動機はカウンセラー志望だったのですか?何故スクール・ソーシャル・ワーカーになろうと思ったのでしょうか?

宮 漠然と人間と関わることをしたいと思って、臨床心理学科に入学したのですが、当初から臨床心理士になるのは、難しいなと、自分としては思っていたのです。

-難しいというのは? 宮 臨床心理士の試験が難しいと聞いていたこともありますが、自分の性格上、相談室で人がやって来るのを待っているよりは、自らアクションを起こしていくほうが、自分にはあっているなと感じていました。児童福祉にも関心があったので、社会福祉士の養成のコースを取るチャンスもあったので、とりあえず履修を始めました。何を目的に社会福祉士の仕事をするのかを模索しているなかで、岡村先生の臨床教育学文献講読の授業で、スクール・ソーシャル・ワーカーという言葉に出会いました。調べていくと、以前から埼玉県などでほそぼそとやっていることを知り、こんな活動が私も10年後くらいにできたらいいなと思っていました。4年のゼミ選択の相談で、太田先生にその話をさせていただいたとき、「(社会では)大学院くらいでていないと通用しないよ」と言われたことに、すごく衝撃を受けました。

-そんなこと言ったっけ?

宮 そうですよ。すごく影響を受けた言葉の1つですから、よく覚えています。(笑)大学の福祉の先生も教育の先生も、もちろん心理の先生方もほとんど知らないマイナーな分野で、漠然とやりたいといっても、学部卒では現場で通用しないと。確かにそうだなあと思って、卒論で勉強している中で、教育学的にスクール・ソーシャル・ワーカーの研究をしている先生が福島大学にいることを知って、福島大学の院に進学しました。

-学部時代は、どのような活動や勉強をしていたんですか?

宮 学科は臨床心理で、資格取得で福祉の友人ともつながり、弓道部つながりでは、教育学部や文学部の友人と関われました。体育会の活動にも参加していたので、より幅広い友人と出会うことができ、いろいろな価値観、見方も学べたかなと思っています。また、大学院進学を希望した段階から、これも覚えていらっしゃらないかもしれませんが(笑)、太田先生がアメリカの文献を取り寄せて下さり、ゼミ以外の時間を割いて、毎週のようにご指導いただきました。この時間の積み重ねは、英語の勉強と併せてスクールソーシャルワークの理解を深めていくことができ、今に大きくつながっています。卒論でも大阪と四国のほうで、実際にスクール・ソーシャル・ワーカーをしている方のお世話になって、研究をやれたのが、今原点になっていると思います。

-現在、臨床心理士になっても、就職がないから躊躇するという傾向があるんだけど、当時のスクール・ソーシャル・ワーカーというのは、比較にならない位、就職できる可能性が低かったわけだけど、そこらはどう思っていたんですか。

宮 両親も、やりたいことをやれって、ずっと言ってくれていました。ただ、同じようにあと2年通えば、臨床心理士の資格をとれるかも知れないというところで、未知の世界に方向転換するというのは、さすがに家族会議になりましたね。(笑)でも、すでに関心が違う方向に向いている中で勉強してもはいらないし、やりたいことをやらせてほしいという話をして納得してもらいました。将来のことは、正直、それほど具体的には考えていなかったなと思います。とりあえず、院で2年勉強して、児童福祉系の就職があれば10年くらいキャリアをつんで、それからチャンスがあればできればいいなと思っていたわけです。それがちょうど大学院を卒業する年に、文部科学省が全国的に『スクール・ソーシャル・ワーカー活用事業』をやることになったので、本当にタイミングがよかったということしか言えないんですけど、卒業した年の6月から、福島県内での実践が始まりました。

大学院時代 フィールドでの実践と理論的学習

-大学院ではどういう勉強をしていたんですか。

宮 障がい児系の学童とか、養護施設、小学校の支援員とか、さまざまなフィールドに出させてもらいました。どの活動もとても有意義でしたが、特に小学校での活動は、その後の実践にとても大きな影響がありました。M1のときには個別の児童への支援員として、M2では、保健室を拠点に、学生のコーディネーター的役割を試験的に担いながら学ばせてもらいました。支援員として学部学生も複数名はいっていたのですが、ばらばらの活動だったので、一時期、私自身もかなり孤立してしまいました。初めて「支援者」として入った学校に戸惑いを感じることも多く、担任の先生とうまくいかないと逃げ場がないし、週1回なので、それ以外のときに入っている学生や他の先生との連携がなかなかうまくとれない時期がありました。

-大学院のときですね

宮 はい。しかし2年目には、保健の先生がスクール・ソーシャル・ワーカーの仕事に関心をもっていたことや管理職も理解があり、また学校全体としても受け入れがよかったので、保健室を拠点にした活動が始まりました。学校の要が保健室であり、キーパーソンは養護教諭であることが良く理解できました。また、学生と学校をつなぐ点では、それまで学生の調整に少し負担があったり、学生に何を手伝ってもらえばよいか見通しが持ちづらかった先生方も、授業計画が立てやすくなったり、学生同士も情報共有することが可能になり、孤立せずにのびのびと活動できるなど、両者にメリットが生じました。さらに、子どもたちも、大人が安定したネットワークを築いていく中で、安心して学校生活を送れるようになっていったように感じています。

-保健室は、臨床心理士のカウンセラーがいたりするのでは?

宮 福島県の当時の小学校には、カウンセラーはいませんでした。マンモス校と呼ばれるような学校でしたが、支援学級は1つもなくて、代謝疾患や遺伝性筋疾患などの子ども、さらには重い発達障がいや情緒障がい、不登校の子どもなど、さまざまな困難を抱えた子どもたちが通常学級で生活をしていました。先生方はとてもご苦労されていたと思いますが、その分、向上心が高く、仲がとても良く、私たちのような学生もその輪の中に入れて下さり、社会資源として良い意味でうまく使っていただいたという印象があります。

-スクールカウンセラーが配置されている正規のポストではなく、とにかく助けてくれる人がいたらありがたいというような感じですか?

宮 私は学生という身でしたので、もちろん正規のポストではありません。福島大学と福島市の教育委員会との提携で、派遣という形で入らせていただきました。学校には、スクールカウンセラーだけでなく、さまざまな人材が投与されています。警察OB、教員OB、学生、地域の読み聞かせボランティア、総合的な学習の時間を活用した外部講師など、さまざまな方が混在しています。これらを取捨選択し、うまく組み合わせながら、教育活動をより充実させていくことができるかどうかで、学校の特色がでているのかもしれません。

-修士論文ではどのようなことを扱ったんですか。

宮 これまでお話ししたフィールドの経験や、教育学者であったジョン・デューイの研究による成果をあわせて、実際の活動を通して見えてきたスクール・ソーシャル・ワーカーの資質についてまとめました。また、5,000人ほどの福島県内の民生委員・主任児童委員の方々への量的調査もさせていただきました。先行文献では、民生委員に直接調査を行っているものがあまりなくて、同じゼミ生が、高齢者問題に関心の高かったので一緒にやらせもらいました。

卒業生インタビュー1-3 宮地さつきさん(法政大学)

スクール・ソーシャル・ワーカーとスクールカウセンラー

-スクールカウンセラーとは違うんだと実感したようなことはありますか。
宮 家庭訪問するカウンセラーもいらっしゃいますが、関係機関をまきこんでいくとか、社会資源をつくっていく活動などは、大きく違う点だと思います。相談室でのすごし方について、カウンセラーは話をきいて、活動しながら、本人の気持ちに寄り添っていくということは大事にされます。一方で相談室をどう使うか、学校のなかでどう機能させていくか、子どもの学習権をどう保障していくかというようなことはあまり考えられてはいませんでした。学校は子どもたちにとって、家庭の次に大きな居場所であり、社会資源です。

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-スクール・ソーシャル・ワーカーがいたから解決できたと感じるようなことはありましたか。

宮 スクールソーシャルワーカーがいたから解決できた、ということを証明するのは難しいですね。また、「解決」をどこにおくか、ということもあると思います。ただ言えることは、子ども達やその家族が「より良い生活」を送れるようネットワークを広げ、人と信頼関係を築きながら自立していく道を、当事者の方々と共に模索することはできたと思っています。

例えば「養育環境」と一言で言っても、経済的困窮やひとり親家庭、多子家族、親が病気、特に精神疾患などがある場合や、虐待や放置する親、あるいは子どもを学校に行かせない親、問題は実に様々です。対応も就学援助、支援学級、放課後の過ごし方、学習援助など。関係機関は、学校はもちろんのこと、適応指導教室、地域のNPO団体、主任児童委員、福祉事務所、保健課、社会福祉協議会、サービス事業所、病院、児童相談所、警察など多様な機関が関わる必要が出てくる場合が少なくありません。親から分離する必要があると児童相談所が考えるようなケースでも、知的レベルが高い子どもの場合には、受け入れ先によっては逆にトラブルメーカーになってしまう場合もある。また、別のケースでは、高校に進学したいが親が認めない場合、本人の学力保障とともに、親をどう説得するか、誰が伝えるのか、並行して検討しながらいろいろな関係者が本人の希望を実現するために努力する。子どもからすれば、親に励まされて受験したい、自分の可能性を応援してほしいというのは当然の願いです。福祉では、エンパワーメントというのですが、やはり本人のエネルギーを最大限に引き出すような方法で、課題に取りくむ必要があります。そのために、親と向き合えるだけの環境を整えていくことで、本人の学校生活をサポートしていくことが、私たちの仕事だと考えています。

-7年くらいやって、なりはじめのときと、全国的に状況が変わってと思うのですが、仕事やその体制だけではなく、研修、全国的な組織など変化をおしえてください。

宮 大きく変化したことの一つには、福祉関係の資格保有者が担い手になってきたことでしょうか。事業開始当時は、開始が急だったこともあってか、全国的にも、退職教諭が任命されることが多かったようですが、現在は、『社会福祉士または精神保健福祉士』の保有者を募集している地域が増えているように感じます。また、私が大学院に入った頃、全国組織として学校ソーシャルワーク学会が設立されました。以前からNPOの協会がありましたが、こちらは市民活動として草の根の実践を丁寧に積まれていました。一方、学会には研究者と教育委員会や学校を拠点に実践されている方、さらに現職教員の方々もメンバーに加わっています。学部4年生の時、卒業研究のために、すでに試験的に活動を始めていた大阪府教育委員会にお邪魔しましたが、いまも西日本の方がより活発に実践が進められているような印象があります。
-まだまだ全国的には浸透していないということですか。

宮 拡大してきていると言っても、実際には、スクール・ソーシャル・ワーカーがいない県もあります。配置する必要がない、と判断されているところもあると思います。また、配置はされているけれども、身近に十分な支援体制が構築できていないところも多いと思います。各県に研究者がいて、スーパージョンが受けられる体制ではありません。地方にいくほど、一人の先生が近くの県を走り回って、後方支援を行なっているところもまだまだたくさんあります。これは、この領域だけの問題ではないと思いますが。

-法政大学に移ることになったのは、何故とか、何をやろうと思ったかなどはどうでしょう。

宮 3つあります。まず1つは、スクールソーシャルワーカーとしての資質向上のあり方について検証していきたいと考えています。学校の先生や、親御さんへの伝え方や、価値を押しつけても仕方ないし、学校現場は基本的に年中忙しいですので、先生たちのペースを尊重しつつ、子どもたちの学習権や自立が阻害されていないかを考えていくスタンスですけど、使ってもらわなければ、存在価値がありません。さらに誤解を恐れずに言うならば、東日本大震災を直接経験する中で、いまのスクールソーシャルワーカーとしてのスキルでは、先生方はもちろん、そこで暮らす子どもたちやその家族をサポートすることに限界を感じていました。あらゆる関係機関と共に協働体制を築いていくことができるようなソーシャルワーカーとしてのスキルとシステムづくりが急務だと感じたことから、違う立場でそれに寄与していきたいと考えました。2つめに、これまでの実践を、少し足を止めて整理をしたいと考えていました。この7年間、試行錯誤を続けながら、また、周囲の支えがあったからこそ、微力ながらがむしゃらに実践を積み重ねていくことが出来ました。その中で少しずつ、その活動を少し違う角度から客観的にみたとき、どのように映るのかに関心が向いてきました。そして3つめに、大学でのソーシャルワーカー養成への関心です。現場でさまざまな新任ソーシャルワーカーと出会う中で、ソーシャルワーカーを目指す学生が、大学教育のなかで、どういった学びをして、現場にでてきているのか、にも関心がわいてきました。私は臨床心理学科にいたので余計感じるのかもしれません。新カリキュラムになり、養成プログラムが充実した中で、純粋に福祉職を目指す学生がどのような養成を経て、どのような自己覚知をしながら、進路選択をしていくのかに関心がありました。これらの理由から、今回、実習指導室での仕事をいただくことができたことは、現場にも学生にももっとも近くで関わることのでき、研究とも向き合える最良の職場であると感じています。

-ここではどういう仕事をしているんですか。

宮 実習指導室では、社会福祉士・精神保健福祉士・心理実習の事務を請け負っていますが、私の業務は、主に社会福祉士の実習事務になります。実習先と日程調整したり、学生とのマッチング、さらには巡回指導や帰校日の調整などを、各クラスの担当教員と相談しながら進めます。本学の特徴として、地域ごとにクラス分けがされています。実習先は1人につき1~2ヵ所ですが、クラスの中で高齢・障がい・児童・社会福祉協議会・福祉事務所などさまざまな領域に実習へ行く仲間と学び合うことで、疑似的に他領域のことを学ぶことが出来たり、地域全体を見渡しながら福祉を学んでいくことができる、というユニークな取り組みがなされています。このような学びのスタイルは、これからの地域福祉を考えていく上で、とても理にかなっているなと感じています。

-実習指導室での業務は任期付で最大5年間と伺いましたが、次は考えていますか。
宮 まずはこの5年間の間に、博士課程への進学を考えながら、これまでの実践の整理をしたいと考えています。理論と実践の両面で整理をして、その上で、研究職になるのか、現場に戻るのか、まだ、私のなかでも定まってはいません。ただ、いま月1回の頻度で、スーパーバイザーとして福島に入っていて、現場で悪戦苦闘している後任のスクールソーシャルワーカーたちを後方支援しているのですが、やっぱり現場はいいなとしみじみ感じます。確かに大変そうだし、疲弊することもたくさんあることも知っていますが、生き生きやっているなと思います。どのような職につながったとしても、そういう息づかいを感じることのできる仕事に就ければいいと思っています。

スクール・ソーシャル・ワーカーの未来を考える

-川崎の事件がきっかけになって、スクール・ソーシャル・ワーカーを各校に1名ずつ配置しようという政策的動きもあるんですが、そういうことはどう思いますか。

宮 まず、大きな課題として、それだけの人材がいるのかということが1つあげられると思います。私が最初に仕事に就いた、文部科学省が広げた時期もそうでしたけれど、何もない状態で、人がいない中で、やるよということだけがアナウンスされてしまっていると、現場がかなり困惑します。学部でも、スクール・ソーシャル・ワーカー課程が全国的にも少しずつ広がっていますが、『スクールソーシャルワーカー』という資格があるわけではありません。福祉と教育の領域にまたがっているこの分野について、学部の養成課程の中だけで、すぐに学校に入って耐えられるだけの専門性が取得できるかというと、正直、まだまだ課題が山積みだろうと思います。

-資格もばらばらだしね

宮 統一する必要があるかどうかも考える余地がありますが、わたしの後任の二人も、社会福祉士でも精神保健福祉士でもありません。もちろん、資格があればより良いとは思いますが、資格があるからといって、それがすぐ学校現場で役に立つかというと、難しい面が多々あります。今の時期は、資格保有者と相談援助の経験者、両面から人材を発掘していきながら、双方の知識や技法、価値観などを融合させながら、相乗効果を図っていくことで、質・量ともに担保している地域も多いと思います。

しかし、現状を嘆いていても仕方ありません。その必要性が認められたことを前向きに捉えながら、研究者と実践者がともに学び合いながら、日本におけるスクールソーシャルワークの理論化と人材育成を、時間をかけて行っていく以外にないと思います。

-臨床心理士だと大学院レベルの教育があって、カリキュラムもあり、試験もある。社会福祉士の大学院レベルの資格があればいいとか?

宮 社会福祉士も現在、生涯研修制度ができ、基礎・共通・専門の大きく三段階の学びの機会を設けています。以前までは、試験に合格したらそれで勉強終わり、といった状況でしたが、現在は、日々変化する社会情勢や福祉を取り巻く変化や利用者のニーズに寄り添った実践を重ねていく必要が浸透し、資格取得後も研鑽を行っていくことが推奨されています。その研修とも併せて、大学院で学ぶことも、より専門性を高めていく上では有効な選択であると考えます。

-一線で仕事をしているなかで、大学院卒はどのくらいいましたか。

宮 先ほども述べましたが、西日本や関東は大学が多いことも手伝ってか、多くの方が、大学院で学んでから現場に出ていたり、現場で実践を重ねながら大学院で学んでいる方が多いと思います。一方、私がいた福島県を含めて、東北地方はごく少数です。配置枠が少ないこと、大学が少ないこと、指導いただける先生が限られていることなどが要因として考えられます。

-小学校からずっと不登校だった中学3年生が、高校にいきたいということになったときに、家庭の問題が背景にある場合があります。生活保護を受けているお金を母親が使ってしまう、子どもは高校に行きたいのに、しかし、学校は家庭に入り込めない。そんな時、学校と家庭の間をとりもってくれる人がいるといいなと思っていたんです。

宮 先生方にとって、とても悩ましい課題ですよね。ただ、注意しなければいけないことは、ソーシャルワーカーだから、何をやっても良い訳ではありません。いまは、所属している教育委員会や学校の考え方、さらにはワーカー自身の力量に委ねられている部分が大きいかと思っています。その子が、なぜ高校に行きたいのか、なぜ、不登校状態になってしまったのか、なぜ母親は保護費を使い込んでしまうのか、なぜ学校と家庭の関係が十分につながることができない状況にあるのかなど、問題の背景に目を向けることと同時に、その子やその保護者の今できていること、強み、社会資源などもしっかりとアセスメントしていくことで、問題解決の糸口を模索していきます。先生方が最も子どもたちや保護者と接している時間が長い分、情報もたくさん持っています。それらをいっしょに整理をしながら、アセスメントすることは、間接的に、先生方をエンパワーメントしていくことにもつながります。そして、実は先生方ができることも、まだあるのだということにも気づかれることも多々あります。

-とくに若い女性が入っていくときに、どうやって、コンタクトをつけていくのですか。

宮 多くの先生方は、最初、どのように関わってよいのかわからず、戸惑われています。その学校の受け入れ体制にもよりますが、まずは窓口となる先生としっかりと関係を築いていくことから始めます。校内に1人でも2人でも、理解をしていただいている先生がいることが大切になります。そこから、共有できる担任の先生につながっていきます。先生の特性として、基本的には教えることが好きだと思います。分からないことがあるので、教えてくださいと、先生の懐に入っていく。1つ1つの事例や実践を積み重ねながら、先生方の信頼関係を重ね、ネットワークを築いています。さらに、大学院時代の経験もあってか、私が学校に入る時に大切にしていることは、保健の先生の存在です。管理職がどれだけ養護教諭に一目置いているか、また、養護教諭自身のアンテナの高さや校内での位置付け、どのようなことに課題意識を持っていらっしゃるかなどが、学校でソーシャルワークを展開していく上で、とても重要な視点になると考えています。

-ソーシャルワーカーになる素質というのは、人と接触するのが好きというのが、基本ですか。

宮 勿論それも大切な要素だと思います。併せて、最近思うのは、「そうぞうりょく」、イメージ(想像力)とクリエイティブ(創造力)が大事じゃないかということなんです。相手がどう思っているか、感じているか、痛みを受けているのかをイメージする。そして、この先、どういうことが必要となっていくのか、どういうことがあれば、その人にとって、よりよい社会環境になっていくのか、そのクリエイティブな力があって初めて、いま専門職として自分が何をしなければいけないのか、何をどのタイミングでどのように巻き込んでいくべきか、実際のプランニングができていくと感じています。

-最後に、臨床心理学科の学生に、あるいは、将来入りたいと思っている高校生にアドバイスを。臨床心理学科を卒業しても、就職がないと躊躇する傾向があると言われているんですが、

宮 これを言うと先生方に怒られるかもしれませんが、臨床心理学科に入ったからといって全員が臨床心理士にならなければいけないわけではありません。私の友達も、大学院に進学して臨床心理士を取得し、病院や福祉施設などに勤めている人もいれば、まったく心理職には就かずに民間企業やアパレル関係、音楽活動で頑張っているなど、いろいろな分野に就職していきました。しかし共通していることは、どのような職場でも人と関わる仕事、人に影響を与える仕事をする上で、臨床心理学の学びはとても有効であるということです。特に、人との関わりが希薄だと言われる現代社会だからこそ、実は、臨床心理学科で学んだことを具現化し、他者と円滑なコミュニケーションを図ることのできる人材は、どのような分野においても重宝されるのではないでしょうか。さらに、私が文教大学で学べてよかったと思うのは、小さな大学からこそ、学生同士のつながりが密で、学部を超えて横のつながりを大事にするところは、文教の特徴だと、卒業して改めて実感しています。せっかく同じ4年間を過ごすのであれば、一人で黙々と勉強するよりは、いろいろな人と切磋琢磨して活動していくことが、社会に出たときに活きていくだろうなと思います。