ノーベル賞を久しぶりに日本人が受賞したが、面白い記事があった。なぜ、東京の進学校から受賞者がほとんど出ていないのかという記事である。「「大学は圧倒的に東大・京大だが…」ノーベル賞受賞者28人のほとんどが“地方の公立高校”出身である理由 なぜ東京の高校から“圧倒的才能”が輩出されないのか」
https://news.yahoo.co.jp/articles/4058cd8381b239d2bf03f010f63df24ff0726549#:~:text=%E3%80%8C%E6%9D%B1%E4%BA%AC%E3%81%AE%E9%AB%98%E6%A0%A1%E3%80%8D%E5%87%BA%E8%BA%AB%E3%81%AE,%E8%80%85%E3%81%AF%E3%81%9F%E3%81%A01%E4%BA%BA&text=%E8%AA%BF%E3%81%B9%E3%81%A6%E3%81%BF%E3%82%8B%E3%81%A8%E3%80%81%E5%AE%9F%E3%81%AF,1987%E5%B9%B4%EF%BC%89%E3%81%9F%E3%81%A01%E4%BA%BA%E3%80%82
けっこう長い記事だが、簡単に要点をまとめると、東京の公立名門校や私立の難関校などは、効率的な学習をしているからで、ゆったりとした教育が行われている地方の学校が受賞者を輩出しているというのである。
そういう面を否定しないが、私は、違うことをずっと考えていた。
戦前の世代(湯川氏など)は別として、戦後教育を受けた世代で考えると、東京出身者は、大都会で生活している。灘高と並んで難関、超進学校である筑駒は、中学受験者は、通学時間1時間以内という制限がある。つまり、例外はあるだろうが、ほとんど23区内居住者でないと入れないのである。23区内といえば、自然らしい自然はまったくといってよいほどに存在しない。大人になって、自然科学の分野で、創造的な研究をするうえで、やはり小さい頃から自然に接し、自然の不思議さを実感して、なぜこうなるのだろうというような疑問をもちながら、学習を進めていくことが、やはり不可欠ではないかと思うのである。学校で習う勉強というのは、基本的には、既にわかったことを学ぶのである。だから、学校でいくら秀才であっても、そして理科の成績がよくても、将来自然科学の有能な研究者を育てるうえでの十分条件にはならないのである。もちろん、学校で習うことは必要であるが、それは、しっかり理解することが大事であって、競争で難関校に入学できるような勝者である必要はない。つまり、都会の進学校というのは、(進学校でなくてもそうだが)創造的な研究精神を育むような自然条件が欠けていることが、ノーベル賞に値するような研究成果をあげることを困難にしているのであると、私は思っている。
だから、今後も大都会の優秀校からノーベル賞受賞者がでることは、可能性が低いといえる。地方の自然を壊さずに、子どもたちが自然の不思議を体験できるような環境が保持されることが、とても大事だと思う。