オザワキネン音楽祭の継続は

 サイトウキネン音楽祭には、以前何度か聴きにいった時期がある。ロ短調ミサ、ファウストの拷罰、オペラ夕鶴、ベートーヴェンの5番などだった。ロ短調ミサとファウストの拷罰は、リハーサルと本番両方を聴いたので、とても印象に残っている。ファウストの拷罰では、出だしのビオラの音の美しさにびっくりしたものだ。
 ところが、小沢征爾が亡くなったことで、俄かに音楽祭自体が危機に瀕しているようだ。現在では、オザワキネン音楽祭ということになっているようだが、サイトウキネンを小沢が担ったような指揮者、指導者がいないということが、最大かつ唯一の理由といえるだろう。サイトウキネン音楽祭は、世界的な音楽祭ではあるが、他の世界的な代表的な音楽祭と比較すると、いかにも特殊な、ぜい弱な音楽祭であるといわざるをえない。
 斉藤秀夫という多数の世界的な音楽家を育てた恩師を記念して、小沢征爾や秋山和義らが中心となって、弟子たちを中心としたオーケストラを編成し、小沢の力に依存して継続してきた音楽祭だった。しかし、近年は、どう見ても斉藤秀夫とは関係がなさそうな奏者が多くなっている。外国人も多数演奏しているし。
 世界的に有名な音楽祭は、みな同じというわけではないが、だいたいは共通の要素をもっている。
・国際的に有名な観光地が開催地になっている場合が比較的多い。ザルツブルグ音楽祭、エディンバラ音楽祭、ルツェルン音楽祭等々。
・レジデンスオーケストラが中心となって、そこに客演オーケストラが加わる形。ザルツブルグ音楽祭のウィーンフィルなどが典型。
・中心的な音楽家がいて、何代も継承されている。
・開催地の自治体が強力にバックアップしている。
他にもあるだろうが、こうした要素のいくつかを含んでいる音楽祭が多い。
 しかし、サイトウキネン音楽祭は、これらをいずれも含んでいないといったほうがいいのである。松本は、日本のなかですら、代表的な観光地とはいえない。人口も少ないし、市の財政が豊かで、音楽祭を充分に支える力があるとは思えない。
 サイトウキネンオーケストラが、レジデンスオーケストラであるが、これは常設のオーケストラではなく、音楽祭のために編成される臨時オーケストラである。しかも、他のオーケストラが客演するということもない。あくまで臨時編成のオーケストラが唯一のオーケストラとして演奏会を開いているわけである。しかも、小沢の力によって、たしかに世界的な奏者がかけつけていたから、極めて優秀なオーケストラであったことは間違いない。しかし、小沢が亡くなってしまえば、直ちに後継者問題が発生しているし、おそらく日本人指揮者でなければ、音楽祭を支える意志をもたないだろうし、また、小沢ほどに国際的に活躍している人でなければ、優秀な奏者を集めることはできないだろう。誰がみても、そういう小沢の役割を引き継げるような日本人指揮者は存在しない。したがって、小沢がいなければ、オーケストラの編成も、集客も、そして、集金もずっと縮小してしまうことは避けられない。ネルソンスに担ってもらいたいという願望はあったようだが、超売れっ子で多忙な彼が、オーケストラメンバーを集めて、運営するような面倒なことを引き受けるはずがない。客演くらいはしてくれるかも知れないが、中心的な小沢の代わりをすることはありえないだろう。
 こうしてみると、やはり音楽祭を継続させるための条件、これまでのような水準を保持しての継続は、無理だとしか思えないのである。
 実演で聴いたサイトウキネンオーケストラは、たしかに、ほんとうに素晴らしい演奏を聴かせてくれた。外国から参加した管楽器奏者が、これまで聴いたこともないような素晴らしい弦の響きだと感嘆したという話がある。
 だから、継続してほしいという気持ちはあるが、現実的に考えれば、難しいだろう。

投稿者: wakei

2020年3月まで文教大学人間科学部の教授でした。 以降は自由な教育研究者です。専門は教育学、とくにヨーロッパの学校制度の研究を行っています。

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