卒業生インタビュー1-2 宮地さつきさん(法政大学)

スクール・ソーシャル・ワーカーとして勤務 さまざまな子どもの問題と格闘

-いよいよ就職をしたわけですが、就職の形はどうだったんですか。

宮 最初は非常勤で県からの派遣という形です。

-公務員ですか?

宮 準公務員といった形になります。カウンセラーと一緒ですね、ポジション的には。最初は2つの市をかけもちして、年間でそれぞれ何日という枠組みの中での活動でした。

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-学校をあちこち廻っていたわけですか。

宮 私はたまたまどちらの市でも、担当の学区を任されていましたが、当時の教育委員会としても指導主事としても、スクールソーシャルワーカーが何をする仕事なのかよくわかってはいませんでした。それは、私が配置された市だけではなく、きっと全国的にそのような状態の中で始まったのだと思います。7年前なので今以上に未知の領域でしたから、当たり前ですよね。そんな中でよく雇っていただいたなと感謝しています。

-県に席があったのですか。

宮 初年度は、県でも市でもなく、どちらの市も、中学校に席がありました。2年目は、1つの市にしぼられたこと、2つの中学校区を担当することになったので、市の教育委員会に席がありました。

-席というのは、文字通り

宮 デスク、パソコン、ロッカーがある、ということです。

-ずいぶん変わった?

宮 変わりましたね。でも当初は、教育委員会でも何をしているかわからない存在でした。でも、その活動を少しずつ理解していただけるようになっていきました。一年目は国の十分の十の事業だったけど、2年目は3分の1の補助になって、県としては、福祉関係の有資格者だけ残すことになりました。当時、資格保有者は私と、あとはベテランの方でした。その他は、市町村の単独で活動を継続できるところは残り、難しいところはなくなっていきました。
3年目には県の事業としてもなくなってしまいました。しかし、本宮市としては、残したいということで、3年目の夏に、正規職員になるために公務員試験受けたんです。10月採用という形で入庁し、その半年後に東日本大震災・福島第一原発事故があったんです。

-それからは、正規の公務員ですね。どのような活動をしていたのでしょうか。

宮 身分が保障されると活動の幅が違ってきました。ひとつは、協力頂ける社会資源の多さです。私は初年度から、夏休みを大事にしたいと思っていました。子どもたちは自由でいいんですけど、夏休みをどう過ごすかで、2学期以降が違ってきます。初め不登校対応だったんですね。カウンセラーが週1回で、残りの日対応してくれればいい。そうじゃないよなと思っていながら、私もうまく言葉で説明できない状況で、行動で示していくしかないと思って、夏休みに先生方と協議して、不登校の子どもたちと関わる時間をとらしてほしいと頼みました。本来勤務時間ではなかったんですけど、他の月から一日ずつくらい勤務日をもらって、何日か夏休み中に活動できるようにしていただきました。家庭訪問もしたし、学校でも家庭科の先生に協力していただいて、調理教室などやりながら、ひきこもっている子どもを巻き込こんでいこうと考えたのです。それをきっかけに、毎年夏休みに活動するようになっていって、市の職員になったあとは、市内全部の小学校、中学校にもまわるようになって、不登校、特別支援の子、支援学級の子、家庭的に難しい、遠出ができない子ども、両親共働きで、遊びにつれていきたくてもなかなか時間が取れず充実した夏休みの想い出がつくれない子どもたちなど、さまざまなニーズを持った子ども達を含めて20名から30名弱集めて、プログラム組んで、毎年やっていました。地域の方々に講師としてきていただいて、調理教室とか、スポーツとか、いろんなことを教えていただく。最終的に、子どもたちが、親御さんや先生方を招いて、ランチをして、2学期もお願いしますという一連のプロセスをしていたんです。最初は、保護者の方も預けることに心配されていたと思います。でも、参加してみると、子どもたちが、いきいきして、今日の活動を家で話してくれる。一人では宿題がはかどらない子も、他の子と張り合うように学習に取り組むことで、早々に宿題が終わる子もたくさんいました。また、毎回朝10時から始まるのですが、時間に遅れないように生活リズムを自ら整えて参加し、その流れのまま2学期につなげていくこともできます。さらに、高学年や中学校になると、部活とか、合唱コンクールとか、子ども達も忙しくなりますが、なにを優先するのか子どもたちと話すきっかけになった、と保護者が教えてくださったこともありました。このプログラムが、子ども達の力を引き出す手助けにはなったのかな、と嬉しく思いました。

-引きこもりの子どもが、引きこもりから世の中に出てきた?

宮 もちろん、実際に関わっていた期間の中だけでなく、卒業後に出逢った方々にも支えられたことも大きかったと思いますが、卒業後にわざわざ役所に来てくれて、「修学旅行に行けるようにたくさん後押ししてくれたのに行けなくて申し訳なかった、ずっとひっかかっていた」という話をくれて、立派に前向きになっている姿をみて、うれしかったです。また、その子は、成人式にも参加し、他の子どもたちとわけへだてなくやっているのを見ることができたときには、自分の存在意義を見出し、悩みや苦しいことがあってもそれを乗り越える力が一人ひとりにあることや、子どもたち一人ひとりが可能性に満ちていることを、改めて教えてもらえた気がしました。

 

地域の協力関係の構築
-今の話をきくと、ソーシャルワーカーというより、地域コーディネーターというイメージですね。ソーシャルワーカーというと、トラブルがあったときに、ひとつの関係者だとうまくいかないので、いろいろな関係者を組織して協力関係で解決する仕事のように思えるのですが。

宮 もちろん、関係者と共に問題解決にあたることも多々あります。私が活動していく中で当初から最も頼りにさせていただいた職種の1つが、保健師さんでしたし、困難な事例ほど、より多くの関係者と協力をしていかなければ、その子どもや家庭をサポートすることは困難です。市町村ごとに、要保護児童対策地域協議会があるんですが、学校と他の機関に温度差があるんです。橋渡しもするのですが、お互い多忙ということもあり、会議もなかなかできない。ケース会議などをしなければいけないんですけど。それだけでは先生方不安だし、関わっている機関が多いほど収拾がつかない。そこで、両者の間にいるスクール・ソーシャル・ワーカーが要所要所でお伺いをたてながら、学校が必要だと言ってもらえれば、調整して支援会議をしてきました。
しかし、私が当初から大事だと思ってきたことは、予防的に関わる、ということなんです。そうでないともぐらたたきになってしまう。そうではなく、リスクが高い家庭や子どもを把握しアセスメント(見立て:何に困っているのか、表面上の問題と潜在的な課題は何かを整理すること)する中で、未然にフォローするような働きかけをしていくように努力していました。

-予防的というと、日常的に連絡をとりあう会議とか、必要ですよね。

宮 各学校には、何もなくても、月一回は顔をだして、情報交換したり、気になる子どもを観察したり、必要があれば、校内でケース会議をしたり、必要ならば更に調整して関係機関も集まっての会議を開催することはありました。学校にも温度差があり、校内でできるよというところもあるし、いつでもいいから来てというところもあるので、学校の主体性を重んじる必要があります。自分たちでできるにこしたことはないので、それはそこでやっていただくようにします。ただ、アピールしないと伝わらないので、毎月、通信を出しながら、子育てのことや、福祉的な視点や制度、サービスなどを伝えていました。

-スクールカウンセラーとの協力関係のとり方とかは、どうしていましたか。

宮 それぞれのカウンセラーの持ち味や、資格取得の有無、また、学校が求めている役割などによっても違いますが、私は概ね、良好な関係を築けてきたと感じています。一番最初の中学校のときに、3日出ていたので、1日はカウンセラーと同じ勤務日にしてほしいとお願いしましたが、教頭先生からは、せっかくだから、カウンセラーが来ていない日に来てほしいと言われたのです。誰かが来ている日を多くして、相談室登校の子どもたちが1日でも多く登校できるようにしてほしいということでした。戸惑いもありましたが、スクールソーシャルワーカーはスクールカウンセラーとは異なる役割を持っていることを理解してもらうには時間がかかること、そして、それが学校のニーズなので、そこから出発しなければいけないと思いました。実践を通して、カウンセラーと私たちの役割がどう違うのかを示していかないといけないと思いました。ただ、月一回は同じ日にしてもらいました。

今年度のゼミが開始されました

今年度の共通テーマは「環境・環境としての人間」です。少々わかりにくいのですが、教育は人間にとって「環境」そのものであるし、また、教育によって形成された人間が、更にまた環境としての意味をもってきます。家庭環境や学校の人間関係などは、それ自体が環境でもあります。

今、統一テーマの下に、個別のテーマを明確にする作業をしています。実際に研究が始まるのは、まだ少々先ですが、今年は、ぜひこのブログも活発に運営していきたいと考えています。

子どもの貧困 インタビュー

先日、私は埼玉県の社会福祉課にインタビューに行った。本当は生活保護を受けている子ども達を支援する団体に直接インタビューに行きたかったのだが、その団体を設立させた埼玉県の社会福祉課にならインタビューすることを許可して頂いたので、埼玉の社会福祉課に行くことになったのだ。今回はインタビューに言って知ることができた、その団体の概要など大まかな部分の報告をしていきたい。ここでは、その団体のことをAとする。

Aとは埼玉県にある教育・就労・住宅の3つの分野から、生活保護を利用している人を支援する民間団体だ。中でも私は子どもの貧困というテーマで調べているため、今回は教育支援のことについてのインタビューを行った。

Aは生活保護受給家庭の子どもだけを対象に、高校進学を目標に主に中学生に勉強を教えている。なぜ高校進学が目標かというと、やはり、高校を卒業しないと就職ができないからだ。生活保護を受けている子どもは、受けていな子どもより高校進学率が低い。つまりこの自伝で「貧困の連鎖」が発生しているのだ。高校へ行けない、きちんと給料のもらえる仕事に就けない、生活保護を貰わざる負えない、と保護世帯で育った子どもは大人になって再び保護を受けているのだ。

AはH21に始まった。それまで保護世帯の高校進学率は86.9%であったが、H22 には97.5%と、たった1年で保護世帯でない子ども達とほぼ同じレベルまでもっていくことに成功した。「事業を始めた当初、子ども達が本当にきてくれるか不安だった。しかし実際ふたを開けてみると、みんな待っていた。勉強したがっていた。保護世帯の子どもは様々な要因により勉強苦手な子どもが多い。今まで『勉強が出来ない』と親や先生からレッテルと張られている。そもそも『勉強ができない』なのではなく『勉強が嫌い』なんだ、と思われている。しかし実はそうではないのだ。やっぱり本人は勉強したかったのだけど言いだせなかった、ただそれだけだったのだ。」

 

Aは埼玉県に24か所存在する。利用数は500人ほど。対象は主に中学生で、小学生は対象外である。対象の子どもは、生活保護受給者の子どものみなので、正確な位置は秘密だそうだ。子ども達にもそれはきつく言ってあり、子ども達は「塾に行く」といったように、Aのことは口にださないようにしている。場所は特別養護老人ホームを借りて行っている。「なぜ特別養護老人ホームなのかというと、ここではスタッフが働いている姿がみられる。ここに来る子どもたちの親は働いていない人もいる。そうすると、働いている姿がみられるため将来の働く姿を想像することができる。また、お年寄りの行事(例えばクリスマスパーティー、夏祭りなど)も一緒に参加したりして、年寄りの人とも関わることができる」

指導者は支援員という元教員の人であるが、人が足らないため、大学生のボランティアがいて、支援員よりも大学生ボランティアの方が多い。指導者が多いのは、子どもたちに学力の差があり、マンツーマン指導が必要とされているからである。

 

以上、大まかなAの情報である。今回インタビューにいって、貧困についてより関心をもつことができた。他にも聞いてきたことや本や書類も頂いたので、夏休みを利用して自分なりにしっかりまとめたい。

ネット上で調べるスクールカースト

今までは本を読んで調べることが多かったので今回はネットでスクールカーストについて調べた。まずは階層が上になるために最も重要な要素についての男女別のデータを見つけた。

http://journal.shingakunet.com/trend/3698/

このデータがどのようにして集められたものかはわからず信頼できるデータかがわからないが、どうやら男子と女子では違いがあるようである。

また、スクールカーストは日本特有の現象だと思っていたが、調べてみるとアメリカにもスクールカーストは存在するようである。さらに階層ごとに名前もついていた。

調べてみると、アメリカのスクールカーストにはそれぞれの立場に名前が存在し、役割が違っているようである。

最後にスクールカースト診断というものも見つけたので載せておく。これは25個の質問に答えると自分がどこの階層に位置しているのかがわかる。(http://www5.big.or.jp/~seraph/zero/caste.cgi

スクールカースト診断はネット上にいくつも存在しているようで誰がどのように作ったのかは調べたがわからなかった。

今回はネットを使って簡単にだがスクールカーストについて調べてみたが、最近研究されはじめた現象であるはずなのにたくさんのページがあった。また本を読んでいるだけではわからないようなネット利用者の生の意見が書かれていた。それだけ今の学校に通っている人たちにとって身近な問題であるのだと改めて感じることができた。

発言を「受け取る側」

教師による発言の影響について調べたことから自分の考えを少しまとめてみた。

東京都調布市の女教師の暴言について調べながら考えてみた。その発言について「このくらいは許容範囲」や「教師としておかしい」などのようにいろいろと賛否両論があるが、一番考えなくてはいけないことは、その女教師によって暴言を浴びせられていた子供達のことである。
暴言とはどこまでが暴言なのか?について考えてみた。「バカ」と言われて嫌な思いをする人もいればそれくらいの言葉は気にならないという人もいるだろう。1番は「受け取る側」にあるのではないのかと思う。他人がそれを判断することはできない。本人がどう考えどう感じたのかということが問題になってくるのではないだろうか。それが「人間の尊厳」の部分なのではないだろうか。
その女教師の処分などについても議論が交わされているが、正直処分がどうなったとしても子供達が暴言をはかれ傷ついたことは消えない。その女教師の今後というよりは、その子供達のケアが最優先事項なのではないかと思う。

先日文教生にアンケートを実施した。「教師とはどんな存在か」「暴言をはかれたことはあるか」などの質問をしてみたところ、教師とは「親とは別に成長を促進してくれる人」といったような回答が多かったように思う。そして暴言の内容とはどれもその人についての否定的な言葉であった。まだ全ての回答を見ることはできていないが、自分を否定されること=自己肯定感を損なわれるようなこと、というのが特徴的であった。

まだいまいち核心には迫れない部分があるのでもう少し考えられる材料を増やしたい。
なにかきっかけとなるような文献などを探してみたいとおもう。

過激な発言が生まれる要因

なぜ過激な発言が生まれるのかを個人的に考えてみた。

人格的な面から考えると、演じることによって、普段の生活では弱い立場にいる者や、中くらいにいても、自分はもっと上にいるべき存在なんだなどと、どこかに自分を高い位置におこうという意思があるのではないかと考えた。そして、自分と同じような過激な発言をする人と仲間意識や連帯感を持つようになり、自分が強くなったように錯覚し、さらに過激な発言へとエスカレートしていってしまうのではないかとも考えた。また、一度過激な(強気な)発言をしてしまっているので、後戻りするわけにはいかないというプライドのようなものも持ち合わせているのではないかと思った。

このようなことから、過激な(強気な)発言をした「自分」に誇りを感じ、また、強い自分でありたいという気持ちが過激な発言を生むのではないかと考えた。

この何か月かで、ネット右翼とは何か、演じている側の尊厳とは何かと、一通り考えることができたので、今は課題が見つからず行き詰っている状態である。

虐待された子供たち 事例①

施設へのインタビュー交渉の傍ら本や文献を読み、様々な視点から「虐待」を考えてみようと思う。その第一弾として「虐待を受けた経験のある子どもはその後の成長段階においてどのような特徴が見られるのか。」ということについて調べてみた。今回から数回にわたり秋月奈央さんの著書、『虐待された子共達』に記載された実例をもとに私の考察も含めて投稿をすることにする。

Sちゃん

小学校2年生のSちゃんは両親と母方の祖母と4人暮らしをしていた。両親は共働きのため、普段は祖母が育児をしていたが、この祖母が主に虐待を働いていたという。Sちゃんの母親もこの祖母に叩かれて育っていた。そのため、母親もまたSちゃんを叩くことでしか育てられなかったという。祖母には虐待の意識はなく。あくまでも『しつけ』だったという。また、父親は普段は育児に無関心であるが、酒が入ると暴力的な性格になる人であり、Sちゃんが児童養護施設に引き取られた時にも施設に入り込み、「Sを返せ!」と暴れたという。このように家族全員から虐待を受けていたことが明らかになり、Sちゃんは児童養護施設に引き取られた。養護施設の職員は年齢の割に体が未発達だったSちゃんに驚き、『愛情剥奪性小人症』ではないかと疑った。これは、家族から虐待を受けたことで、特に親との愛情が希薄になったため、その心理的要因によって身体の発達が阻害されるという症状である。Sちゃんに限らず、虐待を受けた子どもは養育者から愛情を注がれなかった心理的影響が発育面にも影響を及ぼす例は少なくないと言われている。

体には火傷の跡や、殴られたような長い傷跡が至る所に、しかし目立たないような場所にあったという。酒乱の父親にやられたものだろうか。しかし、養護施設の職員がSちゃんの自宅を訪れた際、母親が出したお茶に対してとっさに頭をかばうというような過敏な反応を示したことから、私は母親か祖母から日常的に熱いお茶のようなものをかけられていたのではないかと疑った。

Sちゃんは児童養護施設に来た当初、なかなかしゃべらない子であったという。これは家族との言語的コミュニケーションが希薄であったため、また、暴力をふるう家族への恐怖心から自分の意見を言えなかったためだと推測できる。また、施設に引き取られてから学校で初めて発した言葉は「バカ。死ね。」だったという。Sちゃんが日常的に家族から浴びせられた言葉なのだろう。一人称や二人称を上手く使えないという点もSちゃんが家族や周囲の人達と良好なコミュニケーションを築けなかったという悲しい事実に裏付けられたことだろうか。

職員は児童養護施設での食事や遊びの際にもSちゃんのそれまでの生活を垣間見ることができた。Sちゃんは極めて食が細く、食べるのが早かったという。家族といた時には充分な食事を与えられなかったのだろう。私はそれだけでなく、Sちゃんはなるべく家族と同じ時間を共有したくなかったのではないかと憶測を立てた。また、遊びの面では友達と「夫婦喧嘩ごっこ」をしていたという。友達と腕を引っ張り合ったり、頭を叩く真似をしたり、「役立たず。」「お前なんか出ていけ。」とお互いを罵倒したりするのだという。とても小学校2年生の女の子がする遊びとは思えないが、この光景はSちゃんが実家で生活していた時の日常を再現したものだと考えられた。親子間で遊ぶ機会を得られなかったばかりか、夫婦喧嘩という子供にとって苦しいであろう出来事を遊びとして取り入れてしまうSちゃんに同情の念を覚えた。愛情を持って育てられなかった子どもは普通とはずれた感覚を持ってしまうものなのだろうか。

 

以上がSちゃんの大まかな特徴である。その後は少しずつ心を開き始めるようになったという。最初は硬直していた身体が養護施設での生活を通じて段々と柔らかくなっていったのだ。また、虐待の傷跡が痛むとしばしば職員に訴えてくるようになったという、その際に「これね、お母さんに棒で叩かれたの」と言ったそうだ。Sちゃんが初めて自分から虐待を受けたことを告白したのである。この時に職員はSちゃんが本当に痛かったのは身体ではなく、心なのだということに気付いたという。私はこの場面を想像して切なくも嬉しい気持ちになった。何故ならこのSちゃんの訴えはSちゃんが普通の愛情がどのようなものなのか気付き始めたサインだと思ったからである。自分の気持ちを、苦しい体験を正直に話せる相手を見つけることができたのだ。職員のことを信頼できる相手として認識した瞬間ということもできるだろう。暴力や暴言を使わなくてもコミュニケーションは成立するということをSちゃんは知ることができたのだ。

 

虐待を受けた子どもも適切な場所で丁寧な応対をすることで正しい愛情を理解することができるのだということがわかった。次回は性的虐待を受けたAちゃんについてまとめようと思う。

 

 

 

参考文献  秋月菜央『虐待された子共達』

人間の尊厳を保つには?

人間の尊厳を保つことは、社会で生きていく上で必要不可欠なことだと思う。 私が思う人間の尊厳は、一人ひとりが社会の中で相互的に理解され、尊重し合うということであり、そう考えると人間の尊厳なくして社会で生きていくことはできないと思う。 ゼミで話し合った認知症は、その点でとても難しいケースだ思う。 認知症患者にとっての社会は家庭やグループホームだと思うが、その中でも家庭において認知症患者の人間の尊厳が保たれることは難しい。本人と家族がお互いを理解することが難しくなるからだ。 例えば、認知症が進むと色々な事を忘れてしまい、自分がご飯を食べたことも忘れてしまう。本人はまだご飯を食べていないと思っているから「ご飯まだ?」などともう一度ご飯を食べようとする。しかし、家族はもう既にご飯を食べているから食べさせることはできない。そうなると、本人はどうして食べさせてくれないんだ、と思うようになり「家族は自分をいじめている」と考えてしまう。家族は本人のためを思っているのにそれを本人は理解してくれないし、認知症患者自身も自分の気持ちを家族にわかってもらえない、と思ってしまうのだ。このように認知症患者とその家族がお互いを理解し合うことは難しい。その中で認知症患者は尊厳を持って生きていると思うことがなくなってしまうと思う。 のし状況を良くするためには、認知症への理解が必要だと思う。家族が認知症をよく知り「認知症とはこういうものだ」と思うことができるようになれば、理解できる部分も大きくなるのではないかと思う。そうすれば、認知症患者も人間の尊厳を保ちながら生きることが可能だと思う。 何事に対しても、まずは「相手を知る」ということが大切だと思う。人種差別や障害者差別など、世の中には「人間の尊厳が犯されているのでは?」と感じることがまだまだ多くある。しかし、それも相手を知ることで変わってくるところがあると思う。相手の考えや思い、生き方などを何一つ知らないのに、「この人種だから」「障害者だから」というだけで差別するのはおかしいし、人間の尊厳を犯す行為だと感じるし、それを行う人に自分の尊厳を主張する資格はないと思う。 認知症や人種、障害は簡単にわかり合うことは難しいことである。しかし、どんなことでもそれを知ることはできると思う。そして、知ることが最終的には理解に繋がると思う。 誰もが尊厳をもって生きるために、まずは相手を知り、理解しようという気持ちが私たちには必要だと思う。

人間の尊厳

人間の尊厳私が人間の尊厳はなんであろうか、と考えた時、一番はじめに思い浮かんだことは、誰もが平等にもっている人間らしく生きること、であった。それはいつどんな時も存在するもので、周りから影響を受けないものである。人によって価値の大きさが異なったり、時や場所によって変化するものではない。

私は今まで人間の尊厳のことを考えながら生きてきたことはなかった。きっとそれは、私はそれなりに幸せに人間らしく生きてきたからである。

人間らしさとは、朝ふとんの上で目が覚める、ごはんを食べる、お風呂に入る、学校にいくと極めて当たり前のことが当たり前にできることであると考える。

しかし、それら生活する上で人間らしい生活ができなかったり、人間らしく扱われない人たちが世の中にはたくさんいるのだ。

 

そのように、人間の尊厳が尊重されず失われてしまうのは、一体どのようなことが原因なのか考えた時、一番に貧困によるものが頭に上がった。貧困はそこから多くの人間の尊厳を奪ってしまう。経済的余裕はもちろん、衣食住、睡眠、清潔さ、、、考えたらきりがない。

貧困の度合いのばらつきはあるが、貧困によって人間らしく生きることができない人は沢山いるのだ。

そして、その中には子どものことも含まれている。もちろん子どもたちにもその権利はあるが、子どもたちの方が仕方なく自分の責任でなく、奪われてしまうことがあるのではないだろうか。

私がこどもの貧困に関連する本を読んで最も痛切に気に感じたのとは、貧困は連鎖するということだ。例えば、親に経済力がなく貧困状態であれば、子どもは生まれた時点で貧困状態がスタートラインとなってしまい、次第に他の子どもとは差がつき、将来も苦しい生活を送るというものだ。

子どもは親を選べないのは当たり前であるし、貧困家庭に子どもを育てる権利がない、ということになってもおかしな話であるとは思う。しかし、親の貧困連鎖によって、寝るところもない、食べ物もたべれない、お風呂も入れないなどの、人間の尊厳がほぼないという状態で一生過ごすかもしれない子どもたちのことを考えると、私はかわいそうで仕方が無い。幸せなこともあるだろうが、きっと辛く悲しいことの方がたくさんあるだろう。

 

このような貧困児童を減らすためには、やはり貧困の連鎖を断ち切るしか方法はないと思う。その方法を探すため、今の子どもたちはどのような貧困状態におかれているのか知るため、今後自分なりに調べ活動していきたい。

人間の尊厳・中間報告

 

ゼミのテーマが人間の尊厳ということで、私は人間の尊厳が侵されている場面を想像し、テーマをスクールカーストとした。では侵されているのではなく、保たれている状態とはどういう状態を言うのだろうか。まず今一度、尊厳というものが何なのかを確認したい。私は侵害されてはいけない絶対のものであると思う。ニュアンス的には権利や自由と似た意味になるのではないだろうか。

尊厳というものは人間にしかない。それは、あらゆる生物の中で人間にだけ理性があるからである。そして全ての人は自分の欲求を満たそうとする時、それが他人に迷惑をかけないか、傷をつけないかを事前に考える。他人に迷惑をかけている自由は自由とは言わず、尊厳を侵している。その人は人の尊厳を侵していることになる。このことから尊厳が保たれている状態を想像すると、他人に迷惑をかけず、傷をつけることなく自分の欲求が満たされている状態のことを言うのではないだろうか。

 

次に前回の書き込みでスクールカーストの順位を決定づける要因としてコミュニケーション能力が重要であると書いたと思う。論文や本を読み、さらにわかったことがあるのでここに書き込んでいきたい。私は森口朗著の「いじめの構造」(新潮新書)という本を読んだ。少し話がずれてしまうが。この本の中ではいじめというものを類型化している。

 

・  タイプⅠ 集団のモラルが混乱・低下している状況(アノミー的状況)で起こる

・  タイプⅡ 何らかの社会的な偏見や差別に根ざすもので、基本的には異質性排除の論理で展開する

・  タイプⅢ 一定の持続性をもった閉じた集団の中で起きる。(いじめの被害者は集団の構成員)

・  タイプⅣ 特定の個人や集団が何らかの接点をもつ個人に繰り返し暴力を加えたり恐喝の対照とする。(理念型藤田モデル P35)

 

著者はさらにこの藤田モデルにスクールカーストの概念を取り入れ図のみであるが「修正藤田モデル」を紹介している。この図によってスクールカーストの高低によってタイプごとにいじめの被害者になりやすい人、加害者になる人を見分けることができる。

 

スクールカーストに話は戻り、「まず子供達は学校に入学した時やクラス分けの時に、クラスの人のコミュニケーション能力や運動能力、容姿等を測りながら1〜2ヶ月は自分のポジションを探る。」(P44)子供達は無意識にこのことを行い、ポジション取りに成功したものは1年間、いじめに遭うリスクを最小限にすることができ、成功しなかったものはハイリスクな1年間を過ごすことになる。ここでコミュニケーション能力の話になるが、コミュニケーション能力とは具体的に何をそう呼ぶのだろうか。改めて考えてみるととても意味が曖昧な言葉である。そこで著者はコミュニケーション能力を3つに分類した。(P44)

・  自己主張力 集団の中で自己主張する力

・  共感力 他者と相互に共感する力

・  同調力 クラスのノリに同調し、場合によっては空気を作っていく力

 

この3つの総合力(自己主張能力+共感力+同調力=コミュニケーション能力)を主因としてスクールカーストが決定される。さらに著者はこの3つの能力の高低によって占めがちなポジションを図で表している。例えば、全ての能力が高い人は皆から認められるリーダーとなり、カーストの地位は最高ランクとされ、おそらくいじめの被害者にも加害者にもならないであろう。自己主張力と同調力が高く、共感力が低い人がいたとすれば、この人もランクは高いが、周囲はこの人に対して自分勝手な印象を持ち、さらにいじめの加害者になる可能性が大となる。ここで注意したいのはスクールカーストが上位の人が必ずしもいじめの加害者にならないということである。

スクールカーストにおいてコミュニケーション能力が重要であるということは言われていたが、どうしてコミュニケーション能力が重要であるのか、またコミュニケーション能力という曖昧なものを分類化した森口氏の研究はとても大きな意味があったと思う。