卒業生インタビュー1-1 宮地さつきさん(法政大学)

これから太田ゼミの卒業生が、いまどこでどんな活躍をしているかを紹介していくシリーズを発足させることにしました。かなりの人数が社会で活躍しているわけですが、第1回に、最近話題のスクール・ソーシャル・ワーカーとして福島県で7年ほど活動し、今年度から法政大学の現代福祉学部の助教になられた宮地さつきさんに登場していただきました。インタビューは、5月18日、緑豊かな法政大学多摩キャンパスで行いました。(文責 太田 和敬) DSC07207-2

大学時代 人と関わる仕事をしたかった

-宮地さんは臨床心理学科の卒業生ですが、入学の動機はカウンセラー志望だったのですか?何故スクール・ソーシャル・ワーカーになろうと思ったのでしょうか?

宮 漠然と人間と関わることをしたいと思って、臨床心理学科に入学したのですが、当初から臨床心理士になるのは、難しいなと、自分としては思っていたのです。

-難しいというのは? 宮 臨床心理士の試験が難しいと聞いていたこともありますが、自分の性格上、相談室で人がやって来るのを待っているよりは、自らアクションを起こしていくほうが、自分にはあっているなと感じていました。児童福祉にも関心があったので、社会福祉士の養成のコースを取るチャンスもあったので、とりあえず履修を始めました。何を目的に社会福祉士の仕事をするのかを模索しているなかで、岡村先生の臨床教育学文献講読の授業で、スクール・ソーシャル・ワーカーという言葉に出会いました。調べていくと、以前から埼玉県などでほそぼそとやっていることを知り、こんな活動が私も10年後くらいにできたらいいなと思っていました。4年のゼミ選択の相談で、太田先生にその話をさせていただいたとき、「(社会では)大学院くらいでていないと通用しないよ」と言われたことに、すごく衝撃を受けました。

-そんなこと言ったっけ?

宮 そうですよ。すごく影響を受けた言葉の1つですから、よく覚えています。(笑)大学の福祉の先生も教育の先生も、もちろん心理の先生方もほとんど知らないマイナーな分野で、漠然とやりたいといっても、学部卒では現場で通用しないと。確かにそうだなあと思って、卒論で勉強している中で、教育学的にスクール・ソーシャル・ワーカーの研究をしている先生が福島大学にいることを知って、福島大学の院に進学しました。

-学部時代は、どのような活動や勉強をしていたんですか?

宮 学科は臨床心理で、資格取得で福祉の友人ともつながり、弓道部つながりでは、教育学部や文学部の友人と関われました。体育会の活動にも参加していたので、より幅広い友人と出会うことができ、いろいろな価値観、見方も学べたかなと思っています。また、大学院進学を希望した段階から、これも覚えていらっしゃらないかもしれませんが(笑)、太田先生がアメリカの文献を取り寄せて下さり、ゼミ以外の時間を割いて、毎週のようにご指導いただきました。この時間の積み重ねは、英語の勉強と併せてスクールソーシャルワークの理解を深めていくことができ、今に大きくつながっています。卒論でも大阪と四国のほうで、実際にスクール・ソーシャル・ワーカーをしている方のお世話になって、研究をやれたのが、今原点になっていると思います。

-現在、臨床心理士になっても、就職がないから躊躇するという傾向があるんだけど、当時のスクール・ソーシャル・ワーカーというのは、比較にならない位、就職できる可能性が低かったわけだけど、そこらはどう思っていたんですか。

宮 両親も、やりたいことをやれって、ずっと言ってくれていました。ただ、同じようにあと2年通えば、臨床心理士の資格をとれるかも知れないというところで、未知の世界に方向転換するというのは、さすがに家族会議になりましたね。(笑)でも、すでに関心が違う方向に向いている中で勉強してもはいらないし、やりたいことをやらせてほしいという話をして納得してもらいました。将来のことは、正直、それほど具体的には考えていなかったなと思います。とりあえず、院で2年勉強して、児童福祉系の就職があれば10年くらいキャリアをつんで、それからチャンスがあればできればいいなと思っていたわけです。それがちょうど大学院を卒業する年に、文部科学省が全国的に『スクール・ソーシャル・ワーカー活用事業』をやることになったので、本当にタイミングがよかったということしか言えないんですけど、卒業した年の6月から、福島県内での実践が始まりました。

大学院時代 フィールドでの実践と理論的学習

-大学院ではどういう勉強をしていたんですか。

宮 障がい児系の学童とか、養護施設、小学校の支援員とか、さまざまなフィールドに出させてもらいました。どの活動もとても有意義でしたが、特に小学校での活動は、その後の実践にとても大きな影響がありました。M1のときには個別の児童への支援員として、M2では、保健室を拠点に、学生のコーディネーター的役割を試験的に担いながら学ばせてもらいました。支援員として学部学生も複数名はいっていたのですが、ばらばらの活動だったので、一時期、私自身もかなり孤立してしまいました。初めて「支援者」として入った学校に戸惑いを感じることも多く、担任の先生とうまくいかないと逃げ場がないし、週1回なので、それ以外のときに入っている学生や他の先生との連携がなかなかうまくとれない時期がありました。

-大学院のときですね

宮 はい。しかし2年目には、保健の先生がスクール・ソーシャル・ワーカーの仕事に関心をもっていたことや管理職も理解があり、また学校全体としても受け入れがよかったので、保健室を拠点にした活動が始まりました。学校の要が保健室であり、キーパーソンは養護教諭であることが良く理解できました。また、学生と学校をつなぐ点では、それまで学生の調整に少し負担があったり、学生に何を手伝ってもらえばよいか見通しが持ちづらかった先生方も、授業計画が立てやすくなったり、学生同士も情報共有することが可能になり、孤立せずにのびのびと活動できるなど、両者にメリットが生じました。さらに、子どもたちも、大人が安定したネットワークを築いていく中で、安心して学校生活を送れるようになっていったように感じています。

-保健室は、臨床心理士のカウンセラーがいたりするのでは?

宮 福島県の当時の小学校には、カウンセラーはいませんでした。マンモス校と呼ばれるような学校でしたが、支援学級は1つもなくて、代謝疾患や遺伝性筋疾患などの子ども、さらには重い発達障がいや情緒障がい、不登校の子どもなど、さまざまな困難を抱えた子どもたちが通常学級で生活をしていました。先生方はとてもご苦労されていたと思いますが、その分、向上心が高く、仲がとても良く、私たちのような学生もその輪の中に入れて下さり、社会資源として良い意味でうまく使っていただいたという印象があります。

-スクールカウンセラーが配置されている正規のポストではなく、とにかく助けてくれる人がいたらありがたいというような感じですか?

宮 私は学生という身でしたので、もちろん正規のポストではありません。福島大学と福島市の教育委員会との提携で、派遣という形で入らせていただきました。学校には、スクールカウンセラーだけでなく、さまざまな人材が投与されています。警察OB、教員OB、学生、地域の読み聞かせボランティア、総合的な学習の時間を活用した外部講師など、さまざまな方が混在しています。これらを取捨選択し、うまく組み合わせながら、教育活動をより充実させていくことができるかどうかで、学校の特色がでているのかもしれません。

-修士論文ではどのようなことを扱ったんですか。

宮 これまでお話ししたフィールドの経験や、教育学者であったジョン・デューイの研究による成果をあわせて、実際の活動を通して見えてきたスクール・ソーシャル・ワーカーの資質についてまとめました。また、5,000人ほどの福島県内の民生委員・主任児童委員の方々への量的調査もさせていただきました。先行文献では、民生委員に直接調査を行っているものがあまりなくて、同じゼミ生が、高齢者問題に関心の高かったので一緒にやらせもらいました。

投稿者: wakei

2020年3月まで文教大学人間科学部の教授でした。 以降は自由な教育研究者です。専門は教育学、とくにヨーロッパの学校制度の研究を行っています。