小西議員のサル発言 問題はメディアへの恫喝だ

 立憲民主党小西議員のサル発言が、大きな問題となっている。なんと低次元な発言だろうかと呆れてしまうが、ある記事によると、小西議員は、自分が一番頭がいいと思っているのだそうだ。まるで経歴にないが、自分を憲法学者と堂々と語ったようだから、たしかに、自分を過大に見せたい気質のひとなのだろう。
 サル発言は、次の読売新聞の記事によって明らかにされたようだ。
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 立憲民主党の小西洋之参院議員は29日、衆院憲法審査会が毎週1回定例日に開催されていることを念頭に、「毎週開催はサルがやることだ」と述べた。小西氏は参院憲法審で野党筆頭幹事を務めており、同日の幹事懇談会後、記者団に語った。

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ガーシー問題を考える

 ガーシー議員が除名され、更に逮捕状の発行、そしてパスポートの返還命令とたて続けに厳しい措置がとられている。私は、彼が国会にまったくでないということで、大きな問題になって初めて名前を知ったくらい、彼には関心がなかったが、除名が話題になり始めたころからは、さすがに注目せざるをえなくなった。しかし、話題になった暴露的youtubeをみようと思っても、かなり前のことなので、通常の探し方では出てこない。どうしてもみたいわけではないので、今のところ、逮捕状がとられるほどの酷い内容なのかは、よくわからない。彼のyoutubeは見ていないが、この除名や逮捕状騒ぎは、実に多くのシステム上の問題を孕んでいるといえる。
 
 まずは、国会議員の資格を失わせる除名についてである。これには、わずかだが、気にいらない議員や政党に対して、除名で排除できる道を開いてしまう危険があるという「警告」があった。しかし、ネット上のコメントとしては、それはごく少数派で、今回は、かなり慎重になされ、しかも理由が国会に出席しないという理由だから、もっと速やかにすべきであった、あるいは、これを機会に、基準を明確にすべきであり、そのきっかけになるという、除名肯定の意見が圧倒的に多かったと感じられる。

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共産党は、なぜあれほど党首公選を拒否するのか

 党首公選を訴えた鈴木元氏も、除名された。松竹氏のときにも、当然考えたのだが、何故、共産党はあれほどまで、頑なに党首公選を受け入れないのだろうか。公式には、党首公選を実施すると、分派が生まれてしまうからだ、といっているが、それは、誰が考えても、おかしな理屈で、当人たちが、本当にそう思っているのかさえ疑問である。そもそも、ただの一度も、党首公選などしていないのに、そうした弊害が、必ず出てくるなどということはいえないはずである。
 そこで、表立ってはいわない、裏の理由があるのではないかと、いろいろと考えてみた。そして、ひとつの推論に達した。そして、それは現在の政党を考える上で、重要な論点を含んでいるのではないかと思い、整理してみることにする。

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またも除名騒動に 規約が問題なのではないか

 松竹伸幸氏への除名で、大きな社会的論議を呼んだ共産党が、同時期に、やはり党首公選を主張した本を出版した鈴木元氏を、3月16日に除名処分にした。
「共産党「志位氏辞任要求」で2人めの除名者が「やっていることスターリン」「政権とったら粛清が」SNSで広がる警戒感」
 京都府委員会がホームページで公表しているというので、みたが、それは以下の通りである。長いけれども、全文を転載しておく。
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 日本共産党京都府委員会常任委員会は、2023年3月15日、鈴木元氏の除名処分を決定し、3月16日、中央委員会がこれを承認し確定しました。鈴木氏は京都府委員会直属で、支部に所属していない党員であることから、府常任委員会での決定となったものです。除名処分の理由は以下のとおりです。

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総務省行政文書雑感

 この話題は、前にも当の行政文書を読んで、思ったことを書いたのだが、そのときには、間もなく幕引きになると予想していた。しかし、今でもごたごたが続いている。小西議員は、政府が放送に介入することを批判する目的だったのか、文書を取り上げた意図が、定かでないのも疑問なのだが、放送介入問題はどこかにいってしまって、高市元総務大臣に焦点が完全に移っている。高市氏が、文書を捏造だと断言して、本物だったら、議員も辞めるなどと言ってしまったのが、紛糾の原因になった。師匠ともいうべき安倍晋三氏に見倣ったのかも知れないが、自ら招いた災難とはいえ、政治家としての欠点が、どんどん露になっている。小西が辞めるのか、高市が辞めるのか、ネットでは真っ二つに分かれているが、それは、あまり興味がない。不毛な論争は早めにきりあげてほしいところだが、吹き飛んでしまったことに、重要な課題や考えるべき点があるといえる。
 
 安倍氏の官僚を押さえつける力は大変なものだったのだなあ、といろいろな局面で感じるが、これもそのひとつだろう。総務省が、かつての総務大臣だった閣僚に、これほど手痛い仕打ちをするなど、安倍首相であれば考えられない。今は他の官庁の大臣とはいえ、閣僚が「捏造だ」といった文書を、「本物だ」と返したのだから、高市総務相(元)は、よほど官僚たちの信頼を勝ち取っていなかったのだろう。岸田総理自身が、自分の閣僚を庇わないのだから、一体誰に支持されているのだろうと、心配になってしまうほどだ。

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総務相行政文書 放送の中立性を考える2

 総務省文書が提起していることは、要するに、放送法の政治的中立に関する「解釈」を変更したかどうかである。そして、その変更を強権的に行なったかどうかも、問題となるだろう。
 文書を読む限りは、安倍首相(当時)の意向を受けた礒崎補佐官が、従来の「全体としての偏向」から、「単独の番組での偏向」も、中立性を侵すものだという解釈変更を、総務省に迫ったと読み取れる。しかも、かなり高圧的だった様子が、明確に読み取れるわけである。
 
 そして、高市氏との関連でいえば、高市氏が安倍首相と連絡をとったかどうかが、ひとつの焦点となっている。前回も書いたように、首相が押し進めようとしていることを、その対象官庁である総務省が抵抗していて、かなり煩雑なやり取りがなされているとき、総務相であった高市氏が、まったく関与していない、つまり、電話でも対面でも首相と話し合っていないなどということは、ありえないことである。「電話では話していないが、対面で話していた。だから、文書は正確ではない」などというのであれば、語るに落ちるということだろう。要するに安倍首相と意思疎通をしていたかどうかが、焦点なのだから。

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ガーシーと林外相 ネット社会における国会のあり方

 ガーシー議員が帰国せず、求められた国会での陳謝をしなかったことで、除名という処分にいこうとしている。つまり、国会議員は、日本にいて、国会審議に出席しなければならないという前提での処分である。常識的には、審議に参加しなければ、国民の付託に応えているとはいえないだろう。
 他方、まったく逆の事態が最近起きていたことも注意すべきだ。それは、林外相が、G20の外相会議に、国会出席を理由に欠席していたことだ。しかも、国会での林外相の答弁は1分にも満たないものだった。1分未満のために、世界の顰蹙をかってしまったのは、問題ではないかという批判があふれた。
 つまり、一方は国会を欠席していることによって、他方は国会出席を優先したことによって批判されているのだ。もっとも、ガーシーという人を、私はあまり知らないし、彼のyoutubeなどはみたことがないので、逮捕される危険とか、そういう事態についてはまったく理解していない。だから、そういうことはまったく切り捨てて、国会出席の問題、あるいは、国会議員とは何をするものなのか、という点にのみ絞って、しかも、ネット社会でそれを考えてみたいのである。

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総務省行政文書 放送の中立を考える1

 立憲民主党小西議員と高市大臣のやり取りとなっている、総務省の行政文書を全文読んでみた。もっとも、繰り返しが多く、その異同にはさして意味が感じられなかったので、ざっと読んだということだが。総務省のホームページにいくと、簡単に入手できるので、興味のある人は、実物をみるといいのではないだろうか。官庁と官邸は、こういうやりとりをしているのか、と理解できるが、なんと無駄なことに労力と時間をさいているのだろうと、逆に感心してしまう。
 話題になっているのことは、放送法の政治的中立として、ある番組では、一方の政治的立場のみを取り上げ、他の番組で、他の立場をとりあげれば、中立と認定できるのか、あるいは、特定のひとつの番組内で、ひとつの立場しか取り上げていない場合にも、中立を侵しているとみるとか、という問題を、延々とやっているわけだ。つまり、ある番組が、政府与党からみて、偏向番組だというだけでは、放送局の番組全体としてバランスをとっているということになると、その番組に圧力をかけること学校できないから、ひとつの番組だけで、バランスがとれていないときには、中立を侵している認定する、つまり、圧力をかけて「是正」させることができる、そういう目論見をなんとか通したい官邸と、総務省のやりとりが、何度も字句修正されながら、圧力を感じさせていくプロセスとみてよい。

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林外相のG20欠席 委員会の拘束も問題

 現在開催されているG20の外相会議に、日本の林外相が欠席したことが問題となっている。開催中の国会予算委員会への出席が理由だという。しかし、林外相の答弁が53秒だったことも、話題性を増大させているようだ。
 維新の会から、この欠席について問われると、岸田首相は、総合的判断から、外務副大臣を派遣するのが最適と判断したと、答弁している。野党からも批判が出ているというが、立憲民主党のホームページをみると、昨年からはっきりしていたG20の日程を十分考慮しなかったのか、という「日程調整のミス」という形での談話がだされている。共産党のホームページでは、この点についての見解は見当たらなかった。
 専門家も含めて、多様な見解がコメントされていたが、いくつか考えるべき点があるようだ。

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マイノリティ支援とカミングアウト (SOGI)

 LGBTや同性婚の主張に関して、大方同意できても、なんとなく細部で同意できない部分があることが多い。そのことは、これまで何度か書いてきたが、今回、かなり同意できる主張にであった。神谷悠一「「誰」から「何」へ 性的マイノリティ支援制度の課題と発展可能性」『マイノリティ支援の葛藤』明石書店所収)である。
 性的マイノリティ支援が進んだとしても、その目的に限定されている支援制度である場合、カミングアウト(自分が対象者であることを明示する)が必要となり、そのカミングアウト自体が不利をもたらすことが少なくない。だから、カミングアウトをためらって、結果として支援を受けられないことがある。そこをどう克服するかという問題について書かれている。

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