この演奏会も忘れられないものだ。といっても、実は詳細はよく覚えていない。かなり前の演奏会だったと思うが、好きなオペラであるトロバトーレだったので聴きたいと思ったこともあるが、どうしてもと思った理由は、アズチェーナにフィオレンツァ・コッソットがでること、そしてさらに指揮者がエレーデだということだった。
コッソットのアズチェーナは、おそらく戦後としては唯一無二というものだったと思うし、正規録音としても、セラフィン指揮のドイツ・グラモフォン版と、カラヤン指揮の映像版がだされている。とくに、セラフィン指揮によるコッソットのアズチェーナは、これ以上考えられないというような歌唱だ。唯一欠陥があるとすれば、老婆であるはずなのに、多少声が若々しいということだろうか。
そして、エレーデの指揮ということで、これは絶対に見逃せないと思った。エレーデといっても、実際に聴いたことがあるひとは、かなり高齢者になると思うが、比較的高齢の日本のオペラファンであれば、エレーデは忘れられない存在だろうと思う。
日本では、オペラに接することがなかなかできなかったが(いまではオペラ劇場があるから事情は大分違っているが)、そのなかで、日本にオペラの魅力を知らしめ、オペラファンをたくさん生んだ公演として有名なのが、NHKの招いた一連のイタリアオペラだが、そのなかでも決定的だったのが、マリオ・デル・モナコが主役を歌ったオテロ(ベルディ)だろう。このときのイアーゴがティト・ゴッビだったことも話題になった。このふたりは、それぞれオテロ歌手、イアーゴ歌手として戦後最高の歌手といわれているが、このふたりが一所に舞台にたったことは、実は極めて少なかったのだそうだ。それが日本で実現し、テレビ放映され、そして、市販もされたわけだ。デル・モナコが、登場したとき、会場にいたひとたちは、度肝を抜かれたといわれている。そして、この公演を指揮したのが、エレーデだったわけだ。
そして、まだモノラル録音が中心だったころの、イタリアのオペラの録音は、ステファーノ・カラスとデルモナコ・テバルディという2組が中心だった。そして、前者はセラフィンが、後者はエレーデが指揮することが多かった。モナコとテバルディの組み合わせのオテロは、同じデッカで2度録音されている。イアーゴのプロッティまで同じである。最初がエレーデ、2度目がカラヤンの指揮だった。少なくとも、モナコとテバルディに関しては、最初のほうがよいというのは、一般的な評価だ。指揮は、やはりカラヤンに軍配があがるのだろうが、エレーデももちろんすばらしい。そして、実はエレーデ版もステレオ録音なので、いまでも充分に聴ける。
さて、藤原歌劇団のトロバトーレだ。4人の主役級はすべて外国人の歌手で、ほかは日本人歌手、合唱団、オーケストラだった。そして、コッソット以外のひとは、私の認識不足だったかもしれないが、まったく知らない人で、いまでも名前を覚えていない。ただ、コッソットだけがとびきり有名だったことは間違いないし、それは聴衆の反応にもあらわれていた。
このときの演奏会が、とびきり思い出深いものになったのは、第一幕二場でアズチェーナが歌うアリアだった。最初にコッソットが歌いだしたときから、圧倒的な力だった。そして、固唾を飲むように聴きいる雰囲気だった。そして、アリアが終わったときに、猛烈な拍手がおき、アンコールの声が何度もかかった。そして、いつまでも拍手が終わらないのではないかと思われるほど続いた。私もそうだった。ライブではもちろんだが、ライブ映像でも、これほど長く拍手が続いたアリアは、クライバー指揮のカルメンで、ドミンゴが花の歌を歌い終わったときの拍手以外は知らない。あの拍手もながかった。(NHKの放映のときにはカットなしだったが、市販されている映像DVDでは、さすがに拍手が多少カットされている。)公演は比較的近い時期だったのではないかと思うが、コッソットは、カラヤンの指揮、ウィーンで同じアズチェーナで出演している。これもDVDで出ていて名盤として評価が高いが、興味深いことに、このアズチェーナのアリアが終わったとき、まったく拍手が起きていないのだ。少々当惑するコッソットの表情がみられる。クライバーのカルメンもそうだが、ウィーンのオペラで、ユーロビジョンでライブ放映されるときの慣習なのだろうか、一幕では拍手はアリアに対しておきていない。二幕になると拍手が通常のようになされる。おそらく、そういう慣習のためなのか、日本ではあれだけ長い拍手が続いたのに、ウィーンではまったく拍手がおきない珍現象に、私もびっくりした。しかし、二幕以後のコッソットには、万雷の拍手が注がれているのだが。
藤原歌劇団にもどる。コッソットが歌うまでは、なんとなく静かに進行していたのだが、そこで聴衆が完全に熱狂的になったためなのだろう、歌手たちも燃え始めて、それ以降のソリストたちの歌は、まるで決闘をしているかのような、力を振り絞って歌っているようなエネルギーに満ちたものになっていった。オペラでは、声が弱いと、強い人に完全にかき消されてしまうことがある。ソリストたちは、自分の声が消されないようにと思ったのか、とにかく、張り上げるというのではまったくないが、存在をかけて歌っているというような雰囲気になって、公演全体が熱狂的になっていった。トロバトーレというオペラ自体が、そうしたエネルギーに満ちた曲だから、ほんとうにスリリングな演奏となった。しかし、だからといって、乱れたとか、破綻しかけたというようなことはなく、さすがにエレーデという偉大な指揮者がしっかりと手綱をしめていた。
あのあと、何度か実演でトロバトーレを聴いたが、あのときの藤原歌劇団の公演は突出していたと思う。
クラシカ・ジャパンのドキュメントに「歌劇は過激なスポーツだ」というのがあったが、まさしく、あのときの4人のソリストは過激な対決をしていたように感じる。
アバドの「カルメン」で貴ブログに触れて以降、いろいろ拝見しております。私もエレーデの「トロヴァトーレ」は二期会の公演で鑑賞しました(マンリーコはウィリアム・ウー、アズチェーナは伊原直子の回)。またコッソットは実演で聴くことはかないませんでしたが、私も好きな歌手の一人です。
「コッソット以外のひとは…」ですが、「 昭和音楽大学オペラ研究所 オペラ情報センター」のサイトに公演記録があります。
ところで、
>コッソットのアズチェーナは…唯一欠陥があるとすれば、老婆であるはずなのに、多少声が若々しい…
ですが、登場人物の年齢を考えてみれば、ルーナ伯爵とマンリーコは10代後半、アズチェーナも30代前半のようですので、逆にルーナ伯爵等の声のほうがはるかにオジサンぽく(笑)、こちらの方がふさわしくないとも言えます。もっともご都合主義の最たるオペラにいちいち難癖をつけるのも…(私の性格かも、笑)。登場人物の年齢の考察については、「『イル・トロヴァトーレ』の謎」のサイトが参考となります。
「イル・トロヴァトーレの謎」読んでみました。たいへん詳細に調べてあり、参考になりましたが、それでも無理のある、時代が行き来する要素がある話ではありますね。しかし、ヴェルディの音楽の前には、多少のつじつまのあわない点は、どうでもよくなります。年齢問題でいうと、自分は年取ってしまったといって、身をひくようなそぶりをみせる、ばらの騎士の元帥夫人はまだ30才くらいなのですね。オペラでは、40代広範の雰囲気をもっていますが、現在のオペラのプリマドンナは20代ではかなり難しいですから、仕方ないのでしょう。ただ、たしかスザンナを歌った歌手は20才くらいだったというので、やはり、大劇場になった現代と18、19世紀では違っているのかもしれません。