慰安婦問題を扱った『主戦場』を見て

 普段映画を見にいくことはほとんどないのだが、左右の論客にインタビューしたというドキュメント映画『主戦場』はぜひ見たいと思ってでかけた。驚いたことに、平日の昼間なのに、客席が8割くらい埋まっていた。年に2回程度はいくのだが、ほとんど2割以下なので、かなり注目されているのだろう。(もっとも、インターネットで評価を読むと、連日満員で立ち見もでるという地域もあるらしい。)また、ネットで、ここに登場した右派のひとたちが、扱い方が公正でなく、自分たちの主張が、一部を取り出されることで歪められていると抗議の声をあげているという記事を読んで、そこに注目した。慰安婦問題については、最初に知ってから50年以上たっているし、私自身の立場は固まっているから、この映画をみて、考えが変わったことはないが、新しく知ったことはいくつかあった。(慰安婦問題などないという人を右派、あるという人を左派とここでは書く。)
 ただ一度、映画館でみただけだから、正確に憶えているわけではないが、慰安婦像設置をめぐる対立、河野談話、日韓の協定、アメリカのグレンデール市、サンフランシスコでの慰安婦設置、強制連行、性奴隷、国際法違反、教科書扱い等々、様々なトピックごとに、相対立する立場の論者のインタビューを重ねていく。右派たちから抗議があがったということでわかるように、彼らの主張に論理の強さは感じられない。 “慰安婦問題を扱った『主戦場』を見て” の続きを読む

官庁審議会答申が政府見解と違う? 有り得ない麻生答弁

金融審議会市場ワーキング・グループの報告書「高齢社会における資産形成・管理」が大きな議論を巻き起こしている。私も高齢者であるし、関心もあるので、専門家ではないが、読んでみた。しかし、正直いって、そんなにどんでもない報告なのか、よくわからない。
 金融審議会というのだから、当然金融庁の審議会であって、その立場から高齢社会をどう乗り切るかをまとめたものだ。厚生労働省の立場からすれば、当然異なる内容になるだろう。例えば、次のような記述がある。

 「わが国の高齢者は総じて元気である。これは、他国に比して、また過去と比較しても当てはまる。2016 年においては、65 歳から69 歳の男性の55%、女性の34%が働いており、これらの比率は世界でも格段に高い水準となっている。 “官庁審議会答申が政府見解と違う? 有り得ない麻生答弁” の続きを読む

グレータ・トゥンベル 気候変動デモで数々の栄誉

 何度か紹介したスウェーデンの少女グレータ・トゥンベルが、またスウェーデンの新聞で扱われているので、紹介をしたい。
 日本でも、いくつかの新聞で紹介されたが、気候変動に関するパリ条約を、きちんと履行しようとしない政治家たちに抗議して、昨年からグレータが始めた運動が、世界に広まって、いまでも、勢いという点では弱まっているが、むしろ大人にも影響して、確実に定着しつつあるといえるものである。
 記事は、För ett år sedan gjorde hon debut som debattör i SvD. Nu är Greta Thunberg världskändという題で、説明を加えながら、グレータの発言やインタビューを載せている。Svenska Dagbladet の2019年6月3日付け、筆者は、Henning Eklundである。
 昨年5月31日に、はじめてこの新聞に登場したという。

 「みなさんが、何をして、何をしないかが、私たちの孫や曾孫たちに影響を与えるのです。おそらく彼らは、何故しなかったのか、何故知っているのにしなかったのか、という問いかけをするでしょう。」 “グレータ・トゥンベル 気候変動デモで数々の栄誉” の続きを読む

川崎事件を考える 「一人で死ね」論争、藤田提起に関して

 川崎での事件は、教育学の人間としては、何よりも、登校中であり、しかも、最も安全な登校方法であるとされてきたスクールバスに関連して起きたこと、更に、学校関係者が警戒し、何人か保護者もいた中で起きた事件であるという点が、最大の考察課題となる。しかし、ここまで瞬間的ともいうべき短時間で犯行をされては、対応を考えることも難しい。これは対応のしようがないという人も少なくなかった。当日見守るためにそこにいた人もいるということであれば、(まさかあのようなことが起きるとは思っていなかったので、警戒をしたわけではないのだろう。)武器をもつわけにはいかないから、学校のように、刺股でももち、全方位を見守っているしかないのかも知れない。警官に見回ってもらうことができれば、ベストだろうが、「警官見回り中」との看板を立てておくというのも、若干の抑止にはなるかもしれない。
 この点については、別途考察したいので、今回話題になっている件について書きたい。
 川崎での事件をきっかけに、「一人で死ね」という書き込みがSNSに殺到し、それに対して、藤田孝典氏が、制止する書き込みをヤフーにしたことで大論争になっている。当初2チャンネル等での議論(圧倒的に、「一人で死ね」派が優勢)、ワイドショーでのやりとり、そして、新聞やブログでの多少落ち着いた記事と移ってきた。
 私は、「一人で死ね」「巻き込むな」という感情はもちろんもっているが、それを生の形で表明しようとは思わない。もっと事態を分析したいと考える。他方、藤田氏のような書き方にも、違和感がある。 “川崎事件を考える 「一人で死ね」論争、藤田提起に関して” の続きを読む

人工透析問題再論

 大分前の文章だが、山田順という方の「本当に医者が死なせたのか?「人工透析中止」問題で続く“偽善報道”への大いなる疑問」という文章を読み、かなり問題があると思ったので、再度書くことにした。(https://news.yahoo.co.jp/byline/yamadajun/20190320-00118973/)
 題でわかるように、毎日新聞を中心とする人工透析中止問題の報道に「偽善報道」「エセヒューマニズム」という悪罵を投げつけている。 “人工透析問題再論” の続きを読む

コメントへの回答 少子化と年金問題

 コメント欄の質問がありましたので、それに対する回答です。コメント欄での回答が普通でしょうが、問題が大きいので、ここでかくことにします。
 質問内容は以下の通りです。

では,謹みながら2点ほどお伺いしたいです。
1.個人の持論でもありますが,今後少子化により労働力がますます減少します。その代わり,AI(人口知能),又は外国人労働者が多く流入してくると思われ,国内の若者の立場(主に就職活動)が危ぶまれるかもしれません。若者の立場からの観点と,下記の問題の是非についてお尋ねしたいです。
2.ご存じのとおり,国民年金は,少子高齢化した日本において,若者が納金した国民年金が高齢者にそのまま行き渡る賦課方式が採用されています。少子化により,高齢者の年金受給を支えるための現役世帯から徴収する全体の保険料も減少し、世代間を支え合う持続性が危ぶまれています。この問題はどのようにお考えでしょうか。

 大変難しい問題なので、きちんとした回答になるかはわかりませんが、不足分は再度書くことで補充していくことにします。
人手不足は単なる働き手不足ではない
 少子化が進むから、労働力不足になる、というのは、一見正しいように見えますが、いわれている通りなのかと、吟味してみる必要があるのではないでしょうか。少子化は、既に何十年も続いてきた現象ですが、それでも大卒の就職状況は、ずいぶんと波がありました。今は、学生の就活がけっこう順調に推移して、比較的早く内定がとれていますが、つい数年前までは、就職がなかなか困難だったのです。大学として、なんとか就職率をあげようと、やっきになっていろいろな対策をとっていたものです。ここ2、3年は確かにかなりの人手不足になっていますが、こうした労働の需給関係は、決して人口動態だけできまるわけではなく、さまざまな要因で変動するものでしょう。 “コメントへの回答 少子化と年金問題” の続きを読む

交通事故再論 コメントへの返答

交通事故対策の問題として、道路に関する記事を書いたところ、コメントで、新たな事故が起きたが、それは、オランダのような道路状況だったら防ぐことができたのか、という疑問が提起されたので、続編を書こうと思っていたこともあり、それに対する返答を交えて書くことにする。コメントへの返事なので、「ですます調」がいいかとは思うけれども、新たなブログ記事なので、普段の「である調」にすることをお断りしておきます。
 あらたな事故というのは、明記されていないが、おそらく、千葉県市原市で起きた事故のことだと思うので、それを前提に考えていく。この事故は、駐車場にとまっていた車を出すときに、右折か左折するところ、おそらくアクセルとブレーキを踏み間違えて、そのまま直進して、道路の反対側の公園の金網を破り、公園で遊んでいた園児たちを轢きそうになり、園児たちを守った保育士が重症を負ったという事故だった。
 前回のブログ記事の最後の部分に、私は、以下のように書いた。

 いずれにせよ、事故を防ぐには、ひとつの対策で済むことは絶対にない。
 自動車自体の安全対策、道路の対策(拡張、歩道の整備、自転車の扱いの統一とそれにふさわしい道路状態の整備)、安全重視の信号。交通規制の徹底等々。そのなかでも、道路の作り方が、信号も含めて、最も重要だと思われる。 “交通事故再論 コメントへの返答” の続きを読む

失言は撤回ではなく、議論を

 毎日新聞(2019.5.15)によると、自民党が「失言防止パンフ」を作成したのだそうだ。自民党内からも、恥ずかしいとの感想があったと紹介されている。戦後ほとんどの時期を政権担当してきた自民党の国会議員に対する、注意喚起の「題材」としては、確かに「恥ずかしい」と思ってしまうが、「いわなければいい」というような問題ではないように思う。毎日新聞は、あわせて、最近の代表的な自民党を中心とした議員、閣僚の失言一覧を載せているが、それをみても、「失言」の内容も性質は多様である。
 メディアを賑わせた桜田義孝前五輪担当相のたくさんの失言も、いろいろある。
 1500億円を1500円と言い違えたのは、ご愛嬌ものだが、石巻市を「いしまきし」と続けて言ってしまうのは、一般人ならともかく、復興のためのオリンピックを謳った行事の担当大臣としては、仕事に対する姿勢を疑わせるものだ。そして、「まだ国道とか交通、東北自動車道も健全に動いていたから良かった」という完全な誤認は、資質能力が欠けている証明であろう。近所のおじさんで、町内会の役員をやっている分には、場を和ませる人として人気がでるかも知れないが、大臣が勤まる人物ではないことを示す発言群だ。
 こうした「失言」に対して、失言ではない「本音」が思わず出たという発言のほうは、もっと重大だろう。桜田氏の「東北道は健全に動いていた」というのは、単なる事実誤認であって、実際に、東北道が陥没して通れなくなっていたというより、一般車の通行をほぼ全面的に規制しており、緊急車両優先にしていたのを、政治家だから、通れたのだと思い込んだだけの話だ。 “失言は撤回ではなく、議論を” の続きを読む

事故を防ぐには、道路環境の改善が不可欠、ドライバーの注意だけでは防げない

 池袋の事故の記憶がまだ新しいというのに、また大津での事故。池袋の事故では、高齢者の運転とアクセル・ブレーキの構造問題が主に論じられたが、今回は、どうだろう。集団登下校や保育園・幼稚園の外出の際の列に突っ込んで、大きな被害が生じる事故は、たくさんある。そして、原因も多様なのだ。
 気になるのは、ドライバーの責任を問う声があまりに強いことだ。もちろん、ドライバーに何らかの過失があるから、事故が起きるのだろうが、事故を起こしたくて起こすドライバーは、ほとんどいないだろう。もちろん、飲酒運転とか、乱暴な運転とか、意図的に行う悪質運転は別として、ほとんどの事故は、不注意から起きる。しかし、不注意を個人の責任として無くそうとするのは、あまり効果的ではない。人間はどうしたって、注意が不足することがあるからだ。車を運転している者ならば、誰だって、はっとした思いを何度かしているに違いない。ドライバーが注意深く運転することを訴えることは重要だが、人間がある程度不注意をしたとしても、事故が避けられる、あるいは不注意そのものが起きにくいような道路環境を作ることのほうが大事ではなかろうか。そのような観点で考えると、日本の道路事情は、かなり悪いといわざるをえないのである。
 その観点から、また、あくまで車の利用者の立場から、考察してみたい。
人に頼らないオランダの道路
 参考になるのは、私はオランダだと思う。実は、1950年代のオランダは、実に危険な道路状況だったのだ。当時のフィルムをみたことがあるのだが、今では発展途上の東南アジアの道路事情のようなものだった。大量の車と自転車と歩行者が、混じった感じで動いている。当然事故も多かった。しかし、その後、オランダは交通事故が非常に少ない国のひとつとなった。 “事故を防ぐには、道路環境の改善が不可欠、ドライバーの注意だけでは防げない” の続きを読む

ポピュリズム考察 ゲッベルスと私3

 ハンゼルの解説の検討に移る。
 彼の解説は、極めて明確な一本のラインに貫かれている。ナチスと現代のポピュリズムは基本的に同じ性格をもっており、多くの国民の無関心がナチの台頭を許したのと同じ危険を、現代のポピュリズムに関する状況は示している。つまり「無関心」ということだ。ポムゼルのインタビューから教訓を引き出すとすれば、彼女のような状況に対する無関心な態度をとっていたら、大変になるということを知ることだというのである。
 しかし、現在世界中でみられるポピュリズム政治家が示しているものは、本当にナチと基本的に同質なのだろうか。そして、それに対する無自覚が支配的なのだろうか。
 ナチは合法的に選挙で勝って、政権を手にしたのだといわれることが多い。しかし、それは適切とはいえない。選挙で勝ったのは事実だが、その選挙戦術は実に汚いもので、暴力で政敵を抹殺しようとするような、暴動に近いことを各地で行っていた。それこそナチに明確に反対する勢力に投票することは、命の危険すらあるという印象を与えつつの選挙戦術だったわけである。ナチが、大衆動員を得意とするポピュリズム的な政治ムードを作りあげることに成功したのは、政権をとって、ゲッベルスが宣伝省を務めるようになってからといっても間違いではない。
“ポピュリズム考察 ゲッベルスと私3” の続きを読む