交通事故再論 コメントへの返答

交通事故対策の問題として、道路に関する記事を書いたところ、コメントで、新たな事故が起きたが、それは、オランダのような道路状況だったら防ぐことができたのか、という疑問が提起されたので、続編を書こうと思っていたこともあり、それに対する返答を交えて書くことにする。コメントへの返事なので、「ですます調」がいいかとは思うけれども、新たなブログ記事なので、普段の「である調」にすることをお断りしておきます。
 あらたな事故というのは、明記されていないが、おそらく、千葉県市原市で起きた事故のことだと思うので、それを前提に考えていく。この事故は、駐車場にとまっていた車を出すときに、右折か左折するところ、おそらくアクセルとブレーキを踏み間違えて、そのまま直進して、道路の反対側の公園の金網を破り、公園で遊んでいた園児たちを轢きそうになり、園児たちを守った保育士が重症を負ったという事故だった。
 前回のブログ記事の最後の部分に、私は、以下のように書いた。

 いずれにせよ、事故を防ぐには、ひとつの対策で済むことは絶対にない。
 自動車自体の安全対策、道路の対策(拡張、歩道の整備、自転車の扱いの統一とそれにふさわしい道路状態の整備)、安全重視の信号。交通規制の徹底等々。そのなかでも、道路の作り方が、信号も含めて、最も重要だと思われる。
 
 事故は実に多様な原因で起きる。そして、考えられる原因にひとつひとつ対応していく必要がある。前回は、その中で、大津の事件を念頭においていたので、道路の作りかた(このなかには、道路そのものの構造だけではなく、構造を決めていく方法にも触れた)と信号のあり方が重要であると書いたわけである。コメントの問題にしているのは、オランダのような道路で、ということだが、市原の事故は、道路の構造に無関係ではないが、警察でもアクセル・ブレーキ踏み間違い問題だとしているので、なんともいいようがない。ただいえることは、駐車場はオランダにもあるわけだから、同じような事故は起きる可能性はある。そもそも、どんな対策をとったとしても、人為ミスは起り得るわけだし、また、ルールそのものを軽視することによる乱暴な運転による事故だってあるわけだから、事故をなくすとか、絶対に起きない方式をつくるなどということは、もともと不可能だろう。そういうなかで、事故が起きる可能性を一つ一つ摘み取っていくような、安全重視の取り組みが必要だということ、そして、それを「具体的に」考えていくことが必要だということなのだ。

 市原の事故の原因を、想像になるが考えてみよう。
 ネット上の写真などをみて判断すると、有料駐車場のようなところから、おそらく料金を払って出て、すぐにある道路を左折するのか右折するのか、とにかく、そこで一端停止をして、安全確認をしてから、どちらかに曲がるという必要があった。しかし、ハンドルを操作する前に、つまり、たぶん直進状態のままでアクセルを踏んでしまったから、そのまま前進し、道路を突っ切って、金網を破って公園に突っ込んだとみられる。このようなことだから、似たような状況であれば、オランダでも起きるだろう。
 念のため、グーグルの航空写真などで、駐車場や路上駐車の状況をあちこち動かしながら調べてみた。私がいたころもそうだったし、少なくとも航空写真でみるかぎり、いまでもオランダは非常に路上駐車が多い。むしろ、家庭の車は、車庫ではなく、路上に駐車するのが習慣であるような気がする。ただし、両脇に家が並んでいるような道路であって、マンションのような大きな集合住宅には、駐車場が別にある。
 日本と違って、オランダに限らずヨーロッパの道路は、比較的狭い道路は一方通行になっていることが多い。だから、駐車している場所から、道路にでるときには、一つの方向の確認で済むのだ。
 それから、まったく別の問題だが、オランダの公園は、数は少ないが、非常に大きな公園となっており、駐車場と人がくつろぐ場所は非常に離れている。尤も、日本でも公園に突っ込む事故というのは、本当に稀ではないだろうか。
 いずれにせよ、市原の事故は、主にそれほど危険ではない道路での、ブレーキ・アクセル問題なので、車の構造上の対策が求められるだろう。(事故が起きた駐車場の出口の道路が、一方通行になっていたら、注意確認が容易で、もしかしたら事故にならなかったという可能性もわずかだがある。左右確認しているうちに、思わずアクセルを踏んでしまって、あとはパニックになったという可能性もあるからだ。)
 池袋の事故で、アクセル・ブレーキ問題と、高齢者問題が大分議論されたが、これらについては、またじっくりと考えて書くつもりだ。

 さて、もともと、前回の記事に補充が必要だと思っていたので、その補充部分が以下。
 大津の事故は、あくまでも想像だが、以下のような感じで起きたのではないかと思う。
 右折しようとするときには、まず直進してくる車がないかを確認し、なければ、右折するときに、歩行者がいないかを確認して、なければ、おそらくもう一度直進車を確認して右折するのだと思う。あるいは、直進車があるときには、その間に右折側の歩行者がいないかを確認する。事故の原因となった運転手は、歩行者がいないことを確認するまではやったが、そのあとの確認をしないまま、あるいはしようとしたときに、既に直進車が来てしまったのだろう。最初の直進車がないことの確認があまかったのと、歩行者確認に時間がかかったのではないかと、想像する。
 こうした右折時の事故が多いことは、周知のことといってよい。人間の過失は、同時に複数のことをしなければならないとき、ひとつのことをしなければならないときよりも、ずっと確率が高いからである。右折は、直進車と歩行者の両方が、いないことを確実に確認する必要があるのだが、これをすばやく、正確に行うことは、簡単なことではない。ひやっとした経験は誰にでもあるだなろう。
 したがって、この手の事故を減らすためには、車の発進時、あるいは曲がる際に、確認する必要があることを少なくすること、できたら、一つの確認でよいようにすることである。そのためには、信号は、オランダ方式が最もよいと、私は思うが、日本人にはなかなか受け入れられないのと、右折ライン、左折ラインなどをつくることが難しい道路もたくさんある。それで、日本の道路事情でも可能なことはないかと考えたのだが、交差点の信号は、原則スクランブルにするというのは、どうだろう。スクランブル交差点であれば、車が右折するときに、歩行者確認をほぼしなくても済む。直進車だけを注意していればいいわけである。信号のプログラムを変えるのは、それなりの費用がかかるとしても、それで安全性が高まるならば、やるべきだろう。

投稿者: wakei

2020年3月まで文教大学人間科学部の教授でした。 以降は自由な教育研究者です。専門は教育学、とくにヨーロッパの学校制度の研究を行っています。

「交通事故再論 コメントへの返答」への2件のフィードバック

  1. ・右左折時,どちらか一方のオランダ方式
    ・高齢者の運転可否,又は高齢者の運転免許返納
    ・ラウンドアバウトの日本への導入
    ・保育園児の園外散歩の是非(池田小事件による,閉ざされた学校問題含む)
    どれも現代の教育学,社会学を交えて賛否する議論だと個人的には思います。

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