失言は撤回ではなく、議論を

 毎日新聞(2019.5.15)によると、自民党が「失言防止パンフ」を作成したのだそうだ。自民党内からも、恥ずかしいとの感想があったと紹介されている。戦後ほとんどの時期を政権担当してきた自民党の国会議員に対する、注意喚起の「題材」としては、確かに「恥ずかしい」と思ってしまうが、「いわなければいい」というような問題ではないように思う。毎日新聞は、あわせて、最近の代表的な自民党を中心とした議員、閣僚の失言一覧を載せているが、それをみても、「失言」の内容も性質は多様である。
 メディアを賑わせた桜田義孝前五輪担当相のたくさんの失言も、いろいろある。
 1500億円を1500円と言い違えたのは、ご愛嬌ものだが、石巻市を「いしまきし」と続けて言ってしまうのは、一般人ならともかく、復興のためのオリンピックを謳った行事の担当大臣としては、仕事に対する姿勢を疑わせるものだ。そして、「まだ国道とか交通、東北自動車道も健全に動いていたから良かった」という完全な誤認は、資質能力が欠けている証明であろう。近所のおじさんで、町内会の役員をやっている分には、場を和ませる人として人気がでるかも知れないが、大臣が勤まる人物ではないことを示す発言群だ。
 こうした「失言」に対して、失言ではない「本音」が思わず出たという発言のほうは、もっと重大だろう。桜田氏の「東北道は健全に動いていた」というのは、単なる事実誤認であって、実際に、東北道が陥没して通れなくなっていたというより、一般車の通行をほぼ全面的に規制しており、緊急車両優先にしていたのを、政治家だから、通れたのだと思い込んだだけの話だ。
確信、本音の吐露は撤回ではなく
 しかし、杉田水脈氏の「LGBTの人は生産性がない」という発言、塚田一郎氏の「下関北九州道路」に関して、「総理や副総理がいえないので、私が忖度した」との発言、柳沢伯夫氏の「女性は産む機械」、石原伸晃氏「最後は金目でしょ。」発言などは、決して「失言」ではない。本当にそう思っているから、ある意味信念を吐露したものだと解釈したほうが妥当だろう。杉田発言は別として、いずれも「撤回」して済まそうとした。
 「撤回」に関して、いつも疑問に思うことがある。発言が多少問題だというのなら別だが、明らかに、名誉毀損や侮辱的なものであった場合、「撤回」すればなかったことにできるのか。名誉毀損や侮辱は刑事的な犯罪となる場合もある。たとえば、人を殴れば暴行罪だが、殴るという行為を「撤回」することはできない。被害者が告訴して、裁判になれば、間違いなく有罪となり、「あの暴行は撤回しました」と弁解することはできないのである。発言だって、同じはずだ。しかし、当人も、また、それを報道するメディアも、「撤回」によって、事態は収集したかのように扱うし、また、国会の議事録などは、実際に訂正されてしまう。メディアの記録は、残るが、議事録の訂正は、改竄であり、歴史的にも後から検証される文書なのだから、歴史を改竄しているともいえる。特に、政治家の発言の撤回は、極めて無責任であり、「撤回」という行為をもっと制限すべきであると思う。「忖度した」と発言したのは、実際に、そのように働きかけたという「実績」があるから述べたはずであり、忖度発言を撤回しても、彼の政治家としての活動そのものが消えるわけでもない。もし、その忖度で、不当に道路ができたとしたら、それは、どういう責任となるのか。
 水田氏は、「発言」ではなく、雑誌への投稿だったから、撤回のしようがなかった。だからなのかは不明だが、『新潮45』は、水田擁護特集をやって、結局廃刊となり、自爆してしまったわけだが、撤回がなかったために、問題がかなり広範囲に議論された。本当は、廃刊せず、これだけの批判があったのだから、雑誌として、擁護特集だけではなく、議論特集をして、批判の論文も掲載する形で継続したほうがよかったのではないか。言論の場を放棄した点で『新潮45』の責任は重い。
 柳沢氏の発言にしても、もちろん、あまりに酷いもので、批判というよりは、非難に値するが、しかし、彼ほどの人物が、単純にこのような言葉レベルで考えているはずはない。要は「少子化」をなんとかしなければならない、それには、女性がもっと子どもを産んでほしい、ということなのだろう。少なくとも、言葉の使い方はどうあれ、少子化対策を進めなければならないと考える人は、このようなことを考えているのではないだろうか。もちろん、直接的な表現はせずに、子どもを産みやすい環境整備が大事だなどというのだろうが、しかし、究極的には、同じことを主張している。
 私自身は、少子化を問題と認識しておらず、日本に限らず、地球全体で、人口が多すぎることこそが問題だと思っているので、むしろ、先進国で少子化するのは、共通の傾向としてよいことだと思っているし、その教訓あるいは方法を途上国に伝えていくことが大事だと考えている。そうした私の立場からみれば、「女性は子どもを産む機械」という発言も、「産みやすい環境整備をせよ」という発言も、受け取る印象は大分違うが、考えていることは、さほど違いがないと思うのである。少子化が切実な問題であると感じているいるのは、世界第二位、現在は第三位の経済規模を維持することに、至上の意味を感じている人だけで、多くの人は、なんとなく人口が減ると国が弱体化していくと、メディアによってなされる宣伝を鵜呑みにしているのではないだろうか。しかし、冷静に考えてみれば、日本は、国の経済規模は大きくても、国民一人当たりに換算すると、かなり下になってしまうし、経済の競争力なども、それほど上位ではない。日本よりもずっと小さいのに、国民の経済的豊かさがずっと上であるという国はいくらでもあるのだ。逆に、ブラック労働が顕著で、これほど労働者が酷使されている先進国はないだろうし、労働者の権利が日本よりずっと保護されている北欧と比較すると、北欧で労働者が大事にされているのは、人口が少ないからだと思わざるをえない。日本は、バブル崩壊後、経済が苦しくなってきたときに、安い労働力を確保しようとして、逆に経済をだめにしてきたのではないだろうか。
 そう考えると、少子化こそが、日本の将来の進むべき方向で、それにあわせた経済や社会の仕組みを変更していくことに、創造的に取り組むべきなのである。そう考えるときに、柳沢氏の発言の問題を根本的に批判することができるのではないか。
 要は、政治家のある種の失言は、単に失言として撤回させるのではなく、もっと根源的な批判を加えることが必要であり、そのためには、議論にのせることこそが必要なのである。

丸山発言の時代錯誤
 さて、自民党にパンフを出させたきっかけではないと思うが、同じタイミングででてきた丸山発言は次のようなものだったそうだ。

丸山議員と元島民の主なやりとり
 丸山氏「団長は、戦争でこの島(国後島)を取り返すのは賛成ですか、反対ですか」
 元島民「戦争で?」
 丸山氏「ロシアが混乱している時に取り返すのはOKですか?」

 元島民「戦争なんて言葉を使いたくないです」
 丸山氏「でも、取り返せないですね。戦争しないとどうしようもなくないですか」
 元島民「戦争なんぞはしたくありません」「先生、やめてください」
 丸山氏「何をどうしてですか。この島をどうすれば良いですか」
 元島民「それを私に聞かれても困ります。率直に言えば返してもらえれば良いと思います」
 丸山氏「戦争なく?」
 元島民「戦争はすべきでないと思います。早く平和条約を結んで解決してほしいです」
 丸山氏「逆に関係なく平和条約が欲しいんですか」
 元島民「それは政府の方々に任せているわけで、あくまで私たちは交渉をやりやすくする下支えのために交流している。我々の署名運動などを今やめて元島民があきらめたと言われたら大変だから継続してやります」
 丸山氏「取材はするけど何もしない人(マスコミ)に言ってほしい」(毎日新聞2019.5.14)

 これを見ると、元島民たちは、みな丸山氏の発言に反発し、否定している。にもかかわらず、丸山氏は、畳み込むように、自説を押し出している。丸山氏は、完全に確信犯である。思わず出た本音ではない。にもかかわらず、何故丸山氏は、「撤回」したのだろう。理由は、みんなに迷惑をかけたからだという。この認識が間違っていたとは、どうやら会見では話していない。そう確信しているのに、何故撤回するのか。記者会見で、どうどうと自説の正しさを主張すればいいではないか。本当に考えぬいた自説であるならば。なんとも腰抜けの政治家というべきだろう。発言の「撤回」などは認めず、こうしてネットで拡散させ、いかに、このような政治家の「確信」なるものがいいかげんであるかを、示していくことが必要である。
 もちろん、丸山氏の歴史認識は間違っている。確かにかつては、領土は戦争によって所属が移動した。それを絶対視している丸山氏は、19世紀的感覚しかもっていない人物なのである。19世紀ですら、オランダとベルギーのように、戦争にまでは至らない調停で領土が分割された例があるし、近年では住民投票で決めていく、あるいは、話し合いで決めるという例が出てきている。それが国際社会の秩序をつくっていく上で必要な進歩だったわけである。
 かつて日本はロシアと戦争をし、その度に領土の獲得や喪失があったわけだが、それは、戦争が支配層の利害によって行われた時代だからである。今政治は、なによりも国民の福祉のために行われなければならない。戦争は、最もやってはならない「政治」なのである。元島民の人たちのやりとりは、立派なものだった。
 最後に、失言は撤回させるのではなく、その背景にある間違った考えを、広く正していくことが必要である。
 

投稿者: wakei

2020年3月まで文教大学人間科学部の教授でした。 以降は自由な教育研究者です。専門は教育学、とくにヨーロッパの学校制度の研究を行っています。

「失言は撤回ではなく、議論を」への4件のフィードバック

  1. なんちゃって教育学者とはいえ,少子化問題を肯定するあなたの考えにも問題がある気がする。

  2. はい、どうぞ問題点を具体的に指摘してください。それに対して、こちらからの回答説明をいたします。

  3. では,謹みながら2点ほどお伺いしたいです。
    1.個人の持論でもありますが,今後少子化により労働力がますます減少します。その代わり,AI(人口知能),又は外国人労働者が多く流入してくると思われ,国内の若者の立場(主に就職活動)が危ぶまれるかもしれません。若者の立場からの観点と,下記の問題の是非についてお尋ねしたいです。
    2.ご存じのとおり,国民年金は,少子高齢化した日本において,若者が納金した国民年金が高齢者にそのまま行き渡る賦課方式が採用されています。少子化により,高齢者の年金受給を支えるための現役世帯から徴収する全体の保険料も減少し、世代間を支え合う持続性が危ぶまれています。この問題はどのようにお考えでしょうか。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です