読書ノート 『人身売買・奴隷・拉致の日本史』

 渡邉大門氏の『人身売買・奴隷・拉致の日本史』(柏書房2014)を読んだ。日朝関係で拉致問題が、日韓関係で慰安婦(彼らの呼び方でいうと性奴隷)が、現在でも問題となっているが、歴史的にずっと以前から存在している問題であることがわかる。そして、それは日本だけに限られることでもないだろう。
 この三つは微妙に異なるが、奴隷という言葉で共通項を括ることができるだろう。奴隷は、人間を「人」として扱わず、「物」と同様に扱う存在といえる。そして、物としての性質が最も顕著に現われるのが、他人に売られる、あるいは、贈られるという点である。つまり、人身売買されている状態にある人は、「奴隷」状態であり、拉致されれば、多くは売られ、あるいは、物のように、つまり機械のように労働のために使われる。そして、結婚などが許されないことになる。こうした奴隷的人間の扱いは、いろいろな理由で発生してきたし、多くの時代で禁止されていたにもかかわらず、実際に多数おこなわれていた。
 おそらく、法的なレベルで奴隷が許容されていたのは、古代社会だけだろう。日本では、奴婢と呼ばれていて、ある種の条件はあったが、自由に売買されていたという。本書によれば、奈良時代、養老律令によって奴婢の売買のルールが決められていたそうだ。居住地の官司に申請し、公券(公文書)によることが義務づけられていた。牛馬の場合には、私券でもよかったのだそうだ。しかし、奴婢ではない良民の売買は固く禁じられていて、処罰の対象となっていた。
 こうしたルールは、鎌倉時代にも残ったとされるが、それでも次第に表向きには、人の売買は禁止される方向になっていく。しかし、実際には、多く発生していたし、そもそも最も拉致や人身売買が発生するのは、戦争のときなのだから、源平合戦から、承久の乱や数々の合戦があった鎌倉時代、室町、戦国時代には、かなり多かったと考えられる。
 拉致や人身売買、そして結果としての奴隷状態が発生する原因は、いくつかある。
 第一に、貧困である。貧しくてお金がいる、子どもを養うことができない、とくに飢饉がおきたりすると、この度合いが強くなり、家族の誰かを売ってしまうわけである。男性の場合には、労働力として、女性の場合には、労働力だけではなく、売春をさせる目的で買われることになる。後者に関しては、日本でも戦前まで行われていたといえる。
 経済が発展して、商品交換が行われるようになったり、あるいは、貨幣経済が発展すると、「金貸し」業が発展する。その代表として「質屋」があるが、通常「物」を質草にするわけだが、「人」を質草にするのを「人質」と呼んだのが、人質という言葉の語源であると、本書では書かれていた。なるほどとは思ったが、どうなのだろう。
 江戸時代になって、遊廓が繁盛するようになると、遊女は、最初に多額のお金が家族に払われ、そのお金を返すことができるまで、遊廓で客をとる形をとる。当人の承諾の意思はあるとしても、基本的には、人身売買であり、奴隷状態であったと考えるのが妥当だろう。
 さて、第二の理由は、戦争である。歴史の学習で習う戦争は、領主が土地を獲得し、領土を拡大するために行うもので、勝ったほうが領土を広げ、負けたほうは領土を縮小させられたり、あるいは滅ぼされたりした。しかし、実際に、戦争に兵士として駆り出される人々は、領主と同じ目的で参加するわけではない。そもそも、自由意思で参加することは稀で、多くは強制的に駆り出されるわけであるし、ほとんど費用も自分持ちである。とするれば、それでも戦争に参加した際には、何かを取り戻そうと思うのが自然だろう。そこで略奪が起きる。中世までの戦争は、食料なども現地調達、つまり戦場近辺の家から物資を強制的に取り上げるのだが、それに留まらず、戦利品として、たくさんのものを持ち帰ろうとする。その戦利品の最もよいものが「人」だったわけで、戦争が起きると、決まって勝者側が多くの敗者地域の人を拉致して、連れ去った。戦争が起きれば、主な働き手が戦争でいなくなるわけだから、その代替労働力が必要だったのである。
 そうした人の略奪が最も大規模に行われた日本の戦争が、秀吉による朝鮮出兵だった。その際、多くの技能をもった人材が連れてこられて、日本の産業の発展に尽くしたなどと、学校では教えられるのだが、それよりももっと多くの、農業労働力として、多数の朝鮮人が拉致され、日本に連れてこられたのである。逆の現象もあり、日本兵が捕虜になって、朝鮮での労働者になったり、あるいは、あまり名誉でもない戦争に駆り出されたことに嫌気がさして、自分から降伏して、朝鮮側の人間になった者もけっこういたのだそうだ。
 こうした国際的な広がりでの拉致は、その前でも倭寇の活動として、かなり行われていたという。倭寇だからといって、日本人の海賊が、中国や朝鮮の人たちを拉致していただけではなく、相互に同じことをやっていたわけであり、現在の拉致問題に日本の政治家たちが解決に苦労しているように、当時の日本、朝鮮、中国の支配者たちも、なんとか倭寇を取り締まって、拉致を防ごうとしていたわけである。
 また、ポルトガルが日本にやってきて以降、いわゆる南蛮貿易が盛んになるが、この貿易品に、人がかなりあったのだという。拉致もあったろうが、日本人もポルトガル人が買っていくわけである。当時の日本は戦国時代だから、国力全体があがっており、人も勇敢だったろうから、便利な人材として、重宝されたらしい。かなりの人数がアジアにいったり、連れて行かれたりして、アジア各地で活躍する人も多かったそうである。現在では実在に疑問がもたれている部分もある山田長政が、その一例とされる。山田長政その人の逸話が事実ではなかったとしても、似たような人物はいたのだろう。
 このポルトガルの人買いは、スペインが中心であるイエズス会ともかなりの軋轢があったし、また、秀吉がポルトガル人の来航を禁止する最も大きな理由だったということだ。
 江戸時代になって、幕府を開いた徳川家康は、朝鮮との関係改善に取り組む必要があったことと、朝鮮としても、拉致された多くの人々を帰還させる必要があった。そこで、何度も朝鮮から使いが来日して、交渉が行われ、幕府は、基本的に本人の希望を尊重するという政策をとった。その結果、帰国を望んだ者は、実は少数で、日本で既に重要な活躍をしていた人もたくさんいて、彼らのほとんどは、日本に残ることになった。もちろん、帰国した者もいたが、必ずしも、帰国して大切に扱われたわけではないようだ。
 本書は、江戸幕府初期で終わっているので、残念ながら近代日本は扱われていないが、慰安婦問題も、こうした流れのなかで発生していることに間違いはない。
 北朝鮮による拉致は、もちろん、近代社会になっておきたことで、到底許すことはできないのであるが、ただ、長い歴史でみると、連綿と続いている、不当な人間の行為なのだということがわかる。
 非常にやさしく書かれた歴史書であり、学校ではあまり教えない内容なので、ぜひ読まれるとよいと思う。

投稿者: wakei

2020年3月まで文教大学人間科学部の教授でした。 以降は自由な教育研究者です。専門は教育学、とくにヨーロッパの学校制度の研究を行っています。

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