池袋の事故の記憶がまだ新しいというのに、また大津での事故。池袋の事故では、高齢者の運転とアクセル・ブレーキの構造問題が主に論じられたが、今回は、どうだろう。集団登下校や保育園・幼稚園の外出の際の列に突っ込んで、大きな被害が生じる事故は、たくさんある。そして、原因も多様なのだ。
気になるのは、ドライバーの責任を問う声があまりに強いことだ。もちろん、ドライバーに何らかの過失があるから、事故が起きるのだろうが、事故を起こしたくて起こすドライバーは、ほとんどいないだろう。もちろん、飲酒運転とか、乱暴な運転とか、意図的に行う悪質運転は別として、ほとんどの事故は、不注意から起きる。しかし、不注意を個人の責任として無くそうとするのは、あまり効果的ではない。人間はどうしたって、注意が不足することがあるからだ。車を運転している者ならば、誰だって、はっとした思いを何度かしているに違いない。ドライバーが注意深く運転することを訴えることは重要だが、人間がある程度不注意をしたとしても、事故が避けられる、あるいは不注意そのものが起きにくいような道路環境を作ることのほうが大事ではなかろうか。そのような観点で考えると、日本の道路事情は、かなり悪いといわざるをえないのである。
その観点から、また、あくまで車の利用者の立場から、考察してみたい。
人に頼らないオランダの道路
参考になるのは、私はオランダだと思う。実は、1950年代のオランダは、実に危険な道路状況だったのだ。当時のフィルムをみたことがあるのだが、今では発展途上の東南アジアの道路事情のようなものだった。大量の車と自転車と歩行者が、混じった感じで動いている。当然事故も多かった。しかし、その後、オランダは交通事故が非常に少ない国のひとつとなった。それは、まず、道路を作り替えたこと、そして、道路の形態を決めるのに、関係者が徹底して討論するような方式をとったことだといわれている。日本では、国や県の担当者が中心となって案を作り、地主と交渉して作っていくのが基本だろう。もちろん、いろいろな関係者に意見聴取をするだろうが、関係者が同等の資格で話し合って決めるということはないようだ。そして、決定的なことは、日本では、車の利便性が重視されていて、安全性が重視されているとは言い難いのだが、オランダの場合、「安全性」が徹底的に重視されていると、私は感じた。
安全性重視を感じさせるのは、ふたつある。
分離した道路
ひとつは、道路の作り方である。古い市街地は例外として、新しく道路を作るときには、必ず、車道、自転車道、歩道を分けていて、余裕があれば、それぞれの境は、幅がとってある。植樹されている場合もある。この順番だから、車が歩行者をはねることは可能性として極めて低い。古い市街地は、そこまで配慮されていないが、どんな道路でも車が走る場合は、段差のある歩道がある。そして、そういうところは、制限速度が遅く設定されている。
私が記憶する限りでは、ガードレールが道路に設置されてことはないが、逆に、車と歩行者は、離れているように設定されているのであり、日本でガードレールが議論されるのは、車と歩行者が直接すれ違うように、道路が作られているからだろう。
次の写真は市街地の道路である。かなり窮屈な感じだが、車道があり、左側が自転車道、そして、木が植えられている左側が歩道である。
下は住宅地の道路である。右側から、歩道、自転車道、そして、植え込みがあって、車道になっている。この道路は中央の木の左が対向車線の車道であるが、対称形になって、更に先に自転車道、歩道がある場合もある。こうした道路の構造なら、車が歩行者をはねることは、極めて起きにくいことがわかるだろう。
ひとつひとつ区分して青になる信号
もうひとつは信号のあり方である。現在は、信号そのものを撤廃する傾向にあるが、とりあえず信号が日本とはずいぶん違う。大げさにいえば、日本の信号はドライバーの腕と注意力に依存し、効率を重視しているが、オランダの信号は、ドライバーの能力と無関係に、安全重視である。どういうことか。
今回の大津の事故は、その典型だが、日本の信号の多くは、右折するときに、対向車がこないときの隙を狙って右折する。この場合、ふたつの点で注意力が強く求められる。対向車がきているときに、自分の車がいけるかを判断し、更に、たいていある右側の横断歩道に人がいないことを確かめる必要があることだ。曲がろうとしたときには、誰もいなくても、前方の対向車をみながら右折しようとしたときに、自転車とか、走った歩行者が突然渡っていたなどということもある。つまり、日本の交差点における典型的な信号下では、脇見運転こそが強制されるのである。だから、右折がからんだ事故は非常に多いはずである。今回の大津の事故は、この事例にあてはまるのだ。
しかし、オランダではこのような事故は起こりにくい。信号の運行が違うからだ。車、それも直進、左折、右折、そして自転車、歩行者が、それぞれ区分されている。つまり、例えば、東西の直進→左折→右折→南北の直進→左折→右折→自転車→歩行者というように青が変化していく。もちろん、すべての信号がこうだというのではないが、これを原則にしているようだ。このように信号が変わっていけば、曲がるときに、対向車や曲がった地点の歩行者や自転車に気をつける必要がない。自分の車がいけるときには、他の方向で車や自転車、歩行者が動いていることはないし、歩行者が渡るときに、車や自転車を注意する必要がないのである。
それから、信号は、日本では交差点の向こう側についているが、オランダでは交差点のこちら側についている。この差は大きいように、私には感じられた。日本だと、自分の見るべき信号だけではなく、交差する側の信号も見えるために、意識が分散するのだ。そして、対抗側の信号が黄色になると、早めに用意して、青になってすぐに発進したりすると、赤になっているのに、交差点に飛び込んでくる車もあるから、そういう事故も起きやすい。
しかし、オランダの場合、見えるのは自分が従うべき信号だけだから、それだけを注視することになる。つまり、自分の信号が青になるのを、予知することはできないから、青になってから、準備にはいるので、車の発進が少し遅くなる。わずかな間だが、事故を防ぐには、有効だろう。
こういう信号の違いを、私は大学の講義で紹介するのだが、実は学生たちの多くは、日本の信号のほうがよいと答える。若者にとっては、オランダの信号は、待ち時間が多いのでいやだということと、右折のタイミングぐらい間違えるはずがないという自信、あるいは思い込みがあるのだろう。実際に運転している者は少ないということもあるかも知れない。しかし、日本の道路の安全軽視は、基本的に日本人の安全軽視の反映なのだろうと思う。このようなときこそ、議論が必要なのだといえる。
現在はオランダに限らず、EUでは信号を廃止して、サークル状の交差点に変えつつある。ラウンドアバウトという。電気を使う信号をやめて、温室効果ガスの削減を図っているのだろう。(下の写真は、オランダの道路ではない)
日本ではまだ極めて少ないが、私はヨーロッパで何度も経験した。通常の信号と比較して、一長一短で、これが断然優れているかどうかは、私には、まだわからないが、ただ、絶対にスピードをだして交差点にはいることはできないので、事故はたぶん少ないに違いない。
いずれにせよ、事故を防ぐには、ひとつの対策で済むことは絶対にない。
自動車自体の安全対策、道路の対策(拡張、歩道の整備、自転車の扱いの統一とそれにふさわしい道路状態の整備)、安全重視の信号。交通規制の徹底等々。そのなかでも、道路の作り方が、信号も含めて、最も重要だと思われる。
またしても痛ましい事故が起きました。
あなたが贔屓するオランダにもある街路樹や金網をすり抜けての事故でした。
オランダを完全に真似た交通整備をすれば今回のような事故は起きなかったのでしょうか。是非,講義中にあなたの見解を聞いてみたいです。
講義は既に済んでいるし、最後なのでできませんが、説明を別途ブログでかかせていただきます。