官庁審議会答申が政府見解と違う? 有り得ない麻生答弁

金融審議会市場ワーキング・グループの報告書「高齢社会における資産形成・管理」が大きな議論を巻き起こしている。私も高齢者であるし、関心もあるので、専門家ではないが、読んでみた。しかし、正直いって、そんなにどんでもない報告なのか、よくわからない。
 金融審議会というのだから、当然金融庁の審議会であって、その立場から高齢社会をどう乗り切るかをまとめたものだ。厚生労働省の立場からすれば、当然異なる内容になるだろう。例えば、次のような記述がある。

 「わが国の高齢者は総じて元気である。これは、他国に比して、また過去と比較しても当てはまる。2016 年においては、65 歳から69 歳の男性の55%、女性の34%が働いており、これらの比率は世界でも格段に高い水準となっている。
 体力レベルを見ても、現在の高齢者は過去のわが国の高齢者と比較して高い水準にある。また、アンケート結果では、60 歳以上で仕事をしている者の半数以上が70 歳以降も働きたいと回答している。」
 
 この記述から出てくる政策は、当然、定年を引き上げて、高齢者にもっと仕事の場を与えるのが、高齢者にとっての心身の健康にもよいし、また、年金等の負担問題を考える上でも、有効だろう、という話になるに違いない。私自身、そう思っている。特に空前の人手不足なのだから、高齢者をもっと活用すればよい。もちろん、若者の雇用を圧迫しないようにする必要があること等は当然のことだろう。
 しかし、これは金融庁の審議会だから、そういうことはでておらず、金融資産の活用によって、高齢社会を乗り切ろうという問題設定になっている。だから、NISAを活用しようなどという話が柱のひとつとなっているわけだ。
 そして、注意すべき点として、高齢顧客保護が重視されている。

 「エ.高齢顧客保護のあり方
 高齢期における顧客への対応のあり方は「(2)金融サービスのあり方」ですでに述べた。しかしながら、個社レベルでの対応のみならず、全体としての対応のあり方に再検討を要する面があると考えられる。例えば、現在の日本証券業協会の投資勧誘等のルールでは一定の年齢を目安にそれまでの年齢の顧客と違う対応を求めている9。75 歳頃から認知症の発症率が上昇していくことを踏まえると、これには一定の合理性が認められるが、高齢者の状況も非常に多様である。75 歳以前でも認知能力に問題がある者もいれば、80 歳を超えても非常に元気な者もいる。本来は、個々人に応じたきめ細やかな対応が望ましく、例えば、リスクが高い複雑な商品の提供は厳しく抑制する一方で、リスクが低い簡素な商品については説明内容を軽減し、商品のリスクや複雑さに応じてメリハリをつけるなどの対応が望まれる。」

 私自身は、金融資産の運用にはまったく興味がないし、むしろそういうことを奨励することに対して不信感をもっているので、内容的にまったく評価しないが、ただ、審議会のそもそもの課題からすれば、当然の結論であろうと思う。
 今回の騒動に関して、不思議に思うのは、麻生大臣が「政府の見解と異なるので、受け取らない」と述べて、報告書を受け取らないのだそうだ。また、自民党の有力政治家からも、社会に対して不安を与えるような内容になっていると、批判の声が高い。
 しかし、官庁の正規の審議会からの答申で、政府の考えと異なる案が出てくることなどは、ほとんどないことであり、政治家であれば、誰もそんなことは信じていないだろう。そもそも、審議会というのは、官庁、つまり政府の政策を、いきなり出すと受けが悪いので、とりあえず、有識者なる人たちを集めて議論させ、報告書として提出させて、公的な検討を経て、妥当と認められるものとして、政府案になるという、ひとつのステップの場なのである。当然、委員も基本的には、政府の考えを支持する人たちを集める。それは、国レベルでも地方レベルでも変わらない。
 実は、私には、忘れられない体験がある。私は、そうした公的なところから依頼を受けるような立場の人間ではないので、いままで依頼されたことは一度しかない。当然なるべき人が、求められる「案」に否定的だったので断り、私を推薦したのだ。私は、その方面の専門家だったので、そういう行政にタッチすることがあってもいいかと思って引き受けた。私は、その新しい分野の専門家であり、担当公務員たちの誰よりも、よく知っていたので、実質的な議論をリードをし、まとめ、報告書も私自身が書いた。事務方の責任者は、そのことを高く評価してくれた。しかし、多くの事務方担当者には不満だったようで、あるとき、電車に乗るときに、偶然その一人と一緒になり、電車の中でしばらく語りあうことになった。そのとき、彼がいうには、「審議会の委員というのは、事務方の用意した案に賛成してくれる人が望まれているんですよ。」その言葉は、私には、彼が吐き捨てるように語ったように感じた。つまり、お前のように、自分で報告書を書くような行為は余計なことなんだ、といっているようにしか受け取れなかった。苦笑を返すだけだったのだが、確かにその後一切及びはかからなかった。

 今回の報告書で、話題になったことは、年金だけでは毎月5万円不足となるので、2000万円の蓄えが必要であるという部分である。これが年金に対する不安を与えたというので、非難されているのだが、そんなことは、これまでさんざん言われてきたことだろうと思うし、むしろ、不足分が5万円で済むのかという印象である。もちろん、年金だけで生活している人は少なくないだろうが、それで満足している人も少ないだろう。だからこそ、多くの人は、可能なかぎり、蓄えを準備しているのではなかろうか。もちろん、これだけ経済格差の激しい社会だから、個人差がかなりあり、一般的に議論をすることは、あまり現実的ではないが、しかし、現在予定されている年金だけでは不足する部分を、どのように獲得していくのか、それをこそ、議論すべきもので、その点で、この報告書がひとつの提起をしているという意味をもっていることは否定できないはずである。しかも、現在「案」とわざわざ付記されているのだから、今後いろいろな検討をする素材とすればいい。「受け取る」云々の話ではないのではないか。
 なにか不都合な議論が出てくると、すぐにそれを撤回と称して、引っ込めるが、実はその線で実際に着々とことを進める、というのが、今の政府のやり方で、ときにそれは隠蔽体質となって現われる。
 私自身は、金融商品に興味がないので、この案に共感しないし、高齢者に金融商品を進めている金融機関は、高齢者保護をしているとは、私には思えないが、本当の意味で保護をする政策は必要だとは思う。もっと建設的な議論を、ぜひ政治家はしてほしいものだ。

投稿者: wakei

2020年3月まで文教大学人間科学部の教授でした。 以降は自由な教育研究者です。専門は教育学、とくにヨーロッパの学校制度の研究を行っています。

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