教育行政学ノート 道徳評価と入試1

 教育課程や教育内容にかかわる行政を扱ったが、そこで、道徳の教科化に関連し、入試にはどのように扱われるかという問いがあったので、多少調べてみた。

 道徳が教科として動き出している。既に成績をつけた教師もたくさんいるだろう。成績がつけられると問題になるのは、入試でどう扱うのかということだ。これまで文科省は、道徳は入試に使わないようにという、かなり強力な行政指導をしてきた。しかし、長妻議員(民進党当時)が、自分のホームページで、入試に使われるようになるだろう、という批判的キャンペーンをしていたという報道もある。長妻議員は、国会で質問もしており、そのときには、林文部大臣は、明確に否定している。
 しかし、文科省が入試に使わないようにと指導しているからといって、実際に今後使われない保証はないし、また、使うべきだという意見だってあるだろう。そもそも戦前は、修身の成績が、中学入試には大きく影響したと言われているのだ。教育勅語を復活させるべきだというひとたちは、今でも多いのだから、道徳こそ人間評価の中心だと考えるひとたちがいても不思議ではない。更に、そもそも道徳を評価するということは、成績だけで行われているかという問題もある。面接は人物評価をしているわけだが、その中に道徳的観点がないとはいえないだろう。
 次の文章は、2017.11.27付けの朝日新聞の記事である。

 「文科省は道徳について「他の子どもと比べるものではない」としている。通知表で評価する場合は数値でなく記述で示し、入試には使わない方針をこれまでも教育委員会などに周知しているが、改めて表明した形だ。
 文科省によると、入試を実施している国公私立の中学や中等教育学校を今年7~8月に調べたところ、私立の752校のうち24・3%(183校)が、入試で通知表の写しの提出を求めていることがわかった。通知表に書かれる道徳の評価が合否判定に影響を与えないよう、今後も私立中の団体などと話し合って対応を考えるという。(根岸拓朗)」

 ここでの文科省の説明は、問題をごまかしている。道徳について「他の子どもと比べるものではない」としているが、現在の通知表は原則として絶対評価であり、道徳に限らず、全ての教科で「他の子どもと比べる」ものではないのである。しかしながら、入試の判定材料として使われている。だから、評価自体が他の子どもと比べるものではないとしても、入試の判定材料に使われることは、まったく妨げないのた。数値ではなく、文章だから使えないと考えているとしたら、それはまた、ごまかしもいいところだろう。入試判定をすべて「数値化」された材料で行っている、あるいは行うしかないというわけでは決してない。これは、面接試験を考えてみればわかる。
 面接評価は、もちろん数値化することもあるし、また、数値化ではなく、絶対評価的に「この人はぜひとりたい」「どちらでもよい」「この人はとりたくない」というような段階評価にし、数値化された評価を行う前に、まず「この人はとりたくない」という人を取り下げ、数値での判定の際、ボーダーラインで、「この人はぜひとりたい」という人を優先するという形は、実際に行われている。同じように、文章化された評価でも、このような使い方は可能なのである。
 実際に、記事によれば、私立中学の4分の1は、通知表の写しを求めているのだから、参考にしている可能性は充分にある。
 
 道徳教育を教科化させたのは、安部内閣である。そして、教科化によって生じる変化は、検定教科書が使われることと、評価が行われることの二点である。以前でも、副教材が使用されてきたし、通知表には総合評価のような形で、道徳評価に近いようなことは行われてきた。それを教科化することによって、「強化」したのである。わざわざ強化したのだから、それを有効活用する意図があることは疑いない。しかし、特に「評価」に関して、大きな批判と疑問が沸き起こった。それで、入試には使わないという「指導」をしているのだと解釈されるが、この内閣のほぼ一貫した姿勢として、国民の批判を浴びると、表面上は引っ込めるが、実際には進めていくという手法をとっている。データの書き換えなども得意技である。
 おそらく、文部科学省の役人レベルでは別だろうが、政府としては、せっかく評価対象にしたのだから、入試で使わせたいと考えているはずである。そうでなければ、多くの批判を受けながら、道徳教育の「評価」を導入するはずがないのだ。
 しかし、人物評価を入試の判定に使うことについては、愛知県の苦い歴史がある。だから、少なくとも文科省としては、認められない。おそらく、文科省と政府与党の間に、かなりの緊張関係があると想像できる。
 基本的には、道徳を教科として扱うことに無理があるのだ。(続く)

投稿者: wakei

2020年3月まで文教大学人間科学部の教授でした。 以降は自由な教育研究者です。専門は教育学、とくにヨーロッパの学校制度の研究を行っています。

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