ハンゼルの解説の検討に移る。
彼の解説は、極めて明確な一本のラインに貫かれている。ナチスと現代のポピュリズムは基本的に同じ性格をもっており、多くの国民の無関心がナチの台頭を許したのと同じ危険を、現代のポピュリズムに関する状況は示している。つまり「無関心」ということだ。ポムゼルのインタビューから教訓を引き出すとすれば、彼女のような状況に対する無関心な態度をとっていたら、大変になるということを知ることだというのである。
しかし、現在世界中でみられるポピュリズム政治家が示しているものは、本当にナチと基本的に同質なのだろうか。そして、それに対する無自覚が支配的なのだろうか。
ナチは合法的に選挙で勝って、政権を手にしたのだといわれることが多い。しかし、それは適切とはいえない。選挙で勝ったのは事実だが、その選挙戦術は実に汚いもので、暴力で政敵を抹殺しようとするような、暴動に近いことを各地で行っていた。それこそナチに明確に反対する勢力に投票することは、命の危険すらあるという印象を与えつつの選挙戦術だったわけである。ナチが、大衆動員を得意とするポピュリズム的な政治ムードを作りあげることに成功したのは、政権をとって、ゲッベルスが宣伝省を務めるようになってからといっても間違いではない。
ナチの反ユダヤと現在の反移民は同じか
まだヨーロッパではポピュリズム政党が政権を担う国は、圧倒的に少ないが、政権をめざしつつ行っている政治活動は、やはり、突撃隊や親衛隊が活動しながら、勢力をひろげていったナチよりは、よほど民主主義的作法を守っているように思われる。
ハンゼルの論で、私が違和感を感じるのは、ナチのアーリア人至上主義と反ユダヤ主義と、現在の多くのポピュリズム政治家の反移民政策をほぼ同一視しているように見える点である。
確かに、欧米先進国のポピュリズムは、ほとんどが移民にネガティブな態度をとっている。しかし、その反移民とナチの反ユダヤ人とは、似ているということもできないほどに異なっていると、私には思われる。
ハンゼルは、1990年代にドイツでおきたトルコ人への暴動、虐殺事件を取り上げている。この事件は、かなり反移民のポピュリズムとナチの類似性を印象づけようとしている。確かに、この事件はドイツのネオナチと呼ばれるひとたちが起こしたものだ。当時、私はオランダにいて、オランダのメディアはドイツという国を批判していた。しかし、ドイツ国民の全体としては、こうした蛮行を強く非難し、その後イスラム教徒への暴力やいやがらせは、次第に減少していった。現在、ドイツでの代表的なポピュリズム政党と問われるAfDは、このような暴力的排外的な手法には、批判的であるように思われる。
ナチの反ユダヤ政策は、様々な側面があるが、ひとつの重要な要素が、ユダヤ人から財産と地位を奪って、ドイツ人に配分するというものだった。ベルサイユ体制での失業問題を解決する、酷いやり方だった。しかし、非ユダヤ人のドイツ人にとっては、恩恵を受けるひとたちがいたわけである。だからこそ、残ったドイツ人の責任も問われる。
しかし、欧米の戦後の移民は、労働力不足を補うために、必要な労働力として呼び寄せられた存在であり、しかも、白人たちがやりたがらなかった過酷な労働を担っている部分が多い。だから、移民を追い出したとしても、白人の労働を取り戻すことになどならないのである。むしろ、必要な労働がなされないことで、白人たちも困ってしまうはずである。それは、アメリカでも同様で、いくらトランプが反移民を唱えても、不法移民は、アメリカ社会に必要とされているから、存在しているのである。
オランダの反移民感情
移民政策の優等生といわれたオランダに、21世紀になって突如現れたポピュリズム政治家のフォルタインは、反移民であったが、移民を追い出せなどと主張していたわけではない。その主張の中心は、オランダにやってきた移民は、オランダ語を学んで、オランダ的価値を身につけよということだった。実際にその主張は、かなり広範のオランダ人に共感をもって受け入れられた面があるのだ。
フォルタインは2001年に、それまで労働党(社会民主党的なオランダの政党)だったのが、突然、袂を分かって、フォルタイン党を立ち上げ、2002年の総選挙に打って出た。オランダは比例代表制なので、日本のようなどぶ板選挙はほとんどなく、政党を選ぶ選挙なので、党首がテレビで討論をするのが、最も国民に影響を与える選挙活動になっている。大学の社会学の教授で、弁論のたつフォルタインは、党首討論で次々と他党の党首を論破し、破竹の勢いを示していたのである。そして、総選挙の直前に暗殺されてしまったのだが、フォルタイン党は、新党であったにもかかわらず、躍進し、連立政権をになうことになった。ただし、まったくの政治の素人集団であったために、内閣のなかで大混乱が起き、その半年後に、彼らを内閣から追い出すために、第一党だったキリスト教 は、解散に打って出た。
私が二回目のオランダ留学は、ちょうどフォルタイン党による政治的混乱が真っ盛りのときに始まった。テレビをつけると、フォルタイン党の政治家が演説しているときに、突然近づいてきた聴衆が、ケーキを顔面にぶつけて、顔がケーキで覆われてしまうというような場面がが繰り返し放映されているような状況だった。しかし、その2カ月後くらいに、オランダ人全体が反移民感情になるような事件がおきている。
ドイツとの国教が近い町のスーパーマーケットの駐車場で、高齢の女性が二人の青年に難癖をつけられていた。一人の若者が、注意をすると、その二人は若者に暴力を振るいだして、それが2時間くらい続いたのである。その間、昼間の駐車場にたくさんの人がいたにもかかわらず、誰もとめようとせず、最終的に外が騒がしいので見に行った店員が、救急隊に電話して、救急ヘリコプターがやってきて、若者を病院に運んだのだが、そのときには、メディアの記者が多数到着しており、ヘリコプターで運ばれる場面を撮影していたので、テレビで何日も繰り返し放映された。
当然二人の若者は警察に逮捕されたわけだが、その一人が移民の子どもだった。そして、国民に大きな衝撃を与えたのが、その母親がメディアのインタビューに、「息子は神の意思を実行しただけだから、悪くない」と語っただけではなく、既にオランダにきて30年も経っているにもかかわらず、父親はまったくオランダ語が話せず、したがって仕事をしないで、生活保護を受けて生活してきたことが、報道されたのである。2001年の9月11日の同時多発テロの影響で、オランダでも反イスラム感情が強くなり、イスラム学校が放火されたりしていたのだが、この事件は、そうした反イスラム、反移民の感情を一気に高めてしまった。
他の移民に対する違和感として、長く住んでいるにもかかわらず、その国の言葉を学ぼうとしないひとたちがいることがあげられていた。言葉ができなければ仕事をすることができないから、当然税金の補助で生活することになる。だから、移民は必ず、その国の言語を学ぶ、あるいは修得していることを条件にするというような主張が、ポピュリズム政治家によって唱えられたのであるが、そのことを、ナチと同列の主張と見ることは、できないのではないかと思うのであ
ハンゼルの警鐘は、充分に意味があると思うが、しかし、現在ポピュリズムが興隆してくる理由を、もっと適切に位置づける必要があると思う。ナチの勃興に関するベルサイユ条約の問題を、当時のナチと対立する人たちが充分に考慮できなかったことと、同じようなことが、ポピュリズムにもあるような気がする。