ウクライナ雑感 慢心は禁物

 つい先頃まで、ウクライナ当局も、またそれを受けて日本のメディアも、ウクライナ情勢は完全に楽観的で、6月攻勢、8月決着というような「楽観論」を振りまいていた。しかし、ロシア軍のウクライナ東部への攻撃を受けて、にわかに悲観論が出ている。
 しかし、こうした言説をみると、「慢心は危険」という言葉を肝に銘じる必要を改めて感じた。
 
 「鬼平犯科帳」に「妖盗葵小僧」という話があり、事実として長谷川平蔵が捕縛した有名な盗賊だ。押し込み先で女を犯すのが手口だった盗賊で、その一節に、葵小僧と引退して同居している元首領とのやりとりがある。あまりに度が過ぎていることをたしなめ、あまりにうまくいっているときには注意が必要だというようなやり取りをしたあと
「なあに鬼の平蔵は、この私を捕らえることが出来まいよ」
「それがお前、慢心というものだ」

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教育学を考える 29 授業の定型化1

 先日、臨床心理学の専門家と意見交換する機会があって、心理臨床分野でも、カウカンセリングの定型化を進めるような動きがあると知った。私は、精神の問題というのは、千差万別だから、カウンセリングの基礎として、定型的な方法を学ぶことは有効だとしても、現場では柔軟さが不可欠と思っていたのだが、どうも、とにかく、統合的、定型的な手法を絶対視するひとたちも出てきているらしい。臨床心理は、私の専門ではないので、触れないことにするが、教育の世界では定型的な教え方を求めることは、昔からある。そして、定型的な教え方を可能にする技術も進歩している。そこで、授業を忠臣に定型化に関して考えてみたい。
 
 何故、定型的な教え方を、教わる側から求めるのか。それは、教師の質に対する不信感があるといえる。優れた教師に教わればいいけれども、教え方が下手だったり、教える内容そのものをあまり理解していない教師がいる。そういう「はずれ」にあたってしまったときには、がまんするしかない。今はどうかわからないが、私が子どものときにも、新学期の担任発表のあとは、あたりとか、外れとか、いいあう人たちがいた。

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ウクライナ戦争停戦へのキッシンジャー提案

 今月の25日、スイスのダボスで行われた会議で、キッシンジャーが、停戦を促し、ロシアが占領している地域を、ウクライナがロシアに割譲することを提起したことに対して、ゼレンスキーが猛反発したことが話題になっている。ロシアのウクライナ侵攻が始まって以来、日本においても、戦争で人が死ぬのは問題だから、早く停戦すべきだという意見は、いろいろな人からでている。とくにリベラルの人がそうした見解を示すことが多かったようだ。代表的には和田春樹氏などがそうだ。もちろん、リベラルに限らない。
 今度はキッシンジャーが提起したということで、国際的にも大きな話題になっているようだ。しかし、私にはいかにもキッシンジャーらしい発言だと思った。ベトナム和平をまとめた功績でノーベル賞を受賞しているが、あわせて受賞したベトナム側は、受賞を拒否している。ノーベル平和賞に対する疑問が沸き起こったものだ。キッシンジャーはあくまでもアメリカの利害に立って、ベトナムを従わせるべく奮闘したに過ぎないのであって、より大きな敗北に至らないための方策を、当時とったに過ぎない。アメリカ人であり、アメリカ政府の代表としての交渉だから、それは当然ともいえる。

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CD個人全集・ボックスのジャケット問題

 たまたまHMVのサイトで、ウィルヘルム・ケンプ・エディションのレビューを読んでいたら、ある人は、「オリジナルジャケットではないことの利点を活かして」と書いており、別の人が、「いまどきオリジナルジャケットでなければ売れないことがわからないのか」と、ドイツ・グラモフォンを非難している、まったく逆の意見が掲載されていた。最近は、CDでは個人の全集のボックスが多く発売されており、とくに著作権が切れた大演奏家が多くなっており、ケンプの場合には、数点まだ著作権が切れていない録音があるが、80枚の大部分は著作権料が発生しないから、営業的には有利なのだろう。フルトヴェングラーやトスカニーニ、ワルターなどの過去の大指揮者は、放送録音の発掘がいまだにさんかに行われて、新譜が出てくるが、クレメンス・クラウス、アンドレ・クリュイタンス、バックハウス等々、全集がでている人たちは、1972年前に亡くなったから、あるいは、以後録音をしていないひとが多い。もちろん、カラヤンやベーム、アバドなどの偉大な指揮者の場合には、著作権と関係なく全集が出ているが、そういう人は、やはり、わずかであり、ショルティやパバロッティのように、第一集がでたが、続きがでないという場合もある。

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ロシアは何故宣戦布告しないのか

 ウクライナ情勢は日々動いており、メディアの報道も、少しずつ変化してきたような気がする。ハルキウを奪還したころには、ウクライナがどんどん優勢になって、6月ころには大攻勢をかけ、8月には帰趨が明確になるかのような報道が目立った。しかし、最近はロシアも攻勢をかけており、かならずしも楽観できないという報道もみられる。私は、後者のほうが、現実に則した見方だと思っている。あまり楽観視すべきではない。そして、長引けばロシアが不利になるというのも、逆の側面もあることも、やっと指摘されるようになった。長期化すれば、ロシアの占領地域が既成事実化してしまう恐れがあるのだ。

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テレサ・ベルガンサが亡くなった

 スペインの名歌手テレサ・ベルガンサが亡くなった。既に引退して久しいと思うが、CDはいまだに売れ続けている。戦後の最も優れたメゾ・ソプラノ歌手の一人だと思う。
 私が自分のお金で最初に買ったオペラのレコードは、アバド指揮の「セビリアの理髪師」だった。これは、いまでもこの曲のベストだと思っているが、このとき初めてベルガンサを知った。そして、メゾがこのような華麗なコロラトゥーラの技巧をこなすことにびっくりした。
 戦前の最も優れたイタリアオペラの指揮者だったトスカニーニは、決してロッシーニを演奏しなかった。序曲はたくさん演奏したのだが、オペラは、上演不可能だと思っていたらしい。それは時代的に、ロッシーニの主役を歌える歌手がいなかったからだ。

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読書ノート『80歳の壁』和田秀樹

 羽鳥のモーニングショーに、和田秀樹医師が出演して、今ベストセラーになっている著書『80歳の壁』をもとにした話をしていた。そこで、大方の内容はわかったが、もうじき後期高齢者になることもあり、購入して読んでみた。内容が非常にわかりやすく、かつ談話のようなものなので、一気に読めた。内容は、共感する云々以前に、私自身がだいたい実践していることだったので、逆に驚いたほどだ。簡単にいえば、高齢者(この本では幸齢者と書いているが、普通に高齢者としておく)は、好きなことをして、食べたいものを食べ、楽観的に生きなさい、そして、あまり医療に頼るのではなく、病気になったとしても、闘病するのではなく、共病、つまり、病気と共に生きるというのがよい、というようなことだ。

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ウクライナ雑感 ウクライナにもミスはある

 最近の報道によると、ウクライナ軍がロシア軍に反抗の勢いを増しており、8月にもロシア軍は敗北するのではないかという予想をたてている。しかし、それは楽観的に過ぎるのではないか。そして、ウクライナ側のミスについての報道もほとんど見られない。私たち日本人がウクライナ状況を考察するのは、精神的な応援ということもあるが、やはり、ここから教訓を冷静に見きわめるためである。
 最近のウクライナのミスと思われるのは、21歳の若いロシア兵捕虜を戦争犯罪という罰で裁判にかけたことだ。何故、いま、ウクライナでこうした裁判をやる必要があるのか。ロシアの戦争犯罪を許さないという意思表示だとしても、戦争犯罪を裁くのは、ウクライナではなく、国際機関であることが望ましい。また、ウクライナが裁くとしても、戦争が完全に終了して、講和条約のなかで、裁判を相手に認めさせてから行うことがベストであろう。それまでは、捕虜はあくまでも捕虜として、国際法規に則った扱いをすべきである。

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オペラのバージョン問題 タンホイザー・ドンジョバンニ・ドンカルロ

 オペラには複数のバージョンがある曲が少なくない。次回の私の所属市民オケのプログラムに「タンホイザー」序曲が入っているので、この問題をすこし考えてみたいと思った。
 タンホイザーには、ドレスデン版とパリ版のふたつがあることはよく知られている。パリ版といっても、フランス語で上演されることはあまりなく、パリ版として書き換えたのを、更にドイツ語化した(言葉のイントネーションのために、小さな変化は多数あるが)ウィーン版が現在ではパリ版として上演されている。最初に作曲したのが、ドレスデン版だが(当時ワーグナーはドレスデン宮廷歌劇場の指揮者だった)、後年、パリで上演されることになったときに、フランスではフランス語であること、それからバレエがはいることが条件になっていたということで、そのように書き換えたものだ。書き換えた部分は、ヴェーヌスが出ている場面だけで、他は同じである。そして、パリ版を作曲していた当時、既に「トリスタンとイゾルデ」を作曲したあとだったので、ワーグナーの音楽がかなり変化しており、書き換えた部分は、かなり妖艶で濃厚な音楽になっている。ドレスデン版の部分とかなり雰囲気が異なるので、不自然だという理由で、パリ版を嫌う人も多いが、私は、ヴェーヌスが出ている場面だから、ふさわしい音楽になっており、まったく違う世界を描いているので、それぞれにふさわしい音楽になっていると思う。パリ版のほうがずっと好きだ。

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自民党のいじめ対策の提言

 最近自民党が、いじめ対策を発表した。自民党らしく、厳しい措置をとろうということだ。しかし、自民党のいじめ対策には、いつも致命的な欠陥がある。その証拠に、大津の事件のあと、「いじめ防止対策推進法」を策定して、現場ではかなりその線にそった対策を強いられているのだが、いじめかえって増えているのである。
 大津の事件をきっかけとした対策は、
・学校にいじめ対策の委員会を設置する。
・年に3回アンケートをとって、いじめの有無を調査する。
 もっとも大きな対策は、義務としてのアンケートだ。もちろん、これによって、それまでわからなかったいじめを発見することはあるだろうが、そもそも、アンケートなどをしなくても、教師は異常を察することができなければならない。アンケートを実施することによって、その間はあまり注目しないということもあるに違いない。また、アンケートで、いじめを受けている被害者が、訴えたにもかかわらず、学校が有効な対策をしないまま、悲劇が起きた事例もある。アンケートの弊害は、実施のための事務量が膨大に増えることだ。

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