テレサ・ベルガンサが亡くなった

 スペインの名歌手テレサ・ベルガンサが亡くなった。既に引退して久しいと思うが、CDはいまだに売れ続けている。戦後の最も優れたメゾ・ソプラノ歌手の一人だと思う。
 私が自分のお金で最初に買ったオペラのレコードは、アバド指揮の「セビリアの理髪師」だった。これは、いまでもこの曲のベストだと思っているが、このとき初めてベルガンサを知った。そして、メゾがこのような華麗なコロラトゥーラの技巧をこなすことにびっくりした。
 戦前の最も優れたイタリアオペラの指揮者だったトスカニーニは、決してロッシーニを演奏しなかった。序曲はたくさん演奏したのだが、オペラは、上演不可能だと思っていたらしい。それは時代的に、ロッシーニの主役を歌える歌手がいなかったからだ。

 モーツァルトの時代には、コロラトゥーラはごく一般的だったから、モーツァルトのオペラには普通に出てくるし、また、モーツァルトの周囲に優れたコロラトゥーラ歌手がいたために、優れたアリアがたくさんある。そして、ロッシーニやベルリーニ、ドニゼッティの頃まで、コロラトゥーラは大いに発展した。しかし、ヴェルディは、初期こそコロラトゥーラの技法を使用したが、中期になるとあまり使わなくなり、目立ったところでは、「リゴレット」のジルダ、「椿姫」のビオレッタ、「トロバトーレ」のレオノーラくらいで終わっている。プッチーニには、私の知る限りまったく使われていない。ただ、モーツァルトやベルカントオペラを上演するためには、不可欠なので、ソプラノのコロラトゥーラ歌手は継続して活躍していたが、ロッシーニに多いメゾ・ソプラノのコロラトゥーラ歌手は、いなくなってしまったのだろう。ロッシーニのオペラはそれで上演されなくなっていったのだが、ただ、「セビリアの理髪師」はあまりに優れた作品なので、主役のロジーナをソプラノの声域に変えて上演が続いていたわけである。いまでも、ソプラノによって上演されることがあるし、また、CDもけっこうでている。しかし、トスカニーニはさすがに、そうしたにせものの上演をする気にはならなかったのだろう。
 
 しかし、戦後ベルガンサが現れた。そして、ロッシーニに優れた適性をもっていたアバドと組んで生まれたのが、ザルツブルグ音楽祭での上演であり、そのハンバーによるレコードである。そして、スカラ座による映像も制作されている。このレコードでは、ベルガンサだけではなく、テノールのルイジ・アルバも優れたコロラトゥーラ(男声にもこの言葉を使うのかどうか定かでないのだが)の技法を駆使している。アルバの歌を聴くと、他のテノールによるアルマビーバ伯爵の歌唱は、ごまかしがあることがよくわかる。
 昔のドタバタ的演奏にノスタルジーを感じる人には、まじめすぎるという評価が投げかけられるが、そもそも「セビリアの理髪師」は、ドタバタ喜劇ではない。フィガロの結婚の前の話であり、確かに喜劇だが、まじめな時代批判であり、そういう意味では、アバドとベルガンサのこの録音は、ロッシーニの本質をついたものだ。
 こうして、ロッシーニに新しい光があてられ、以後ロッシーニ・ルネサンスがやってきて、今では、ロッシーニのたくさんのオペラが上演されるようになった。アバドとベルガンサの功績は大きい。そして、ベルガンサなどを目標にして、バルトリなどのよりすぐれた技巧をもったメゾ・ソプラノが誕生してきたといえる。
 
 私が気にいっているベルガンサの録音は、次はモーツァルト「コジ・ファン・トゥッテ」のドラベラである。ショルティ指揮のCDで歌っている。この演奏は、数ある名演のなかで、あまり目立たないが、私はとても名演だと思っていて、時折聴く。とくに、ベルガンサのドラベラが素晴らしいのだ。ドラベラに関する限り、ベルガンサが私にとってベストだ。ドラベラは、最初に籠絡されてしまうように、冒険心があるが、気品は十分にあるお嬢様なのだ。そういう品のよさをベルガンサの歌唱はよく表現している。
 
 そして、多くの人に評価の高いカルメンがある。ショルティが「カルメン」を録音するときに、最初に声をかけたのがベルガンサだったという。しかし、ベルガンサは既にアバドと録音することを約束しており、しかも、アバドとカルメンという女性の解釈をめぐって、議論を重ねていて、新しい「自由な女」としてのカルメン像を提起したいという意欲に燃えていたために、ショルティに事情を話して断ったということだ。ショルティは快く受け入れたという。
 このカルメンは確かに、それまでのカルメンとはかなり違う。悪女ではないカルメンだ。原作のカルメンは正真正銘の悪女だが、オペラではそれが薄められ、確かにベルガンサのいうような解釈の余地がある。悪女カルメンのベストは、カラヤン盤のレオタイン・ペライスで、自由で誇り高いカルメンの代表が、ベルガンサだろう。

投稿者: wakei

2020年3月まで文教大学人間科学部の教授でした。 以降は自由な教育研究者です。専門は教育学、とくにヨーロッパの学校制度の研究を行っています。

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