CD個人全集・ボックスのジャケット問題

 たまたまHMVのサイトで、ウィルヘルム・ケンプ・エディションのレビューを読んでいたら、ある人は、「オリジナルジャケットではないことの利点を活かして」と書いており、別の人が、「いまどきオリジナルジャケットでなければ売れないことがわからないのか」と、ドイツ・グラモフォンを非難している、まったく逆の意見が掲載されていた。最近は、CDでは個人の全集のボックスが多く発売されており、とくに著作権が切れた大演奏家が多くなっており、ケンプの場合には、数点まだ著作権が切れていない録音があるが、80枚の大部分は著作権料が発生しないから、営業的には有利なのだろう。フルトヴェングラーやトスカニーニ、ワルターなどの過去の大指揮者は、放送録音の発掘がいまだにさんかに行われて、新譜が出てくるが、クレメンス・クラウス、アンドレ・クリュイタンス、バックハウス等々、全集がでている人たちは、1972年前に亡くなったから、あるいは、以後録音をしていないひとが多い。もちろん、カラヤンやベーム、アバドなどの偉大な指揮者の場合には、著作権と関係なく全集が出ているが、そういう人は、やはり、わずかであり、ショルティやパバロッティのように、第一集がでたが、続きがでないという場合もある。

 さて、こうした全集の場合に、問題となるのが、先のジャケットの問題だ。私自身は、たいしたことではないと思っているのだが、異常に固執するひとたちがいる。個人のコンプリートや大きなボックスがでた場合、かならずオリジナルジャケットであるかどうかを問題にし、そうでないと、激しく非難するひとたちがいるのだ。しかし、私は、逆にオリジナルジャケットをあまり好まないし、不便だと思っているので、そのことを少し書いてみたい。(ただし、個人全集ではない場合には、あまり気にする人はいないようだ。)
 
 
 このジャケットは、カラヤンの1960年代の録音を集めたボックスに入っているベートーヴェンの交響曲第5番である。オリジナルジャケットだ。しかし、日本でこの盤が発売されたかどうかは、私はよく知らない。というのは、これをみればわかるように、5番、つまり「運命」1曲しか入っておらず、日本で大ベストセラーになったのは、これにシューベルトの「未完成」をあわせて、黄金コンビと言われた組み合わせのレコードだった。5番だけだと30分しか入っておらず、未完成を加えると50分程度になる。このオリジナルはドイツ盤なので、裏にドイツ語の解説があるが、虫眼鏡でみても読めないような小さな字だ。オリジナルジャケットとされているものは、私の知る限りすべて欧米での発売のものであって、解説はすべて欧文である。
 そして、商品として惹きつけるために、いろいろとデザインに工夫を凝らしているものが多いから、確かに鑑賞的価値はある。しかし、もともと33センチの盤をいれるジャケットのための写真や絵を、CDの大きさにしても、あまり見応えしないものが多い。
 
 それに対して、アバドがロンドン交響楽団を指揮した録音を集めたボックスは、まったくオリジナルジャケットを採用しておらず、ほとんど無味乾燥なデザインで統一されている。もちろん、これには、何人かのオリジナルジャケットを採用していないことへの非難があった。
 しかし、オリジナルでないことのメリットがあるから、こうしたなんの変哲もないジャケットにするわけだ。では、それは何か。
 現在、全集、あるいはそれに近いボックスが発売されているが、初出からすべてCDであったというのは、私が知る限りはない。ほとんどがLPレコードで発売された頃からのものを集めている。それくらい古い人が全集として出ているわけだ。ところが、レコードは、片面30分程度であって、両面60分だ。多くはそれよりも短く40分から50分程度のものが多かった。しかし、現在のCDは84分はいる。だから、多くのレコード2枚分はいることになる。つまり、完全にオリジナルの形でCDにするよりも、編集すれば、枚数が半分で済むことになる。これは大きなメリットになる。そうすれば、当然、オリジナルのレコードと内容が異なることになるから、ジャケットだけオリジナルにすると、ジャケットに書かれた曲名とCDにはいっている曲が異なることになるのだ。ワルターの全集は、そうなっている。だから、ジャケットをみても、正確な曲目はわからず、正確にさがすためには、大きな解説本を参照する必要がある。それでも、ワルターの場合は、その相違は小さいが、カラヤンのデッカ録音全集は、ジャケットとなかの曲目にかなり相違がある。これなら、オリジナルは表の写真部分だけにして、裏の解説などあまりに字が小さくてみえないのだから、裏面はCDの曲目表示をしてもらったほうがありがたい。しかし、オリジナルジャケットだと、そういうやり方は私はまだみたことがない。
 ジャケットを無視すると、実際に発売された内容を変更して、内容別に編集することが可能になる。このアバドのボックスは、作曲家別に集めてある。オリジナルでは、違う作曲家の作品が同一レコードやCDに入っていることは少なくない。しかし、全集ともなれば、内容別に同じ作曲家が収録されていたほうが、探しやすいし、まとめて聴く場合にも便利だ。
 結論的には、全集にまとめるときには、全集としての使いやすさが優先されるほうがよく、書籍の個人全集でも、オリジナルの装丁でまとめることなどは、ほとんどない。ジャケットを見るためにCDボックスや全集を買うわけではなく、あくまでも演奏を聴くためなのだからは、私にはオリジナルジャケットに拘ることに、あまり共感できないのである。
 

投稿者: wakei

2020年3月まで文教大学人間科学部の教授でした。 以降は自由な教育研究者です。専門は教育学、とくにヨーロッパの学校制度の研究を行っています。

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