五十嵐顕考察15 勤評闘争3

勤務評定の最初の導入は、財政問題であったが、それを全国に拡大させたのは、明らかに、戦後改革の修正をする上で、反対をすることが多かった日教組を弱体化させることが目的であったことは、疑いようがない。勤評の施行と、戦後改革を修正する諸改革が行われたのは、ずっと並行していた。
 五十嵐氏は、具体的に、制度面で、教育委員の任命制、文部大臣による府県教育長の承認制、教材の届出、学校管理規則の制定、地教委の一斉設置、教育二法(教師の政治活動の制限)教育内容にかかわって、道徳教育の特設、学習指導要領の全面的改訂(試案から拘束的)高校のコース制などをあげている。
 つまり、管理・統治の強化と教育内容を変更を実行するために、反対運動の中心である日教組を潰すために、勤務評定を導入したという位置付けである。

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五十嵐顕考察13 勤評闘争1

 勤評問題は、戦後教育行政史、教育運動史のなかで、際立って対立が激しく、そして、長く問題となっているひとつだ。正確にいえば、現在でも、社会的コンセンサスにいたっていないといえる。
 単純にいえば、労働し、その対価が支払われている以上、労働に対する評価があるのはごく当たり前のことである。労働の成果がよければ、昇給したり昇格したりする。それも、ごく普通のことだ。だから、教師に対して勤務評定をするのも、当たり前のことだと思われるのだ。
 しかし、少しでも掘り下げていくと、教師の労働を評価することは、簡単にはできないことだとわかる。教師の労働、つまり、教師の教授活動や生活指導の成績がよいことは、どこで判断するのだろうか。そして、誰が判断するのだろうか。スポーツなら、決められた基準によって表れる数値がある。フィギュアスケートなどのように、主観的な要素が入り込んでいる種目でも、判断基準は明示されているし、厳しい審査にパスした審査員が審査し、その結果は通常公開される。もちろん、演技を実際に見て、ただちに判断する。だから、基準から著しく離れたような評価をすれば、問題になる。ときとして、判定が社会問題になることはあるが、それはごく稀な現象であり、通常は、明確な勝敗がつき、あるいは、専門の審査員が基準にしたがって審査して順位がつく。

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こっけいなプーチン演説

 今日、急に目が真っ赤になっていることに気づき、さすがに、2年ぶりに医者のところにいった。結膜下出血ということで、医者からもらったパンフには、たいしたことないと書かれていた。一応薬をくれたから、それなりの改善の必要はあるのだろう。というわけで、残念なことに、プーチンの演説をリアルタイムで聞くことができなかった。今までにでているyoutubeでは、簡単な抜粋をみただけだ。しかし、大体のことはわかった。
 ウクライナ側の視点による多少偏った見方になるのだろうが、こっけいな演説だった。西側が侵略戦争をしかけているような前提で、侵略する者は敗北するなどといっていたようだが、侵略者を事実通りに認定すれば、たしかにプーチンのいう通りだ。そして、西側は、ロシアを崩壊させようと思っているのだ、といっていたが、当初はそう思った西側のひとたちはあまりいなかったろうが、現在では、ロシア自体の崩壊を望んでいる人は、多くなっているに違いない。ここまで、酷いことをすれば、今後長期間にわたって、こうした侵略戦争をできなくなるには、ロシアという世界一広大な面積をもつ国家が、常識的な面積の国家に分裂して、ソ連の後継者としての国連安全保障理事会の常任理事国が存在しなくなることが、多くの人によって期待されているからである。私もそう望んでいる。もし、そうならなければ、国連は事実上死に体となってしまうだろう。既にそうなっていると考えている人もいるだろうし。そして、西側にロシアの崩壊を望むようにさせたのは、プーチンの侵略行為そのものだ。こっけいな演説といった所以だ。

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「鬼平犯科帳」密偵たちの死4 伊三次

 死んだ密偵として、「鬼平犯科帳」をよく知る人なら、誰もが、何故伊三次がでてこないのか、と思ったに違いない。やはり、伊三次は最後にとりあげる密偵だ。伊三次は、小説でも、ドラマでも、人気のある人物で、伊三次を演じた三浦浩一は、役者人生の半分は、伊三次を演じていたといって、この役を自分の宝と思っていると語っていた。役をもらったときには、まだ原作を読んでおらず、友人から、伊三次は「五月闇」で死んでしまうと教えられ、プロデューサーに「五月闇」はドラマの最後にしてほしいと頼んだのだそうだ。しかし、6シリーズで演じてしまったので、その後は、でないつもりでいたところ、再度出演依頼があったが、断る三浦に、「まだ伊三次が生きていたときの話」というナレーションをいれることで、オーケーしたという。シャーロック・ホームズを殺してしまったコナン・ドイルに、抗議が殺到した、というほどではないだろうが、かなり似たような反応があったのかも知れない。

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プリゴジンはバフムトを去るのか

 ロシアの傭兵組織であるワグネルの創設者であり、指導者のプリゴジンが、砲弾が充分に供給されていないことを、以前から述べ、国防相等を非難してきたが、ついに、このままでは闘いを継続することができないといいだし、砲弾の供給がなければ、5月10日にバフムトを撤退する、と公言した。バフムトの戦場近くであると称する場所で、死体が転がっている状況を背景に、彼らは少し前の戦闘で死んだ、弾薬がないからだ、と激怒している映像がネットで出回っている。テレビでも放映されているということだ。
 もちろん、この映像をそのまま受け取るわけにはいかない。バフムトの戦場で撮影しているといっても、本当かどうかはわからない。それに本当の死体かどうかも、確証があるわけでもない。

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高い目標をもつこと(大谷とエル・システマ)

 今日は、普段雑多に考えていることについて書く。
 大谷翔平は、誰にも大きな驚きを与える存在だが、私が最も驚くのは、生活のすべてを野球の向上のために使い、常識的な付き合いすら断ってしまうほどの、ストイックさである。日ハムの新人としてはいったときに、先輩の食事の誘いを断ったとか、それは今年ヌートバーと再開して、食事に誘われたときにも、「寝るから」といって断ったというように、一貫した姿勢であり、ニューヨークで試合のためにいっても、まったく街にでないので、街の印象もないという徹底ぶりだ。それだけではなく、食事も、完全に野球のためのものにして、定期的に血液検査をし、それに基づいて栄養を考えるのだそうだ。味はほとんど気にしないとか。練習方法も、おそらく専門のスタッフがいるのだろうが、二刀流の実現するための必要なトレーニングを開発し、無駄なことはしないのだそうだ。

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統一地方選 共産党敗北の原因を考える

 統一地方選挙が終わって、ずいぶん日時がたった。今年のはじめに、松竹問題が起きて、この影響が選挙にどうでるかを注目していたから、やはり、再度考える必要があると思った。
 赤旗のホームページに、選挙結果に対する見解がでている。23日選挙の結果では、91議席減らして、909議席を獲得したということだから、約1割減少したということだろう。前半選では25%減ったということだから、今回の選挙は、かなり大きな敗北ということができるし、また、「多くの候補者を落選させたことは、悔しく残念であり、お詫びを申し上げます」と書かれている。
 敗因としては、野党共闘とロシアのウクライナ侵略を契機とした軍事力大増強という二大逆流に抗することができなかった。また、共産党は異論を認めない党という反共キャンペーンが展開されたこと、そして、志井委員長の言葉では、さらに「自力」が不足していたことを敗因としている。

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「鬼平犯科帳」死んだ密偵3

 4人目は、馬蕗の利平治だ。
 利平治は、髙窓の久兵衛という頭の専属の嘗役(なめやく)盗賊だった。嘗役というのは、各地をあるいて盗みの対象になりそうな商家をみつけ、内部の情報を調査して、盗賊にその情報を売りつける盗賊の一種である。本当にそういうひとたちがいたかどうかはわからないが、「鬼平犯科帳」のなかには、たくさんの嘗役が登場し、ほとんどはフリーランスで、複数の盗賊に売っている。だが、この利平治は専属嘗役で、頭に気に入られ、また、頭に絶対的に忠誠だった。しかし、久兵衛が死んだあと、仲間割れがおき、一部が利平治がどこかに隠しているノートを奪う目的で、一緒に旅をしている。利平治は、実はノートを狙われていることがわかっているので、なんとか逃れたいと思っている。しかし、利平治を殺したらノートが手に入らないので、ずっと付きまとっているわけだ。そして、そのとき、丁度熱海に家族や密偵何人かと湯治にきていた平蔵と遭遇し、知り合いの彦十が仲をとりもって、平蔵が護衛をかってでることになる。利平治は、堅気になろうとしている久兵衛の息子に会うために江戸にいくつもりなのだが、息子も何人かの久兵衛の手下に狙われている。平蔵が結局彼らを成敗して、利平治に身分を明かして、放してやるのだが、やがて利平治は自ら出頭し、息子をとらえないという条件で、自分が自首し、ノートを平蔵に渡す。そして、平蔵の説得で、密偵になるのである。「熱海の宝物」という利平治登場の章だ。

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五十嵐顕考察12 陶冶と訓育

 宮原誠一教育論集の月報として書いた「宮原理論の教育学的骨格」という短い文章を読んだ。五十嵐氏が心臓疾患を発症して、入院中に、病室でまったく参考資料のない状態で書いたもので、氏の考えが実に簡潔に書かれている。宮原理論は、知識や教養を高めるための陶冶と規範を自覚させる訓育とが、実践的に結合されている理論であることが、最も重要だという主張である。しかし、それがどのように具体化されるかは別として、その両方が必要であることは、古来誰もが認めてきたことであって、そのこと自体は当たり前のことである。宮原がそれを有効に具体化できたかどうかは、また別の問題であるが、実は、教育制度論からみて、このふたつが必要だということの「制度的実現」は、極めて困難な理論的問題を含んでいる。
 知識や教養を、学校で教える、学ぶことを否定する人はいない。しかし、価値観や規範、道徳について、学校教育の任務であるかについては、多様な見解がある。そして、それは多くの場合、対立的ですらある。
 教育学の多くは、近代社会における、特に義務教育については、世俗性であるべきだと示している。もちろん、「多く」ではあっても、「すべて」ではない。

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「鬼平犯科帳」密偵たちの死2

 今回は雨引の文五郎を取り上げよう。文五郎は隙間風の文五郎というあだ名をもっていて、際立って盗みの技術が高い盗賊だ。隙間風というのは、どこにでも入り込むということらしい。闘う能力も高いが、盗みではけっして殺しなどをしない、池波のいう「本格派」である。しかも、極めて義理堅いといえる。だが、そんなことは、盗賊だからというわけでもないだろうが、相手には伝わっていない。つまり、思い込み、誤解が入り組んで、事態が絡まった展開をしていく。
 
 
ある意味、長谷川平蔵はこの文五郎が気に入っているので、かなり事件が複雑に展開し、裏切られもするが、死んでしまった文五郎を惜しんでいる。2つの話で登場、最後は自害をする。最初は「雨引きの文五郎」という章である。

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