「鬼平犯科帳」密偵たちの死2

 今回は雨引の文五郎を取り上げよう。文五郎は隙間風の文五郎というあだ名をもっていて、際立って盗みの技術が高い盗賊だ。隙間風というのは、どこにでも入り込むということらしい。闘う能力も高いが、盗みではけっして殺しなどをしない、池波のいう「本格派」である。しかも、極めて義理堅いといえる。だが、そんなことは、盗賊だからというわけでもないだろうが、相手には伝わっていない。つまり、思い込み、誤解が入り組んで、事態が絡まった展開をしていく。
 
 
ある意味、長谷川平蔵はこの文五郎が気に入っているので、かなり事件が複雑に展開し、裏切られもするが、死んでしまった文五郎を惜しんでいる。2つの話で登場、最後は自害をする。最初は「雨引きの文五郎」という章である。

 文五郎は、かつて西尾の長兵衛という盗賊の片腕と言われた男で、実はもうひとり片腕と言われた落針の彦蔵に近い手下たちを、彦蔵が留守をしている間に、追い払ってしまう。文五郎は人を傷つけない「本格派」だったのに対して、彦蔵は殺しをいとわなかったからである。長兵衛が死んだとき、ほとんどの手下は、文五郎が跡目を継ぐことを望んだが、自分その意思がないと断固断り、事実上西尾の盗賊団は解散してしまう。どじに彦蔵の恨みをかうことになる。一人立ちした文五郎は、江戸で盗みを何度も行い、江戸を去ったときに、自分の似顔絵を平蔵に送りつけるという変わり者だった。平蔵たちは、懸命に文五郎を追ったが、遂に捕まらず、似顔絵まで送られてしまったわけだ。
 
 それから数年たって、平蔵がお熊の笹やにいるとき、たまたま文五郎が通りかかったので、追跡すると、一瞬見失うが、もうひとり文五郎を追跡していた人物と争っているのを発見した。相手は、落針の彦蔵で、彦蔵をとらえている間に、文五郎は逃げてしまう。彦蔵は、文五郎を何年も追いかけて、命を狙っていたのだろうか。「鬼平犯科帳」には、そういう実に執念深い盗賊が何人か登場する。
 せっかく盗賊団から抜け出したいと思っていた女賊を見いだしたのに、隠れて生活が可能になる金子を、堀帯刀長官がださなかったので、その女賊お杉と逃亡した高松繁太郎を、ずっと追いかけて続けて、逆に高松に切られてしまう笹熊の勘三。女房を殺された復讐をするために、大盗賊瀬田の万右衛門の経営する船宿に、忍び込んだが用心棒に逆に切られてしまう馴馬の三蔵等。三蔵の女房おみのは、実は瀬田の万右衛門の妾だったのを、三蔵が横取りしたのだから、居場所を突きとめられて殺されてしまうのだが、そのとき粂八の連れ合いを一時おみのにあずけていたのだが、道ずれに殺されてしまう。粂八のお紋も同じような境遇だったので、粂八はずっと、お紋のために、おみのが巻き添えになったのだと思い込んでいたのである。犯罪の周辺だから、こうした思い込みは当然頻発するだろうが、この思い込みは、次の第二話でもでてくる。
 
 平蔵は、彦蔵と文五郎の背後に多数の仲間がいるとふんで、彦蔵と知り合いだった密偵の宗平をつかって、彦蔵を牢から逃亡させる。(そのとき雨だったので、宗平は重度の風邪をひいてしまう)。そして、与力・同心たちが、彦蔵を監視しているうちに、案の定、彦蔵は、文五郎をみつけて挑むが、逆に殺されてしまう。そして、逃げる文五郎を待ち伏せていた平蔵がとらえてしまうのである。
 殺しをせず、似顔絵を届けるような文五郎を見込んで、平蔵は、文五郎を説得し、その後文五郎は、密偵になって、活躍する。しかし、具体的には、その活躍ぶりは書かれない。
 
 そして、「犬神の権三郎」という、二つ目の話になる。文五郎は、昔の知り合い犬神の権三郎が平蔵につかまったことを知り(実際の捕縛は佐嶋)、牢破りをして、権三郎を逃がす。その別れ際に、文五郎は、「助ける理由はわかっているな」というのだが、権三郎は、とんでもな勘違いをしてしまうのである。かつて文五郎と組んだとき、盗んだ金をごまかしたことがあるので、文五郎は、その決着をつけるために、自分を一端逃がし、そのあとで自分を殺すつもりだろうと思い込む。だから、逆に文五郎を殺してしまおうと、浪人たちを雇うのである。他方文五郎は、ずっと昔、女房のおしずが危篤になったとき、権三郎が面倒をみてくれたことを恩に感じていたから、一度助け、そのあと捕縛して平蔵に突き出すつもりだった。
 たまたまおまさが、権三郎の女房と昔の仲間で、偶然街で出会い、語りあったあと、追跡して、権三郎を発見する。そして、見張りがつき、権三郎が、文五郎の居場所を発見して急襲しようとしていたところを、平蔵たちに捕縛されてしまう。盗賊改めたちが多数きたことで、文五郎は、自分をつかまえにきたのだと思い自害してしまう。しかし、死に際に、権三郎救出の理由を平蔵につげ、それを権三郎に問いただすと、金をくすめたからと思い込んでいたことを白状し、そのため隠していた金を平蔵たちに発見されてしまうのである。
 何重にも思い込みが介在している話だ。文五郎が権三郎を助けた理由を、権三郎は勘違いし、権三郎が文五郎を襲いにいったことを、盗みのためと、平蔵たちも勘違いし、そして、権三郎をとらえるために出動した平蔵たちを、自分をとらえにきたと勘違いした文五郎。平蔵は、そこに文五郎がいたことを知っていたら、別の方法をとったのに、と文五郎の自害を惜しんでいる。
 
 

投稿者: wakei

2020年3月まで文教大学人間科学部の教授でした。 以降は自由な教育研究者です。専門は教育学、とくにヨーロッパの学校制度の研究を行っています。

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