高い目標をもつこと(大谷とエル・システマ)

 今日は、普段雑多に考えていることについて書く。
 大谷翔平は、誰にも大きな驚きを与える存在だが、私が最も驚くのは、生活のすべてを野球の向上のために使い、常識的な付き合いすら断ってしまうほどの、ストイックさである。日ハムの新人としてはいったときに、先輩の食事の誘いを断ったとか、それは今年ヌートバーと再開して、食事に誘われたときにも、「寝るから」といって断ったというように、一貫した姿勢であり、ニューヨークで試合のためにいっても、まったく街にでないので、街の印象もないという徹底ぶりだ。それだけではなく、食事も、完全に野球のためのものにして、定期的に血液検査をし、それに基づいて栄養を考えるのだそうだ。味はほとんど気にしないとか。練習方法も、おそらく専門のスタッフがいるのだろうが、二刀流の実現するための必要なトレーニングを開発し、無駄なことはしないのだそうだ。

 では、何故そこまで、徹底した管理が可能なのだろうか。ほとんどのスポーツ選手、一流選手であっても、目標があり、それが達成すれば、次の目標の喪失による緩みに襲われるのではないだろうか。ホームラン打者であれば、ホームラン王になる。それでも不十分と感じるのであれば、三冠王になる。日本人では、三冠王を複数回とったのは、王と落合だけだ。王や落合は、三冠王をとったあと、目標としては、再度の三冠王という目標をたてたのだろうか。しかし、それ以上の目標はたてようがないに違いない。王には長嶋というライバルがいた。
 投手の場合は、最多勝や防御率、沢村賞(サイ・ヤング賞)、そして、その同時受賞をとることがあるのだろう。
 ただ、それは過去に達成した人がいるし、トップ選手であれば、実現可能な目標だ。そして、それなりのトレーニング法を確立して、こなしていけばよいという意識があるだろう。
 
 しかし、大谷がめざしているのは、もっとずっと高い目標であるように思われる。小さいころから、誰もやったことがないことをやりなさい、と言われていたそうだが、それを今取り組んでいるといえる。極端にいえば、三冠王と主な投手の賞の総なめだ。もちろん、それは誰が考えても絶対に不可能だろう。実際に、大谷は、まだ大リーグでタイトルをとっていない。前人未到の記録(打者部門・投手部門の規定数クリア)とか、MVPなどはとっているが、ホームラン王や最多勝を獲得していない。だから、タイトル獲得だけでも、かなり高い目標になるが、打者、投手部門のタイトル同時獲得となると、とてつもなく高い目標だ。そのための努力は、どんなにつらくても、目標達成のためには、楽しくも感じられるのかも知れない。
 大谷のすごいところは、小さいころから、そうした努力を苦にしなくなるほどの高い目標をたててきたことだ。
 藤浪にはそれがなかったに違いない。同年齢のなかでは、とてつもなく秀でていたから、将来を見据えた高い目標を設定するという意識がなかったに違いない。中学生が、プロと一緒に試合をすることなどないのだから。
 
 ここで、話題はまったく変わるが、エル・システマというベネズエラの青少年のオーケストラ運動がある。経済的に大分苦しくなっているので、現在どうなっているのかはわからないが、2010年代くらいまでは、全国的に盛んだった。一度中高生レベルのオーケストラの来日公演を聴きにいったことがあるが、あまりの見事さにびっくりした。大人のプロオケと比べても、まったく遜色ない感じだった。しかも、曲がリヒャルト・シュトラウスなのだから、その実力がわかるだろう。
 私がエル・システマに関心をもったのは、子どものオーケストラ運動が、犯罪から守るために行われていることを知ったからだった。以前から、クラシック音楽の領域で、楽器演奏をしている人には、犯罪者が少ないという事実に興味をもっていた。教師や警察官など、犯罪と無縁であるべき職業でも、犯罪を犯して罰を受ける人は、少なくない。しかし、プロのピアニストとか、バイリオン奏者が、犯罪で捕まったというニュースは、ほとんどみられない。それには、理由があると思っている。
・クラシックの楽器演奏は、徹底した自己管理が必要だということ。クラシックの曲というのは、演奏難易度は通常極めて高いものだ。それをきちんと弾きこなすためには、高い技術が必要で、そうした技術を身につけるためには、かなりの練習を必要とするし、日々の努力も不可欠である。だから、自分を律することが重要な要素になっている。そして、自分勝手な解釈は容認さない。
・クラシックの演奏で取り上げる曲は、ほとんどが、歴史に残る大天才が作ったもので、そうした天才に近づける人は、ほとんどいない。そして、そういう天才の作品を日々努力して演奏しているから、傲慢になることが少ない。そういう人もいるだろうが。
 つまり、このふたつの要素で、クラシック音楽の楽器演奏をしている人は、自分をコントロールすることを学び、また畏敬の念を強くもっているのである。こうした点は、犯罪に、人を近づけない力になると、私は思うのである。
 エル・システマでは、そういう活動を小さいころから行う。犯罪から守るというのは、上に書いたようなことではなく、ベネズエラは犯罪社会なので、街を歩いているだけで、流れ弾にあたったり、誘拐されたりする。それを防ぐために、学校から帰ったら、すぐ親が練習場に子どもをつれていき、4,5時間後に迎えにいけば、街での危険性から遠ざけることができるというものだが、オーケストラで演奏し続けることで、やはり、自己統制ができるようになるのだと思う。
 実際に、刑務所や少年院で、エルシステマ活動が行われており、参加した者の再犯率が低いことがわかっている。
 
 大谷とエルシステマの共通点はなにか。それは、小さいころから、とてつもなく高い目標があり、その実現のために日々練習してきたし、しているということだ。子どもにとって、ベートーヴェンやブラームスの音楽を演奏することは、とてつもなく大変なことなのだ。うまく弾けるようになっても、もっともっとうまく弾ける人がいる。上達しても、さらに上の人がいて、ベートーヴェンの自分なりに満足できる演奏、というのは、また非常に高い目標だ。毎日、数十名のメンバーと一緒にやるので、練習にも耐えられるし、また、目標を高く維持できる。
 しかし、野球の場合、先述したように、どんなに強い少年チームでも、プロと試合をする機会はない。ただ見るだけだ。だから、どうしても、同じ年代の人のなかでの自己評価になってしまう。「俺はすごい」という自己満足に囚われない者は少ないに違いない。藤浪のような選手のほうが多いはずである。
 それを考えれば、大谷が小さいころから、遠い将来の高い目標をたて、まわりの安易な姿勢に同調せず、すべてをその目標達成のために使うという生活を、ずっと維持していることは、本当にすごいことだ。

投稿者: wakei

2020年3月まで文教大学人間科学部の教授でした。 以降は自由な教育研究者です。専門は教育学、とくにヨーロッパの学校制度の研究を行っています。

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