4人目は、馬蕗の利平治だ。
利平治は、髙窓の久兵衛という頭の専属の嘗役(なめやく)盗賊だった。嘗役というのは、各地をあるいて盗みの対象になりそうな商家をみつけ、内部の情報を調査して、盗賊にその情報を売りつける盗賊の一種である。本当にそういうひとたちがいたかどうかはわからないが、「鬼平犯科帳」のなかには、たくさんの嘗役が登場し、ほとんどはフリーランスで、複数の盗賊に売っている。だが、この利平治は専属嘗役で、頭に気に入られ、また、頭に絶対的に忠誠だった。しかし、久兵衛が死んだあと、仲間割れがおき、一部が利平治がどこかに隠しているノートを奪う目的で、一緒に旅をしている。利平治は、実はノートを狙われていることがわかっているので、なんとか逃れたいと思っている。しかし、利平治を殺したらノートが手に入らないので、ずっと付きまとっているわけだ。そして、そのとき、丁度熱海に家族や密偵何人かと湯治にきていた平蔵と遭遇し、知り合いの彦十が仲をとりもって、平蔵が護衛をかってでることになる。利平治は、堅気になろうとしている久兵衛の息子に会うために江戸にいくつもりなのだが、息子も何人かの久兵衛の手下に狙われている。平蔵が結局彼らを成敗して、利平治に身分を明かして、放してやるのだが、やがて利平治は自ら出頭し、息子をとらえないという条件で、自分が自首し、ノートを平蔵に渡す。そして、平蔵の説得で、密偵になるのである。「熱海の宝物」という利平治登場の章だ。
密偵になって、利平治が活躍する話がふたつあるのだが、いずれも、大きなミスの結果として、死者が出てしまう。しかも、最初のミスは平蔵自身であり、次のミスは利平治で、その結果利平治は残忍な方法で殺害されてしまう。
凶悪な盗賊火間虫(ひまむし)の虎次郎から助っ人の斡旋を依頼された、虎次郎の凶悪さが嫌いな、口合人(くちあいにん)の鷹田の平十は、困っているときに、偶然利平治と遭遇し、利平治が適当な人材がいると、助け船をだす。口合人とは、盗賊の頭とフリーランスの盗賊の間にたって、臨時の助っ人を世話する盗賊である。利平治は、密偵になっているので、早速平蔵に報告すると、その助っ人を自分がやると、平蔵がいいだし、「殿さま栄五郎」を名乗ることにする。殿さま栄五郎とは、有名な盗賊の片腕だったが、頭が死んだために、消息が知られずにいた存在だったので、平蔵が「成り済ます」ことにしたのである。ところが、虎次郎一味のなかに、実際の栄五郎を知っている人物がいて、偽物だと見破られてしまい、世話をした平十が捕まって拷問にかけられる。「あれは誰だ、何故偽物を紹介した」と責められる。平十が連れ去られたので、見破られた可能性を理解して、平蔵は、ただちに、虎次郎を捕縛にかかり、平十も瀕死の状態で救い出すのだが、自分も逮捕されたし、利平治も逮捕されているに違いないと悲観した平十は、舟で運ばれているときに、助けてやるつもりで縄を平蔵が解かせるのだが、そのまま、舟から川に飛び込んで死んでしまうのである。
この話は、何故こんな筋にしたのか、まったく不可解な一遍で、そもそも、実在の盗賊の名前を語れば、盗賊の一味で知る者がいる可能性は十分にあるのだから、なんとも、危険なやり方だし、利点がまったくない。名前を適当に創作しておけば、こんなことにはならずに、スムーズに全員捕縛が可能だったはずであるが、要は、平蔵の遊び心であり、周囲も、平蔵は本物の殿さまなのだから、異議をとなえられない。平蔵自身が、無頼者を装って盗賊の一味になりすますことは、何度もあるが、名前はいつも適当につけている。
そして、次は利平治自身の大ミスだ。
江戸で盗みをするために滞在していた妙義の団右衛門と、ばったりあった利平治は、団右衛門から手伝ってくれと頼まれ承知する。いろいろと話したあと、再会を約束して分かれるが、その際「お熊」の店にいると告げる。しかし、利平治は直接、火付盗賊改の役宅に出向いてしまい、念のために跡をつけさせていた手下に、密偵であることを知られてしまう。平蔵は、念のため、どこに居住していると告げたかと聞くが、お熊のところと聞いて、安心してしまう。そして、その後、団右衛門は、実際には盗みを諦めるが、平蔵を騙すため、計画が進展しているように見せかけ、最終盤で利平治を殺害して、逃げてしまう。とらえるために出向いた平蔵たちは、騙されたことを知り、利平治の死体を発見することになる。
団右衛門は無類の女好きであることを、利平治にしゃべってしまっていたために、平蔵は相手をした女に再度会いに来ることを見越して、見張っており、最終的に団右衛門を捕らえるのだが、利平治を失ったことは大きかったはずだ。
それにしても、盗賊の頭と話したあと、直接役宅に行ってしまう利平治の能天気さと、もしかしたらつけられているかも知れない、という可能性を寸毫も考えない平蔵のミス。しかも、利平治に団右衛門が語ったことを聞いて、初めて平蔵も知ったのだが、役宅内に団右衛門の手下が入り込んでいたのだ。そこまで知れば、利平治があとをつけられていた可能性くらい、考えそうなものなのだが。「鬼平犯科帳」が始まった当初は、密偵は、けっして役宅になどこないで、与力とか平蔵が落ち合う場所にでかけていた。それが次第に、緩くなり、普通に役宅に出入りするように書かれる。
何人かの盗賊は、役宅の前に陣取って、出入りする人物を観察しているために、平蔵や部下の顔を知っているのである。当然、以前盗賊だった密偵たちを見かけたら、すぐにわかってしまう。そうした細々としたことを、いちいち書くのが、作者は面倒になったのか、などと思ってしまう。
それとも、油断は禁物ということを、改めて強調したかったのだろうか。