北朝鮮による拉致被害者に関する生方発言

  10月11日の産経新聞に、立憲民主党生方議員が、北朝鮮に拉致された人は、誰も生存していないという発言をして、拉致被害者家族会と支援組織が抗議をしたという記事がだされた。
 要点は以下の通り。
 
 生方議員が9月に千葉県松戸市で行なったかいごうで、「日本から連れ去られた被害者というのはもう生きている人はいない」と発言した。横田めぐみさんが生きているとは、自民党議員も含めて誰も思っていない。めぐみさんの遺骨とされたものを、日本政府はDNA鑑定で偽物としたが、当時はそういう技術力はなかった。
 死亡の根拠は、生きていたら当然帰す。生きていたら何かに使うはずだが、一度も使ったことがない。

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小室圭氏を支える黒幕?

 小室圭氏と真子内親王の結婚が本決まりになり、圭氏の母親が詐欺の疑いで刑事告発されるなど、まだまだ騒がしい状況が続いている。そのなかで、にわかに議論になっているのが、小室圭氏を支える黒幕の存在である。
 もちろん、小室氏がニューヨークにいって、フォーダム大学の大学院に入学して、3年間を過ごしたことをみれば、財政的な援助をしている人がいることは間違いない。それが誰かは明らかではないのだから、黒幕というのもあながち不適切とは言えない。留学前に勤めていた法律事務所が生活費を支給しているという話もあるが、これは、ほとんど信じるに足りない。留学に際して、弁護士資格を取得後は、アメリカで生活することは、ほぼ確実なこととして公言してきたのだから、日本の法律事務所が生活費まで面倒みるはずがない。もし、みるとしたら、法律事務所が正規の留学生として送った場合だろうが、小室氏の場合は、事務員だったわけだから、そんなエリート扱いするはずがないのだ。

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メンゲルベルクのこと

 徳岡直樹氏のyoutubeで、メンゲルベルクを扱っていたので、興味深く聞いた。メンゲルベルクは、戦前のオランダの指揮者で、コンセルトヘボー管弦楽団を50年間指揮し、世界のトップオケに育て上げた偉大な指揮者だ。しかし、ナチスに占領されたオランダで、ナチスに協力したということで、戦後演奏活動を禁止され、その後解禁されたが、演奏再開の直前に亡くなった。20世紀前半の偉大な指揮者として、フルトヴェングラー、トスカニーニ、ワルターをあげることが多い。ここにメンゲルベルクを加えるのが妥当だろうが、なにしろLPが発明される前に演奏活動を終えてしまったので、録音を通して知ることが多い戦前の指揮者としては、メンゲルベルクは非常に不利であるし、フルトヴェングラーやカラヤンは2年の禁止期間だけだったが、メンゲルベルクは6年も禁止されていたのが、不幸だった。
 私がメンゲルベルクを聴いたのは、チャイコフスキーの悲愴だけだが、ずっと関心はあった。そこで、徳岡氏によって、情報を与えられたので、少し考えてみたいと思ったわけだ。

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鬼平犯科帳 密偵たちの誕生とその後

 鬼平犯科帳の魅力のひとつは、たくさん登場する密偵たちの活動である。平蔵直属の、日常的に密偵として活躍する中心的密偵(彦十、おまさ、五郎蔵、粂八、伊三次)とは別に、あるときだけ活動する密偵たちも多数でてくる。そんな密偵たちを紹介しておこう。「鬼平犯科帳」に登場する盗賊改めの密偵は、すべて元盗賊である。町奉行所の同心についている岡っ引きは、必ずしもそうではないし、また、密偵でもない。むしろ、おおっぴらに活動している。しかし、盗賊改めの密偵たちは、元盗賊であるために、昔の仲間に見つかったら、報復され、命があぶない。実際に、密偵になりたてのおまさは、昔の仲間に密偵になっていることを見破られ、拉致されてしまう。あやういところを平蔵に助けられるわけだが、元盗賊だということは、仲間を裏切ったことになり、そこに非常に屈折した感情が入りこむことになる。密偵として、盗賊の捕縛に協力するわけだが、見逃したい相手もいる。とくに中心的な密偵たちは、たいてい、誰かしら、平蔵に昔の仲間の助命を願い出ていて、それを平蔵は聞き入れる。そういう機微が、密偵たちの活動に深みを与えているのである。

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親ガチャ問題を考える2

 では、親ガチャ問題はどうしたらいいのだろうか。結論的には、個々の状況によって、異なるのだから、一般的な解決法があるとは思えないが、個人的には、やはり、気持ちを変えること、そして、社会的な制度としては、個人の多様性を許容するシステムにしていくことだろう。
 私自身は、親から「ああせい、こうせい」などということは、全く言われず、また自分自身として、親の意向に添う生き方をしようなどとは、微塵も考えずに成長した。つまり、やりたいようにやってきたということだ。しかし、私の親、特に父親は、まさしく親ガチャ的苦しみのなかで、苦闘してきたといえる。戦前の話だが、けっこう優秀だったので、担任の教師がわざわざ家まできて、中学に進ませてやりなさいと、親を説得したが、極貧だったために、親が頑として聞かず、結局、義務教育だけで終了、家をでて、働きにでたが、幸いにも、前回書いた官庁設立の学校を受験して合格、中間管理職になる道筋を、自分で立てることができた。しかし、親への共感度はまったくなく、戦後結婚してから、里帰りは親が無くなった葬式のときだけだった。だから、今生きていれば、親ガチャ論議には、ずいぶん関心をもったに違いない。ただし、そういう父も、結局は、自分なりの人生を掴んだといえる。それは、おそらく、家を飛び出したからこそ、可能性が開けたといえる。

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親ガチャ問題を考える1

 今日(10月6日)の羽鳥モーニングショーで、親ガチャ問題を扱っていた。最近よく聞く言葉だ。子どもの人生が、親によって左右され、個人の努力によって変えられないという意味らしい。その程度が強まっていて、それが格差社会を助長しているというわけだ。モーニングショーでは、その典型的な表れとして、東大生の家庭の知的、経済的優越性を例としていた。結局、勉強好きにするような家庭の雰囲気、そして、小学生の中学年から始まる塾での競争を可能にする経済力、そうした要素がないと、子どもが東大に合格しにくくなっている。だから、そういう要素を欠いた家庭に生まれた子どもは、どうしようもないのだ、という番組の主張だった。
 しかし、こうした見方には注意しなければならない。社会の変化をどの程度のスパンで見るかに、大きく影響されるからだ。
 第一に、時代的な流れを見る必要がある。
 ほんの150余年前までは、日本は封建身分社会であり、武士とその他の身分では、生まれによって、大きな違いがあった。武士のなかでも、大名に生まれるのと、幕府の御家人に生まれるのとでも、相当な影響の差が出ただろう。もちろん、そういうなかでも、個人の努力の余地がなかったわけではない。福沢諭吉のように、貧しい下級武士に生まれても、世の中の激動を生き抜いて、歴史に名を残す偉業をなし遂げた人物もいる。

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戸籍上の性別変更について考える

 多少古い記事だが、偶然MSNのポータルサイトに出てきたので、注目して読んだ。トランスジェンダーとして生きている「男性(元女性)」が、生殖除去手術をしなくても、戸籍の性別を変更できることを求めて、提訴したという記事である。https://www.at-s.com/news/article/shizuoka/930559.html
 現在は、同性婚が正式に認められていないので、戸籍の性別を変更することによって、結婚したいということのようだ。
 今年は、LGBT法案が与野党の合意に一端至ったが、結局、自民党保守派の反対で流れたということがあった。また、その前の3月には、札幌地裁で、同性婚を否定する民法は、違憲であるという判断もでている。https://www.huffingtonpost.jp/entry/story_jp_6051715cc5b6f2f91a2d567e
 この問題は複合的な要因が絡んでいる。

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白鵬の引退 相撲協会は民族差別をやめるべき

 白鵬が引退した。もう少し続けること思ったが、今から考えれば、もうずっと前に引退してもおかしくないような怪我だった。前にも書いたことがあるが、引退という契機に、再度書いてみたい。
 白鵬が引退に際して、今後、行動を慎むことの誓約書を求めたと報道されている。ここまでやるか、という寒々しい気持ちになった。白鵬が親方になったら、霞んでしまうような現在の親方たちが、自分たちの地位を守ろうと必死になっているような感じすらする。何故、ここまで彼等は白鵬を嫌うのだろうか。そして、それはどういう意味をもつのだろうか。
 私は、別に相撲ファンでもないが、この問題の背景にあることについては、無関心ではいられない。
 これまでは、明確には書かなかったが、相撲協会や、よき伝統に固執する相撲ファンたちの、白鵬への対応は、「民族差別」そのものである。白鵬は弱い存在ではないから、そうした差別をはねのけているが、それがますます差別意識を強めている。

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小室氏結婚問題(一月万冊批判)

 一昨日は、政治的システムの天皇制について、小室-真子結婚後に起きる事態について考えてみた。今回は、今騒動になっていることについて、トピック的に整理してみたい。
 私がけっこうフォローしている「一月万冊」で、普段政権に批判的な姿勢であるにもかかわらず、この結婚問題については、いかにも「理解派」のように語っていることに、少々驚きを感じている。私のスタンスは、個人の結婚問題などはどうでもいいが、皇室利用、天皇利用については、敏感であるべきだということだ。少なくとも、小室氏だけではなく、秋篠宮、そして、彼らを利用しようとしている勢力が、この結婚を契機に、自分たちに都合のよい皇室システムを作り上げようとしていることが問題なのである。小室氏は、そのための非常に都合のよい駒なのだ。そして、自分も最大限に皇室利用をしている。そして、そこに費やされている費用は、ほとんど税金である。こういうことについて、一月万冊の人たちは、まったく気にしていないように感じる。単に、二人の若い人が結婚のために努力しているのに、様々な中傷しているというレベルでのとらえ方だ。そして、メディアが、そういう中傷の先頭をきっているかのように受け取っているらしい。しかし、メディアをずっとみていれば、大手メディアは、ほとんどが皇室批判や、この結婚への異議申し立てなどはしておらず、好意的に報道してきたし、今回の結婚決定で、いよいよその姿勢は明瞭になっている。羽鳥モーニングショーの玉川氏のスタンスをみれば、それははっきりわかる。あれほど、権力に批判的な玉川氏が、この結婚問題については、一貫して、ふたりを高く評価している。もちろん、個々の人をどう評価しようと、それは各人の自由だが、この結婚が、そういう二人の問題ではないということを見逃しているとしたら、それは不見識といわれても仕方ないだすろう。

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教師への超過勤務手当て不支給を違法ではないが、実情にあわないとした判決

 埼玉県の教師が、教師の超過勤務に残業手当を出さないのは違法であると訴えた訴訟に対する地裁の判決が出た。形式的には、原告の敗訴であるが、実質的にはかなり勝訴に近いといえる。
 現在、教師に対しては、勤務時間外に命じることができる勤務内容を限定している。そして、その時間外勤務に対しては、超過勤務手当てを支給しないかわりに、4%の特別手当てを支給する体制になっている。しかし、実態は、限定された内容以外に、非常に多くの時間外勤務が行なわれ、事実上強制されている。それは違法ではないか、というのが、提訴の理由である。多くの教職員から支持が寄せられ、私も確か応援メールをだした記憶がある。
 判決は、教職員給与特別措置法(教特法)によって決まっており、違法ではないと結論付けた。法解釈の大原則として、一般法に対する特別法の優位というのがあり、労働基準法よりは、教特法が特別法であるから、法解釈上は、教特法に従って判決をせざるをえない。だから違法ではないとしたのである。

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