戸籍上の性別変更について考える

 多少古い記事だが、偶然MSNのポータルサイトに出てきたので、注目して読んだ。トランスジェンダーとして生きている「男性(元女性)」が、生殖除去手術をしなくても、戸籍の性別を変更できることを求めて、提訴したという記事である。https://www.at-s.com/news/article/shizuoka/930559.html
 現在は、同性婚が正式に認められていないので、戸籍の性別を変更することによって、結婚したいということのようだ。
 今年は、LGBT法案が与野党の合意に一端至ったが、結局、自民党保守派の反対で流れたということがあった。また、その前の3月には、札幌地裁で、同性婚を否定する民法は、違憲であるという判断もでている。https://www.huffingtonpost.jp/entry/story_jp_6051715cc5b6f2f91a2d567e
 この問題は複合的な要因が絡んでいる。

 周知のように、以前、性の問題は、女性差別というように、ひとつの概念で括られていたが、いまでは、生物的な性、ジェンダー(社会的な性に関わること)、セクシュアリティ(性的志向)の3つの概念にわけて考えられている。
 いずれも、私の基本的立場は、性・ジェンダー、セクシュアリティによる差別は禁止すべきであるということだ。つまり、そうしたことを理由に、意に反して、不利益な扱いをしてはならない。しかし、差別的な扱いをしてはならないのであって、だから何でも当人の意志に添うべきであるとはいえない。
 今回の、生殖除去手術をしなくても、戸籍上の性別変更を認めよということには、原則的には、賛成できないのである。
 そもそも、戸籍上の性別とは何だろうか。
 戸籍は夫婦とその子どもの、国家的に正式な原簿である。そして、戸籍法49条には、子どもが出生したとき、届け出て戸籍が新たになるわけだが、「男女の別」を記入することになっている。この場合の「男女」というのは、3つの性概念のどれか。詳細な議論を、私はフォローしていないが、常識的に「生物的な性」のことだと解釈できるだろう。
 戸籍の通常(子どもの結婚)以外の変更は、かなり煩雑な条件が付与されている。つまり、出生時に届けられた内容は、変更しないことが大原則なのである。
 では、性別の変更の条件はどうなっているか。これには、6つの条件が規定されている。
* 2人以上の医師により性同一性障害であると診断されている
* 20歳以上である
* 現に婚姻をしていない
* 現に未成年の子どもがいない
* 生殖腺がない又は生殖腺の機能を永続的に欠く状態にある
* 他の性別の性器の部分に近似する外観を備えている
 最後のふたつが生殖器除去手術が必要となることを意味している。しかし、この条件は、そもそも非常におかしな規定である。というのは、生殖器が除去されれば、性が変わるというのは、生物学的には、完全に間違っている。
 「男性」とは、精子の製造能力がある、つまり、そのための器官が存在していることである。「女性」とは、卵子をもち、胎児を育てる子宮をもっていることである。もちろん、妊娠過程で、そうした通常の器官をもたずに生まれてくる人もいる。そうした人も、戸籍上は、どちらかに分類してきたと思われる。
 今ある生殖器を除去したからといって、別の生殖器をもつわけではないから、生物的な性が変わるわけではない。
 従って、生殖器除去手術をすることによって、戸籍の性別を変更するという「条件」そのものが、おかしいといわざるをえない。戸籍の性別変更のために、手術を受けるとしたら、それは強制されたもので、意に添うものではないだろう。明らかに差別である。
 では、その2つの条件を除去すべきなのか。私の考えでは、否である。そもそも、戸籍の性別変更を認めること自体がおかしなだ。もちろん、それは、現時点の戸籍の性別が、生物的な性であることを前提にしている。もし、性的自覚で自由に変更できるなら、戸籍から、性別の欄そのものを廃止する必要がある。そうしたほうがよい。
 私は、生物的な性別の記録には、意味がないとは思わないので、戸籍上の性別は、現在の医学が、生物的性の変更を可能にしているわけではない以上、変更不可にすべきである。
 では、結婚を望む人の意志はどうなるのか。それは、単純で、同性婚を認めればよい。あるいは、パートナーという概念をつくって、生活をともにする同居人は性に関わらない形で、結婚と同等の法的扱いにする。札幌地裁で既に、同性婚を認めないことが違憲だという判決が出ているのだから、方向性は明確になっている。
 結婚は、社会的な制度であって、生物的な現象として出産が多くの場合伴うが、子どもをもたない夫婦も存在する。しかし、それでも結婚としては同等である。社会的な制度である以上、生物的な性に規制される必要はない。そして、同性婚が認められれば、戸籍の変更も必要なくなる。
 そもそも肉体を手術で改造することを、国家が国民に求めること自体がまったくおかしなことだ。そうした手術を行なうことは、個人の好みの領域にする。性同一性障害の人でも、生殖器の除去まで望む人と、望まない人がいるだろう。それは、個々人の判断で自由にすればよい。
 多少話題が転換するが、私は、生殖器除去手術への保険適用には疑問をもっている。現在は、戸籍変更の条件になっているから、仕方ない面もあるが、条件が撤廃され、同性婚が認められれば、保険適用も撤廃すべきであろう。性同一性障害は、少なくとも生物学的な意味での病気ではない。障害の名前で呼びうるとしたら、それは社会関係によって生じる問題である。
 以上のことで、戸籍変更と生殖器除去手術の問題については、理論的には解決することができるはずである。
 ちなみに、私は戸籍そのものを廃止すべきであるという立場なので、あくまでも戸籍を前提にした場合の議論をした。
 戸籍に、何か有効な意味があるのだろうか。私には、単に事務手続きを煩雑にする以外の効果を認められない。

投稿者: wakei

2020年3月まで文教大学人間科学部の教授でした。 以降は自由な教育研究者です。専門は教育学、とくにヨーロッパの学校制度の研究を行っています。

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