東京・福岡でコロナ関連で罰則付き義務化?

 新型コロナウィルス対策として、都道府県単位で罰則付きの措置をとろうという動きがある。欧米などの罰則付き措置が、日本でとれないために、対策がとりにくいということは、従来から言われていたが、他方で、罰則なしでも、国民の自発的努力で欧米以上の効果をあげているから不要だという見解もある。菅内閣は、新型コロナウィルス対策が最大急務であるといいながら、経済活性化のための政策を重視して、コロナ対策は、ほとんどスルーしている感じだから、結局地方がやらねばならないという機運になっているのだろうか。
 最初の動きは、東京だった。
 まず10月段階では、陽性が判明したあとに外出して、他人に感染させた場合には、罰金を科すという案が検討されていた。現在は、陽性になっても強制的な入院などはなく、むしろ、家庭での待機が奨励されているから、行動の規制はほとんどできない。買い物にはいく必要があるだろうから、外出を全面的に禁止することもできない。それをするためには、ホテルや研修所などに収容するしかないだろう。春先に、陽性となった男性が、繁華街に出て、店に入り、「俺はコロナだ」と叫んで回ったという事件があった。ただし、この事例とは、異なる。以下記事を引用しよう。

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バーンスタインのベートーヴェン交響曲全集の映像

 バーンスタインの演奏は普段あまり聴かないのだが、ベートーヴェンの交響曲を聴きなおしてみようと思って、数日かけて全部聴いた。ウィーンフィルとの映像バージョンだ。演奏については、今更言う必要がない、優れたものだ。ベートーヴェンの演奏は、特別なしかけをする必要はなく、楽譜の通りに演奏すれば、確実に効果があがるものなのだが、そういう安心できる演奏だ。演奏は1977年から79年の間に行われたもので、会場は、5番と9番がウィーン・コンツェルト・ハウスで、残りはムジーク・フェラインである。
 ベートーヴェンの交響曲は、すべて2管編成だが、映像でみると、オーケストラの編成が曲によって異なり、それだけでも指揮者の解釈が感じられる。通常、1番と2番はハイドンの影響が濃厚で、まだベートーヴェンらしさが確立されていおらず、3番の英雄に至って、ベートーヴェンとしての個性か確立すると言われている。しかし、バーンスタインは2番でベートーヴェンらしさは全開になると考えているように感じられた。というのは、1番は2管で演奏しているが、2番は完全な倍管になっていて、演奏もアタックの強いものになっている。編成で「おや?」と思ったのは、5番で、会場が広いコンツェルトハウスなのだが、とにかくたくさんの奏者が並んでいるのだ。5番はピッコロやコントラファゴットなどの、ベートーヴェンでは普段使われない楽器が加えられていることも影響しているのだろうが、弦楽器がやたらと多いのだ。カラヤンだって、これほど大きな編成で5番を演奏しただろうかと、思わせるほどだ。他の映像に比較して、そういうせいか音の凝集力がないように感じられた。録音のせいだと思うが。

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コロナワクチンへの疑問

 新型コロナウィルスに対するワクチンの開発が進み、効果が95%であることが確認された、などというニュースが注目されているが、通常のニュースやワイドショーなどをみている限りでは、どうもよく理解できない部分がある。つまり、有効率が95%というのは、どうやって確かめたのかということだ。そして、何故、日本の医師の多くが、ワクチン開発はかなりの年数がかかるのに、これらのワクチンはまだまだ本当に有効であるかはわからない、と解説するのか、そうしたことがよく理解できないのだ。ワクチンが有効だったということは、ワクチンを摂取した人が、新型コロナウィルスに感染したけれども、まったく発症しなかったという人の割合が95%で、発症した人が5%だったというように、常識的には受け取れる。

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Law & Order テロリストに対する拷問は適法か

 しばらく休んでいたが、アメリカのドラマ Law & Order 考察を復活させたい。Law & Order は本編だけでも20年続いたロングシリーズだが、多数のスピンオフがある。本編の第20シリーズは最終であることが決まっていたためか、相当意欲的に取り組んだようで、非常に傑作が多い。第一回は、いきなりイラク戦争における捕虜拷問がテーマになっている。
 導入は、ある女子大生が授業料を払えないから退学するといって、タクシーに乗るのを男性が追いかけて、自分が払うから辞めるな、もうすぐ大金が入ると告げるが、女性は去ってしまう。実は女性はその男性の妹で、兄のタナーは、イラク戦争に従軍していたが、拷問を行ったことで神経を病み、退役・帰国して、ドラッグの売人をしていたのだった。そして、そのタナーが大学の駐車場で死体となって発見される。警察が捜査に乗り出すと、タナーが退役軍人への手当てを支給するようにと、申請の援助を働きかけて、もめていた法学部の教授フランクリンの存在を突き止める。フランクリンの当初の言動が事実と合わないので、逮捕しようと方針をだしたところ、フランクリン自身が、正当防衛で殺害したことを認めて自首してくる。駐車場で付きまとわれて、危険を感じたので撃ったと主張する。起訴するかどうかを決める大陪審が開催されるが、不起訴が決定してしまう。

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優生思想を考える

 
 『教育』が「優生思想をこえる」という特集を組んだために、優生思想について改めて考えることになった。各論文については、個別に考察するが、優生思想を基本的にどう考えるかということを整理してみたいと考えた。
 『教育』12月号(2020年)の5ページに優生思想の定義が書かれている。
 「人間の存在と人格の全体性に対して、役に立つ、生産性の有無というごく限られた部分のみをもって価値を計ろうとするものであり、歴史的に侵されてきた負の遺産を引きずり、かつ現代社会が再生産しつつある思想である」
となっている。
 ところで、「優生思想」という言葉は、国語辞典や百科事典にはほとんど見出しにない。あるのは「優生学」である。だから、優生思想とは、優生学の立場を正しいと認め、それを社会的政策として進めようとする思想ということになるだろうか。『教育』の定義とは、異なることになる。『教育』の定義は、近年の保守的政治家や、やまゆり園事件を起こした植松聖の表明した考えかたをまとめたものというほうが適切だろう。

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ハーバード大学のアファマーティブ・アクションは合法とい判決

 アジア系の住民が起こしていたハーバード大学に対する、アファーマティブ・アクションをやめよという提訴に対して、連邦高裁が訴えを退け、ハーバード大学の措置は、公民権法等に違しないという判決を下した。これは、大分前から、アメリカ社会の大きな争点のひとつだったし、いまでも論争が続いている。アファーマティブ・アクションとは、公的機関が行う採用人事において、住民の民族構成の割合に沿うというものだ。私的企業などには義務付けられていないが、私立大学であるハーバード大学は、通常のアファーマティブ・アクションのように、割合を決めるというのではないが、民族構成を考慮する措置をとっているとされている。以前、NHKでハーバード大学の入試のやり方を、ドキュメントで放映していたが、日本の大学のように、点数順に並べて上から機械的に合格させるというのではなく、様々な要素を考慮して、個別に合格者を決めていくので、日本の採用試験でいえば、教員の「選考」に近いものだといえる。

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北海道の指導死事件の判決について

 11月13日に、2013年3月に起きた「指導死」によるとされた自殺に関して、保護者が提訴した裁判の判決があった。かなり考察が難しい事例であるが、避けて通れないので、じっくりと可能な資料を読んでみた。たくさんの文書がネット上にあるが、かなり事実認定が錯綜しており、何が事実だったのかがよく理解できない。そこで、地裁の判決文で確認することにした。13日にだされたのは、高裁判決だが、まだ公開されていない。基本的に地裁判決を支持した内容とされているので、事実認定は地裁判決でよいだろう。
 事件の推移をみて、まず感じるのは、私自分が当事者である部活の指導者だったと仮定しても、どうしていいか分からないという思いになっただろうことだ。簡単に事実を整理すると、Xは、中学から吹奏楽をしており、高校でも吹奏楽の盛んな高校に入学して、吹奏楽部に入った。(ところで、面白いのは、吹奏楽部とはいわず、吹奏楽局と呼んでいるのだそうだ。そういう呼び方は初めて接した。ここでは一般的に部としておきたい。)
 Xは、入部したあと、意欲的に活動していたと思われるが、2学期くらいから、様々な困難にぶつかったようだ。ひとつは、病気である。小学校5年のころから心臓に持病をもっており、練習中に倒れて救急搬送されたり、顧問に車で送ってもらったりしたことがあったという。また、年末に腎臓の疾患で入院手術をした。それ以後、自分の健康にかなりの不安をもったようだ。

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トランプはアメリカ・ファーストではない トランプ・ファーストだ

 トランプの悪あがきがまだ続いている。盛んに不正が行われたという発信を続いているようだが、そのほとんどが根拠が全くないと言われている。ところが、日本でも、ヤフコメなどをみると、トランプ陣営が流すデマを信じきったような書き込みがたくさんみられる。フジテレビの「上席」解説委員である平井文夫氏などすら、意図的としかいいようがないジュリアーニ元ニューヨーク市長のデマをそのまま流したらしい。(朝日新聞2020.11.12)少し考えれば、まるでおかしなデマが多数みられる。
 例えば、ある州では、有権者登録が住民総数よりもずっと多く、しかも、そのなかには死亡者が多数含まれていた。だから、民主党が不正投票をした、というのがある。有権者登録名簿や住民総数をきちんと把握しての発信とは、到底思えないということはさておき、有権者登録のなかに死亡者がいることは、ありうるだろう。州によって違うようだが、有権者登録は多くが一端すれば、そのまま有効なのだそうだ。引っ越しや死亡で、抹消する手続をする必要があるだろうが、それをしないまま放置されることもあるだろう。孤独死すれば、だれも抹消手続をしないかも知れない。しかし、死亡者が名簿にあるからといって、死者が選挙にいくわけではない。死者が名簿にあることを知り、その死者を装って投票するには、当然本人確認をパスしなければならない。かなり困難なはずである。そして、それが稀に可能であったとしても、民主党支持者だけがやるとも思えない。常識的に考えれば、世論調査で常に不利であったトランプ陣営のほうが、あせりがあるはずである。もちろん、共和党支持者が不正をしたなどというつもりはないが、不正があったとしても、それは双方にありうるのであって、ただちに民主党の票が不正だなどということにはならないのである。更に、アメリカには、住民登録制度が存在しないのだから、「住民数」と比較してなどということ自体が成立しないはずである。

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『教育』2020.12号を読む 佐藤広美「優生思想をこえる教育思想」

 『教育』という教育科学研究会の機関誌の巻頭論文が担う役割とは何だろうか。私は、『教育』の読者としては永いが、教科研に入会したばかりであり、そのようなことを述べるのは僣越かも知れない。しかし、ここ数年の『教育』を読み続けているが、どうしても、不満が残るのである。今月号の特集1は、やまゆり園事件の判決が出たことをきっかけにして、「優生思想」を克服することを目的としている。優生思想を論じるのではなく、克服するのだから、優生思想をもっている人たちに、優生思想の間違いを自覚させ、正しい思想的在り方を提示することが目的となるはずである。『教育』を熱心に読んでいる人のなかで、優生思想を信望している人がいるとは思えない。だから、優生思想は間違っている、事件を起こした植松の考えはおかしいと、繰り返し述べる必要はない。もちろん、確認のため必要だろうが、『教育』の読者が、優生思想の人たちと議論をして、間違いに気づいてもらうための「理論」を提示することがなければ、結局、同じ価値観をもつ人たちの「相槌」に留まるのではないか。それでは、「克服」することにならない。『教育』の読者で、植松に共感している人は、おそらくほぼ皆無だろうが、世の中には共感する人は少なくない。SNSには、植松の考えがわかるという表明が多数あるようだ。植松はトランプを信奉していたようだが、トランプの支持者はアメリカの半数近く存在するのだ。植松は何故、あのような考えをもつに至ったのか、そして、考えをもったことから実行に至る過程で何があったのか、植松に共感する人は、何故なのか、そして、彼等を変えるためには、どんな論理が有効なのか。それを提示することが、特集全体の課題でなければならないはずである。そして、巻頭論文は、そのための理論的課題の整理が必要だろう。それはなされているだろうか。

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鬼平犯科帳 昔の人は記憶力がよかった?

 鬼平犯科帳を読んでいて、特に感心することに、「記憶力」がある。とにかく、登場する人物の記憶力かよい。もちろん、小説だから作り事ということで済ませることもできるが、しかし、記憶というのは、様々な形態があって、時代とともに伸びるものもあるし、衰えるものもある。現代人は、多くの人が感じているのではないかと思うが、記憶力は落ちていると思われる。よくいわれるのが、昔は知人の電話番号などをいくつも覚えていたが、今は自分の番号すら忘れがちだ。私も実はそうだが、よく聞く話だ。口承文学は、人が覚えて伝えられたものだし、平家物語は、琵琶法師が暗唱していたものを吟唱したという。
 もちろん今でも、舞台俳優は、かなり長い台詞を覚えているわけだし、落語家も一人で50分近い話を語り続ける。しかし、そうした人は、覚えることが仕事であり、日常的な鍛練によって記憶力を鍛えているに違いない。
 ところが、鬼平犯科帳に登場する人たちは、記憶のスペシャリストというわけではない。それが非常な記憶力を発揮する場面が、たくさん出てくるのである。

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