北海道の指導死事件の判決について

 11月13日に、2013年3月に起きた「指導死」によるとされた自殺に関して、保護者が提訴した裁判の判決があった。かなり考察が難しい事例であるが、避けて通れないので、じっくりと可能な資料を読んでみた。たくさんの文書がネット上にあるが、かなり事実認定が錯綜しており、何が事実だったのかがよく理解できない。そこで、地裁の判決文で確認することにした。13日にだされたのは、高裁判決だが、まだ公開されていない。基本的に地裁判決を支持した内容とされているので、事実認定は地裁判決でよいだろう。
 事件の推移をみて、まず感じるのは、私自分が当事者である部活の指導者だったと仮定しても、どうしていいか分からないという思いになっただろうことだ。簡単に事実を整理すると、Xは、中学から吹奏楽をしており、高校でも吹奏楽の盛んな高校に入学して、吹奏楽部に入った。(ところで、面白いのは、吹奏楽部とはいわず、吹奏楽局と呼んでいるのだそうだ。そういう呼び方は初めて接した。ここでは一般的に部としておきたい。)
 Xは、入部したあと、意欲的に活動していたと思われるが、2学期くらいから、様々な困難にぶつかったようだ。ひとつは、病気である。小学校5年のころから心臓に持病をもっており、練習中に倒れて救急搬送されたり、顧問に車で送ってもらったりしたことがあったという。また、年末に腎臓の疾患で入院手術をした。それ以後、自分の健康にかなりの不安をもったようだ。

 部活については、やはり、2学期くらいから部員同士のトラブルが目立つようになり、Xは上から目線だと批判されることがあった。そして、学校、部活を休みがちになった。それでも、部員たちは励ましたり、一緒に初詣にでかけたりしている。
 3学期になると、休みがちであったり、健康不安も影響したと思われるが、部員との間のメールのやりとりと、同学年の男子部員に、プライベートなことを伝えて、それに対する顧問の注意等が継続していく。メールのやりとりは、かなり酷い表現が連なり、読むに耐えないものだ。何故、酷いメールのやりとりになったかという背景として、部の規則(顧問が決めたようだ)として、部員間の恋愛禁止という項目があり、Xは女子部員と性交渉をもったこと、先輩女子部員が援助交際をしているということを、ある部員伝えたために、それを聞いた部員が顧問に伝えたわけである。そこで顧問が注意することになり、この注意は何度か繰り返される。かなり酷いプライバシー侵害ともなる暴露であり、しかも、顧問に通報した部員に対して殺害予告なども含む、かなり激烈なメールのやりとりにてってしまう。
 判決文によると、2月末にあった期末試験を無断で欠席している。最初の試験日の前夜、勉強していないXに母親が注意したところ、Xは家を飛び出し、深夜まで帰宅しなかった。体調のこともあるだろうが、2学期あたりから、部活たけではなく、授業も欠席がちだった。
 母親が提訴した際に、もっとも重視したのは、自殺する前日(土曜日)、メールトラブルを受けて、2年生の女子部員4人を交えて、顧問がXにかなりきつく注意をしたことだった。その翌日、部活にでかけるといって家を出たが、部活動には出席せず、地下鉄で飛び込み自殺をしてしまった。その前に、部員に、注意されたことに対する納得できない感情や死ぬということをメールしていた。
 学校側は、直ちに部員に対するアンケートをし、その後全校生徒(1,2年。3年は既に卒業)にもアンケートをして、Xに対するいじめがなかったかを調査している。いじめがあった可能性を指摘した生徒全員を呼んで、詳しく話を聞いている。しかし、その後、全校生徒アンケートの内容は転記してあったものの、現物を廃棄してしまったことが、違法として責任を問われている。
 原告の訴えは、顧問が、Xに対して行った注意・指導は、教育的配慮を欠いたものであり、不適切であり、安全配慮義務に違反するものだった。Xの様子などから、自殺する可能性を予見できたのに、その対応を取らなかった、等の責任があるので、約八千万の損害賠償を求めたものである。
 判決は、アンケートの廃棄以外の原告の訴えは、すべて退けられているのである。以上では、分かりにくい整理かも知れないが、なかなか入り組んでいるので、詳しく知りたい人は、ぜひ、判決文を読んでほしい。https://www.courts.go.jp/app/files/hanrei_jp/689/088689_hanrei.pdf
 さて、考えねばならない点を検討していこう。
 このような事件の考察は、気が重いものだ。自殺した人は、最大の被害者であり、何らかの批判されるべき点があったとしても、それを明示するのは憚られる。しかし、判決文や様々な報告を見る限り、顧問の指導が自殺の主な要因であるとは思えないのである。前日の指導が引き金を引いたということはあったかも知れないが、自殺に至る理由は、それまでの様々な要因が複合したものであるように思われる。病気も大きなものだったろうし、部活の有り様が、自分のもつイメージと異なったいたことによる失望感もあったろう。そして、部員との対立、それに伴う顧問からの指導など、多くの原因があり、それらのひとつが決定打なのではなく、それらが重なって孤立感が深まったのだろう。病気のために成績も自信がもてず、それが期末試験の欠席となった。当然落第するか、退学せざるをえない。退学も一端決意したようだが、やはりそれは大きな喪失感をもたらすに違いない。
 裁判では自殺の予見可能性についても争われたが、部のなかで孤立する傾向はあったが、部への復帰は支持されたし、また、lineでの非難についても、それをたしなめる発言もかなりあった。部内でのいじめという傾向はなかったとされるので、教師が自殺を予見することは難しかったと思われる。
 そうすると、顧問の指導に問題があったかという検討も、自ずと大きな問題があったとはいえないと考えざるをえなくなる。私自身が、この部の顧問であったとしても、メールのやりとりのすさまじさを知れば、どのように対応するべきなのか、自信をもって対応できないと思う。そして、明らかに、殺害予告をメールで書いた側を、主に注意するだろうとも思う。むしろ、殺害予告を注意した指導が自殺を招いたと非難することのほうに、違和感を感じる。
 ただし、では、きちんと指導できないたのかといえば、やはり、そうもいえない。おそらく、高校の吹奏楽の顧問で指導をしていたわけだから、音大を出た音楽の専門家なのだろう。そして、指揮をしていたのだろう。オーケストラや吹奏楽の指揮者は、どうしても上から目線になりがちな面がある。特に、固定的な指揮者と楽団員の間ではそうなりやすい。(ちなみに、オーケストラの場合には、楽団側が指揮者を雇う形がほとんとなので、近年の指揮者は、かつて少なくなかった独裁的な人はほとんどいない。吹奏楽はコンクールや応援団として活動する、体育会的要素が強い面を考慮する必要がある。)そういう意味で、双方の意見をじっくり聞いて、互いの理解を深めるように指導するなどという、指導技術は十分ではなかったかも知れない。判決文を読む限り、顧問が、Xからじっくりと聞いたようには思われない。
 最後に、私はどうしても気になるのは、部活そのものと、部活の規則である。部内恋愛禁止などという、おかしな規則の存在である。おそらく顧問が一方的に押しつけたものだろう。守られているとしたら、逆に不自然に感じる。
 私自身の信念として、学校の部活は制度疲労した、時代後れのシステムであると思っている。Xが自分のイメージする吹奏楽の在り方と違うと感じても、疑問をもちながら続けるか、あるいは辞めるしかない。吹奏楽はみな同じだというのは、全くの誤解であり、どんな曲をするのか、コンクールに打ち込むのか、音楽そのものを楽しむのか、いろいろなスタイルがある。スポーツ系の部活も同様だ。同一部活は、学校にひとつしかない。従って、Xのような違和感は、部活には必然的につきまとうのである。自分に適した在り方を自由に選択できるようにすべきであり、それは部活ではなく、社会のなかのクラブに求める必要がある。また、部活だと、部活内の対立が学校生活全体に影響する。社会のクラブなら、そのなかで対立しても、学校生活にはあまり影響しないし、また、他のクラブに移ればよい。
 この事件は、部活そのものの検討に向かうべきことをも示している。
 
 
自殺の原因が指導にあるのか
 
指導は、不適切だったか
 
部活の在り方
 

投稿者: wakei

2020年3月まで文教大学人間科学部の教授でした。 以降は自由な教育研究者です。専門は教育学、とくにヨーロッパの学校制度の研究を行っています。

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