しばらく休んでいたが、アメリカのドラマ Law & Order 考察を復活させたい。Law & Order は本編だけでも20年続いたロングシリーズだが、多数のスピンオフがある。本編の第20シリーズは最終であることが決まっていたためか、相当意欲的に取り組んだようで、非常に傑作が多い。第一回は、いきなりイラク戦争における捕虜拷問がテーマになっている。
導入は、ある女子大生が授業料を払えないから退学するといって、タクシーに乗るのを男性が追いかけて、自分が払うから辞めるな、もうすぐ大金が入ると告げるが、女性は去ってしまう。実は女性はその男性の妹で、兄のタナーは、イラク戦争に従軍していたが、拷問を行ったことで神経を病み、退役・帰国して、ドラッグの売人をしていたのだった。そして、そのタナーが大学の駐車場で死体となって発見される。警察が捜査に乗り出すと、タナーが退役軍人への手当てを支給するようにと、申請の援助を働きかけて、もめていた法学部の教授フランクリンの存在を突き止める。フランクリンの当初の言動が事実と合わないので、逮捕しようと方針をだしたところ、フランクリン自身が、正当防衛で殺害したことを認めて自首してくる。駐車場で付きまとわれて、危険を感じたので撃ったと主張する。起訴するかどうかを決める大陪審が開催されるが、不起訴が決定してしまう。
フランクリンは、ブッシュ政権で、テロ対策を担当する部署にいて、テロリストから情報を引き出すために、どのようにすればよいかを提言する役割を担っていた。そして、彼のまとめた文書には、激しい拷問でも許されるとして、拷問の具体的なやり方が示されていた。それに則って、イラクのアブグレイブ刑務所などで拷問が行われたということになっていた。もちろん、この筋はドラマとしての設定だろうが、現実にイラクのイスラムテロリストとみられた者を収容するアブグレイブ刑務所では、本来許されない拷問が行われていることが暴露され、アメリカ社会で大きな話題となり、裁判にかけられて有罪判決を受けた兵隊が何人もでた。Law & Order は、この問題に切り込んだのである。
フランクリンを殺人罪で起訴することができなくなったマッコイ検事は、拷問を指示する文書そのものが犯罪であるとして、フランクリンを起訴する。もちろん、これは、フランクリン個人の問題ではすまず、政府の重要なメンバーも起訴の対象とするが、政府側から膨大な反論文書を積み重ねられて、フランクリン以外は、どうもあいまいに処理されている。そして、フランクリンの裁きが法廷で始まる。ドラマではあるが、法廷でのやりとりは、実に激しく、興味深いものがある。おそらく、日本人なら、第二次大戦中に行った、日本軍の連合軍兵士の捕虜に対する違法行為のことを思うだろう。捕虜の扱いに関する国際条約では、捕虜に対しては、紳士的な扱いをすることが決められているが、日本軍は確かにそれに反していた。場所の移動のために長距離を歩かせたり、満足な食事を与えなかったり、そして、最大の問題は、大規模工事に労働力として使ったというようなことが主な罪状となった。それに対して、アメリカが、イラク戦争で捕虜に対して行った「拷問」は、比較にならないくらいに酷い。その一部はネットに掲載されている。ただし、日本人が誇るわけにもいかないのは、アメリカは、内部告発があったということもあるが、政府としてそれを認め、実行者を裁いたが、日本では、自ら裁くことはなかった。
しかし、Law & Order が描いたのは、政府が、テロリストには、情報をとるためには何をしても許されるという姿勢を固辞したこと、可能な限り責任逃れをしたことである。そして、いかにテロリストであっても、拷問は許されないというドラマとしての主張が滲み出ている。
テロリストに対しては、いかなる拷問も許されるとする考えは、間違いであると、検察側の証人に語らせている。その証人によれば、拷問をすることは、かえってマイナスである。というのは、そうした拷問が、逆にテロに参加する人たちを増大させるからだと。アブグレイブ刑務所における拷問は、イスラム教徒に対する消すことのできない反感をもたらすようなやり方が取られた。裸にするとか、性的凌辱を加えるなどである。女性が性的凌辱を加えられ、釈放されたあと、家族に殺害された事例が複数あるとされる。「名誉殺人」といわれるものだ。
また、こうした拷問は、それを実行した兵士に対しても、大きな被害をもたらした。その象徴として、殺害されるタナーを登場させている。彼はずっとPTSDに苦しめられたという設定になっている。実際にそのような兵士が多数いただろう。
では、爆弾予告があって、それを迅速に確認しなければならない、そこに捕虜となっているテロリストがいる。どうしても彼から聞き出す必要がある、そういう場合には、拷問もありうるのではないか、とフランクリンの弁護人が、テロはマイナスだと証言した者に質問する。それに対して、彼は、そういう拷問をすると、逆に間違った情報などを口走る傾向があり、正確な情報をえられない危険性のほうが高いと述べる。
そうして、陪審員の票決が出て、それを読み上げる直前に、連邦高裁の事務官が法廷にはいってきて、連邦高裁が、このニューヨークの裁判を停止させる命令をだしたことを告げる文書を裁判長に手渡す。そして、票決は読み上げられることなく、その場で裁判が中止になってしまうのである。あまりにタイミングがよすぎるのは、いかにもドラマだが、ただ、マッコイ検事などの当事者がいないままに、連邦高裁が裁判をして、州裁判所の裁判の無効を決定するなどということがありうるのかは、あまり納得ができないが、政府内での政策を策定した人物が、刑事訴追されて有罪になるなどということは、さすがにドラマでもできなかったのかも知れない。
実際に起こっている捕虜の拷問に対して、世間の批判が集まっているとしても、テレビのドラマがこのように明確に、批判的に取り上げるというのは、やはりアメリカの民主主義と表現の自由の強さなのだろう。残念ながら、日本では、期待しても無駄かも知れない。