鬼平犯科帳を読んでいて、特に感心することに、「記憶力」がある。とにかく、登場する人物の記憶力かよい。もちろん、小説だから作り事ということで済ませることもできるが、しかし、記憶というのは、様々な形態があって、時代とともに伸びるものもあるし、衰えるものもある。現代人は、多くの人が感じているのではないかと思うが、記憶力は落ちていると思われる。よくいわれるのが、昔は知人の電話番号などをいくつも覚えていたが、今は自分の番号すら忘れがちだ。私も実はそうだが、よく聞く話だ。口承文学は、人が覚えて伝えられたものだし、平家物語は、琵琶法師が暗唱していたものを吟唱したという。
もちろん今でも、舞台俳優は、かなり長い台詞を覚えているわけだし、落語家も一人で50分近い話を語り続ける。しかし、そうした人は、覚えることが仕事であり、日常的な鍛練によって記憶力を鍛えているに違いない。
ところが、鬼平犯科帳に登場する人たちは、記憶のスペシャリストというわけではない。それが非常な記憶力を発揮する場面が、たくさん出てくるのである。
「むかしの女」に登場するお熊婆さんは、70歳である。3年前にお熊の経営する茶店前の弥勒寺の前で、行き倒れになった茂平に親切にしていた関係からか、茂平が突然苦しみだしたときに、お熊を呼んでもらう。そこで、茂平はお熊に、「千住大橋の手前の、小塚原町の東側に、畳屋の庄八という人が住んでいる」と言い、お熊はそれを繰り返す。そして、彼に、自分が死んだと伝えてくれと頼む。そして、そのあと、ためたお金をだして「神奈川宿の、塩売り牛松の家にいる、おみつという若い女へ、胴巻きの金をとどけてくれ」と頼む。すると直ぐにぎゃっと叫んで、苦しみ、そのまま死んでしまうのである。
翌日、お熊は、平蔵のところにやってきて、その旨を告げ、平蔵と数名の同心・密偵とともに、庄八のところにでかけていくということになり、また、その後事件になるのだが、事件解決後、神奈川にお金を渡しにいく。
たった一度聞いた内容を、翌日になってちゃんと正確に覚えているのだ。庄八のところに、茂平が死んだことを伝えたあと、庄八は盗賊で、その後弥勒寺が金持ちであることがわかって、盗みに入ろうとするのだが、最初から警戒していた長谷川平蔵に捕らえられる。そして、その後お熊は、神奈川にでかけ、おみつを探すのだが、どこかに引っ越していないので、そのまま戻ってくる。つまり、10日後になってもちゃんと覚えていて、そこにいける。たいした記憶力ではないか。もちろん、今の若者のように、手にサインペンでメモしたりしない。
昔の人は、読み書きができなかった人が多い。現代人は、忘れないように、メモする。そして、メモをみて、必要なことを確認する。そうすると、どうしても、聞いたことをしっかり覚えておく必要がないので、聞いたことの記憶がかなり衰えているのではないか。
こうした文章的な内容に関する記憶だけではなく、別の記憶領域でも、驚くような事例がたくさん出てくる。
「剣客」は、かつて御前試合で、松尾喜兵衛に負け、いまでは盗賊の仲間になっている石坂太四郎が、たまたま見かけた松尾を斬殺し、松尾の弟子で同心の沢田小平次が仇討ちをする話である。あわせて、平蔵がその盗賊一味を捕らえることにもなる。石坂の盗賊仲間の滝尻の定七をおまさが発見し、相模の彦十があとをつける。深川から千住大橋までつけていって、隠れ家を確認し、平蔵に告げる。翌日、木村忠吾とおまさが、舟をしたてて、その隠れ家の前を流れる隅田川で釣りをしながら見張ることになる。そこに実は石坂が隠れていた。前日、石坂が松尾を斬殺したあと、偶然平蔵と忠吾が近くを通りかかったときに、石坂の様子をみた平蔵が忠吾にあとをつけさせるのだが、忠吾はまかれてしまっていたのである。そこで更に翌日、沢田が松尾が殺されたときに着ていた服で、隠れ家前に舟でいって、石坂にその姿を見せることで、松尾宅に石坂をおびき出す。そして、見事仇討ちをするという話だ。彦十は、深川から千住大橋までつけていって、その場所を正確に平蔵に報告しているわけである。
似たような追跡尾行時の記憶では、「むかしの男」で、長谷川家の門番鶴蔵が、平蔵の養女を誘拐した一味の近藤勘四郎をつけるのだが、大塚、駒込、本郷、根津とまわり、そこで仲間と勘四郎が酒を飲むのだが、そのあと、巣鴨、王子へと歩んでいき、王子の一軒家に入ることを見届けて、駕籠で帰宅する。そのあと、同心数名と勘四郎たちを捕縛に向かうわけだ。
感心するのは、正確に記憶しているだけではなく、目標の隠れ家を突き止めたあと、そこにでかけていく「道筋」が異なる点である。彦十はもちろん歩いて尾行したが、翌日そこに向かった忠吾とおまさは舟である。鶴蔵が勘四郎をつけていった道筋と、そのあと、目白の平蔵の住居から王子にいった道は、当然全く重ならず異なる。だが、正確に目的地についている。これは、歩いた道筋と、周辺の地図がともに正確に記憶されているから可能だった。
次は顔の記憶だ。
「瓶割り小僧」は、作者の池波正太郎が最も気に入っていた5本の指に入る話だが、これも、盗賊石川の五兵衛を捕らえるきっかけが、記憶力に関わっている。
彦十と高萩の捨五郎が茶店で休んでいるとき、向こうから歩いてくる頭巾を被った男を、捨五郎が、石川の五兵衛だ、とちょっとみただけで見破る。正確に書かれていないが、おそらく数年以上前に、上方で一度紹介されて会っただけの関係だ。にもかかわらず、ひと目で看破する。
五兵衛が子どものころ、平蔵がたまたま見かけた光景を思い出して、この盗賊の正体を見破るのだ。五兵衛は、水瓶屋の前で遊んでいて追い払われるのだが、おれは水瓶を買いに来たといって、いこうとしない。店の主人は、持ちかえることができないはずだと考え、持って帰れるならと安い値段を言う。五兵衛は持って帰ることを保障して、買うのだが、その水瓶をこなごなに砕いて、破片をあとで少しずつもって帰るといって、立ち去ってしまう。店の主人の知り合いの侍が、五兵衛を追いかけて手打ちにしようとするのだが、平蔵が追いかけていって、危ういところを救ってやるという話だ。五兵衛は、義父に散々虐待されて、性格がひねくれてしまっていて、後年盗賊になりさがってしまったわけである。まわりの大人がもっと優しく接してやれば、まっとうな人間として成長したのに、と平蔵が残念がるという結末になる。
「二人の五郎蔵」では、女密偵のおまさとお糸が茶店で休んでいるときに、向こうから歩いてくる伴助をみて、お糸が見破り、尾行して、隠れ家を突き止める。ここまで記憶のよさが現れるわけではないが、20年ぶりにあっても、直ぐに互いにわかるとか、そういう場面はたくさん出てくるのだ。
さて、これらは作り話で済ませたくない要素をもっていると思う。
言われたことを覚えているというのは、メモなどをほとんどしない生活様式のなかでは、当然記憶する必要がある場面が多々あっただろう。特にお熊ばあさんは、商売人だから、話のやりとりで重要なことは、記憶する必要があった。現代人は、メモをすることに頼ることで、事実上記憶したことと同じとなり、かつ、よりたくさんのことを、メモをみて思い出すことができるわけだが、メモに頼ることで、記憶力そのものを低下させたわけだ。
尾行経路の記憶は、当然、密偵の一番重要な仕事のひとつだから、絶対に必要なことだ。尾行しても、経路を忘れては、元も子もない。そうした職業的必要世が記憶力を高めたのだろう。現代人でも、車を運転している場合と、助手席に乗っている場合では、経路の記憶の度合いはかなり違う。
確かに現代の生活では、記録しておくことで、記憶の代替になるし、そうする必要も高い。しかし、やはり、メモなどみなくても、記憶しているほうが効率的であるには違いないし、また、仕事だけではなく、記憶量が多いほうが、円滑に進むことが多い。だが、そのためには、記憶の工夫やトレーニングが必要に違いない。