夏休みに行ったこと「障害児者のきょうだいについて」

 私は夏休みの間、「きょうだい児」の研究を進める為、文献を読むことと知人の障害児をきょうだいに持つ人物にインタビューを行った。

 まず文献から得られたことを以下にまとめる。
 障害児のきょうだい問題が着目されはじめてきた今日であるが、その問題の顕在化とその背景として、広川(2012)は家族形態の変化を挙げている。核家族化の進行と共に家族の養育機能が急速に低下していったことがある。また近年の医学・医療体制の進歩と整備も挙げられており、ハイリスクの新生児の救命率の向上と障害児の寿命が飛躍的に伸びたことにより、介護が親世代にとどまらすきょうだい世代にまで引き継がれる必然性を生じるに至ったことを示している。広川は、問題顕在化の低年齢化と長期化、学校に関する問題(いじめ、不登校)として表面化する点で過去のきょうだい児の問題と異なっており、検討を要するとしている。
 また、田中(2012)は、障害児者の家族は貧困問題とは無関係ではいられないとしている。それは、母親の就労困難により家計がシングルインカムで支えられていること、時には生計中心者さえも障害を理由に仕事の変更や、転勤などを断念しているケースも見られることにより、経済的貧困に陥るリスクが高いとしている。
 きょうだいの特徴として田倉(2012)は、以下のようにまとめている。
①幼少期から親の期待や思いに沿い「いい子」でいつづける、または、自己主張を積極的にせず対処しようとする傾向がある。
②日常的な同胞(障害児者本人のこと)とのかかわりの中で保護的役割を担い、同胞や親子関係に関して怒りや不満、不安などを抱いているがそれを抑圧して適応しようとする。しかし、ストレスが高まると抑圧していた感情が身体症状や問題行動等といった形で表出したり、同胞とのかかわりを避けるなどして対処しようとする。
③青年期は周囲に対する意識が強まる時期で、同胞に対する葛藤も大きくなる。自分自身を模索する過程で親やきょうだいと心理的距離ができると、同胞との関係も肯定的に認識できるようになるが、結婚や親亡き後の問題を考えざるを得ない青年期になると、また不安や負担感を感じる傾向にある。
④同胞に対して両価的な感情を抱いているが、日常的な関わりかわ同胞との関係を独自に意味づけている。葛藤しながら関係を築くことが、きょうだいの人格的な成熟にも繋がることにもなる。
 上記のことは比較的同胞との関係が良好である可能性が高いため、否定的側面も肯定的な側面も一義的に捉えることはできないと田倉は示唆している。
 また、親ときょうだいの間には同胞をめぐる思いにズレがあり、親はきょうだいに自由な選択を求めつつ、きょうだいは同胞の存在を抜きに考えられないなど、両者には思いのずれがあることも指摘されている(矢矧・中田・水野、2005)。これに対し戸田(2012)は、2012年1月に札幌市でおきた知的障害のある女性とその姉が自宅アパートで孤独死した事件をうけ、親はきょうだいに対し「障害児者のことを心配せずにあなたはあなたの人生を歩みなさい」というけれど、きょうだいは親の言葉の近協が不安定であることに気づき、言葉とは裏腹に「親は、本当は障害児者の面倒を見てほしいと思っているのではないか」と考えているのではないかと示唆している。
 また戸田(2012)はきょうだいの中には自分の年齢・発達段階には不相応な過大な役割を要請されるものもいることや、障害者の代わりに「勉強ができる子ども」「スポーツが万能な子ども」といった役割を期待される者もいると指摘している。また多くの役割が与えられるきょうだいは、遊びの時間が制限され、結果として友人と疎遠になったり、経験不足が不足する場合があるとしている。さらに戸田は、自分の担っている役割が他者に要請されたものか、生活の状況から「自分からすべき」と判断したものか、あるいは自分の本来的な欲求から出発したものかが区別できない者もいると論じている。また親がきょうだいに向ける期待・要求が転嫁し、それが「きょうだい自身の要求」として語られるなどのケースもあり、これは「不適応」を起こさなければ問題となることはないが、それの要求はきょうだい自身の本来的な要求・ねがいが相対的に低く抑え込まれた結果としての有り様ではないのかと問いかけている。また田中(2012)は、親たちであればもっといるネットワークをきょうだいは持っておらず、障害者ともども社会的に孤立する可能性も大いに考えられると論じている。
きょうだいに生じる問題を解決する為に必要な事として田中(2012)は、家族に障害者本人のケアの第一義的責任を強要する社会の在り方を変える他はないとし、その際に重要と思われる視点を3点挙げている。第一に障害者の生活を組み立てるに当たって、家族には家族以上のことを求めないことが必要で、そのためには障害者自身のライフサイクルに応じたノーマライゼーションの実現に向けた支援が必要であるとしている。また療育や訓練や医療的ケアなどの専門的知識や技術を要するケアは当該専門職によって担われるべきとも指摘している。
 第二に家族のバランスに配慮した支援と、それと同時にそれぞれの関係性とライフサイクルに応じた家族の全体性への着目も重要であると論じている。
第三に、家族が社会的支援を必要とする「当事者」である現状においては、「障害者の家族」として社会参加できる場面をつくることが必要であるとしている。父親やきょうだいなど、それぞれの立場に必要な知識や関わり方などを提供する学習会や、悩みや問題を共有できる自助グループなども有効であると論じている。

 次にインタビューで得られたことを以下にまとめる。
 夏休みのインタビューでは、2名の障害を持つ人物のごきょうだいに協力いただいた。協力者は筆者の知人である。
 1人目(Dさんとする)は弟が知的障害最重度であり、現在共に生活をしている。男性。
 2人目(Eさんとする)は妹がADHD(注意欠陥多動性障害)であり、現在一人暮らしの為に離れて暮らしている。男性。
 二人は知人同士であるため、同時にインタビューをさせていただいた。

 インタビューで聞いたことをまとめると①障害児者がきょうだいにいることで、良かったこと、嫌だったこと、困ったこと、②親からの期待はあるか、親への要望や不満はあるか、③将来や結婚について、④きょうだい児同士での交流はあったか、どんなことをしたか、⑤どのような支援があったら助かったか、というような内容であった。
 まず①障害児者がきょうだいにいることで、良かったこと、嫌だったこと、困ったことだが、一般家庭よりも障害児者に対して理解があるというところと両方の人物が語っていた。家族のつながりが強くなったという意見や、自分の進路選択のきっかけになったという意見もあった。
嫌だったことや困ったことでは、同級生の妹や弟を見ていて、自分のきょうだいとは違う発達で、他の子はできていることが自分のきょうだいはできないという差を感じるという意見や、お兄ちゃんとして、親がいない時とかに面倒を見なければならなかったという意見がでた。また同級生の子たちに心無いことを言われたということや、教師からの障害児本人へのいじめがあったということも語られた。

 ②親からの期待はあるか、親への要望や不満はあるかで、期待については面倒を見てほしいとかはあるけれど、多く期待されることはなかったと語っていた。Dさんは、面倒を見るのが当たり前で、それが特に苦であったことはないとも語っていた。また障害のあるきょうだいには勉強が望めないので、自分に期待されていたということもあったという意見もあった。親への要望や不満は、障害がある本人に絡んだ不満等は特に出てこなかったが、Dさんは父親があまり子どもの面倒を見ないので、自分が父親代わりになっていたと語っていた。

 ③将来や結婚については、結婚した場合、障害に対して理解のある人を見つけられるか、またパートナーが受け入れてくれても、相手方の家族が受け入れてくれるかわからないと危惧する意見が語られた。またその場合、施設に入れたりコーディネーターを付けたりということになるのではと語っていた。

 ④きょうだい児同士での交流では、2人ともあったと語っていた。友達ができるきっかけになり、母親同士の交流とかもあったので良かったという意見もあった。

 ⑤どのような支援があったら助かったかという話では、アドバイザーなど、障害への知識を得られる場が欲しいという意見や、地域理解がもっと広がると言いという意見、他にはきょうだい児自身が主催者としてセミナーのように、体験したこと等を発信していける場があればいいという意見があった。

 インタビューから、障害児のきょうだいである環境にいることにより、特有の悩みや問題があることを感じた。特に筆者が印象に残ったことは障害を持つきょうだいの面倒を見ることが当たり前で、苦痛に思ったことはないという意見である。これは文献の中にも出てきたことであるが、不適応を起こしていないので特に問題となることはないが、きょうだい自身の本来的な要求・ねがいが相対的に低く抑え込まれた故の結果であり、それは果たして良いことであるのかという疑問を抱いた。
 

 以上が夏休みの間に行ったことである。
 今後の課題として、「春学期に行ったこと」の方にも書いた課題に加え、上記にはないのだが今回のインタビューの際にでた「きょうだい児は姉や兄といった上の立場の人が多い」ということを踏まえ、可能であれば妹、弟の立場の人物にインタビューをしたいと考えている。

参考引用文献
・広川律子(2012) 障害児のきょうだい問題とその支援 障害者問題研究第40巻第3号 2012年 p2-9.
・田倉さやか(2012) 障害児者のきょうだいの心理的体験と支援 障害者問題研究第40巻第3号 2012年 p18-25.
・田中智子(2012) きょうだいの立場から照射する障害者のいる家族の生活問題 障害者問題研究第40巻第3号 2012年 p26-34.
・戸田竜也(2012) 障害児者のきょうだいの生涯発達とその支援 障害者問題研究第40巻第3号 2012年 p10-17.
・矢矧陽子・中田洋二郎・水野薫(2005) 障害児・者のきょうだいに関する一考察――障害児・者の家族の実態ときょうだいの意識の変容に焦点をあてて 福島大学教育学実践研究紀要,
48,9-16.

春学期の研究内容 子どもの遊び

・今までの研究内容

これまで、「子どもの遊び」をテーマにして研究してきた。中間論文では、都市化に伴う地域コミュニティの希薄化から、自然にコミュニケーション能力や規範意識を育む機会が減少しているとした。

そうした地域環境での変化の一つとして、子どもの「遊び」を考えた。現在、子どもの遊び方は昔と比べて大きく変わっており、それは大まかに述べると、外遊びが減り、ゲームをはじめとする室内系の遊びが増えたということであった。研究を進める中で、児童期の遊びは人間が成長するうえでの人格形成にかかわりを持っているということがわかった。そこで私は、近年変化しつつある子どもの遊びが、近年みられる子どもの人間関係における様々な問題に関連しているのではないかと仮説を立てた。つまり、現代の「遊び」が子どもたちの人格や人間関係にどのような問題を生むのか、解決策としてはどのようなものが考えられるのかということに焦点を当ててきたといえる。

しかし、また研究を進めていくうちに、現代の子どもの遊びには問題点ばかりではなく、メリットも存在しているのではないかという考えに達した。というのも、中間発表において新たに気づかされたことがあったからである。私は当初、現代の子どもの遊びには三間(時間・空間・仲間)がなくなっていると主張し、それによって生じる問題点を挙げてきた。ところがその際の議論で、現代の子どもは環境が変わったなりにそれに順応した遊びを展開しているのではないか、という意見が出た。たしかに私は、現代の子どもの遊びに目を向けるとき、はじめから問題点のみに着目していた。一方で昔の子ども遊びを美化しすぎてしまっていたというか、遊びの系統にも様々なものがあったり、今と昔では遊びの定義にも違いがあったりするにも関わらず、それを見落としていたことに気付いたのである。

そこで私はいったん原点に回帰し、そもそも「遊び」とは何か、ということを考える必要があるとした。そして、遊びの種類・系統についても研究し、それらが昔、現在ではそれぞれどのように行われてきたか、現代遊びのデメリットだけではなく、子どもに与える効果はどのようなものが考えられるかということについて知ることを新たな課題とし、研究を再開した。

ここまでが、私が春学期に取り組んだ研究内容であり、夏休み以降はこれらの内容をもとに研究を進めた。

夏休みに行ったこと「いじめ発生における加害者の家庭環境的要因」

春学期から継続してインタビューと文献調査を行った。夏休み中に同級生には4人、そのうち1人は保護者の方にもインタビューすることが出来た。春学期に行ったインタビューも合わせて、同級生6人、保護者2人となった。まずその内容をまとめることとする。また、当インタビューを行うにあたって、私自身いじめられたことに対して、恨みや怒り等の感情は今では一切持ち合わせていないことを念頭に置いて頂きたいと思う。

 

まず同級生に行ったインタビューからまとめる。質問内容として、

①家族構成

②当時の家庭状況

  1. 帰ってどのように過ごしていたか
  2. 食事は誰ととっていたか
  3. 家族とどのような会話をしていたか
  4. 自分以外の家族間の様子はどうだったか

③学校と家ではどちらがよかったか

④いじめの加害者とその家庭環境は関係があると思うか

これらについて大まかに聞くことにした。

 

[1人目A]

①両親と1つ下の弟、2つ下の妹がいる5人家族

②1.学校が終わって受験勉強のためにそのまま塾に向かっていたので帰りはいつも21時過ぎだった。すぐに夕飯を食べて風呂に入って、勉強して寝ていた。

2.塾で帰りが遅かったので夕飯はいつも1人だけ遅れて食べていた。朝食は起きたら勝手にパンを焼くなどして食べていた。

3.親とは受験勉強の話しか殆どしなかった。弟や妹は勉強で分からないところを聞きにくることがよくあったので、その都度教えながら何気ない雑談などはしていた。

4.いつも自室に籠っていたのであまり分からないが、仲良しだったと思う。

③友だちと話せるので学校の方が楽しかった。家にいてもつまらない。

④家でストレスが溜まって、それが学校で爆発しちゃうとかはあると思う。そうじゃなくても、全然会話がなかったりしたら寂しくなったり情緒不安定になったりするのでは。自分の場合、知らずのうちにストレスが溜まっていたのかもしれない。

[2人目 B]

①両親と一人っ子の3人家族

②1.学校が終わったら家に帰って、自分の部屋で受験勉強に励んでいた。たまに息抜きでテレビを観たりするがそれも自分の部屋で観ていた。

2.朝は家族全員で食べていた。夜は父親の帰りが遅いので、大体母親と一緒に食べていた。

3.母親は世間話などしてきたが、当時の自分は受験に手一杯で1分1秒も惜しかったため自分からは滅多に話さなかった。父親は朝家を出るときに「いってきます」と声をかける程度。朝食時は母親と父親がずっとしゃべっている。

4.両親はとても仲良しだった。喧嘩するところも今まで全く見た事が無い。

③学校に行けば友だちがいてワイワイ楽しく過ごせるし、勉強の息抜きにもなったから学校の方がよかった。

④家族と全く会話がなかったり喧嘩したりとかで、家にいて心が休まらない人は荒れるんじゃないか。あとは自分以外の家族の仲が悪かったりとか。自分の両親は仲がいいから分からないが、これでもし毎日夫婦喧嘩していたら聞いてるこっちのメンタルがぼろぼろになったりしそう。

[3人目 C]

①両親と3つ上の姉、母方の祖父母の3世代同居6人家族

②1.帰ったらリビングで大学の受験勉強をしている姉と一緒に勉強していた。週2日で塾に通っていたので、その日は帰ったらすぐ塾に向かっていた。

2.両親が共働きで朝早く夜遅いので祖父母と姉と4人で食べることが多かった。塾がある日は終わってから1人で食べていた。休日はみんなで食べていた。

3.両親とは家でもあまり顔を合わせないので全く話してなかった。祖父母はそれを気にしてかよく学校のことや勉強のことを聞いてきたり、よくリンゴを剥いたりしてくれた。姉とはお互い勉強の邪魔をしないように、あまり話さないようにしていた。

4.両親は分からないが、祖父母の話を聞く限り仲は悪くなかったと思う。姉も祖父母とは仲がよかったが両親とはどうだったかよくわからない。

③どっちも同じくらい。

④一般的にどうかは分からないけど、自分の場合は両親と殆ど話さなかったことに関して不快というか、「なんでいつもいないんだ」っていう不満はあった。やっぱり家族はみんな揃ってこそ家族だし、自分の本当の居場所だと思うから、そこで負の感情とか生まれてはいけないと思う。

[4人目 D]

①母親と母方の祖父母の4人暮らし、父親は別居

②1.スポーツ推薦で高校が決まっていたため、クラブチームの練習がある日は学校から直接そちらに向かって練習、ない日は家でだらだら過ごしていた。

2.クラブチームの練習後は帰りが遅いので1人で食べていた。それ以外は大体家族全員で食べていた。

3.あまり家族とは話していなかった。だらだらしているところを母親に見られると「みんな受験勉強してるんだし、あんたも少しは勉強しとかないと高校から大変よ」と何度も言われた。

4.仲良しだったと思う。たまに祖父母が喧嘩してたけどすぐ仲直りしてた。

③友だちと話している方が楽しいので学校の方がよかった。家に帰ってもゴロゴロしてるだけで退屈だった。

④いじめなんてほんの些細なきっかけで始まっちゃうものだし、具体的にこれが関わってるとかは無い気がする。でもいじめをすること自体間違っているし、そこで倫理観とか人間性を持ち出すなら、育ってきた環境は関係してくると思う。

[5人目 E]

①両親と2つ下の妹の4人家族

②1.家に帰ったらすぐに塾に行って受験に備えて勉強していた。終わったら帰ってご飯食べて風呂に入ってまた勉強して寝てた。

2.朝は家を出るタイミングが近い妹と一緒に食べていた。夜は塾に行かない日曜日以外はいつも1人。

3.自分からはほとんど話はしていない。よく両親に「勉強はちゃんとしているのか」と言われたがそのたびにイライラしていた。

4.妹と両親は普通に仲良しだと思う。その様子すらあまり見ていなかったので実際は分からないが多分そう。

③学校の方がよかった。家にいても楽しいことが殆どなかったし、そもそも家にいる時間が短かった。

④人によると思う。ただ自分は親に勉強の心配をされることでストレスが溜まりまくっていたし、それを発散する場を求めていた節もあった。家にいる時間の方が短いというのは、誰であろうとあまり好ましいことではないのでは。

[6人目 F]

①両親と4つ下の弟の4人家族

②1.家では大体勉強、たまに息抜きでジョギングしに行っていた。両親の帰りが遅かったので、よく夕飯を作っていた。

2.朝も夜もだいたい弟と一緒に食べていた。テレビを見ながらだったりアニメやゲームの話をしながらだったり。両親は夜は遅めに食べていた。

3.弟とはご飯を食べるとき以外もたわいない話はよくしていた。両親とはあまり話していなかった。

4.両親と弟が話している様子もあまり見なかったため分からないが、喧嘩している様子はなかったから仲は悪くないはず

③どちらも同じくらいの居心地。あまり学校の友だちに好きな人はいなかったし、家に親がいないことが多いのは寂しかった。

④自分が本当にリラックス出来るのは家のはずだし、辛いことや嫌なことがあったらそれを聞いてくれるのが親、家族だと思う。その自分を守ってくれる環境が壊れてたら、どんどん自分もぼろぼろになっていく気がする。荒れた畑じゃ美味しい野菜は出来ないし、いい環境があってこそいい人間も育つと思う。

 

同級生へのインタビューを行った感想として、高校受験のための勉強で忙しかったことも要因だと思われるが、家族との会話が総じて少ないように感じられた。特にB、D、Eの3者の回答が顕著であり、ことEに関しては親からの言葉掛けにストレスすら感じていた。会話は人間関係を構築するにあたって必要なコミュニケーションツールのひとつであるが、その会話が最も心が落ち着く場であるはずの家庭で全く為されていない。あまつさえストレスすら感じてしまっては、とても心が落ち着く場とは言えないだろう。また、学校と家では、家の方が居心地がいいというような回答はなく、家で過ごすことに対してあまり肯定的なイメージがあるようには感じ取れなかった。確かに学校に行けば気心しれた友人が大勢いるかもしれないが、衣食住を全て行うのは紛れもなく自分の家であり、拠り所と言っても過言ではない。そうした場の居心地が良いとハッキリ言えない実状があったことも、やはり家庭環境として、彼らの心理に何らかの影響を与えていたものと考えることができる。家族構成も様々にあったが、この家族人数だからという因果関係ではなく、家庭内で日常的に接している人数や時間によるものが大きいのではないかと考える。

 

保護者に対して行ったインタビューでは、当時の同級生の様子について、また保護者から見て家庭の様子はどうだったかについて伺った。今回は、Aの母親とBの母親の2人に話を聞く事が出来たので、それぞれその内容をまとめる。

[Aの母親]

いつも塾で帰りが遅く、夕飯も1人で食べることばかりだったので寂しい思いをしていないか心配していた。しかし長男で、私にとっても子どもが受験と戦うのは初めてのことなので、ついついそのことばかり気にしてしまい、会話も勉強の内容ばかりになってしまっていた。自室に籠りっぱなしで彼から口を開いてくれることもあまりなかったので、母親である私が、もっと精神的にフォロー出来るような存在であるべきだったと後悔している。他の子どもたちはいつもと変わらない様子だったので、家庭内の様子としては平和だったと思っていた。本人が余裕がない中で、私自身が余裕を持って接してあげるべきだったと思い、次男や長女の受験のときには同じ過ちを繰り返さないようにした。もっと早くから、本人の立場に立って考えるべきだったと思う。

[Bの母親]

私自身受験を経験したことがないため、息子が受験勉強しっかり出来ているか毎日気がかりだった。本人もご飯を食べながら単語帳を見ていたり、風呂に暗記シートを持ち込んだりと、常に受験と睨めっこしていた状態だった。さすがにパンクしないか心配だったので何気ない話でもしてみようかと声をかけても、あまり聞く耳は持ってくれていない感じだった。家族3人が揃うことがあまりなかったため、まとまりのある家族という感じがしていなかった気がする。夫も息子の受験が心配でピリピリしている様子を時折見せていたため、そういう姿が息子によりプレッシャーをかけていたのではないかと思う部分もある。息子から口を開いてくれることはあまりなかったが、こっちから「見守ってるよ」という気持ちが伝わるようにもう少し出来ることがあったのではないかと反省している。

 

保護者にインタビューを行った感想として、受験に対して本人だけでなくやはり保護者も不安を抱くのだと分かり、そうした互いに緊迫するが故にゆとりの無い家庭環境が形成されてしまうのではないかと感じた。Bの母親は特に息子の様子を心配して様々な言葉かけをしたようだったが、これは環境的には非常に良い環境なのではないだろうか。しかしそれを感受出来るか否かによって心持ちも変わってしまうし、環境自体も変えてしまうのかもしれない。このインタビューで、家庭環境とは家族のみが形成するものではなく、その環境を感じる本人も形成の一員になっているのだと考えることが出来た。何度も繰り返している「家庭環境」という言葉だが、その定義等、今一度見直す必要性を確認することとなった。

秋学期以降、これらのインタビューを参考にしながら研究を進めると共に、必要に応じて更にインタビューを行っていきたい。

 

また、夏休み中に参考文献として『非行といじめの行動科学』(小田晋 著)を読んだ。その結果分かった内容を箇条で簡略化してまとめる。

・いじめや万引きなどの少年犯罪は、倫理による抑制が利かず、人間としての自然の情、即ち人間が生き物として本来持っている情動、欲望に従って引き起こされた犯罪である。

・アメリカの心理学者A・ベイリーの古態心理学によれば、攻撃行動は哺乳動物の種に内在する行為であり、攻撃すること自体に快感があるとされている。動物としての人間の本性の中には、他人を攻撃する仕組みが組み込まれている。

・生物学的に見れば、いじめは人間に本能としてある攻撃性の発現であり、いじめの加害者はそれを「遊び」即ち楽しみとして捉えている。

・人間には攻撃行動を中止させる仕組みのひとつとして、「同情」あるいは「愛」を備えている。

・アメリカの心理学社ボールビーによる「母親剥奪理論」では、幼児期に泣いても目で追っても母親が側にきてくれない状況で育った子どもは、成長しても対人関係がうまくとれなくなるとされている。故に子育てをする母親役は同一人物であることが望まれる。

・精神面での発達から見て、成長のプロセスにおいて重要だと思われる親の関わり方が、生物学的な生育のプログラムとして存在する。乳児期には「愛する」、幼児期には「しつける」、少年期には「教える」、思春期には「考えさせる」というものである。これにより子どもの望ましい成長を促すことになる。

・子どもの健全な成長のためには、子どもと実母との接触時間を長くすることが必要である。働くことと子育ての両立は、ただ乳児院を作ればいいという問題ではない。

「行動科学」という著書名から想像していた内容よりは、いくらか生物学に近いような内容だった。しかしそれは、人間の多様な行動はそうした既に本能的に刷り込まれているメカニズムに沿った部分もあることを認識する必要性を示唆している。昨年履修した乳幼児発達論の授業内でも、母親のスキンシップ等学んだ点があったので、それらの領域とも准えながら再度読み直しまとめることにしたい。

秋学期はこれまで行ったインタビューを参考にしながら、家族療法、行動心理学、社会心理学等の領域からまとめるべく、より多くの文献を読み進めることを主な活動指針として定めたい。また、学内でそれぞれの領域について扱っている教師の方々に、可能な限りお話を伺いたいと思う。

子どもの貧困について -夏休みに行ったことー

夏休みにやったこと

また、日本の子どもの貧困問題が改善してこない大きな原因に国全体での教育への公費負担が少ないことが挙げられると考える。日本の未来を背負っていく子どもたちに将来の出費として十分なお金を用意してあげなければならないにも関わらず、日本にはほかにも高齢化という重大な課題もある。高齢者の社会保障にかかるお金が増大しているからこそ国はそちらにも十分なお金を振り分けなければならないが、教育への出費をこのまま削減し続けてしまったら大切な子どもたちが育つ環境すら奪ってしまうことになると考える。現在の日本の公費の歳入・歳出について詳しく調べてみると、以下のような配分になっている。

歳入

・国民からの税収入 6割

・公債金      4割

歳出

・社会保障費(年金・介護・医療など)、国債費、地方交付税交付金  7割

・公共事業、教育、防衛   3割

高齢化の影響により、日本の社会保障費は年々増加している。近年の消費税5%から8%への増税分もすべて社会保障に充てられている。

 

ここまでに教育に充てられる公費が少ないことが分かったが、日本の教育は私費負担で賄われている部分が多いと考えられる。公費では児童手当や児童扶養手当、保育所の運営費などの児童福祉サービス費、高校までの授業費などが主であり、衣食住にかかわる経費や医療費の一部は私費負担になっている。さらに、児童手当や児童扶養手当を受けるにもさまざまな条件を通過していることが不可欠であり、教育への国からの援助というのは期待できないと考えてしまう。例えば、児童手当を受けたいと考えている子供が3人いる家庭は、所得制限が年収ベースで960万円以下であることが基準とされる。ただ、この額が本当に安定した生活を行える額としては足りないのではないかと感じる。日本のように貧困率が改善しない国では、各家庭での所得から税金や社会保険料を引いて必要に応じて手当を与えるのでは国民が得られるお金が当初よりも低くなるという特徴がある。日本は少子高齢化が急速に進み社会保障は国民にとっても手厚い対策が望まれているが、若い世代の教育への支出がどんどん削減されてしまうことは見直されるべきであると考える。

 

また、私は支援を行う立場として地元で民生委員を務める方へのインタビューを行った。民生委員になるのはほとんどが仕事を退職された公務員や教育に携わっていた人であり、インタビューを行ったAさんも退職後に自治会長から依頼を受けて引き受けていた。活動の内容は民生委員の中でも主任児童委員と呼ばれる人が子どもや子育てに関する支援を行っているということであった。

以下インタビュー内容まとめ

・現在の相談状況は?

全国調査では高齢者に関することが55.6%で一番多いが、次いで子どもに関することが20.4%で多くなっている。

・大体何人くらいで活動しているのか?

地区の大きさにもよるが2~4人で相談を受けている。

・活動内容には相談支援以外に研修があるようだが、どのようなことを行っているのか?

人権に関わる講演会に参加したり、児童施設への訪問を行ったりしている。

・子どもに関わる相談であればどういった機関に連携を求めるのか?

やはり子ども自身が通っている学校、他には役所の児童家庭課や子ども課などに相談を行うと思う。

インタビューをして民生委員の方のように身近に相談できる人がいることは、なかなか周りへ相談をしにくく孤立しやすいひとり親にとっても心強いはずである。ただ、民生委員・児童委員への認知度は決して高いとは言えないので、Aさんもビラを作成して定期的に高齢者宅や子どもがいる家庭を訪問していると話していた。

夏休みに子どもの貧困に関する本を読んだり、関連する記事を調べたりして、子どもの貧困の実態をいろいろ知ることが出来た。子どもの貧困問題は研究していくうえで親の所得と子どもの学力が関連していることなどは分かってきてもどうすれば改善することが出来るのかなかなか調査が進まないでいた。夏休みに新たに調べてみて、国や各自治体の単位で貧困を解決するための政策が作られていてもうまくそれが機能していないのではないかと感じた。今後は学校の先生にもインタビューを行い、学校・家庭・地域が連携して子どもの貧困を改善していくための方法を探っていこうと思っている。特に経済的な困窮に陥りやすい母子家庭は子どもの健康・学習、親の就労、地域との交流など様々な点で問題を持っている。自分が教師になったらどのようにして貧困家庭の子どもの存在にいち早く気づき、生活や学習・進学への支援を行い、地域の協力を求めながら子どもの居場所を作ることができるかをさらに考えていきたい。

 

参考

http://www.shimotsuke.co.jp/special/poverty

山野良一 『子どもの最貧国・日本 学力・心身・社会におよぶ諸影響』(2008) 光文社

 

秋学期に行うこと

・子どもの貧困問題に積極的に取り組む地域・団体(例えばあらかわシステム)などをもう少し本やインタビューによって詳しく調べる。

・今までに調べたことを通して、貧困家庭の子どもに対してどのような対応を学校・家庭・地域の立場からできるのかを一目でわかる表にしてまとめたい。

子どもの貧困問題について -春学期に行ったことー

春学期にやってきたこと

私は今年度の共通テーマが「環境・環境としての人間」に決まって、近年注目されるようになった「子どもの貧困」を個別のテーマに設定することにした。しかし、もともと大学生になるまではこの問題について考えたことがなく、大学の授業で「子どもの貧困」について扱われた時に経済的に困窮し、衣食住に困り一日一日を生きていくことがやっとである人の存在を知り衝撃を受けた。私は将来教員を目指していて、学校には様々な家庭環境で生活してきた子どもがいる。その子どもたちが異なる家庭環境に生まれたことによってたくさんの苦労を強いられ、経済的な理由によって将来に希望が持てなくなるような状況を防ぎたいと思うようになった。貧困問題は誰にでも起こりうる可能性があるが抜け出すことが難しく、様々な面で影響を及ぼす。今後子どもの貧困をテーマに設定し研究することでその改善策を見つけていきたいと考える。

春学期にはまず子どもの貧困についての実態をつかみ、少しでも子どもの貧困の支援に関わる人たちにインタビューを行いたいと考えた。まず、日本の現時点での子どもがいる貧困家庭への公的な政策にはどのようなものがあるかを調べることから始めた。そして分かったことを、以下にまとめた。

・子どもの貧困対策の推進に関する法律の制定・施行(平成26年1月17日施行)。

・上の法律に基づき、各都道府県で子どもの貧困対策計画を作成することが努力義務とされている。

・国や地方公共団体には就学援助や奨学金、児童扶養手当、児童手当、ひとり親家庭等医療費助成金、子育て世帯臨時特例給付金などの制度がある。

研究を始めてから今まで知らなかった制度の存在についても知ることができた。各都道府県での貧困対策計画を調べてみると、努力義務とされながらも計画作成に乗り出している都道府県は多く、例えば埼玉県であれば26年7月に既存の「次世代育成支援対策推進行動計画」と「子ども・子育て支援事業支援計画」、「母子家庭及び寡婦自立促進計画」に「子どもの貧困対策推進計画」がまとめられた形になっている。そこには子どもの貧困対策法に規定される教育支援・生活支援・保護者の就労支援が追加項目とされており今後の対応策を示している。いくつか内容を抜粋すると、「ひとり親世帯への支援の充実」として子育てや生活への支援・就学支援や養育費の確保・自立に向けた経済的支援、相談員による生活相談など今までに行われてきた活動に加え、親の就業支援にも力が入れられるようになった。さらに「貧困の状態にある子どもへの支援」として高校進学及び中退防止を目的とした学習支援が積極的に取り入れられるようになっている。他にも貧困家庭の多くに母子家庭があることを注視して、子育て中の女性でも働きやすい環境を整えるようにすることも計画に盛り込まれた。

しかし、このような法律や各種の子どもを貧困から救うための制度ができているのにも関わらず子どもの貧困問題はなかなか改善されてきていない。私が春学期のうちにこれらの政策がうまく機能していかない原因として考えたのが、各都道府県で貧困対策計画が作られているものの、具体的な目標数値であったり支援を受けるための方法が十分に周知されていなかったりすることである。子どもの貧困の問題は最近メディアで取り上げられるようになったが、実際に貧困の家庭はそのことを周りに隠そうとすることもあり、プライベートなことにもなるのであまり踏み込んだ調査を行えないことが課題にある。そのため現在どのくらいの家庭が貧困家庭に当てはまり支援が必要とされているか、今後何パーセント減らしていこうとするかを具体的に目標として挙げられていないことが問題の障害になってしまっていると考える。また、援助を受けるにも様々な書類の提出が必要となってくるが、貧困家庭ではその親も貧困家庭で十分な教育を受けてこられなかった場合もあるので、書類を準備する段階で戸惑ってしまうこともあると考える。

さらに、春学期には他の自治体についてもどのような計画が立てられているかを調べた。三重県・京都府・鳥取県についてインターネット上で調べ、学校への福祉の専門家やソーシャルワーカーの効果的な配置、学習支援、進学支援、就学前の子どもも含めたライフステージに応じた子どもへの支援、子どもの居場所づくりなど様々な支援を計画していることが分かった。

 

参考

子どもの貧困対策の推進に関する法律について

http://law.e-gov.go.jp/htmldata/H25/H25HO064.html

http://www.saitama-support.jp/nav/375-2/1459-2

http://law.end-childpoverty.jp/newsclips/

 

 

 

春学期に行ったこと「いじめ発生における加害者の家庭環境的要因」

今年のゼミデーマである『環境としての人間』から、私は自身のサブテーマに「いじめ」を選んだ。またその中でも加害者に焦点を当て、「いじめ発生における加害者の家庭環境的要因」について研究を進めることにした。

『環境』と一口に言っても、その言葉が形容するものは様々である。その中で私が今回「いじめ」を取り上げるに至った理由として、過去の私自身の実体験がある。当ゼミやそれ以外の場でも既に自ら口にしているため特に言い淀むこともないのだが、私は中学3年生のときに同級生からいじめを受けていたことがあった。当時の私は、何故いじめを受けなければいけないのか、何故自分だけ辛い思いをしなければいけないのか、そう考えながら中学生活がただただ早く終わらないかと願う日々を過ごしていた。それから6年あまりが経過し、大学の講義にていじめについて学ぶ機会が増えていった。それと同時に、自身が受けていたいじめのことを、講義の内容に当てはめるかのように思い返すことが多くなった。当時は「どうしていじめるの」という当たり前に浮かんだ疑問を、加害者の同級生に聞けるはずもなかった。将来教師を志すにあたっていじめは絶対にあってはならないと考える人間として、より時間をかけてこの疑問について考える機会なのではないかと思い、今回「いじめ」を研究のサブテーマに挙げた。

日本では、学校におけるいじめは1980年代に校内暴力とともに増加し、近年までにかけて社会問題化してきた。特に有名なものとして、教師も加わっていた「葬式ごっこ」が原因で自殺した、東京都中野区立中野富士見中学校2年の鹿川裕史君の事件(1986年)が挙げられる。また、川に沈められたり、現金100万円以上をとられたりしていたと明かす遺書を残して自殺した、愛知県西尾私立東部中学2年の大河内清輝君の事件(同年)や、体育館内の運動用マットに逆さまに突っ込まれた形で亡くなった、山形県新庄市の明倫中学校1年の児玉有平君の「山形マット死事件」(1993年)など、まだ若い命を奪うような陰湿ないじめが学校現場にて発生し、社会に大きな衝撃を与えた。今年に入ってからも、2月には神奈川県川崎市川崎区港町の多摩川河川敷で、中学1年の上村遼太君が殺害され、遺体を遺棄された「川崎市中1男子生徒殺害事件」や、7月には岩手県矢巾町で中学2年の村松亮君が、いじめが原因で飛び込み自殺する事件など、いじめの極めて深刻な実態をあらわす事件が後を絶たない。これらの過激さを増し、陰湿で、残酷で、執拗と言える近年のいじめの様相が、加害者の人格や価値観などによって齎されているものとすれば、その加害者の人間性が養われてきた場、即ち育ってきた家庭環境に何かしらの誘因があるのではないかと考えた。一概にそうとは限らないかもしれないが、産まれてから極めて長い期間置かれている生活環境から、一切影響を受けないと考えるのは些か難しいだろう。これより、今回の研究においてはいじめの中でも「加害者の家庭環境」に着眼点を置くことにした。

研究方法として、過去に私をいじめていた同級生に直接インタビューすることを考えた。いじめというのは加害者、被害者ともにデリケートというか、容易に踏み入れない面があり、第三者にインタビューを行うことは難儀だと考えたが故の方法である。私自身が実際に体験したものなので、当時の様子を思い返しながらより意義のあるインタビューが出来るとも考えた。インタビューの内容としては、主に当時の家庭での状況(家庭内での会話はどれくらいあったか、食事は誰ととっていたか等)について伺う。長期的な家庭状況も可能な限り聞いていきたい。またこれも可能ならばという程度ではあるが、加害者の同級生の保護者にも、話を伺える機会があれば当時の家庭での状況について保護者の視点からも伺いたいと考えている。インタビュー以外に、学内でいじめについて取り扱っている教員の方に話を伺うことと、文献調査を研究方法として挙げた。文献に関しては、いじめの行動科学や心理学などの面からアプローチをかけた選定をしたい。

春学期中の研究の進捗として、インタビューを行えた同級生は2人、うち1人は保護者にも話を聞くことが出来た。内容に関しては、夏休み中にも数人に行えたインタビューに内容と似通った部分がおおいため、夏休みでの進捗を報告する記事の方でまとめさせて頂くことにする。若干断片的ではあるが、文献も何冊か目を通した。その中で分かった事柄をまとめる。

『イジメと家族関係』(中田洋二郎 著)

・現在の学校でのいじめは、観衆を意識し劇場化した要素が強まっている。例えばあだ名なんかは昔から存在し、決まり文句の悪口で互いを悪ふざけと了解した上で罵り合うことも多く、これは子ども同士のゲーム程度の認識である。しかし現在の子どもはこれを少し異なる目的に使っている。相手の弱点への目の付け所の巧みさ、発想のおもしろさ、その機知を周囲にアピール周りからうけを狙うためである。この種のいじめは、相手が傷つくことに頓着しない、身勝手で自己中心的な現代の子どもの特徴が反映されている。娯楽としてのいじめが発生する背景として、子どもの文化の変化、特に子どもがよく見るテレビの影響があると考えるのが自然である。メディアを通してあらゆる情報が選択無く子どもに伝えられてしまうが故に、大人の世界と子どもの世界の垣根がなくなり、大人向けのブラックジョークまで届くようになってしまった。

・家族が家族として機能するためには、「健康な家族」である必要がある。家族が健康という共通の目標に向かって努力し、まとまりを保とうとするときこそ、家族は有機体として機能することができる。家族の健康にとって大切な家族機能として、「家族の問題解決の能力」、「家族のコミュニケーション」、「家族の役割」、「感情的な応答性」、「感情的な関わり」、そして「行動の統制」が挙げられている。これらが瓦解してしまえば、所謂家庭崩にまで至ってしまう。

・健全な家族関係には、通常、心の傷を自分たちの相互作用によって自然に「癒していく」能力が存在する。心理学者であるラバーテの家族心理学の中核となる概念は「私も重要である―あなたも重要である」という相互の尊重を家族の健康性の指標とするところにある。この関係が崩れ「あなたは重要ではない―私は重要である」などと重要性の偏りの関係が生じたとき、ここにイジメ、甘え、過保護などの病理的な関係が生じる。「癒し」が実現しやすい状況をつくりだすことは人為的になされねばならない。そこで、相手を受容しつつ、不自由にしないで、援助する配慮が必要となる。

 

『ヒトはなぜヒトをいじめるのか』(正高信男 著)

・いじめの発端は二者間のトラブルであり、その諍いは親しい間柄ほど起こりやすい。攻撃に至る理由は何でもよく、いじめる側は「あいつが悪い」と理由付けして攻撃を加える。精神的に相手に痛手を与えることによって自分の強さを第三者にアピールする行為がいじめの芽生えの特徴である。大人も職場でもどこでも見受けられるもの。いじめは人間に動物としての生来の攻撃性と人間特有の欲望が備わっている以上、根絶することは困難を極める。

・子どもにとって安全基地の働きをする母性に対し、「自分の想い通りにいかないことがあることを教え、励ましたり助言したりしながら、家の外という社会へ押し出す力」である父性が、子どもの自立を促す。父親不在が子どもをいじめへ駆り立てる要因のひとつになり得る。母子密着型の日本では父親が疎外されている、ともとれる。被害者も加害者も同じ遊び仲間の内部で生ずるが、それでも仲間を離れられない「弱さ」がいじめの背景となっている。根本的に欠如しているのは「多様であること」への不寛容であり、この不寛容は即ち「周囲と同質でないこと」への恐怖の裏返しに他ならない。いじめは「一人」でいることをストレスとしか捉えられない人間の弱さの産物である。

 

『世界のイジメ』(清永賢二 著)

・アメリカのいじめ加害者は、性別に関係なく、身体的虐待や精神的虐待を受けた経験を有する、或いは一貫性のない躾を家庭で受けていた、等の家族間での問題を有している場合が多い。原因として、これらの家庭の多くは、親が子どもの日常に十分対応するだけの関心と愛情を持ち得ていないことによる対話の不足、親自身の健全な子育てについての知識や技術の不足、愛情を十分に注がれて育った経験がない、などが考えられる。逆に、親の無条件の愛情を幼児期に十分注がれた中でしっかりした躾と教育を施された子どもにいじめっ子は少ない。アメリカのいじめ対策を踏まえて強調される重要なこととして、いじめを許容しない社会を創造するためには、親や教師を含めたすべての大人が、責任ある問題解決者として積極的に行動することが求められる。規範となるべき行動をとることにより、子どもは許される行為・許されない行為の別を学ぶことができ、人としても尊敬され、愛情を注がれることにより他者を尊敬し思いやることが出来るようになる。

・オランダのいじめの発生に影響する環境的要因に、母親と保育園の関係、さらには親自身の子どもに対する関係が問題として挙がっている。子どもに対し建設的な愛情と自立に向けての発達支援に十分な配慮を持った親からは、将来のいじめ加害やいじめ被害の児童や生徒は生じにくい。子どもは親、特に母親の視線を介して他者を無償に愛することや他者から自立して生きていく強さを体験として学ぶ。逆に、父親や母親の幼い子どもに対する厳しい支配とお仕置きを伴った躾は、子どもの心の中に将来のいじめを含む反社会行動の芽を作り出してしまう。

 

春学期は文献調査が足りなかったため、今後より多くの文献に目を通し研究の幅を広げるよう努めたい。また、自身のテーマをしっかり決定するまでにかなりの時間を要してしまったため、研究自体に費やせた時間が少なくなってしまったことが反省点として考えられる。行えたこともインタビューと文献調査のみで、学内の教員に話を伺うことは出来なかった。太田先生からの助言として家族療法も視野に入れることを勧められたため、秋学期から家族療法の授業を履修することにし、その中で研究につなげられればと思う。文献調査に関しても、家族療法について扱った本も今後読み進めることにする。

春学期に行ったこと 「障害児のきょうだい児について」

私はゼミテーマ『環境としての人間』から、「特別支援教育」に関して、さらにその中の「きょうだい児」についてを自分のテーマとし、研究を行っている。

 

きょうだい児とは、障害を持った人物の兄、姉、弟、妹といった、障害児と兄弟関係にある人物のことを指す。まだまだ十分ではないとはいえ障害に関して理解が進み、障害者支援なども進んできている現代ではあるが、その支援の対象は主に障害者本人か、療育の中心である母親に焦点があてられており、そのきょうだいには目が向けられることが少ない。しかしながら、きょうだい児は一生のうちの大部分を障害者とともにすごさなければならないだろうし、きょうだい児特有の悩みや不安もあるだろうと考えられる。特別支援というとどうしても障害者本人のことを思い浮かべてしまいがちだが、その陰に隠れた人たちがどのように感じているかや、よりサポートしていくためはどのようなことができるか関心を抱いた。また私の知人の中にもきょうだい児が数人おり、そのほかにも部活動できょうだい児である児童と関わる機会もある。障害児が兄弟姉妹にいるという環境から受ける影響はどのようなものか知りたいと思い、またそういった人たちの理解につながると思ったためにこのテーマを選んだ。ほかにもきょうだい児支援を行うことで、家庭環境の改善につながり、障害者本人の環境の改善にもつながるとも考える。

 

春学期の間では主に参考になる文献を探し、またきょうだい児である人物3名にインタビューを行った。

まず以下に参考文献から得られたことをまとめる。

 

現在、障害児・者当人(以下、同胞と記す)の支援とともに家族の支援にも目が向けられている。しかしながら障害児・者の家族に関する研究は、母親の障害受容プロセスやストレス、負担についての研究が中心であり、障害児・者のきょうだいであることによる体験や、その影響に関する研究は少ない(三原.2000)。だが、そのきょうだいは障害を持つ同胞と人生の大半を過ごすという環境にある為に、その同胞から多大な影響を受けると考えられる。

きょうだいへの支援の必要性を最初に指摘したのは英国のHolt(1958)であり、わが国できょうだいに対する支援の必要性が指摘され始めたのは、1963年に設立された「全国心身障害者を持つ兄弟姉妹の会」が、1995年に名称を「全国障害者とともに歩む兄弟姉妹の会を変更した翌年からであるとされる(柳澤.2007)。

この問題に関しては、同胞自身から受ける影響以外にも、同胞に手がかかるため両親(特に母親)と十分な関わりが持てないといったような親の対応による影響などがある。柳澤(2007)は、きょうだいが家族の中で時に親の代わりとなるような役割を求められ、親が障害児・者に対して抱いている感情やストレスのあり方が、きょうだいに影響することが多くあると指摘している。今井・佐野.2010)は、親が、きょうだいが感じている孤独感を認識することが必要であるとしている。

受ける影響として、肯定的影響のものと否定的影響のもの、両方があるだろう。例えば肯定的影響のものであれば、「障害のある人への理解が深まる」といったようなことや「忍耐力がつく」といったようなことが考えられる。反対に否定的影響のものであれば「将来に対する不安」や「介護負担」等考えられる。さらに、障害児・者の世話をするのが年下のきょうだいである場合には、そのことできょうだいの役割の逆転が生じてしまい、不適応を引き起こしやすくなることも指摘されている(Stoneman,Brody,Davis,Crapps,&Malone,1991)。

柳澤(2007)によると、きょうだいへの支援活動を支えているのは、国内外ともにまずあげられるのが、すでに成人となったきょうだいであり、それに加えて、障害児教育の教員、ソーシャルワーカー、スクールカウンセラー、心理学や障害児教育学の専門家など多様な支援者が関わっており、また自発的な活動にとどまっている傾向にある。大瀧(2011)は、障害児・者をきょうだいにもつことの影響とその心理社会的発達について丁寧に捉えた研究が必要とされており、併せて、きょうだい自身のための支援とは何か、その充実を図るために求められることについて検討することが重要であると指摘している。

 

上記のことより、障害者のきょうだいは、障害者とともに生活する環境にいることで障害児のいない環境で育った児童とは少し違う心理社会的発達をしてきていると考えられる。また、障害者からの影響だけでなく、親からの影響も大きいということが示唆される。この環境で受ける影響は肯定的影響と否定的影響があり、障害者が身近にいるという環境が、一概に良い・悪いと言えるものではないことがわかる。他には、きょうだいへの支援活動をしているのは成人となったきょうだいが中心であり、いまだ支援は自活的な活動に留まっている。

 

 

次に、インタビューから得られたことをまとめる。

春学期のインタビューでは、上記にあるように3人のきょうだい児の方にご協力いただきお話を伺わせていただいた。協力者は筆者の大学の知人である。

1人目(Aさんとする)は弟が知的障害(県の分類では発達障害?)であり、現在はAさんが一人暮らしのため離れて暮らしている。女性。

2人目(Bさんとする)は妹がダウン症であり、現在もともに生活している。女性。

3人目(Cさんとする)は弟が自閉症であり、彼女も一人暮らしのため離れて暮らしている。女性。

 

インタビューで質問した内容を大まかにまとめると、

  1. 障害を持つ弟(妹)に対してどう思っているか。良かったなと思うこと、嫌だなと思うこと、困ったこと等
  2. 親と障害への考え方や理解について違いはあるか

3.親からの期待はあるか、親にこうして欲しかったとかはあるか

4.将来や結婚について

等聞かせていただいた。時間やその時の話の流れの都合上、インタビューをした相手によって聞いた内容は異なっている。

 

まず1.障害を持つ弟(妹)に対してどう思っているか。良かったなと思うこと、嫌だなと思うこと、困ったこと等についてだか、良かったことでは、許容範囲が広がることとか、他の障害者に対しても自分なりに理解できていることなどが挙げられた。また、AさんとCさんは現在特別支援の教諭をめざしそのための勉強をしているが、弟がそのきっかけになったと話していた。

嫌だなと思ったことでは、特にないという意見もあれば、その障害を持った兄弟の「お姉ちゃん」として家庭でも学校でも扱われることが苦痛であったという意見もあった。これはBさんの件だが、姉としてしっかりしていなければいけない、といったように、昔は気を張っていたという風に語っていた。他には、障害者に何か起きたときに行動ができない父親に対して不満を漏らす声もあった。障害者自身に対しての不満は、思ったことをそのまま言ってしまうことなどがあり、社会に出たときにやっていけるか危惧する声もあった。

 

  1. 親と障害への考え方や理解について違いはあるかでは、特にないという意見や考えたこともなかったという意見であった。他には、昔は親の意見がわからなかったけれど、最近ではそれも理解できるようになってきたという意見もあった。

 

  1. 親からの期待はあるか、親にこうして欲しかったとかはあるかについてだが、期待については特にされなかったという意見と、大変されたという意見に分かれた。期待をされなかったという意見では、親自身が、昔自分の親に期待されて嫌だったから好きなようにしなさいと言われる場合と、ただ単に期待されていない場合とがあった。また期待される場合では、障害を持った子にはどうしても限度があって、でもそうでないあなたは頑張ればそれだけ成果を出せるんだという様に期待されたと語っていた。特に勉強面での期待が大きかったという。

親にこうして欲しかったということについては、周りの人物が面倒を見てくれたから特になかったという意見もあれば、頑張っても障害を持った子が優先で見てくれないとか、苦労しているのは知っているので迷惑を掛けられないと感じていたという意見もあった。

 

  1. 将来や結婚についてでは、将来は自分が障害のある兄弟を面倒見ながら過ごすのも苦じゃないが親が施設とかに入れてもいいという風にいてくれているケースもあるが、まだ考えていないというケースもあった。結婚については、結婚した後一緒に暮らすのかどうかという問題や、理解のある人を見つけられるかどうかや、まずパートナーに障害のあるきょうだいのことを打ち明けられるかといった問題が挙げられた。打ち明けられるかという問題では、打ち明けたとして受け入れてもらえるかどうかが怖いという理由が挙げられていた。

 

上記のことより、インタビューとした人物の家庭環境や本人の気質、障害のあるきょうだいの特性などにより全く意見も多くあったが、障害児のきょうだいであるという環境から受ける影響について少し知ることができた。

 

 

以上が春学期の間に行ったことである。

秋学期の課題として、さらに文献を読み進めること、インタビューをより多くの人に行い、そこからきょうだいに対する支援の糸口を見つけること、きょうだい以外にも親、特に母親へのインタビューやアンケートの実施等を行いたいと考えている。

 

 

引用参考文献

・林隆(2008) 支援者の支援,発達障害研究 第30巻,第1号,30-38.

・今田真紗美・佐野秀樹(2010) 障害児・者のきょうだいが持つ感情のモデル化:感情のつながりに着目して 東京学芸大大学紀要.総合教育科学系.61(1):175-183.

・三原博光(2000) 障害者ときょうだい 学苑社

・大滝玲子(2012) 発達障害児・者のきょうだいに関する研究の概観 : きょうだいが担う役割の取得に注目して 東京大学大学院教育学研究科紀要. 51巻, 2012.3, pp. 235-243

・Stoneman,Z.Brody,G.H.Davis,C.H.Crapps,J.M&Malone,D.M,(1991)Ascribed role relations between children with mental retardation and their younger siblings. American Journal of Mental Retardation,95,537-550

・柳澤亜希子(2007) 障害児・者のきょうだいが抱える諸問題と支援のあり方 特殊教育学研究 45(1).13-23.2007

 

「中1ギャップを軽減する学級づくり」ー夏休みー

夏休みは中学生の「友人関係」と「学習」について研究し考察をした。

・伊藤美奈子、宮下一博『傷つけ傷つく青少年の心』北大路書房 2004,8

・保坂 亨『学校を休む‐児童生徒の欠席と教員の休職』 学事出版 2009,1,22

の2つ文献を読み、中学1年生2人を対象にインタビューを行った。

 

○友人関係

・『傷つけ傷つく青少年の心』を読み中学生の友人関係を考察した。以下は青少年の友人関係の実態において、友人との付き合い方を伊藤による研究結果を基に6つにわけて明らかにしていく。

①本音を出さない自己防衛的な付き合い方

この付き合い方は自分のありのままの姿を見せないで友達付き合いする傾向を示す。自分を友達に見せることを弱さだと考えたり、本当の自分を友人に見せて笑われたり、傷ついたりすることを恐れるためである。このような自分を見せては嫌われてしまうと心配することもありこのような付き合い方は研究結果から男女差は特に無く、中学生児童に多く見られた。

②友達と同じようにしようとする同調的な付き合い方

この付き合い方は、できるだけ友達に合わせて同じようにしようとする付き合い方である。自分一人だけが変わったことないように、自分だけが目立つことがないように気を付けて友達付き合いをする。これは中学生に最も多く見られ、男子よりも女子に多くみられる傾向であることが研究により明らかになった。

③できるだけ多くの人と仲良くしていきたいと願う全方向的な付き合い方

この付き合い方は、どんな人とでも友達になりたいと思っている人の付き合い方である。そのため相手を選ばず、誰とでも仲良くしようとして友達付き合いをする傾向がある。この付き合い方は女子よりも男子に多くみられる傾向である。

④自分が理解され、好かれ愛されたいと願う付き合い方

この付き合い方は、みんなから愛され、好かれたいという気持ちでの友だちづきあいである。それだけ友達付き合いを必要としていることが読み取れるが、同時に自分から友人を理解しようという姿勢ではなく、受け身の付き合い方をしている場合もあることを注意しなければならないとされる。こちらに関しては中学生児童よりも高校生・大学生の女子に多く見られることが結果により明らかになった。

⑤自分に自信を持って友達と向き合える付き合い方

この付き合い方をする人は、友達と自分の考え方が異なっていてもその事実を受け止めることができる。したがって意見がぶつかることを恐れず、友達と真正面から付きあっていく。自分と友達が別の個性を持っていることを理解しているため、友人と違っていても自信を無くし、傷つくことは少ないことがわかる。しかし共感し合える関係ではないかもしれないことも考えられる。これに関しては中学生、高校生、大学生共に年齢的な差は見られないが、女子よりも男子に多くみられるのが特徴であることがわかった。

⑥自分を出して積極的に相互理解をしようとする付き合い方

この付き合い方は、傷つくことを承知のうえで深いかかわりを求め、積極的に友達付き合いをしていく傾向を表す。友人同士で本音を言い合い、内面の深いところで付き合うことが友人関係だと考え、高校生・大学生の女子に多くみられる結果だった。

分析結果から中学生児童による友達付き合い方は①、②、③の項目が大きく占めることが明らかとなった。いずれにせよ中学生児童は相互理解を求める友人関係ではなく集団・グループを意識した友人関係を必要とし、その中で自分は周りにどう見えられるかといった不安を抱えながら対人関係を築いていると推測できる。

・『学校を休む‐児童生徒の欠席と教員の休職』の文献を参考に子どもの心理発達という面からも中学生の友人関係を考察すると以下のことが言える。特に思春期では同性の親密な友人関係「chum」の存在から集団内適応が重視されることや親離れをする時期との関連からいじめや不登校、家庭内暴力等が多くなっている。子ども達にとっての思春期とはそれまでの身長、体重の増加といった量的な変化がある。更に、精神面や今までに経験したことないことに挑戦するといった質的変化も伴う困難な時期である。保坂によると、子ども達が次々と児童期から思春期へと心理発達上の移行をしていく難しい時期に小学校から中学校への環境移行がかさなっていることが言える。

また、保坂による調査では小規模の小学校から大規模の中学校へと進学する児童に長期欠席や不登校が多いことがわかった。原因として、それまでの小さな集団から大きな集団へ

と移行することに加え、学級編成により多くのクラスに平均的に分けられることでクラス

にほとんど知り合いがいないという状況に身を置く心理的負担が上げられる。

よって考察として集団や親密な友人関係を求める思春期・青年期の子ども達にとっては大きな負担となり、登校意欲にも影響してしまうことが明らかになった。

従来、思春期・青年期の対人関係の深刻な悩みとして、対人恐怖の問題が(永井、1994)が言及されてきた。対人恐怖は対人場面との関わりで現れ、人前での緊張や赤面、人から見られることが気になる、他人といると表情が硬くなってしまうことへの不安、羞恥、恐怖とされる。対人恐怖は過去の問題のようにも言われる(山田、1992)が、明るく社交性のある者でも「周りが自分をどうみているのか気になる」という悩みを抱え、「そのように悩んでいることを絶対に他人に知られたくない」と語っているようだ。また、永井は「友人関係がグループ化しており、トイレにいくのも同じ仲間で誘い合い、それ以外の人と仲良くしていると村八分的になるため、いつも友人関係には気を使っている」現状を指摘している。「周囲との良い関係という規範に非常に縛られている」現代の青少年期の対人関係の気苦労が推測できる。対等な対人関係を結ぶうえで障害となっているものとして「青年期のヤマアラシのジレンマ」から説明できる。伊藤(2004)によると現代の青年は相手と親密な関係を持ちたいと思う一方で、傷つけ合うことを恐れ、適度な心理的距離を模索している」と述べている。つまり「近づきたいが近づき過ぎたくない」「離れたいが離れ過ぎたくない」という「適度さ」において敏感であることを指摘し、人と親密になることにも、離れていることにもためらいがあると思われる。それは、自己を傷つけることと相手を傷つけることを恐れているためであり、このジレンマは相手に嫌われたのではないかと萎縮したり、相手との関係を確かめるためにしがみついてみたり、反対に相手との関係に見切りをつけようとする気持ちが働くと推測できる。

 

○勉強(学習面)

小学校から中学校に進学すると、学校生活は勿論、授業自体も小学校とは一変する。勉強の内容が難しくなり授業のスピードも速くなることは一般的によく言われる。また中学では特に学習面において生徒同様保護者も関心の度合いが増えていくのではないか。筆者自身も中学校に入学し、初期の頃の授業は小学校とは異なり進みが早く、教科の先生によっては厳しく精神的負担が大きく適応することに努力をした記憶がある。また定期テストにより明確に結果が出ることで客観的に自身の学力がわかってしまうことも学習面における負担の一要素ではないか。以下は中学1年女子生徒2人にインタビューへの協力を依頼し、内容を一部まとめたものである。

筆者「春から中学校生活が始まり、1学期分が既に終わったけど学習面において振り返ってみてどうだったかな?勉強は難しかったかな?」

生徒A「小学校から英語の授業はあったけど中学校の英語は覚える単語が多くて文法もあるから苦手になってきた。」

筆者「その苦手な英語はどうやって勉強してる?何か先生から指示とか出てるのかな?」

生徒B「次の授業の内容の穴埋めプリントが配られて、予習に使っている。予習したかどうか次の授業で先生にチェックされるから毎回ちゃんとやってる。」

生徒A「予習はプリントが簡単だし、教科書の英文をノートに写すだけだからそんなに大変じゃない。でも毎回テストが難しくて点数が悪くて親に怒られるから英語は嫌い。」

生徒B「私ん家も小学校の時は勉強についてあまり言われなかったけど中学校になったら順位が良くなかったり下がっちゃうと怒られる。塾に行ってるのにってよく言われる。」

筆者「中学生になって塾通う人多くなるよね。授業自体はどうかな?進みが早い?小学校と違くて驚いたことある?」

生徒A「教科ごとに先生が違くて、授業の進め方も違うこと。プリントで授業すすめたり板書だったり…板書は先生によってノートの取り方も違う時があって大変。」

生徒B「初めの授業は内容も簡単だし、授業もゆっくりだったけど、いつのまにか進みが速くて板書間に合わなかった時があった。」

以上これらのインタビューより、中学では学力が成績として数字化され、順位が出てしまうことで小学校では感じることがなかった友人との学力差が明確になってしまう。そのため子どもも自身の実力を知り不安を促進させてしまうことが予測できる。更にその明確な成績により小学校の通知表では「うちの子はできる方だ」と思っていた保護者も不安に駆られ、我が子を責めることはあってはならないだろう。その定期テストの評価が公立高校入試の合否判定に用いられる内申点に直結する地域も多いため、不安に繋がる心境も分からなくない。また教科ごとに教員が異なるため、授業の進め方やノートの取り方もそれぞれ変わってくる。中学1年の初期では、中学校の教員も優しく授業の進度もゆっくりと進める。しかしそれでも始めから勉強についていけない生徒もいることも注意しなければならない。教科を指導する教員も増え、生徒はその増えた教員数分の方法に慣れることが求められる。具体的には、話し方、授業のスピード・ルールが異なる点、授業によっては教室が違う、小テストの形式、宿題の提出日など、これらに適応できる生徒やできない生徒がいることを、担任を始め各教科の教員が認識することが重要であると考える。授業準備が苦手な生徒はそれぞれの教科の手順に合わせる段階で混乱し、やる気をなくすこともあるのではないか。中学になると1日に6教科あり、教材の量も増えるため準備や自己の管理力が必要である。教科書やノートは勿論、ワークや資料集、辞書更には実技等の教材もあることで、整理整頓が苦手な生徒や忘れ物が目立つ生徒が出てくる。このような生徒を教科への関心や意欲が無く態度が悪いと判断することはあってはならない。生徒が教科に集中できる環境を作るために教材数を極力減らすことや初期段階で必要ないものは家に持って帰らせるまたはロッカーへ整理して管理することを丁寧に指導していくことが重要ではないか。その指導は担任や各教科の教員と共通であることが望ましいため日頃から生徒の情報やそのクラスの特色を共有し連携した体制で運営することが今後の課題である。このような中学生生徒の学習問題は学校任せではなく、家庭でも正確に認識する必要がある。我が子が思春期や反抗期を迎え難しい時期だからといって、勉強のことは細かく確認せずに子ども自身や学校任せて数値化させた評価だけにとらわれてしまっては子どもは学習に負担を感じてしまう。つまり、小学校から中学校へ移行する間に子どもの得意・不得意なことや学習習慣や学習スタイル等を具体的に確認しておくことで子供が抱える学習や中学校生活での問題・悩みが家庭において早期に対応が可能となる。子どものストレスや変化を素早く発見できるのは家庭であり、保護者である。保護者と担任を始め学校が日頃から良好な関係で情報を共有していれば、子ども自身も保護者や学校に相談し易く、相談を受けた周りの大人たちも相談に乗ることができるのではないか。基本的に中学では自主的に学習する力を養うことも必要であるが、学校側も家庭側も子ども達を中学生になったのだからといって始めから自立性や自主性を求めてはならない。入学初期は子ども達自身も緊張と新しい生活に不安や戸惑いもあるため教員はその心理を十分に理解することが必要だ。一人一人注意深く観察し子ども達の適応の度合いによって援助やサポートをしつつ中学の新しい学習・生活スタイルを学ばせることが重要である。

以上が夏休みに行ったことである。秋学期は「部活動」を中心に文献やインタビューにより研究を進めていく。同時に大学生を対象としたインタビューも進め、その結果から「友人関係」や「学習面」等に関してもより詳しく分析する。最終的に「中1ギャップ」を軽減し、生徒一人一人がストレス無く中学校生活に適応できるために教員ができること・役割について考察していきたい。

 

「中1ギャップを軽減する学級づくり」ー春学期ー

1 はじめに 

私は昨年の人間科学基礎演習で「中学生の不登校」の実態を理解するため研究をしていたが以下のことが明らかになった。文部科学省による2011年度の「児童生徒の問題行動調査」では、「不登校の数は小学6年では7522人なのに対し、中学1年では2万1895人と約3倍に跳ね上がる。これが中3になると更に増え、4万人弱に達すると予測できる」と示されていた。また同様に平成22年度「児童生徒の問題行動等生徒指導上の諸問題に関する調査」では不登校になったきっかけに注目し、小学生では上位3位に「不安など情緒的混乱」、「無気力」、「親子関係をめぐる問題」が挙げられる。本人や家庭に関わる問題が多いのに対し、中学生では「不安など情緒的混乱」、「無気力」の他に「いじめを除く友人関係をめぐる問題」が上位3位に含まれる。その他にも「学業の不振」や「教師との関係をめぐる問題」等も報告されている。よって、中学生になると学校に関する問題が不登校と関係していることから、不登校とは特定の子ども達に特定の問題があって起こるのではなく、どの子供にも起こる可能性があるものとして注目しなければならないのではないか。同様に子ども達の小学校から中学校への環境変化に対する不安・悩みを理解し迅速に対処することで生徒がより快適に学校生活を送ることや不登校・いじめを未然に防ぐことが可能となるのではないか。

 

2 研究の動機 

そこで今回は「中1ギャップ」に視点を当て、その特徴や学生の心理に理解を深めることでよりよい学級づくりを考察していきたい。「中1ギャップ」とは小学生が新中1生となった際に学校生活や授業のやり方が今までとまったく違うため、新しい環境になじめないことから不登校となったり、いじめが急増したりするなど、様々な問題が出てくる現象のことである(Benesse教育サイトより参照)。学級担任制から教科担任制への移行に伴う学習面でのつまずき、部活動が始まることによる生活リズムの変化や先輩後輩といった上下関係の難しさが原因となってくるのではないか。その他にも心身共に成長する子ども自身のとまどい、違う学校から集まってきた子ども達との間で為される友人関係の不安等も挙げられる。このような新しい環境のもとで学校生活を送る子ども達は不安や悩みを抱え、大きなギャップに苦しんでいると考えられる。このような多様な生徒に対して柔軟に対応が行き届いていない現代の学校教育に問題がある。そのため、このような問題に対して教員は個に応じてどのような支援が求められるのか、また教師の働きかけにより学級全体でどう改善していくべきか考える必要がある。今回は、友人関係・学習面・部活動の3点に絞って研究していこうと思う。

 

 

3 研究方法 

中1ギャップをテーマとして調べるにあたり、主に大学生(10人前後)を対象に当時を振り返ってもらいインタビュー調査をしたいと考えている。インタビューの内容としては、「中1ギャップを感じていたか否か」、「原因は何か(友人関係・学習・部活動等)」、「どのようなクラス環境を望んでいたか」等を伺いたいと思う。また今年度中学へ入学した知人の子どもも数人いるため今の学級の印象についても話を聞きたいと思う。可能であれば母校の中学校の教員にも調査を協力してもらい、対応策や考えを伺いしたいとも思う。他にも現代における教育の問題や青少年の心理を扱うため2000年以降の文献を対象とし研究を進めていく。

 

※現在の状況 

春学期においては『教室内カースト』(鈴木翔 公文社2013,4,5)と『桐島、部活やめるってよ』(朝井リョウ 集英社 2012,4,25)の2つの文献を中心に扱い、グループで現代における小中学生の友人関係を討論して情報を共有した。以下は、中学生の友人関係についてまとめたものである。クラス内の友人関係を理解するためスクールカーストを取り上げた。鈴木翔の『教室内カースト』の文献と映画『桐島、部活やめるってよ』から次のことがわかった。先ず始めに生徒間の格差は、体育会系部活が上位に、文化部系部活は下位に位置することである。映画ではバレー部が上位のカーストとして取り上げられ、グループ内の討論でも野球部やサッカー部、バスケ部等といった体育会系の部活が上位であり、結果を残している部活であることがわかった。(しかし吹奏部といった文化部系部活動の方が上位に位置する場合も考えられるため、部活動だけで判断するのではなくその学校の特徴も踏まえることが必要である。)次に、部活以外にもイケメンや運動のできる者・面白い者は上位カーストで、地味で目立たない者は下位カーストを占めることがわかった。つまり中学生の人間関係には外見やその人が持つ雰囲気・キャラクターが非常に重要であることが伺える。ある女子のトップグループ(カースト上位)は制服に着方や髪型、持ち物、歩き方、喋り方等見た目から一瞬でわかる。また学生はその格差(カースト)を前提にコミュニケーションをとり、カーストが上位な者同士・下位な者同士でまとまる。このようにして上位の物と下位の者が直接的にコミュニケーションをとっている様子はみられないことも特徴的だ。最後に、カースト上位の者は学校生活を生き生きと過ごし、下位の者は対抗心自体はあるが直接的に言えず葛藤を抱えるとされている。しかし実際は下位の者は勿論上位の者も不満やコンプレックスを感じているため、同じ学校生活や出来事でも学生一人一人によって見え方も感じ方も異なることがわかる。

これらのことから学生は容姿や対人能力、ファッションセンス、運動能力、学力等で学校内における身分が決まってしまうことがわかった。また各登場人物はそれぞれ悩みを抱え、友人にさえも隠したまま互いに表面的に関わることも伺えた。このスクールカーストという考え方は中学生にも当てはまり、中1の時点である程度一人一人の立ち位置が確立してしまうのではないか。つまり中1の第一印象や入部した部活動によって友人関係や学級内での役割が決まってしまうと考える。小学校には存在しなかった人気ヒエラルキーに加え中学校での生活の変化や学習面での悩みを一気に抱え込むことで「中1ギャップ」をひきおこしてしまうと予測できる。

 

以上が春学期に行ったことである。

環境としての人間「スクールカースト」~春学期に行ったこと~

ゼミテーマ【環境としての人間】として私は「スクールカーストの現状と緩和へ」を個人テーマに設定し、研究を進めることにした。 何故スクールカーストに焦点を当てたかというと、自分自身が高校一年生時、クラス内での権力序列に気付いたというのがそもそもの始まりである。私自身、新学期早々は権力の高いグループに所属していた。俗にいう「イケてるグループ」である。しかし、ある友人とのケンカをきっかけにして階級でいうと「普通のグループ」になってしまったのである。その際に、何か言いたくても言い出せない抑圧された空気感が生徒間の中に確かに存在していた。私はそんな空気感の中で何がこのような状況にさせてしまっているのか、あるいは人間関係にこういうもの(抑圧された空気感)がつきものだろうかといった素朴の疑問を抱いた。当時は、特にイジメという認識もなく、騒いで問題視することはなかったが、大学に入り、教育社会学を学ぶにつれて当時の状況は何が原因だったのか、原因があるとすれば、どのように対応することができるのか、再度気になり、この「スクールカースト」を研究対象にした。 そもそも「スクールカースト」という言葉はインドの伝統的な身分制度になぞらえて「カースト」。さらに学校特有のものであるから「スクールカースト」ということになる。そしてそれは、生徒間での「人気や『モテ』を軸とした序列」を意味するものである。     この「スクールカースト」を研究するにあたり、研究文献としてこの春学期は鈴木翔さん著:本田由紀さん解説の「教室内カースト」という文献を読むことからスタートした。 また、朝井リョウさん著の「桐島、部活やめるってよ」という文庫本は最近の学校内での人間関係が鮮明に描かれているものであり、同じく研究文献として取り上げた。そして実際に映画化された「桐島、部活やめるってよ」を見て、「スクールカースト」の現状を調べた。   ○映画から窺えたもの   部活動によって階級制度が存在する。この映画では運動部が文化部よりも権力を持っていた。特にバレー部は全国大会進出が期待されるほどの実績ある部活であり、校内皆から一目置かれていた。それに比べ、映画部は文化部の中でも下級に属し、校内皆から冷めた視線を浴びる部活であった。しかし、映画部は独自の価値観を貫いた結果かどうかは定かではないが制作した映画がコンクールの一次審査を突破したことが映画部部員にとって自信に繋がったのは確かであろう。そうした自信が同じ文化部である吹奏楽部に場所取り交渉をするまでに繋がったのだと推測できる。   運動神経・カップルは権力関係を強化する一要因である。何をするにしても「できる人間は上へ」「できない人間は下へ」となってしまうのは映画からも窺えることである。 映画内で登場する“宏樹”はその典型的な人物であろう。野球を過去にしていながらサッカーもバスケもこなせる人間はクラスからの尊敬の眼差しを浴びる。それに加え、宏樹には彼女がいる。異性と付き合うことはすなわち「できる人間」として扱われ、権力関係をさらに強化する元凶になっていると考えられる。   「スクールカースト上部ほど自分の考えに芯がない?!」「スクールカースト下部ほど自分の信念がある?!」これは私がこの映画を見て、最も感じたことである。映画からわかるように、桐島が部活をやめることを知った周りの人物は四六時中桐島が学校にすら来ないことに振り回される。特に桐島の彼女は自分宛てに連絡が来ないことを不満に感じ、周りの人間にその不満をぶつけ周囲の人間関係を悪化させる原因を作ってしまっている。また、宏樹は野球部主将や映画部の前田(神木隆之介)と会話する中で彼らは信念をもって生きていることを理解し、自分はただなんとなく生きていることに強く心を打たれ涙を流すシーンが最後にあった。これらのことからカースト上部にいる人間ほど上部にいる人間関係の中でなんとなく満足感を得ていて、生きるということに芯をもっていないのではないかと感じた。   映画では上記したことが窺えた。よってスクールカーストで上に所属するかしないかでは学校生活の景色が違う一方で両者の考え方も異なっていることがわかる。   さらに文献を読み進め、「スクールカースト」では大きくなにが問題なのだろうか。 ○一つにイジメの元凶になっているということである。 イジメの定義が2006年に「一定の人間関係のあるものから心理的・物理的な攻撃を受けたことにより、精神的な苦痛を感じているもの、なお、起こった場所は問わない」と再定義されたことを受け、「スクールカースト」そのものが精神的苦痛を感じさせるものであるとすれば、いじめになるのではないかという見解も存在する。いじめになるのかどうかはさておき、スクールカーストが一つにいじめの土台になってしまっていることやいじめとの境界線が非常にあいまいになってしまっていることは、学校教育を考える上では決して好ましいことではない。 ○二つにスクールカーストにより、個人の将来性が左右されてしまうのではないかという懸念である。 文献からはスクールカーストの上部ほど、自己主張ができ、学校生活を円滑に過ごすことができる傾向にあるとされていた。しかし一方で、下部は自己主張する機会がスクールカーストの抑圧された空気感によって圧倒的に少なくなってしまう。よって、自分の意見は通らず、自分自身に自信を持てなくなってしまう傾向にあるとされる。 これらの問題点を考えると、学校教育に従事しようとするものとしては決して好ましい状況ではないと思うのだ。私はこの自身の経験に加え、こういった現状があることを踏まえると、どうにかこの「スクールカースト」の構造をなくすことはできないかと考えた。 そこで、「スクールカーストをなくすことはできないか」のヒントを得るためにインタビューを行った。   ○インタビュー対象 自らを振り返ることができることを想定して大学生 ○インタビュー方法 スクールカーストがあったのかという事実確認からはいり、どんな状態であったかの深く聞く。その際には特に質問をあらかじめ設定して聞くことはしない。 そして、スクールカーストがあれば、どうしたらなくせると思うか、あるいはスクールカーストのような序列関係がなかったとするならば、それがどのような状況だったかを語ってもらう。   ○春学期のインタビューから窺えたこと   ・まさにスクールカーストの状況が中学ではあって他人の顔色を窺いながら生活していたかな。なんでそうしていたかというと、本音で思ったことを全部言っちゃうと周りから「なにいきがってんだよ」って言われそうで、グループから省かれそうでさ。スクールカーストは自然とできちゃうものだから、なくすのはちょっと難しいと思う。 (大学三年生女) ・おれの中学はそんな状況なかった気がするけどな。それは俺がクラスの人気者でグループでは上にいたからなー。あんまわからなかったのはそれせいかも。でも高校に行ったら、自分よりも人気者がいて、そいつのいうことにはなぜか説得力があってみんな自然とついていくような感じだった。ただ、そいつがちょっと偉ぶっているというか、自分でも(権力あることを)気づいているみたいで、取り仕切っている感は何となく嫌だったかな。(大学三年生)   といったようなインタビューであった。 春学期行ったことは以上である。