大学のオンライン授業拡大を文科省が容認の方向

 毎日新聞に次のような記事がでた。
「大学のオンライン授業「60単位上限」規制緩和へ 留学生獲得後押し」(2022.2.3)
 現在、上限が60単位となっているオンライン授業を、より緩和するということだ。私は、インターネットは大学のあり方そのものを変えることになると予想している。私は、既に定年退職してしまったが、この動向に関与できないのは、少々残念である。映像付きのオンライン授業はできなかったが、インターネットを可能な限り活用して、授業だけではなく、前後に様々な実践をしていた。
 コロナによって、オンライン授業が普通になったことによって、これまでの大学の制約を大きく取り払う可能性がでてきた。もちろん、可能性であって、実施するかどうかは大学自体が決めることだ。それは、積極的に活用する大学と、消極的な大学の格差が開いていくということでもある。

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教員不足 文科省に大きな責任がある

 読売新聞(2022.2.1)に「教員不足、ハローワークに求人も…授業できない事態に現場悲鳴「毎日電話で頭下げてる」」という記事が掲載された。何を今更という感じだ。私は、既に20年以上も前からこういう事態が来ると、あちこちで書いていた。最も大きな要因は、文科省が、教師を尊重していない点である。
 35人学級の実施、特別支援学級の増設、高齢者の大量定年退職、産休等々、様々な原因が書かれている。そして、教育委員会が、教師確保のために、電話をかけまくっている状況が報道されている。https://news.yahoo.co.jp/articles/609bca3cead773cd35ae5cb9c3bf9998d9a95faf
 似たような記事は他の新聞にもある。
 しかし、単に不足しているだけではなく、より深刻なのは、教師志望者が減少していることである。「コロナ禍で大学の説明会を十分に行えず、教師のやりがいをアピールできない」という嘆きを紹介しているが、事実は、その逆だろう。教師のあまりの過酷労働が、誰にも知られるようになり、「やりがい」などあるのか、という疑問が学生のなかに浸透していることだろう。いくら、やりがいをアピールする場があっても、響かないのではないだろうか。だから、いくらアピールしても、教師の労働条件が根本的に改善されないと、志望者が増えることはないに違いない。

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共通テストの不正再論 本当にスマホを使ったのか

 入試問題を研究してきた人間として、今回の事件は、注目せざるをえない。やったという本人が現れて、一部手口が報道されている。それによると、スマホを袖口に隠して操作したということと、一人でやったと白状しているというのだ。昨日、スマホを使ってやるのは、99%以上の確率で不可能だと書いたので、再度書かざるをえないと考えた。
 正確なことを公表すると、まねする受験生が出る可能性があるから、本当ではないやり口を公表したという可能性はあると思う。当初は、やりくちは公表しないのではないかという憶測も流れていたから、ありうると思うが、そうだとすると、やはり、私の想像した手口は異なる。
 
 とりあえず、スマホを袖口に隠して操作したということだとすると、まず自白の信憑性を疑わざるをえないということだ。本人が手口を隠している可能性もあるが、それは警察としても、実際にやってみさせるだろうから、検証しているだろう。ただし、「一人でやった」というのは、かなり無理があるのではないか。

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大学共通テストでの不正

 大学入試で、これだけ世間を騒がせた不正は、久しぶりではないだろうか。私が若かったころは、毎年のように新手の不正が登場したものだ。いまだに記憶にある印象的なものは、当時刑務所で入試問題を印刷していたが、印刷にかかわっていた囚人が外と連絡をとって、休憩時間にラグビーボール(?不確か)のなかにゲラをいれて、塀のそとに蹴りだした事例と、さる有名女子大で、娘の代りに父親が替え玉受験したという事例だ。特に後者については、いまでも頻繁に話題になる。母親が替え玉になるのはわかるが、父親が娘の振りをするというのは、なんとも大胆だ。私の記憶では、すね毛が濃いことに不信をもたれて発覚してしまったのだが、黒いストッキングでもしていればわからなかったのに、と冗談に言い合ったものだ。
 その後、受験生の入構チェックが厳しくなったとか、試験中の監督も厳しくなり、そうした不正は少なくなり、不正はほぼ私大の医学部に集中するようになっていた。ちなみに、大学紛争によって、入試粉砕闘争なるものが行われるようになる以前は、入試の最中でも、普通に学内にはいることができたものだ。そのため、いくつかの大学では、現役学生が学内に控えていて、入試が始まると試験問題を受け取り、急いで解答して、正解答集を印刷して、帰宅する受験生に販売するなどということも行われていた。これは構内にはいることができるため可能だったわけだ。

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教育の再政治化? 小玉重夫氏への疑問

 この間「教育的価値論」について、少々拘っているが、『教育』2月号に佐貫浩・佐藤広美新旧委員長の論争が出ていたので、興味深く読んだ。佐貫氏が、小玉重夫氏の論を「暴論」と決めつている文章があったので、そこから入りたい。それは
 
 「『教育的価値』概念が、『日教組系の教師たちの教育実践を支えていた民間教育運動とそれを支えていた革新系教育学も脱政治化し、教育的価値の中立性を担保する「子どもの発達」という概念が脱政治化のシンボルとなり、政治教育を促進しようという旧教基法8条2項の中立性を、教育を脱政治かするための中立性への転化させ、学校での政治教育を行うことをそれ事態を抑制させる効果を果たすことになった』という批判」を論理的に理解しがたい暴論というべきであろう。」(『教育』2022年2月号p64)
 
という文章に現れている。
 小玉氏の文章は、『岩波講座教育変革への展望1 教育の再定義』に収録されている「公共性の危機と教育の課題 教育の再政治化とどう向き合うか」という文章である。(以下の紹介はこの論文)佐貫氏の論文全体の趣旨に賛成するものではないのだが、確かに、この児玉氏の論は、理解しがたい文章である。そこで、児玉氏の検討から入りたい。

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入試に皇室特権はあるのか あるのは政治力の行使だ

 悠仁親王の高校進学問題は、いよいよ受験シーズンに突入して、ますます大きな話題となっている。これだけ、世間に晒させてしまったという点で、両親の責任は重いといえる。
 題名のように、皇室特権という言葉で、語られていることが多い。秋篠宮は、本人のいきたいところに行かせたい、と語っているらしいが、そもそも受験の世界では、本人のいきたいところに無条件でいけるわけではない。いきたいという希望は大事だが、世間には「試験」という関門がある。まるで、秋篠宮のいい方は、「関門」は自分たちには存在しないと思っているかのようである。確かに、「学者」のなかには、皇族は行きたい学校にいけるという特権がある、と主張している人もいるらしい。
 では、どうなのか。
 結論をいえば、そんな特権は、どんな法令・規則にも書かれていないはずである。確かに戦前は、皇族は学習院で学ぶことが規定されていた。学習院は、天皇家のための学校として出発したのだから、皇族や華族が特別な地位を占めていた戦前においては、それは当然のこととして受け取られていたに違いない。

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東大前での刺傷事件を考える

 不可解で悲惨な事件が起きてしまった。名古屋の高校生が、大学共通テストが行われている東大の前の道路で、複数の人に切りつけたという事件である。高速バスで名古屋から上京し、地下鉄の駅(たぶん本郷三丁目だろう)付近で放火をして(たいした被害とはならなかった模様)、その後、東大に向かっての犯行だったという。刺された一人は高齢者で、残り二人は受験生だった。受験することができなかった彼らに対して、どのように配慮するかは、今後の検討による。
 報道されている限りでは、名古屋の最も進学実績の高い伝統校(私立)で、二年生だった。東大の理三をめざしているが、成績が落ちて医者になれそうにないので悩んだ結果としての犯行だったことを仄めかしているそうだ。 
 これ以上のことは、大手メディアの報道ではわからないが、ネット情報を検索していくと、ますます理解が困難になっていく。

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教師の免許更新制廃止大賛成 他にもある安倍内閣による教育改悪を戻そう

 教師が10年ごとに、必要な講習を受けて、教員免許の更新をしなければならない制度が、いよいよ廃止されることが決まったようだ。従って、新年度からの講習は開催されないことになるのだろう。大変いいことだ。医師や弁護士のような高度な専門性を必要とする資格ですら、更新制度がないのに、教師にだけ更新義務を課すのは、いかにも教師いじめ的な現象だし、そもそも、短期間の講習とテストを受けて、教師の力が増すわけでもない。いかにも、教育現場を無視した、安倍内閣の人気とり政策であったのだから、廃止はもっと早くになされるべきだったが、もちろん、実施当人の安倍内閣では不可能だったのが、やっと、安倍内閣が終わって、廃止に向かって動き出していたわけだ。

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大学入試特別措置から考える改革

 今年もコロナが入試に対して大きな影響を与えている。しかし、入試に対してマイナス要因となる自然の猛威は、決してコロナに始まったことではない。インフルエンザや大雪などは、毎年のように問題となっていた。そういうことから考えると、コロナへの対応は、度を越しているのではないかと思われる部分もある。大学共通テストを前提とした試験なのに、コロナのために二度とも受けられなかったら、二次試験や独自試験で対応せよなどという、可能なのかと疑問になるような措置も、文科省からだされている。入試は、具体的措置については、どのようにやっても、どこからか不満が出てくるもので、万人が満足するやり方などはないことは、理解しておくべきだ。
 
 もちろん、今回の受験にはまったく関係ないが、長期的に日本の大学入試は、抜本的に見直す必要があるのではないかと思う。

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読書ノート『知の鎖国』アイヴァン・ホール2

 本書のコメントからは離れてしまうが、どこまで一般化できるかは別として、私自身の体験を書いておきたい。元同僚たちの批判になってしまうが、現在ほぼ全員が退職しており、かなり昔のことなので、あえて書くことにした。ここで書いたような側面はあるが、皆まじめで、誠実な人たちであったことは、断っておきたい。
 日本の知識人たちが、少なからず、外国人に対して、あるいは外国で教育を受けたものに対して、排外的な姿勢をとることの具体例である。
 
 第一は、私がまだ大学院の担当者であったときのことだ。大学院の入試判定前の段階で、受験可能かどうかの問い合わせについて議論したものだった。
 その受験予定者は、イギリスの大学を卒業していた。しかし、一般的なイギリスの大学は3年間で終えることができる。ヨーロッパの大学は4年制であるが、修士号を付与することが一般的である。尤も以前は6年が原則だったので修士号の付与は当然だったのだが、カリキュラム改革などを経て4年で終了できるようにして、修士号付与はそのままだったのである。だから、学士号を付与する教育機関は、3年でオーケーということになっているのだ。
 そのことで、日本人がイギリスの大学を卒業したが、日本の大学院は4年間の大学教育を条件としているので、問い合わせがあったわけだ。

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