透析中止の福生病院を家族が提訴

 昨年8月に大分話題になった福生病院での透析患者の死に関して、遺族が病院を提訴すると報道されている。この問題については、何度か、このブログで意見を書いたが、新しい段階になったので、再度この提訴について考えてみる。
 起きたことを整理すると、透析治療をしていた40代の女性患者が、腕の血管のシャント(分路)がつまったために、それまでの透析が不可能になり、かかりつけの病院から、福生病院に相談にきた。そこで、病院は、首から管をいれて透析を続けるか、透析をやめて治療中止するかというふたつの選択を示した。女性はシャントが詰まったら、透析を継続しないという気持ちをもっていたために、中止を申し入れ、病院は文書で確認をした。これが8月9日。そして、中止をしたので、帰宅をした。しかし、そのうち苦痛が甚だしくなったので、やはり透析を再開したいと考えて、福生病院にいったところ、文書があるということで、病院側は、透析再開をしなかった。女性は夫にも訴えたが、夫がたまたま仕事で遅くなり、病院に駆けつけたときには、亡くなっていたということだった。再度の入院が14日、死亡が16日である。 “透析中止の福生病院を家族が提訴” の続きを読む

N国党訴訟、N国の敗訴は大きな意味がある

 大分前のことになるが、いろいろと話題のN国関連の裁判を取り上げたい。毎日新聞20189.9.26に、「N国市議敗訴で注目『スラップ訴訟』って何?立花党首『相手にダメージ』公言」という記事がある。記事の最後には、識者が画期的と評価していると書かれているから今更であるが、やはり、非常に優れた判決であるので、書いておきたい。
 訴訟は、N国の東京都立川市議久保田学氏が、フリーライター石渡智大氏を名誉毀損で訴えたのに対して、訴えられたライター石渡氏が反訴していたものだ。つまり、石渡氏は、市議に当選した久保田氏が、居住実績がないとする記事を書いたのに対して、名誉毀損として200万の賠償を求めたわけだ。それに対して、石渡氏は、スラップ訴訟だとして反訴、120万の賠償を求めたという、双方が相手を訴える訴訟を起こしていたわけだ。 “N国党訴訟、N国の敗訴は大きな意味がある” の続きを読む

金田正一のすごさと思い出

 思い出といっても、もちろん直接の知り合いではない。しかし、金田は、私が少年時代、野球を始めたころ、既に大投手で、実際に球場で何度も見た。小学生だったが、後楽園球場には何度もいったし、巨人対国鉄の試合には、ほぼ確実に金田が登板していた。当時は日曜日がたいていダブルヘッダーで、そんなときには、第一試合で金田が完投して、第二試合で国鉄が有利になると、終盤金田がストッパー(当時はそんな言葉なかったが)として再度登板。一日で2勝をあげるなどということが少なくなかった。400勝のなかには、こうした勝利が何度もあるはずだ。
 金田の直接の思い出はたくさんある。現在のプロ野球の監督やコーチでも、直接金田の投球をみたことがある人は、ほとんどいないはずだから、日本プロ野球史上最高の投手として、金田をあげない人がけっこういるが、金田を実際に知っている人からすれば、最高の投手は金田以外はありえないだろう。 “金田正一のすごさと思い出” の続きを読む

愛知トリエンナーレ3 芸術の自由を考える

 愛知トリエンナーレの中止になっていた「表現の不自由展その後」が再開になることが決まったが、そのあともいろいろと解決できない問題があるようだ。文化庁からの補助金が拠出されないことになっており、事態はまだまだ流動的だ。そして、表現の自由、芸術の自由に関する議論も、さまざまなに出されている。
 毎日新聞の9月1日付けに奥山亜喜子氏のインタビューをまとめた記事が掲載されている。氏によると、ドイツ憲法には芸術の自由が規定され、「文化政策では、支援はしても(内容には)口出しをしないのが原則」のだという。 “愛知トリエンナーレ3 芸術の自由を考える” の続きを読む

アントリス・ネルソンスのカルメン 40年経つと同じ演出でもずいぶん違う

 youtube を開いたら、偶然ネルソンス指揮の「カルメン」があった。ネルソンスには興味があるので開いてみると、それは、2018年1月のウィーンでのライブ、しかもフランコ・ゼッフィレルリの演出となっている。見てみようと思い、2幕まで視聴した。ウィーンやミラノなどの常設歌劇場は、ひとつの演出で公演が行われると、その演出でしばらく上演が続く。とはいえ、長く続く演出は、どのくらいあるのかわからないが、このカルメンはプレミエが1978年、カルロス・クライバーによる有名な演奏だから、40年続いていることになる。同じゼッフィレルリのミラノにおける「ボエーム」は1963年がプレミエなので、半世紀以上続いていたし、世界中で採用されている演出である。彼の他の演出もけっこう広く、かつ長く継続しているので、理由があるのだろう。私が推測するに、彼の演出は、とにかく「豪華」でお金をかけていることがすぐにわかるのが特徴だ。ゼッフィレルリは、ギャラはあまり要求しないが、演出にかかる費用は惜しむな、という姿勢を保持していたらしい。それは舞台を見るとすぐにわかる。
 まず最大の特徴は、人がたくさん出てくることだ。ボエームの第二幕、カルチェラタンでは舞台を2段にわけて、それぞれぎっしりと人がのっている。クリスマスのカルチェラタンに繰り出した人々なのだが、200名はのっているといわれている。通常こうした人々は合唱団なのだが、そんなに合唱の人はいないし、また必要でもないのて、単にぶらぶらしていくだけだ。カルメンでも、第一幕は、煙草工場の側ということになっているのだが、工場の女工、軍隊、行進する子どもたち、女工にいいよろうとする男たちは、ドラマ上必要な人たちで、どんな演奏でもいるが、そこに、教会の学校で学ぶ生徒と神父とか、物売りの人、単に歩いている人たちなど、とにかく大勢が舞台を行き交っている。ところが、プレミエのクライバー版と、今回のネルソンス版では、人々の扱いが大分違っていた。人数も半分くらいしかいない。同じ演出なのだから、もちろん、似ているのだが、40年もたっているし、当人がなくなっているので、指導はできない。当然変化していくわけだろう。
 一番の違いは、クライバー版では、とにかく出ている人たちが動く。有名なハバネラをあげてみよう。ハバネラは、恋には気をつけろというような内容だが、カルメンは、群衆たちの間を歩き回り、何人もからかい、ちょっかいを出しながら歌う。そして、ちょっかいをだすたびに、周りの人たちが喝采をおくる。紳士のポケットから懐中時計をとりだして、見せびらかし、紳士が返してくれと追いかけるというような場面もある。とにかく、みていても面白いのだ。ところが、ネルソンス版では、カルメンがハバネラを歌っているときには、ほとんど動かず、合唱やオケの演奏になると、動き出す。群衆は、あまり動かないし、はやしたてもしない。
 一時、(今でもそうかも知れないが)演出家がオペラ上演のイニシアをとり、やたらに歌手に対して、動きながら歌わせるような演出があった。オペラといっても、劇だから、当然動きはあるのだが、あまり激しく動くと、やはり歌うことに支障がでるかも知れない。適度に動くと、歌いやすいという歌手の話を読んだことがあるが、おそらく、ゼッフィレルリの動きは、歌手にとって歌いやすいものなのだろう。動く場面は、他に、カルメンに男たちがいいよる場面、子どもたちが行進して出てくる、また出て行く場面、カルメンがホセを突き飛ばして逃げる場面など、クライバー版ではまわりの人たちや当人が活発に動き回るのだが、ネルソンス版では、動きが限られている。兵隊たちをまねて行進する少年たちが、ネルソンス版では、直立不動で聴衆のほうを向いて歌っていたのは、少々興ざめした。
 クライバーの演奏はプレミエ(その演出の初めての上演)だから、かなり練習が行われる。普通指揮者などは細かい練習には参加しない人が多いらしいが、このときのクライバーは、かなり早い段階から、稽古に立ち会って、ゼッフィレルリとの相談もじっくり行っていたらしい。だから、動きなどは徹底的な指導が行われたのだろう。煩わしいという人もいるようだが、私には、いかにもドラマを見ているようで、楽しい。しかし、演出家が離れ、時間がたっていくと、だいたい動きは少なくなり、経費の関係で舞台にのる人も減らしていくのだろう。舞台上で進行するドラマという点では、ネルソンス版は物足りなさを感じた。
 演出でもうひとつ面白いと思ったのだが、舞台が煙草工場の側だし、女工さんも含めて、クライバー版では煙草を吸っている人が多く、舞台は煙が充満する感じなのだ。しかし、さすがに禁煙社会を反映してか、誰も煙草を舞台で吸う人はおらず、一度ホセが煙草を口にくわえるが吸うことはなかった。時代は、ずっと前だし、煙草女工たちなのだから、煙草をたくさんの人たちが吸っているほうがリアリティはあるが、そういうわけにもいかないのだろう。それに、出演者たちからクレームがでるかも知れない。
 肝心の演奏はというと、ネルソンスがウィーンのオペラをどのくらい指揮しているのかは、まったく知らないが、こうしたレパートリーの曲をするときには、指揮者が練習をすることはないので、いきなりの本番になる。映像にとるくらいだから、まったく練習しないのかはわからないが、おそらくぶっつけ本番だろう。個々のソリスト歌手に対しては、初めて出演する場合には、演技指導する必要があるので、そういうスタッフが個別に指導するようだ。カルロス・クライバーがウィーンのオペラと一緒にやってきて、「ばらの騎士」を振ったときには、事前練習とかでウィーンで3回指揮をして、それがDVDで市販されているのだが、そのときにはいろいろと演奏事故があり、オックス男爵が入りを間違えたので、2度目にはカットしたというような記事があった。クライバーは出演の条件として、日本でしっかり練習することを提示し、日本公演中の空き時間を利用して、オケをかなりしごいたらしい。つまり、くらいバーですら、ウィーンでの上演は、リハーサルなしだったのだろう。
 そういう状況で、ネルソンスが自分の意図を徹底できていたのか、少々不安なところもあった。歌手では、名前を知っていたのは、ミカエラのネトレプコと、エスカミリオのダルカンジェロだけで、他の人は、知らなかった。ネトレプコがミカエラを歌うのかと、疑問だったが、案の定、4人の主役級では、一番よくなかった。ミカエラは、若く純情だが、芯の強い女性であって、やはり、売り出し中の、声の比較的細い人が懸命に歌うような感じでないといけない。ネトレプコは、現在はあまりに大歌手であって、既にワーグナーを歌っている歌手だ。だから、どうしても大仰な歌い方になって、軽快に運ぼうという感じの指揮に対して、引きずってしまっていた。声もミカエラには太すぎる。有名人を出せばいいというものではないだろう。ただ、クライバーでは、ホセとの二重唱が半分に切られていたが、全部歌っていたのはよかった。
 ダルカンジェロは、モーツァルト歌いというイメージだったので、エスカミリオを少々重いのではないかと思った。懸命に強い闘牛士を演じようとしているのだが、私には空回りしているように聞こえた。まわりで聴いている人たちも、もっと盛り上げる動作をすれば、のって歌えるのではないか。
 ホセのマッシモ・ジョルダーノはまったく知らなかったが、正直、一番がっかりした歌手だ。クライバー版のドミンゴがあまりに素晴らしいので、どうしても比較してしまうが、いかにも、「演技しています」という感じで、それが歌にもでている。「花の歌」におけるドミンゴとの差は、あまりにも大きい。これで、一度は怒った女性の心を掴めるのか。ドミンゴのときの拍手は、爆発的で、いつ終わるのかわからないほど長く続いていたが、こちらはおざなりの拍手が10秒程度続いただけだ。
 肝心のカルメンだが、ナディア・クラステバ。主役級のなかでは、まあ素晴らしいと思った。悪女風のカルメンではなく、どちらかというと、「自由な女」として生きるカルメンだ。
 ただ、ネトレプコがカルメンをやればいいのではと思ったが、どうなのだろう。
 HMVでは出ていないようなので、少なくとも日本では市販されていないのではないか。そのせいか、クラシックの、それもオペラとしては異例の34万回も視聴されている。ちなみにクライバーは3万回だ。同じ歌劇場の同じ演出の同曲聴き比べは、いろいろと面白い発見がある。
 

レストランの不思議 あさくまとリンガーハット

 今日は気楽な話題です。
 世の中には、どうでもいいけど、不思議なことがある。レストランというのは、多くの人が利用し、評判が大事だから、あまり不思議なことはないと思うのだが、以下に書くことは、私がいつも不思議に思っていることだ。あるいは、不思議ではなく、合理的な理由があるのだろうか。合理的な理由があるなら、コメントで教えてもらえると、私の疑問もとけて、とてもありがたい。
あさくま
 ひとつは、「ステーキあさくま」である。ここは、本店が名古屋にあるようで、首都圏には、あまり店舗がない。実は、私が住んでいるすぐ近くに、引っ越してきた20数年前にあった。しかし、間もなくなくなり、サイゼリアに変わったが、それも今ではセブンイレブンになっている。セブンイレブンは、まわりにあまりコンビニがないのと、駐車場が広く、県道からはいりやすいので、繁盛している感じだ。何故「ステーキあさくま」が撤退したかの正確な理由はわからないが、当時はまだ人口が近隣では少ない市であるため、比較的高めのステーキ店は、敬遠されたろうし、また、現在のようなサラダバーへの好みは多くなかったのかも知れない。 “レストランの不思議 あさくまとリンガーハット” の続きを読む

表現の不自由展その後中止を考える1

 日本における「報道の自由」の国際ランクが落ちて久しい。実は民主党政権のときには、かなり上位だったようだが、安倍政権になって、韓国よりも下位になっている。日本人のあるひとたちは、韓国を下にみているが、実は、韓国のほうが上である領域はけっこうあるのだ。とくに、民主主義の度合いについては、かならずしも日本のほうが上ではないのである。とくに、大手のメディアがほとんど安倍政権への忖度報道になっていることで、国民の目に重要なことが伝達されていないことが多くなっている。報道の自由や表現の自由は、民主主義社会の根幹である。民主主義の社会でない場合には、こうした自由は、踏みにじられるのが普通であり、歴史的には、そうした不自由な時代のほうが長いし、また、民主主義社会ということになっていても、絶えず、報道や表現への介入はある。必ずしも「国家組織」ではなく、私的団体が圧力をかける場合もある。日本は、民主主義といっても、このふたつの自由は、かなり危うい状況になる。
 その象徴が、2019年の愛知トリエンナーレにおいて「表現の不自由展その後」が開催されたが、わずか3日で中止となったことだろう。この時期、私は日本にいなかったので、詳細を知らなかったのだが、帰国後このことを知り、多少調べてみた。とくに、伊東乾氏が、JBpressに何度か寄稿しているのを読み、考えさせられた。伊東氏の趣旨は、この展示の責任者の準備不足と認識の甘さが、このような事態をもたらしたというものである。とくに、事前に、何を展示するか公表せず、また、当然予想されるはずの反対行動に対する対応を準備しなかったことに、短時日に敗北してしまった原因を帰している。後で検討しよう。 “表現の不自由展その後中止を考える1” の続きを読む

ドイツビールを堪能してきたが

 約二週間のドイツ旅行(一泊だけオランダ)から帰国して数日たつが、どうもまだエンジンがかからない。ドイツに着く前は猛暑だったらしいが、直ぐに涼しくなり、大半はエアコンのないホテルだったが、なんとか過ごせた。日本はとにかく暑い。エアコン設備が完備しているだけに、つけていない空間とエアコンのきいた部屋との温度差、湿度差が大きく、どうしても活動的でなくなるようだ。
 今度ドイツにいったら、とにかくビールを堪能しようと思っていたが、その思い通り、毎日ビールを飲みまくった。今日は急肝日にしようといいつつ、完全に無視してしまった。とにかく、ドイツのビールはおいしい。どこで、どんな種類のビールを飲んでもおいしい。日本にもおいしいビールはあるが、率直にいって、ドイツのビールにはかなわないと思う。
 数年前のことだが、サントリーのプレミエをドイツにもっていって、ドイツ人に飲んでもらって、感想を聞き出すというドキュメント番組があった。試飲したドイツ人たちは、みんなおいしいといっていたが、私には、お世辞のように思われた。私自身、日本で飲むのはプレミエだが、ドイツで飲んだビールははるかにおいしいと思った。何故なのか。 “ドイツビールを堪能してきたが” の続きを読む

道徳教育ノート・矢内原研究ノート 矢内原の道徳教育論

 矢内原忠雄は大学教授ではあったが、教育学が専門だったわけではないので、教育について論じた文章は少ない。戦後大学運営に携わった期間が長いので、大学論はけっこうある。特に矢内原が教養学部長、総長だったときには、歴史に残るような事件が大学内で起きている。その処理原則として、「矢内原三原則」などということが、私が大学に入学したときにも、伝わっていた。もっとも、私が大学に入学したときに起きた大学紛争の結果、この「矢内原三原則」は正式に無効となったのだが。この三原則は、廃止されたことでわかるように、学生たちには非常に評判の悪いものだったが、矢内原の信念が凝縮したような要素はあった。それは、学生の学ぶ権利は、集団的な決議で侵すことはできないのだ、という信念といえよう。学生がストライキをして、授業を受けさせないために、ピケを張ったとき、学生の授業を受ける権利を侵すことは誰にもできないといって、塀の一部を破って構内にいれさせたという逸話があり、その壊れた部分が後に小さな門となった。いわゆる矢内原門である。今でもあるのだろうか。私自身も、矢内原三原則は、学生の交渉権を事実上認めない要素が強いことから、支持しないが、しかし、そこにこめられた矢内原の信念は、否定できない。 “道徳教育ノート・矢内原研究ノート 矢内原の道徳教育論” の続きを読む

音楽の国際化4 楽器の改良

 ハワード・グッドールの説では、次は「ピアノ」であるが、私は、もっと拡大して「楽器」としておきたい。
 音階・音律は、現在平均律を中心として、必要に応じて純正律や他の古典音律が使われているわけだが、平均律に向かっていく動因となったのは、ピアノに至る鍵盤楽器の発展だった。鍵盤楽器は、最初、絃をはじいて音を出すチェンバロからはじまり、その後叩いて音を出すクラヴィコードが生まれ、音を叩いて音を出す、強弱の幅をひろげる、消す、のばす、音質をソフトにする等のメカニズムが様々に改良されて、現在のピアノに発展していくことになる。
ピアノの誕生と発展
 たくさんの絃をはじいて出す楽器としては、ギターやハープがあったが、16部音符の早いパッセージを継続的に演奏すること、厚い和音を奏することが難しい。ギターは、極めて音が小さいという欠点もあった。そこで、ハープを横にして、手で直接はじくのではなく、はじく器具を取り付け、鍵盤でその器具を操作するようにしたのが、チェンバロであった。チェンバロは、別名ハープシコードということでもわかる。鍵盤にすることによって、10本の指を自由に使うことができ、速い動きを正確に演奏できるようになり、また、たくさんの音による和音も可能となった。ハープというと、非常にたくさんの音を早く弾くのが容易ではないか、と思う人がいるかも知れないが、それは、19世紀後半になって、ペダルをつけることによって可能になったグリッサンドの演奏技法で、ヘンデルやモーツァルトの時代にはなかったのである。ヘンデルやモーツァルトのハープのための曲は、チェンバロやピアノで弾くような速いパッセージは出てこない。
“音楽の国際化4 楽器の改良” の続きを読む