道徳教育ノート・矢内原研究ノート 矢内原の道徳教育論

 矢内原忠雄は大学教授ではあったが、教育学が専門だったわけではないので、教育について論じた文章は少ない。戦後大学運営に携わった期間が長いので、大学論はけっこうある。特に矢内原が教養学部長、総長だったときには、歴史に残るような事件が大学内で起きている。その処理原則として、「矢内原三原則」などということが、私が大学に入学したときにも、伝わっていた。もっとも、私が大学に入学したときに起きた大学紛争の結果、この「矢内原三原則」は正式に無効となったのだが。この三原則は、廃止されたことでわかるように、学生たちには非常に評判の悪いものだったが、矢内原の信念が凝縮したような要素はあった。それは、学生の学ぶ権利は、集団的な決議で侵すことはできないのだ、という信念といえよう。学生がストライキをして、授業を受けさせないために、ピケを張ったとき、学生の授業を受ける権利を侵すことは誰にもできないといって、塀の一部を破って構内にいれさせたという逸話があり、その壊れた部分が後に小さな門となった。いわゆる矢内原門である。今でもあるのだろうか。私自身も、矢内原三原則は、学生の交渉権を事実上認めない要素が強いことから、支持しないが、しかし、そこにこめられた矢内原の信念は、否定できない。
 さて、全集21巻に出てくる道徳教育に関する講演の、最初のほうは、1958年11月27日に、広島市の国康寺高校、中学におけるPTA主催の講演会での話である。1958年といえば、文部省が学習指導要領に法的拘束力があると宣言し、道徳教育の時間を特設した年である。教育界では、この問題で相当な激論が交わされていた。道徳教育というテーマで講演するように、PTAが矢内原に依頼したということが、話の最初に出てくる。時代の雰囲気を反映したものだろう。
 二つ目の「道徳教育について」という講演は、翌年6月に、長野県の木曾楢川小学校創立85周年の記念講演とされている。
 このふたつの講演は、時期的にもそれほど離れていないためもあって、基本的には同じような主張になっている。それで、共通点を重視しながら、矢内原の主張をみていこう。(ただし、順番や構成は私が勝手に作り替えている。)
 何故、この時期に道徳教育が政府によって導入されたのか、あるいは社会的に重要だと認識されるようになったのか。矢内原の3点くらいを指摘している。
 第一は、科学技術と軍事の発展である。科学技術の発展によって、生活が便利になり、個人が自由に振る舞うようになってきた。また、科学技術の発展は経済の競争と一体となっている。更に、軍事技術の発展とも結びついている。これらは、自由が放埒にならないようにする必要がある。経済は、従順な労働者の育成、軍事は従順な兵隊の育成というそれぞれの分野からの道徳教育を求める。他方、原爆等の危険な兵器の発明は、それらを抑制、平和を保持するような価値観を必要とする。こうした社会的変化に応じて、それぞれちがった道徳教育を求めているが、特に社会的背景の重要性が認識されたということ。
 第二に、戦後10年間の道徳教育の欠如がある。江戸時代は武士道があった。明治になると、教育勅語が作られ、それが日本国民に広く浸透させられた。その道徳的あり方がよしとされるわけではないが、少なくとも道徳教育が安定していた。それが戦争で破れることになって、道徳が混迷した。民主主義の道徳とか、唯物論の道徳否定とか、曖昧な状況が続いた。そこに、政府が学習指導要領に取り入れることにした。
 第三に、戦争の影響が最も大きいが、青年の間に不安が広がり、学生が毎年自殺者が出ている。
 さて、では、道徳教育をどう考えるのか。
 最も重要なことは、道徳は他人から強制されるものではないということ。そもそも、道徳が大切なのは、子どもではなく、むしろ大人であって、大人こと絶えず道徳を学び続ける必要があるともいう。だから、自分は道徳的に立派だなどといって、道徳を教えようとするような人物は、逆に信用できないというわけである。自分は学習指導要領の作成に関与していないので、詳しいことは知らないとして、学校に導入されようとしている道徳教育については、詳しく述べることは両方の講演でないが、こうした道徳観から批判的であることは明瞭だろう。いずれも学校での講演だったから、その批判は控えたのだと考えられる。
 強制されないということは、当然、自分の自覚的に、よい人格となるという生き方、意識が大事であり、自分の自由を尊重するとともに、相手の自由も尊重することを意味する。
 逆から見ると、いわゆる「しつけ」などと称して行われる道徳的説教は、道徳とは関係がない。矢内原が実際に経験したことで、例えば、東大の入学式で、自分が挨拶をしているのに、帽子をかぶったままの学生に注意したとか、あるいは、自分の家に訪ねてきた学生が、矢内原が部屋に入ってきたときに座ったまま挨拶をしたので、こちらが立っているのだから、君も立って挨拶しなさいと言ったという例をだしている。これは、近頃の若者がしつけがなってないから、道徳教育が必要だというような必要論と似ているが、矢内原は、これは、単純に若者が知らないだけなのだ。ちゃんと教えれば、そうする。道徳教育というのは、こういうこととは違うという例としてだしている。
 こうした矢内原の考えが分かりやすく説明されているのは、クラーク博士の主張だろう。札幌農学校の設立を準備していた日本人(黒田清隆のことだろう。)が、詳細な学則を準備して、クラークに示したところ、クラークは即座にそれを否定し、学則はひとつでよいといった話である。そのひとつは、「ジェントルマンたれ」ということだった。では、ジェントルマンとは何か。それはを自分で秩序を守る人間である。強制されて、規則だからということで、秩序を守るのではなく、自分がそうすべきであると考えて秩序を守るのである。その自覚は、人間としての品位をもっているという自覚に他ならないという。それを「人格」といっている。「人格」は、平等である。能力などに差があっても、人格が平等であることが、道徳的に重要であることを矢内原は強調している。矢内原は、戦前、まだ大きな偏見が社会を覆っていたハンセン氏病の施設に何度か慰問にいっている。そして、親しく語り合ったことが知られている。 
 ただ、最終的には、道徳を裏付けるのはキリスト教の信仰であることにいきつくのだが、通常の学校での講演なので、そこはあまり強調されていない。むしろ、第二の講演では、宗教的情操という法的な裏付けのある言葉で締めくくっている。
 矢内原は、いわゆる「逆コース」に対しては、完全な批判者であったから、文部省の押し進めた特設道徳には、批判的である。押しつけの道徳は効果がないことを明言している。また、「しつけ」は、道徳教育ではないことも示している。
 矢内原から、道徳教育論として学ぶことは、自由で自発的な人格として成長すること、それは、大人であっても継続する学びであることであろう。道徳教育は必要であるとするが、外から教え込むことでは、道徳を教えることはできないとする立場だから、当然、教科としての道徳などは否定する論理と解釈できる。
 では、今、道徳が教科となって、教科書を使って教えなければならない教師はどうしたらよいのだろうか。それは、今の我々が考えねばならないことだろう。

 

投稿者: wakei

2020年3月まで文教大学人間科学部の教授でした。 以降は自由な教育研究者です。専門は教育学、とくにヨーロッパの学校制度の研究を行っています。

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