高校生デモから選挙権年齢議論–子どもは国民?

Der Tagesspiegel2019.3.4より

 

 気候変動に対する高校生のデモは、ドイツでも行われており、盛んに議論されている。
 前に、メルケルが高校生デモを非難していると書いたが、全非難でもないようだ。’Merkel lobt Schülerproteste – Kritik aus der eigenen Partei’ Rheinische Post 4 Mar 2019によると、「生徒たちが、気候保護のために、街路に出て闘うことを強く支持する」と毎週公表されるビデオ放送で述べたという。しかし、メルケルは保守的な政党CDUの党首だから、党内からは批判が起こっている。 「連邦の首相が、いつも就学義務に違反するデモを、区別もなく、とてもよい創意だ、などと呼ぶのは、無責任だと、私は思う。」「彼女は、そのことによって就学義務の意義を低めているし、また、教育大臣や責任感を自覚している校長や教師たちを裏切っている。」と保守的な会派CDUのWerteunionの代表Alexander Mitschの言葉を紹介している。
 このような議論は、高校生デモが起きているところでは、かならず賛否両論で出てくるが、次に紹介する議論は、いかにも「論理」の国ドイツらしい。つまり、ドイツでは、高校生デモで見られるように、彼らの政治意識は高いのだから、選挙権の年齢をさげようという提案がSPD(社会民主党)の議員から提起されているというのである。’Das Recht der Jugend’ Der Tagesspiegel 4 Mar 2019が伝えている。筆者は、 Von A. Fröhlich, H. Monath und J. Müller-Neuhofの3人。
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道徳教育ノート「泣いた赤鬼」2

 ここでの道徳教育ノートは、授業案を考えることに目的があるのではなく、道徳教育を行う、あるいは、教育全体のなかで道徳教育を位置づけることを考えている教師に、まずは大人として、道徳教育の理解をぎりぎりまで、深く、かつ広く掘り下げてほしいという目的で書いている。私自身は、子ども相手に道徳教育をしたことはないので、正確には、わからないが、もちろん、起きることの予想はできる。そういう点も含めて今回は考えてみたい。
鬼って何?
 子どもが、「鬼って何」「なんで、人間は鬼とつきないたくないと思っているの?」「赤鬼と青鬼は人間に対して、違うような態度をとっているけど、鬼にもいろいろあるの?」とか、そういう疑問を出すことはあるだろうか。
 というより、そのような疑問が出てこないクラスがあったら、普段から興味や疑問をもって学習をしていないのではないかと、心配になってしまう。
 もちろん、節分などで、鬼は怖い存在だとという意識をもっているとしたら、じゃ、なぜ赤鬼は、自分はやさしくて怖くないのだから、人間につきあいまょしうなどといっているのか、という疑問が出てくるはずである。
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同性婚の親の記入法– フランスで大激論

 フランスで新しい学校法が承認されたというが、かなりの激論が交わされたという。最も大きな論点になったのが、生徒の保護者名を記入するときに、どのようにするのかということ。これまでは、ごく当たり前のように、「父」と「母」という欄があって、そこに名前を記入するというものだった。日本でも同様だ。
 ところが、ヨーロッパでは、同性婚あるいは同性のカップルを、容認している国が多い。法的に同性婚を認めていなくても、結婚しないまま同性している二人を「カップル」という概念で認め、様々な法的な便宜を図っている国が多いのである。LGBTの権利を認める方向に進んでいる国では、当然同性婚が容認され、子どもがいて(多くは養子)、学校に通っている。そこで、書類にどう書くかという問題が生じるわけである。
 ル・モンドの2月19日の記事« Parent 1, parent 2 » : vie et mort d’une idée controversée du projet de « loi Blanquer »によれば、学校法の議論の過程で、女性議員のValérie Petitによって、「父と母」ではなく、「親1と親2」という概念にすべきであるという提案がなされ、大論争になったようだ。

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道徳教育ノート 泣いた赤鬼1

 道徳の教材としてよく用いられる文章の第二位が「泣いた赤鬼」だそうだ。もちろん、一位は「手品師」である。
「泣いた赤鬼」は、日本のアンデルセンといわれた浜田廣介の作品であり、発表は昭和8年である。最初の題は「鬼の涙」であり、「鬼同士の絆を描いたこの童話に出てくる犠牲という言葉からは、恩人さよへの負い目が廣介の心を離れなかったことが想像される」と、浜田廣介記念館の名誉館長をしている娘の留美は書いている。(小学館文庫『泣いた赤おに』の解説より。さよは、廣介の母の従姉妹で、廣介が経済的に困っていた時期に、ずっと援助し続けた恩人)
 留美氏によると、浜田は、常に人の善意を重視する物語をつくり続けたという。
 一貫して「童話」を書き続けたことからみて、それはごく自然なことだろう。
 しかし、世界の名作童話は、実は、ほとんどが、作者の意図を超えて、(あるいは、元々作者が意図していたのかもしれないが)大人が読んでも、様々な解釈が可能で、単なる善意とか、愛とか、友情などの枠におさまらない内容をもっているし、その多くは、実は大人でなければ充分には理解できないことさえある。
 アンデルセンの「裸の王さま」を考えてみよう。

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鬼平犯科帳2 長谷川平蔵の失策

 鬼平は、理想の上司などといわれることがある。確かに、部下や密偵たちへの、非常に細やかな心遣いや、的確な指示・命令など、学びたくなるところが無数に出てくる。だからこそ、「お頭のためなら、いつ死んでもいい」という献身的に、命懸けの仕事に部下や密偵たちが、日夜励んでいる。しかし、部下の不祥事の話もいくつかあるし、逃げてしまう密偵も出てくる。そして、平蔵自身の失策もある。しかも、今回取り上げるのは、そのミスのために、密偵と密偵候補者を死なせてしまう話である。その失策は、作者池波正太郎が、頻繁に平蔵の優れた資質として、人を見ただけでどんな人物か察知してしまう能力や、慎重で緻密な対策という設定に反している。こうした時折みせる平蔵の人間的弱さも、鬼平の魅力であるかもしれない。しかし、「学びたくなる」物語であるなら、教訓を引き出すことも重要だろう。
 「殿さま栄五郎」と「妙義の団衛門」のふたつを取り上げるが、原作では、馬蕗の利平治という密偵が関わっている。従って、物語として連続性があるのだが、ともに、前者では、古参の密偵の粂八、後者では、新参の密偵の高萩の捨五郎に変更されている。

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生徒の暴力で教師が市を提訴

本日(3月1日)の毎日新聞他、各新聞が、生徒に暴行された教諭が学校側を提訴という記事が掲載されている。この提訴は、1週間ほど前から予告されており、原告が記者会見を開いて、提訴することを公にしていたのだろう。
 報道によると、中学の教師が、2013年に給食時間中、教室の扉を蹴った生徒に注意をしたところ、頭を殴られ、手首を強く締めつけられ、膝蹴りを受け、鼻を骨折した。学校側は、警察や消防に通報しないばかりか、公務災害の申請も拒否し、保険での治療を勧めたという。手術を何度も受け、公務災害は認められたものの、2015年まで休職せざるをえなかった。
 毎日新聞の質問に対して、教育委員会は、「教諭に不安を与えたかもしれないが、学校と市教委の対応は適切だった」と回答しているそうだ。
 文部科学省によると、生徒による対教師暴力は、年間8000から9000件あるそうだ。
 他の報道によると、学校は、生徒の暴力には、教師は体をはって防ぐべきだ、といったともされている。

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