鬼平は、理想の上司などといわれることがある。確かに、部下や密偵たちへの、非常に細やかな心遣いや、的確な指示・命令など、学びたくなるところが無数に出てくる。だからこそ、「お頭のためなら、いつ死んでもいい」という献身的に、命懸けの仕事に部下や密偵たちが、日夜励んでいる。しかし、部下の不祥事の話もいくつかあるし、逃げてしまう密偵も出てくる。そして、平蔵自身の失策もある。しかも、今回取り上げるのは、そのミスのために、密偵と密偵候補者を死なせてしまう話である。その失策は、作者池波正太郎が、頻繁に平蔵の優れた資質として、人を見ただけでどんな人物か察知してしまう能力や、慎重で緻密な対策という設定に反している。こうした時折みせる平蔵の人間的弱さも、鬼平の魅力であるかもしれない。しかし、「学びたくなる」物語であるなら、教訓を引き出すことも重要だろう。
「殿さま栄五郎」と「妙義の団衛門」のふたつを取り上げるが、原作では、馬蕗の利平治という密偵が関わっている。従って、物語として連続性があるのだが、ともに、前者では、古参の密偵の粂八、後者では、新参の密偵の高萩の捨五郎に変更されている。
「殿さま栄五郎」
まず原作によって、筋を整理しておこう。
口合人(盗賊世界の人材斡旋業)の鷹田の平十が、盗賊の首領火間虫の虎次郎の使者長沼の房吉から、腕っぷしの強い者を紹介するよう依頼されるが、殺しを厭わない一味なので気が進まない。しかし、平蔵の密偵となった馬蕗の利平治から声をかけられ、簡単に紹介することを承諾される。利平治の報告を受けた平蔵は、自分がその役を引き受けると言い出し、名高い盗賊武士の「殿さま栄五郎」として助っ人となることにし、虎次郎と会う。気に入られるが、実際の栄五郎を知っている増蔵が偽物だと見破るので、平十が虎次郎に拉致され拷問を受ける。そのことを察知した平蔵は、押し込み強盗を待たずに、つきとめていた盗人宿を襲い、ほぼ全員を逮捕するか、殺害してしまう。盗賊たちとともに捕らえられた平十は、罪に問わないつもりで、舟で運んでいるときに縄をほどいてやると、既に死罪を覚悟している平十は川に飛び込んで死んでしまう。友人の平十を平蔵に売って、結果的に死なせてしまった利平治に、平蔵は、密偵がつらい仕事かと尋ねると、意志が固くなったと答え、平蔵は安心する。
以上が原作である。
しかし、ドラマではいくつかの大きな変更がある。
・原作ではいきなり平十に依頼があるが、ドラマでは最初に岡場所での、女をめぐる盗賊仲間同士の喧嘩があり、浪人はかけつけた盗賊改めの同心に切られ、町人の参次が捕らえられ、過酷な拷問を受けるが、白状しない。
・房吉から平十が依頼を受けるのは同じだが、浪人が殺されて欠員ができたことがきっかけとなっている。
・平十に紹介役をかってでたのは、原作では利平治だが、ドラマでは粂八になっている。更に、利平治は、平十を罰しないように頼み、平蔵はそれを承知する場面があるが、ドラマにはない。
・重要な場面だが、平蔵が殿さま栄五郎になると言い出したときに、原作では、誰も反対せず、どうだろうというと、粂八が「いいのではないか」と肯定するが、ドラマでは佐嶋与力などが疑問を呈する。見破られたらどうするのかというのだが、平蔵は取り合わない。家来の当然の進言を無視しているわけだ。これ以前にも、同じように平蔵が盗賊一味に助っ人として参加することがあるが、そこでは架空の名前を用いているのだから、ここで、実在の人物の名前にしたことは、かなり危険なことであると、感じるはずである。ここで、偽ったために、平十の悲劇が起きるわけだ。
・原作にはない参次は、平蔵が虎次郎の信用をえるために、牢から救い出す約束をして、それを実行する。もちろん、茶番だが、このことで、増蔵が偽物だというのに対して、参次が信用できると主張することになっている。
・原作では、前日ついたばかりの増蔵が、殿さま栄五郎を知っているというので、最初から虎次郎が密かに本物かどうかの確認を依頼しているのに対して、ドラマでは、増蔵は、虎次郎と平蔵が会った数日後に到着するので、偶然みかけた平蔵が栄五郎ではないことを告げる。
・平十が拉致されたことを知った平蔵は、原作ではすぐに平十の妻のおりんを保護するように命じ、虎次郎一味がかけつけたときには、おりんはいないが、ドラマでは、粂八が救いに駆けつけるのだが、ぐずぐずして一味がきて乱闘になってしまう。そこに同心たちが駆けつけて事なきをえる。
・原作では、この段階で火付け盗賊改めが、盗人宿で逮捕に踏み切るのだが、ドラマでは、押し込みが実行された段階で逮捕劇が行われる。これは純粋に劇的効果だろう。しかし、このことによって、ドラマでは辻褄があわないことが生じている。平十は、盗人宿で捕らえられ、拷問を受けていたのだから、押し込み現場にはいない。だから、長谷川平蔵が乗っている舟にいるはずはないのだが、同乗して、直接平蔵が縄を解いてやれというのだから、絶望するのも不自然である。ドラマでは、盗人宿で盗賊たちを逮捕するのだから、一緒に運ばれるのは当然だし、原作では、平蔵と平十は別の舟に乗っており、したがって、平蔵が許す目的で縄を解くことを命じた事実を、平十は知らない。
平蔵の虚栄心・いたずら?
この「殿さま栄五郎」を読んだり、見たりすると、平蔵のだめな部分を強く印象づけられる。平蔵は、たくさんの元盗賊の密偵を使っており、彼らは、昔知っていた人物を見つけることで、大きな貢献をしているのだから、相手に盗賊にも、殿さま栄五郎を知っている人物がいることは、当然予想しなければならない。ドラマでは実際にそういう危険性を与力たちが指摘しているわけである。普段のように架空の名前で一向にかまわないし、そうすれば、見破られることもない。
では、何故そんなことを思いついたのか。ドラマではほとんどわからないが、原作では、粂八から以前に殿さま栄五郎のことを平蔵が聞いていた。粂八は「殿さまなぞと異名をとっただけに、それはもう立派な顔だちの、無口だが、なんともいえぬやさしい目つきの人で、もとは備前岡山の浪人あがりだということでございました。・・・」とほめている。そして、わざわざ粂八を呼びに行かせて、「俺が殿さま栄五郎に見えるか」と問うているのである。平蔵は、本物の殿さま(500国の旗本)だから、粂八は、殿さまが盗人に化けるのかと質問すると、「おれも外へ出てはたらき、お前達の苦労を味わっておきたいのだ」というのだが、利平治や粂八が反対できるはずもない。そこをドラマでは、与力たちが反対するのだが、その場面を加えると、ますます、平蔵の不用心さが強調されてしまう。
「妙義の団右衛門」
これは、最後に平蔵が復讐をするのだが、密偵を殺害され、捕り物は肩すかしを食ってしまうという、最終版まで、完全に平蔵が負けている。
原作によって、筋を整理する。
江戸で盗みをするためにやってきた団右衛門に、密偵の利平治が声をかけ、一緒に酒を飲む。しかもその盗みは、利平治が嘗役(盗みに適当な商家などを探索して、資料を盗賊に売る)として売った商家を狙っているので、利平治に協力を頼む。利平治は承諾して分かれるが、念のため団右衛門は、部下の伝吉に、利平治のあとをつけさせる。利平治は、お熊の茶店に寝泊まりしていると団右衛門に告げていたのだが、直接火付け盗賊改めの役宅に報告に行ってしまい、伝吉に確認されてしまう。
利平治は平蔵に、団右衛門に協力する約束をして、情報をとることができること、そして、役宅に団右衛門の手下竹三が、小間使いとしてはいっていることを知らせる。その際、利平治がお熊のところにいると団右衛門に伝えたことを確認して、それでよいと安心してしまう。
伝吉の報告を受けた団右衛門は、盗みの計画を取りやめてしまうが、利平治と平蔵をだますために、計画が進んでいるように思わせ、結局、利平治は殺害され、盗賊たちはすべて逃げてしまう。
平蔵の完全な敗北である。そう原作者も書いている。
その後、団右衛門が気に入った女に会いに来ることを見越して、ずっと見張りをつけておき、半年以上たった時点で、予想通り女に会いにきた帰り、平蔵が団右衛門を捕らえるという結果になる。物語の最初に、団衛門がお八重という女に、2両をつかませる場面があるが、部下たちから、女が命とりになる危険があるのでと、何度かたしなめられるのだが、それを聞き入れない、そういう点も、密偵たちが掴んでいたのだから、探索力の勝利ともいえるのだが。
平蔵の甘さ?
ドラマでは、利平治ではなく、高萩の捨五郎という人物に代えられており、平蔵も大分慎重になっている。作者が書いているほどだから、ここでの平蔵は、普段の用心深さが欠けているし、実際に、利平治がつけられたあとでも、対応策はあったはずである。
住処をどこと伝えたかとの平蔵の問いに、利平治は、お熊の笹やと答えたとし、あとをつけられていないかとの問いに、大丈夫との答えで満足してしまっている。密偵が、かつての盗賊仲間と会って、どこに住んでいるかをきかれたから、お熊の笹やと答えるように指導しているようだが、その場合、盗賊仲間と会ったあと、直接に笹やにいく必要があると指示もいる。直接役宅にくるなどは、絶対にしてはならない、命取りの危険があるわけである。実際に、そうなってしまったのだが。
ここで、平蔵の失策を強調するのは、利平治が、盗人ではなく、嘗役であり、盗賊としての基礎技量がないことを知っているはずだからである。利平治は、あとをつけられていることをまったく勘づかなかったこと、そして、直接役宅にきてしまったこと、という二重のミスをしている。
そして、平蔵は、そのミスの可能性をまったく感じていない。
竹三という小間使いのスパイを聞かされて、こちらが勘づいていないように振る舞う、そうして、敵を欺こうとしているのだから、その手を、利平治にも使えたのである。利平治が、直接役宅にきたことは、当然わかっているのだから、つけられている可能性があることを認識し、しばらくは、情報収集させるとしても、途中で切り換える手はいくらでも使えたはずである。また、相手が勘づいているかどうかの確認なども、工夫によってできたはずであるし、適当な時期に利平治に手を引かせる、そのための手筈をする、あるいは、盗みの実行段階前に、盗人宿で団右衛門や一味を捕縛するなど。最後の最後まで、利平治がばれていることを疑いもせず、当日になっても利平治を行かせて、殺害されてしまう。
小説で「もしも」は意味ないが
原作では、平蔵のミスが、あまりに単純かつ深刻なので、ドラマでは、捨五郎が密偵であることがばれてしまう事情を大幅に変えている。
捨五郎は、直接役宅にいかず、笹やにちゃんといって、別の日に報告にくるのである。ばれてしまうのは、捨て五郎とのつなぎに出た木村忠吾と一緒のところを、スパイの竹三にみられてしまうことにしてある。だから、平蔵も充分注意したのに、ということになっているが、それでも、竹三がスパイであることを知っているのに、竹三が家をでたときに、野放しにしていて、つなぎの現場をみられてしまうなどというのは、他の物語ではありえない状況である。この物語は、かなり終盤に近いもので、同心たちや密偵の活動は、水も洩らさぬチームプレーができているはずなのに、ドラマにしても、充分に間抜けさが払拭されていない。もちろん、密偵が殺害され、団衛門にひと泡吹かされるのは、原作の柱だから、そうならざるをえないのだが。
こんなことを考えても仕方ないのかもしれないが、鬼平ファンなら、誰しも考えるだろう。
平蔵は、どうすれば、最悪の悲劇を防ぐことができたのか。
「殿さま栄五郎」では、失策のすべては、平蔵が、架空の人物ではなく、実在の殿さま栄五郎に成り済ますと自分から言い出したことにあるから、これをやめれば万事うまくいったはずであるが、そこは問わないことにしろう。また、ドラマのように、与力たちが見破られる恐れがあることで反対したときに、忠告を受け入れるべきであったが、それも仕方ないとしよう。
しかし、最後の場面で、平十の縄を解かせるときに、平十自身になんらかの声かけをしておくべきだったろうし、それは何の困難もなかったはずである。原作では、平十はこの時点で、自分が斡旋した「殿さま栄五郎」が、実は長谷川平蔵だとは全く知らない。盗賊だから、平蔵のことは鬼平として恐れており、自分は死罪になると思っている。だから原作の状況では、舟になかで縄を解かせること自体が不自然だから、役宅につれていったあと、そうすればいいだけのことだったはずである。また、ドラマのように、同乗しているのなら、平蔵自身が、「俺が殿さま栄五郎だったんだよ。だまして済まなかったな。簡便してくれ。おまえのおかげで火間虫の虎次郎一味を捕らえることができた。」くらいは、普段の平蔵であればいっただろう。そうすれば、もう一人の有能で忠実な密偵を得られたはずである。
本格盗賊の悩み?
「殿さま栄五郎」には、この他に、興味深い要素がある。
実際にそのような盗賊がいたのか、あるいは池波の純粋な捜索なのかは不明だが、「鬼平犯科帳」では、本格の盗賊と畜生働きの盗賊という二種類の盗賊が出てくる。本格の盗賊とは、盗みの技に依拠し、盗みに入られたことすら気付かれないように、皆が熟睡している間に、盗みを完了する。 そして、殺さず、おかさず、とられて困るものからとらずという、盗みの3カ条を守る盗賊であり、長い準備をした上で盗みを実行する。それに対して、畜生働きとは、いきなり押し入って、鍵で金倉を開けさせ、そのあとで皆殺しにしてしまう。
長谷川平蔵が長官になった時代は、大飢饉のあとで、江戸に限らず社会が不安定になっていた時代で、かなりの盗賊が跋扈したといわれている。したがって、残酷な盗みが横行したことは事実なのだろう。
そういうなかで、盗みをしても血を見たくない、人殺しは避けたいという平十が、畜生働きの火間虫の虎次郎に斡旋を頼まれて、かなり逡巡する場面がある。盗賊たちにも、悩みがあったし、おかしな話だが、「倫理」のようなものがあったということのようだ。