教師の休暇 アイドルの公演をみにいくことは?

 教師たちが、過重労働を強いられているというとき、労働時間や労働内容の過重であることももちろんだが、休みをとりたいときにとれないことも、過重労働感を増幅しているといえる。教師は、子どもの授業を絶対に休んではならないというような感覚があり、それが、休みをとることを躊躇させる。
 もちろん教師にも、法律で定められた「有給休暇」が認められているが、それを自由に、法律通りに取得できる学校は、まずないといえるだろう。文科省ですら、教師の過重労働を軽減するための一方策として、有給休暇を夏休みに集中的にとらせて、労働時間と休暇の辻褄をあわせ、その分、学期中の労働量を増やすような政策を打ち出している。普段の労働は、少しも改善しないにもかかわらず、別にとる必要がない時期に、有給休暇をとらせて、ちゃんと休みがとれているという、はっきりいえば、ごまかしの政策である。

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再論 学校教育から何を削るか11 生徒会3

 
 私は、ずっと中学の社会科と高校の公民科の免許をとろうとする学生を指導していた。そして、模擬授業をかなりやるのだが、憲法の基本的人権を扱う場合、まず、学生たち自身が「権利」を実感していないと、いつも感じていた。彼らは、知識としては、憲法の人権規定を知っている。しかし、それがどういう意味をもち、現実社会の中でどのように問題となるのか、というリアルな感覚をもっていないのである。それは、彼らの責任ではない。権利を単に「知識」として学習してきたから、実感をもてないのは当然なのだ。では、最も必要で、かつ効果的な「権利の教育」は、何か。学校の場で、当人たちが、権利をもつことなのである。学校教育を支えている教職員、生徒、父母たちが、それぞれの固有の領域で権利をもち、それを保障されていることである。もちろん、学校運営の基幹は、教育委員会と校長である。しかし、他の構成員が、単に協力する、従うという関係で、健全な民主主義者の担い手を育成できるはずがない。
 
    生徒会を民主主義的な主体を育てるための変革理論としての「アソシエーション論」を検討しておこう。

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再論 学校教育から何を削るか10 生徒会2

 社会のルールを守ることは、市民としての当然の義務であろう。しかし、そのためには、市民がルールを納得していることが必要である。納得できないときには、それを変える権限があること、また、必要なルールを作ることができなければ、ルールを守ろうという意識は育たない。単に、ルールがよいかどうかではない。
 子どもにとっては、そうしたルールは校則である。
 日本の校則には、かつてとんでもないものが少なくなかった。私が記憶している、最も不可解な校則は、トイレットペーパーは30センチ以上使用してはならないというものだ。校外では、たとえ家族であっても、学校の許可なく異性と一緒に出かけてはならない、などというのもあった。

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読書ノート『ペンギンの憂鬱』アンドレイ・クルコフ(沼野恭子訳)新潮社

 昨年、この本を手にとって読み始めたとしても、直ぐにやめてしまったに違いない。尤も、今だからこそ、この本の存在を知り、読みたいと思ったのであり、昨年なら手にとることもなかった。実際に、昨年はこの本はおろか、著者すらまったく知らなかった。
 『ウクライナ日記』の作者であり、現在でもキエフで作家活動をしているクルコフの、最初に有名になった小説がこの『ペンギンの憂鬱』である。
 
 舞台は1990年代のソ連崩壊後のウクライナ首都キエフである。
 主人公は売れない小説家のヴィクトルで、動物園からもらったペンギンと一緒に住んでいる。同居者がペンギンというのが、とにかくユニークだ。そして、ヴィクトルと関係をもつ人間が、少しずつ入れ代わったいくのだが、彼らは何か背景があることを感じさせる。
 まず、「首都報知」の編集長から、死亡記事を専門に書くように依頼される。しかも、すべて予定原稿であり、資料を渡されて、死後掲載する原稿を執筆するという、不可思議な仕事である。新聞社というか、おそらく編集長の都合で、時折中断はあるが、最後までこの仕事を続けている。

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忠臣蔵の新説?

 昨日(12月14日)は、いわゆる忠臣蔵で討ち入りを実行した日だ。最近は、この日にちなんで話題となることもほとんどないようだが、私が子どものころは、まだ東映の時代劇全盛時代で、毎年正月映画は、忠臣蔵と決まっていた。毎年、内容が大きく変わるわけもないが、ただ俳優か変わるので、今年の大石蔵之助は誰がやるのか、などという話題で、けっこう盛り上がっていた。私は、片岡千恵蔵の大石しか記憶にはないのだが。小学生のころは、ほぼ毎年新年に、近くの三軒茶屋の映画館に見にいっていた。
 忠臣蔵というのは、実際に起きた赤穂浪士による復讐劇にを因んだ芝居の題名だ。最近はいささか事情が違っているだろうが、日本人にとっては最も有名な歴史の一コマだった。題名が示すように、主君が切腹になった無念を晴らすために、浪人となった家臣たちが、苦労の末、敵討ちを果たすという、「忠臣」の物語である。しかし、史実を含めて、その解釈についても、見解が分かれており、実際のところはわかっていないことが多い。

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公園廃止問題 再論

「【独占告白】長野市公園廃止問題の名誉教授が180分にわたって反論 近隣住民に「あなたとは次元が違う」とも」という記事が、デイリー新潮に掲載された。「週刊新潮」に掲載予定の現行のダイジェストのような記事だが、多数のコメントがついており、再度書く必要を感じた。
 記事は、クレームをつけた人への非難的色彩が強い。
・騒音被害を訴えていた人物は、国立大学の工学の専門家で名誉教授だとした上で、ある住民が「私も設計家で工学系です」と言うと「あなたと次元が違います」と答えたという例を紹介しつつ、更にその住民に「世間話ができない人。親しい家はない」と語った。

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シャーロック・ホームズ 赤毛連盟

 「赤毛連盟」は、シャーロック・ホームズの最初の短編集「シャーロック・ホームズの冒険」の第二話であり、シャーロック・ホームズ全体のなかでも秀逸な短編のひとつとされている。犯罪者が目論んだ手口が奇想天外で、それを論理的推論と過去の情報を活用、直ちに必要な手配をして、犯罪の現場で犯人を捕らえてしまう話だ。
 
 銀行に、新たに運び込まれた大量のフランス金貨を盗むために、クレイ一味は銀行の裏通りに近接する質屋から銀行までトンネルを掘って、銀行に入り込む計画をたてる。質屋に通常の半額の給与でいいと言って店員として採用され、質屋が昼間不在になるように、赤毛連盟という組織をデッチあげ、質屋に応募させる。毎日4時間、ブリタニカ百科事典を書き写すだけの作業をして、週4ポンドを得られるようにするわけだ。

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再論 学校教育から何を削るか9 生徒会1

 
 民主主義社会の担い手として、子どもを成長させることは、非常に重要である。そして、そのためには、子ども自身の組織があり、民主主義的な運営がなされ、そして、権限をもって活動できることが不可欠であろう。しかし、残念ながら、日本の学校教育には、そうした子どもの組織は存在しない。あるのは、児童会や生徒会であり、それらは、決して民主主義的な組織ではない。だから、生徒会は不要といえる。もちろん、それに代わる組織が必要であるが。生徒会で十分ではないかと思っている人には、ぜひ、アメリカのサドベリバレイ校を知ってしほしい。
 
 サドベリバレエ校では、校則や処分を決めるためには、全校集会の決定が必要である。そして、全校集会は、4歳の子どもから大人のスタッフまで全員が出席する権利があり、そこでの一票は平等である。NHKの番組では、盗みがあった件について、司法委員会で議論している場面が写されていたが、スタッフの発言に対して小さな子どもが堂々と反論していたことが印象的である。そして、極めて筋が通っていた。もちろん、日本の通常の学校でそのようなシステムを取り入れることはできないだろうが、子どもの判断力は、大人が考えるよりもずっと高いのではないだろうか。

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今後の予告 シャーロック・ホームズ考察

 今日は久しぶりの市民コンサートで、ベートーヴェンの第九交響曲を演奏した。第九はやはりとても疲れる。特に、非常に速いテンポで演奏されたので、緊張も大きかった。私たちのオーケストラは、毎年12月に市民コンサートとして、このために編成される市民合唱団と、合唱付きの大曲を演奏するのだが、コロナのために2年間は中止せざるをえなかった。今年はぜひやろうということだったが、コロナの心配もあり、合唱の人数を絞った上での演奏会ということになり、合唱が響くだろうかと心配したのだが、聴いた人の話では、しっかりと響いていたということだ。合唱・独唱とオーケストラが合わせたのが、前日と当日だけだったのだが、何度も演奏したことがある曲なので、それでもなんとかなったようだ。
 ということで、今日は、あまり書くことがないので、予告編を。

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ロシア内部の軍事施設を攻撃

 ここ数日間のウクライナ情勢に関しては、ウクライナから遠く離れたロシア領内の軍事施設が攻撃されたことに、話題が集中している。これは、非常に大きなターニングポイントになりうる。
 当初、旧ソ連製の偵察用ドローンを、ウクライナが改良して攻撃機として使ったという説だった。偵察用だから、かなり航空可能距離が長く、1000キロ飛行可能だから、十分攻撃できる。ロシアのこの地域の防空施設が脆弱なために、攻撃を許したというわけだ。
 しかし、それには反論もでている。モスクワ周辺だから、防空施設はかなりしっかりしており、ウクライナ領内から700キロもドローン飛んできて、爆撃まですることは絶対に不可能であるという、ロシア元軍人の解説が出ているそうだ。ロシア自身によるやらせの可能性もあるが、わざわざモスクワに近い空軍基地の、しかも重要な爆撃機を損傷させるようなことを、現時点で行うメリットはあまり感じられない。とすると、やはり、少なくとも反ロシア勢力によるものだとすると、筑波大名誉教授の中村氏によれば、ウクライナ協力者のロシア人が実行したか、あるいは、入りこんでいるウクライナ特殊部隊に、協力して、近くからドローンを飛ばしたという。また、カザフスタンから飛ばしたという考えもできるそうだ。
 いずれにせよ、ウクライナの意思が起こしたとすれば、アメリカとの関係において、予想しがたい事態になっていく可能性がある。

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