再論 学校教育から何を削るか10 生徒会2

 社会のルールを守ることは、市民としての当然の義務であろう。しかし、そのためには、市民がルールを納得していることが必要である。納得できないときには、それを変える権限があること、また、必要なルールを作ることができなければ、ルールを守ろうという意識は育たない。単に、ルールがよいかどうかではない。
 子どもにとっては、そうしたルールは校則である。
 日本の校則には、かつてとんでもないものが少なくなかった。私が記憶している、最も不可解な校則は、トイレットペーパーは30センチ以上使用してはならないというものだ。校外では、たとえ家族であっても、学校の許可なく異性と一緒に出かけてはならない、などというのもあった。

 こうしたいかにも不合理な校則でも、かつては「部分社会の法理」で合法とされてきたが、さすがに、文科省もまずいと思ったのだろう、ある時期から不合理な校則は廃止するように、教育委員会に働きかけるようになって、今では、そうした不合理な校則は減っている。だから、校則違反は確かに減っているかも知れない。しかし、違反しないことと、ルールをしっかり守ろうという意識とは別である。校則が緩くなったから、同じ行動でも違反とされないようになっただけで、ルール意識が変化したわけではないともいえる。
 どうすればよいか。それは、校則を自分たちで作る、変えることができることが必要なのである。
 
 日本でも、生徒たちの主体性を育てるために、生徒会が中心となって校則を改定する試みが、ごく稀だがあった。私が勤めていた大学の付近の中学も、一時そうした実践で有名になった。卒業生が何人かいるので、話を聞いてみたが、それは昔のこととして知っているだけで、彼らの時には行われていなかったという。実は、そうした中学の試みは、いずれも数年で頓挫してしまう。何故か。理由ははっきりしている。自分たちで作った校則だからこそ、しっかり守る気持ちになるのだ、ということで、当事者性をもたせることを意図しているのだが、その時の生徒は当事者性を感じるが、翌年に入学した生徒にとっては、やはり、押しつけられた校則であるに過ぎない。毎年新しい生徒が入学し、卒業していくのだから、ある時期に、教師も生徒も頑張って校則作りに取り組んでも、それは一時のことに過ぎないのである。そして、生徒会が「教育目的」の組織である以上、そうならざるをえない。
 どうしたら、一時的なものでない生徒会にすることができるか。それは、いつでも生徒の側から、校則改定の提起ができるような権限をもたせ、教師集団との協議が必要だが、決定についても権限をもつことである。そうすれば、賛成できない校則を変える行動を起こすことができるし、満足していれば、それを受け入れることになる。
 
 ヨーロッパをみてみよう。
 ヨーロッパの学校では、さすがに、小学校は通常認められていないが、中学レベルからは、生徒の組織から代表がでて、運営責任者、教師代表、親代表と一緒に参加する協議組織があり、そこで、提言、同意、助言などができるようになっている。もちろん、生徒代表が単独で決められるわけではなく、あくまでも協議に加わるわけだが、投票権はもっており、「同意」は、その協議会での同意がないと、運営側が実行できないことを意味するので、実質的な権限を発揮できる領域があるのだ。オランダの例でみると、1992年に、参加協議会の法律ができ、22005年に改訂されている。そして、現在は2017年に改訂されている。詳細をチェックしていないが、協議会の権限が強化されていると説明があるので、以下の表より権限が弱いことはない。
 
  2005年の法で定められた同意権限は以下の通りである。
・学校教育目的の変更
・教授計画・試験規則・学校の計画の制定・変更
・安全・健康・不市区に関する規則の制定と変更
・学校規則の制定・変更
・学校への親の支援活動の制定と変更
・職員規則の制定と変更
・学校の移転や分校、他の学校との合併
 
 これをみるとかなり強い広範な権限があることがわかる。
 私はオランダの生徒会に関して、強烈な思い出がある。それは1992年にオランダに留学で一年間滞在したのだが、出発前に日本のテレビでオランダの生徒会のドキュメント番組があった。そこでは、校長や教師代表、親代表と一緒に生徒代表がいて、生徒代表が、ある先生のことを強く批判している。お酒を飲んで、教室にやってきて、酔った感じで授業をするのだ、というのである。親代表や教師代表は、本当か?と問い詰めていた。結局、調査をしようということになった。それから間もなくオランダにでかけたのだが、中等学校の先生と話す機会があったときに、早速をその話題をもちだしてみた。本当にオランダの学校では、生徒が教師の批判をして、身分に関わるような議論にすることができるのか、と。その教師は、実際にそういうことがあったという話は聞いたことがないが、制度として可能であると答えていた。
 1992年の参加協議会法で、基本原則として、「学校に関わるすべての事項を相談する権限」という規定があるので、それに依拠していたのかも知れない。しかし、現在では、この規定は削除され、参加協議会が人事に介入することはないようだ。
 だが、学校の運営に関して、かなりの権限が認められていることは事実である。もちろん、ヨーロッパのやり方が正しいと断定はできないが、参考にすべきではあろう。

投稿者: wakei

2020年3月まで文教大学人間科学部の教授でした。 以降は自由な教育研究者です。専門は教育学、とくにヨーロッパの学校制度の研究を行っています。

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