シャーロック・ホームズ 赤毛連盟

 「赤毛連盟」は、シャーロック・ホームズの最初の短編集「シャーロック・ホームズの冒険」の第二話であり、シャーロック・ホームズ全体のなかでも秀逸な短編のひとつとされている。犯罪者が目論んだ手口が奇想天外で、それを論理的推論と過去の情報を活用、直ちに必要な手配をして、犯罪の現場で犯人を捕らえてしまう話だ。
 
 銀行に、新たに運び込まれた大量のフランス金貨を盗むために、クレイ一味は銀行の裏通りに近接する質屋から銀行までトンネルを掘って、銀行に入り込む計画をたてる。質屋に通常の半額の給与でいいと言って店員として採用され、質屋が昼間不在になるように、赤毛連盟という組織をデッチあげ、質屋に応募させる。毎日4時間、ブリタニカ百科事典を書き写すだけの作業をして、週4ポンドを得られるようにするわけだ。

 しかし、2カ月後突然、赤毛連盟事務所が閉鎖されているので、質屋はホームズに相談に来る。ホームズは、新しい、また赤毛連盟に強く勧めた店員について、容貌などを質問し、そのあと、直ぐに、質屋周辺を点検、店員のズボンの膝を確認する。夜に警官と銀行の頭取を伴って、金貨を保管している部屋に陣取り、窃盗団を待ち、クレイを捕縛することになる。
 
 以上があらすじだ。
 全体として、ドラマ(以後、ドラマはすべてジェレミー・ブレット主演のもの)は原作に非常に忠実に作られており、特に、赤毛連盟の募集に応募のため出かけていき、混乱のなかを掻き分けながら進んで、ダンカン・ロスなる人物に面接されて、採用される場面などは、やはり、演技がうまいこともあり、惹きつけられる。
 ドラマは、ほぼ忠実に原作をなぞっているが、2点重要な「創作」がなされている。
 第一は、金貨が銀行に運び込まれる場面が設定されていて、トラックから数箱銀行に運び込まれるのを、クレイが影でみている。そして、トラックがひきあげるときに、運転者らしき人が、紙を用済みと思ったのか、投げ捨ててしまう。それをみていたクレイが拾って、中身を確かめる、という場面だ。原作には、何故、クレイがこの銀行にフランスの金貨が運び込まれていることを知ったのか、書かれていない。だから、そのきっかけを示す意味で、原作にない場面を挿入したのだろう。しかし、いかにも不自然だ。重要書類を、いかにトラック運転手といえども、放り投げるはずがないし、そもそも、銀行側がそうした書類を運転手に渡したままひきあげるというのも、ありえないことだ。書類ではなくても、大きな箱を大事そうに運び込んだのをみただけでも、クレイが事態を了解できるはずだ。挿入意図は十分に理解できるが、勇み足部分もあった。
 あるいは、紙を落したのは、窃盗団の一味で、銀行に入り込んでいる人物という設定なのかも知れない。しかし、それなら、わざわざ地下にトンネルを掘るような大変な作業をするまでもなく、銀行の警備の手薄な時期に、別の手段で忍び込むということも可能なはずだ。
 
 第二は、この窃盗を計画したのがモリアーティ教授となっていることだ。原作には、モリアーティ教授は出てこない。シャーロック・ホームズのファンにはよく知られた事実だが、『シャーロック・ホームズの冒険』で大人気となったが、次の短編『シャーロック・ホームズの回想』を書いているときに、これでシャーロック・ホームズは終わりにしようと、作者のコナン・ドイルは考え、最終話「最後の事件」で、モリアーティ教授なる人物を登場させ、彼と最後の対決をして、スイスでふたりして滝壺に落ちてしまうという結末にした。事実、その後ドイルはシャーロック・ホームズ物を書かずいたが、あまりに要望が多かったので、10年後に、『シャーロック・ホームズの生還』で、実は落ちたのはモリアーティだけで、柔道の技を身につけていたシャーロック・ホームズは、落ちなかったということにして、生還することになる。つまり、モリアーティなる人物は、第一短編集の『冒険』には、まったく登場しない人物であり、また、ドイルの念頭にもなかったと思われる。しかし、後にはさかんに名前として登場し、ロンドンの犯罪の半分には関わっているとされることになるので、この大規模な銀行強盗に関わっていたとしても不思議ではない。そういう意味で、シャーロック・ホームズ物語を統一的に構成するという意味で、ここでモリアーティを登場させる意味は大いにある。ただし、クレイは侯爵の血筋をひいていることになっているので、モリアーティの子分というのも、不自然ではあるのだが。
 
 さて、この「赤毛連盟」が面白く、また人気もあるのは、赤毛連盟などという奇想天外な発想を持ち込み、その間トンネルを掘るなどという設定になっていることだろう。しかし、窃盗団の立場にたってみると、ひとつ間抜けなことをやっている。つまり、ブリタニカを筆写させる仕事を、何故銀行強盗を成功させるまで続けさせなかったのか。当日は質屋の主人は家にいて、彼が寝てから行動を起こすわけだから、翌週の月曜日に閉鎖ということでよかったはずだ。しかし、まだ実行していない日に閉鎖してしまったので、質屋はシャーロック・ホームズに相談にいき、犯罪を見抜かれてしまうことになる。もちろん、小説としては、シャーロック・ホームズが活躍しなければならないのだから、そうせざるをえないのだが、そうすると、どうしても設定がおかしいと感じてしまう。リアリティがそこで崩れてしまうことになる。刑事物の推理小説、特に主人公が見事に解決する方式のものの宿命なのかも知れないのだが。犯人がミスをしなければ、解決できないのだが、そんなミスするはずもないのに、という疑問が生じてしまうのだ。
 

投稿者: wakei

2020年3月まで文教大学人間科学部の教授でした。 以降は自由な教育研究者です。専門は教育学、とくにヨーロッパの学校制度の研究を行っています。

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