日本の評論家に不当に軽視された歌手 ジョーン・サザーランド

 日本でオペラがかなり普及するようになったのは、いつごろからだろうか。戦前は、ほとんど本格的な上演はなかったろう。そして、戦後NHKがイタリアからソロ歌手と指揮者を招いて、NHK交響楽団や日本の合唱団が加わっての「イタリアオペラ」が、オペラの魅力を伝え、1960年代にベルリン・ドイツオペラが来て、ベーム指揮の、いまでも話題になる上演をして、オペラへの注目が次第に出てきたように思う。そして、日本でも二期会が結成されて、日本人による上演を続け、やがて、80年代になるとミラノやウィーン、バイエルンなど、世界の主な歌劇場の引っ越し公演が行われるようになる。そして、クラシック音楽ファンに、普通にオペラが聴かれるようになったのは、世紀の変わり目くらいからなのだろうか。
 私は、イタリアオペラをテレビでみて、マリオ・デル・モナコやテバルディに感心して聞き惚れたのがきっかけだったが、オペラ好きな中学生などは、まったく変わり者だった。学生、院生時代には、二期会の比較的安いチケットがあったので、けっこう聴きにいったものだ。

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テレサ・ベルガンサが亡くなった

 スペインの名歌手テレサ・ベルガンサが亡くなった。既に引退して久しいと思うが、CDはいまだに売れ続けている。戦後の最も優れたメゾ・ソプラノ歌手の一人だと思う。
 私が自分のお金で最初に買ったオペラのレコードは、アバド指揮の「セビリアの理髪師」だった。これは、いまでもこの曲のベストだと思っているが、このとき初めてベルガンサを知った。そして、メゾがこのような華麗なコロラトゥーラの技巧をこなすことにびっくりした。
 戦前の最も優れたイタリアオペラの指揮者だったトスカニーニは、決してロッシーニを演奏しなかった。序曲はたくさん演奏したのだが、オペラは、上演不可能だと思っていたらしい。それは時代的に、ロッシーニの主役を歌える歌手がいなかったからだ。

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オペラのバージョン問題 タンホイザー・ドンジョバンニ・ドンカルロ

 オペラには複数のバージョンがある曲が少なくない。次回の私の所属市民オケのプログラムに「タンホイザー」序曲が入っているので、この問題をすこし考えてみたいと思った。
 タンホイザーには、ドレスデン版とパリ版のふたつがあることはよく知られている。パリ版といっても、フランス語で上演されることはあまりなく、パリ版として書き換えたのを、更にドイツ語化した(言葉のイントネーションのために、小さな変化は多数あるが)ウィーン版が現在ではパリ版として上演されている。最初に作曲したのが、ドレスデン版だが(当時ワーグナーはドレスデン宮廷歌劇場の指揮者だった)、後年、パリで上演されることになったときに、フランスではフランス語であること、それからバレエがはいることが条件になっていたということで、そのように書き換えたものだ。書き換えた部分は、ヴェーヌスが出ている場面だけで、他は同じである。そして、パリ版を作曲していた当時、既に「トリスタンとイゾルデ」を作曲したあとだったので、ワーグナーの音楽がかなり変化しており、書き換えた部分は、かなり妖艶で濃厚な音楽になっている。ドレスデン版の部分とかなり雰囲気が異なるので、不自然だという理由で、パリ版を嫌う人も多いが、私は、ヴェーヌスが出ている場面だから、ふさわしい音楽になっており、まったく違う世界を描いているので、それぞれにふさわしい音楽になっていると思う。パリ版のほうがずっと好きだ。

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クライバーのカルメン

 久しぶりにクライバーのカルメンを聴いた。この間、ミシェル・プラッソンのカルメンを聴いて、けっこう不満なところがあったので、耳直しという感じでもあった。やはり、クライバーのカルメンは圧倒的に素晴らしい。HMVのレビューをみると、もう古いなどという批判もあるが、クラシック音楽に「古い」という言葉が批判的意味をもつとは思えない。そもそも、クラシック音楽のほとんどは、古い音楽なのだから、演奏だって古いことが欠点になることはない。それに、クライバーのカルメンの演奏が、最近ではあまりやられないような演奏様式をとっているならば、単なる客観的認識として、古い形での演奏という評価は成り立つかも知れないが、クライバーのカルメンは、現役指揮者によって、現在でも大いに参考にされている演奏だと思うのである。そして、明らかにクライバーの演奏を参考にしているな、と思われる場合でも、当然のことだろうが、クライバーにはまったく及ばないのである。
 では、クライバーのカルメンが、他を寄せつけない点はどういうところか。

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デラ・カーザとシュワルツコップの主役交代劇

 昨日のフルトヴェングラー「ドンジョバンニ」に関する文章を書いているとき、ドンナ・エルヴィラが、シュワルツコップからデラ・カーザに交代した点について、それまで知らなかったので、大いに関心をもった。フルトヴェングラーは「ドンジョバンニ」をザルツブルグ音楽祭で、晩年3年に渡って上演しており、そのいずれもライブがCDで販売されている。最後が1954年であり、そのメンバーで映画が撮影された訳だが、どういうわけか、常にドンナ・エルヴィラを歌っていたシュワルツコップが、映画では起用されなかった。いろいろと調べてみたが、その理由がわからない。そこで、いろいろと想像してみたくなった。この文章は、あくまでも私の推測にすぎない。

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フルトヴェングラーのドンジョバンニ

 きちんとは見ていなかったフルトヴェングラーのオペラ映画『ドンジョバンニ』を視聴した。言う必要もないほどの有名な演奏だし、フルトヴェングラーのオペラがカラー映像で残っているというのは、貴重なものだ。1954年、フルトヴェングラーが亡くなる少し前に制作されたものだ。しかし、どのような経過で、どのようにして撮影されたのかは、かなり不明な点があるようだ。カラヤンの『バラの騎士』は、実際の公演をライブ録音し、その録音を元に、あとで映像のみを撮影したとされている。ライブ演奏でミスなどなかったのかどうかわからないが、あったとしても、訂正することは可能だったろう。シュワルツコップが出演したのは、映画用の一回だけだが、他のメンバーがほとんどおなじで、数回の公演が行われたし、その録音もとってあったから、必要ならそれを使えばよかった。

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トマス・シッパース 不当に低く評価された指揮者2

 トマス・シッパースの名前は知っていたが、ほとんど注目することなく、ほぼ最近まできた。注目したきっかけは、1967年に日本で開催されたバイロイト引っ越し公演(といってもオーケストラはNHK交響楽団)の録音が発売され、ブーレーズ指揮の「トリスタンとイゾルデ」は以前発売されていたが、もうひとつの演目であった「ワルキューレ」も発売され、その指揮者がトマス・シッパースだったことだ。しかも、どうやら、シッパースはN響とおおげんかをしたらしく、オケ団員から総スカンをくったと書かれていた。しかし、HMVのレビューでは、シッパースのほうがずっとブーレーズよりも、オペラ指揮者としては経験豊富で、演奏も灼熱的な名演だと書かれている。更に、この来日をきっかけに日フィルとも演奏会が行われ、それが非常に優れた演奏で、当月のベスト演奏会になったとも書かれていた。何か小沢征爾事件を思い出させる内容だ。小沢征爾もN響にボイコットされ、日フィルが救いの手をさしのべ、マーラーの復活で圧倒的な演奏を行ったとされている。おそらく、二人とも若手で、人間的にもきさくな性格、社交的だったのではないだろうか。N響はドイツ風の重厚な指揮者を好み、シッパースや小沢はちゃらちゃらしているという感じで嫌悪したのではないかと思われる。しかし、それは完全にN響にとってマイナスだった。小沢はその後50年間、N響を一度しか指揮しておらず、その一度も、メインプログラムがロストロポーヴィッチ独奏のドボルザーク「チェロ協奏曲」だった。いかにも、ロストロさんのために一肌抜いただけだ、という感じだった。そのときのN響のある団員の言葉を、よく覚えている。「私たちは、はじめて世界的大指揮者の指導を、日本語で受けることができた。」もっと頻繁に、日本語で大指揮者によって指導されていれば、ずいぶんとN響も変わったに違いない。

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日本で評論家に無視された指揮者1 ラインスドルフ

 評論家がどの程度、一般の人たちに影響を与えるのかはわからないが、評論家がこぞって、同じような見解を述べていれば、それなりの影響を与えるに違いない。音楽、レコード業界でもそうした現象がいくつかあった。カラヤンですら、若いころは、(後々まで影響を受けた人もいるようだが)評論家たちの多くにけなされ、低くみられていた。日本のクラシックの音楽評論家たちは、フルトヴェングラー信者が多かったので、カラヤンは「精神性がない」といって、邪道扱いされていたのである。
 それでも、カラヤンはヨーロッパにおける楽団の帝王だから、日本でもファンは多かったし、そうした評論家に影響されない人たちもたくさんいた。しかし、なかには、評論家たちにほとんど無視、ないし低評価を継続的に受けていたおかげで、実力が極めて高いのに、日本では人気があまりでなかった人たちがいる。そういう何人かを、時々とりあげていきたい。
 最初に取り上げたいのがエーリッヒ・ラインスドルフである。

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アバドのカルメン

 アバドが最初にオーケストラの常任指揮者になったロンドン交響楽団の録音を集めたボックスを購入して、最初にカルメンを聴いた。実はアバドのオペラボックスにも入っているので、それを聴いているのだが、よかった印象なので再度聴きなおしてみたのだ。
 私がはじめてレコードで聴いたオペラが、カラヤン指揮のカルメンだった。今の人たちには想像もつかないだろうが、そのレコードにはボーカルスコアがついていた。そのころは、楽譜がついたレコードはけっこうあったものだ。そのボーカルスコアを懸命にみながら、何度も聴いたものだ。いまでも、カルメンの代表的録音だと思う。しかし、その後はCD時代になっても、カラヤンのウィーン・フィルのカルメンはなかなかCD化されず、SACDで出たが非常に高かったので敬遠。数年前にやって、レオタイン・プライスのオペラボックスに入っていたので、本当に久しぶりに聴いた。今はこういうどっしりしたカルメンはやらないだろうが、やはり、このオペラの情熱の放出ぶりはすごい。

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バーンスタインの『トリスタンとイゾルデ』

 バーンスタインの『トリスタンとイゾルデ』のブルーレイ・ディスクをやっと聴き終えた。前に書いたブルゴスのベートーヴェン交響曲全集と一緒に購入し、ブルゴスはすぐに聴いたのだが、こちらは、かなり間をおいて、一幕ずつ聴いてきた。なにしろワーグナーものは、時間がないと聴くのが難しいし、やはり決意がいる。ヴェルディなら気軽に聴けるが。
 もうひとつ躊躇の理由として、かなり以前になるが、最初にCDが発売されたときに、トリスタンのペーター・ホフマンが、この録音に対して、かなり悪口を述べているインタビュー記事があったのだ。この録音は、ほんとうに嫌だった、しかし、カラヤンとの『パルジファル』は、とても楽しかったし、充実していたというような内容だった。そのために、CDを買う意欲は起きなかったのだが、BLが発売され、しかも在庫整理ということで、かなり安かったので購入したわけだ。

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