デラ・カーザとシュワルツコップの主役交代劇

 昨日のフルトヴェングラー「ドンジョバンニ」に関する文章を書いているとき、ドンナ・エルヴィラが、シュワルツコップからデラ・カーザに交代した点について、それまで知らなかったので、大いに関心をもった。フルトヴェングラーは「ドンジョバンニ」をザルツブルグ音楽祭で、晩年3年に渡って上演しており、そのいずれもライブがCDで販売されている。最後が1954年であり、そのメンバーで映画が撮影された訳だが、どういうわけか、常にドンナ・エルヴィラを歌っていたシュワルツコップが、映画では起用されなかった。いろいろと調べてみたが、その理由がわからない。そこで、いろいろと想像してみたくなった。この文章は、あくまでも私の推測にすぎない。

 何故、このことに関心をもたざるをえないかというと、まったく逆の交代が、6年後のカラヤンの「バラの騎士」の映画撮影で起きているからである。ドンジョバンニでは、舞台では全公演を歌ったシュワルツコップが、何故か、リーザ・デラ・カーザに変更になった。そして、カラヤンの「バラの騎士」では、サルツブルグ祝祭大劇場のこけら落し公演で、すべての元帥夫人を歌い、映画にもそのまま出演することになっていたデラ・カーザが、映画ではシュワルツコップに交代になり、映画撮影のために、一度だけ公演そのものがシュワルツコップに交代になった。このため、デラ・カーザは酷くショックを受けて、立ち直りも困難になったほどだったという。デラ・カーザの公演の録音は、CD化されている。
 
 さて、このふたつの交代が示すものは、こうしたことに興味のないひとにとっては、どうでもいいことかも知れないが、人間の葛藤のドラマとして、私には、興味津々なのである。
 まず背景を確認しておこう。
 フルトヴェングラーは、当時ヨーロッパ楽団の帝王的存在だった。そして、若手としてのしてきたカラヤンを徹底的に嫌い、自分の影響を及ぼすことができる場からは、徹底的に排除した。そのために、ウィーンの歌劇場にも、ザルツブルグ音楽祭にも出演することができなかった。
 カラヤンもフルトヴェングラーも、当時EMIの専属指揮者だった。EMIの中心的なディレクターはウォルター・レッグで、どちらかというとカラヤンへのバックが強かった。レッグが録音用に組織したロンドンのフィルハーモニア管弦楽団は、カラヤンが最も多く録音と演奏に出演した。
 フルトヴェングラーがザルツブルグ音楽祭で指揮していた魔笛を、レッグのプロデュース、カラヤンの指揮で録音したために、フルトヴェングラーは二人に怒りを感じていた。
 しかし、フルトヴェングラーはレッグと「トリスタンとイゾルデ」をフィハーモニア管をつかって録音し(いまでも名演として有名)たが、それを最後に二人は決裂した。
 シュワルツコップは、両者とも多数の共演をしていたが、レッグに紹介したのはカラヤンであり、シュワルツコップとレッグは1953年に結婚する。
 
 フルトヴェングラーとカラヤンの対立は、既に修復不能になっていて、カラヤンはザルツブルグ音楽祭から締め出されていたが、バイロイトはカラヤンとクナッパーツブッシュの二大看板で再開され、フルトヴェングラーは、開幕コンサートで第九のみを指揮した。このコンサートの終了後、レッグがフルトヴェングラーを楽屋に訪問し、「期待したほどではなかった」という感想を述べて、フルトヴェングラーがショックを受けたとされている。
 予定されていた「トリスタンとイゾルデ」をフルトヴェングラーはボイコットする可能性もあったが、そうすればカラヤンの指揮に変更されるだろうから、結局契約をまもって指揮をした。しかし、続くマーラーの「さすらう若人の歌」では、わざわざレッグを担当から外させるという復讐をした。1952年のことだ。
 そして、ザルツブルグ音楽祭でのドンジョバンニの上演と映画制作となった。かなりの時期まで、上演チームでの制作だったはずである。映画撮影に関しては、当時厳格だったレコード会社の専属のしばりはなかったから、普段上演しているメンバーでの撮影が可能だったはずである。何故突然シュワルツコップが交代したのか、それは、レッグの復讐だったとしか思えないのである。トリスタン以後も、フルトヴェングラーはEMIに活発に録音しているが、すべてレッグ以外と組んでいた。レッグにとっては屈辱的だったろう。そこで、妻となっていたシュワルツコップに、降りるように説得したのではないだろうか。レッグであれば、他の場を設定できる。実際に、5年後にジュリーニの指揮によるドンジョバンニに、ドンナエルヴィラで出演しているのだ。映画については、急な変更だったので、混乱して、シェピのあいまいな記憶になったのではないだろうか。
 そして、これが、どのようにカラヤンのバラの騎士に影響したのだろうか。
 フルトヴェングラーが死んで、カラヤンがベルリンフィルの音楽監督に就任したことによって、カラヤンはEMIとの契約を解消し、デッカとドイツグラモフォンに軸足を移し、やがて、ドイツグラモフォンの専属になる。(その後、EMI、デッカとも契約するようになるが)バラの騎士の公演と撮影が行われた1960年は、EMIとの契約の最終年だったが、仕事は極めて少なかった。そして、オペラの録音は、デッカと行うようになっていた。カラヤンは、バラの騎士を、かなり固定的なメンバーで、あちこちで上演していたが、そのチームを主体にザルツブルグの記念的な上演を企画し、映画も作ろうとしたわけだ。何故、そのチームの中心だったシュワルツコップを外して、デラ・カーザにしたのか、正確にはわからないが、やはり、EMIと距離を置いていたからなのだろうか。しかし、そこに、レッグがちょっかいをだした結果になるが、強引に映画に関してはシュワルツコップを起用するように働きかけたわけだ。たぶん、ドンジョバンニをレッグによって外された「代償」を、シュワルツコップが、レッグに求めたのではないだろうか。なにしろ、夫婦なのだから。もちろん、カラヤンは、契約に縛られていたことはないだろうから、つっぱねることもできたはずである。しかし、なんといっても、レッグはカラヤンにとって、大恩人である。レッグがいなければ、フルトヴェングラーに干されたままになって、表舞台にでられない時期が相当続いたはずである。しかし、レッグによって、フルトヴェングラーよりもずっと早く、指揮活動に復帰できたのである。非ナチ認定を受けてからフルトヴェングラーは復帰したが、カラヤンは、レッグの手配によって、受ける以前に、「禁止されているのは演奏会だから録音はよい」と、強引に認めさせて、ウィーン・フィルをつかっての録音をせっせとやることができたのだ。
 そういう恩人レッグから、強く要請され、しかも、バラの騎士チームの中心がシュワルツコップだったのだから、映画では出演させるということで、妥協したのではないだろうか。
 
追記
 上の文章を書いたあと、Tomoyuki Sawadoという方のブログを見つけた。この交代劇について書いた文章で、私の知らないことがたくさん書いてあったが、この交代についての解釈については、私としては少々納得できなかった。というのは、氏は、ドンジョバンニを降りたのも、6年後に予定されているバラの騎士の主役をえるためだったというのだ。そういう深謀遠慮があったという。http://www.fugue.us/Della_Casa.html
 しかし、ドンジョバンニを降りることによって、バラの騎士の主役が舞い込むというものではないはずで、要するに、商業ベースなのだから、人気があって売れる歌手を起用できればいいわけだ。当時のレッグとシュワルツコップであれば、両方手にいれることはできたはずだ。少なくとも、ドンジョバンニを降りる必要はない。しかも、ドンジョバンニだって、フルトヴェングラーという大巨匠による、史上初のカラーによるオペラ映画である。それに出演していれば、観客の需要を高まることはあっても、低下することはあるまい。実際に、オットー・エーデルマンは、両方の映画にでている。さらに、6年前に、カラヤンのバラの騎士の歌手がきまっていたわけでもないだろうし。
 氏は、デラ・カーザのファンのようで、シュワルツコップを悪人にしたてあげたいのかも知れない。そこまで悪くはいってないが、悪くいっている当時の関係者の発言をたくさん引用している。
 やはり、ドンジョバンニを降りたのは、レッグによるフルトヴェングラーに対する意趣返しであって、そのことの代償として、シュワルツコップが、バラの騎士への出演を、レッグに画策させたのだと、私は思う。
 バラの騎士に、デラ・カーザが出演していたら、あの圧倒的なカラヤンのバラの騎士の映画の結果はどうなったのだろう。私は、やはり、同様に大成功していたと思うし、その後のデラ・カーザの活躍は、もっと大きくなっていたと思う。なんといっても、映画として見る場合、大きな要素になる美貌という点では、デラ・カーザのほうがはるかに上だったから、同程度以上の評判になったに違いない。
 それから、氏は、最初のボタンの掛け違いは、カラヤンが、最初からシュワルツコップではなく、デラ・カーザをオペラ上演に起用したことだともいっている。確かに、カラヤンは、ずっとシュワルツコップを起用していたし、大評判のレコードを録音していた。これまで、私は、シュワルツコッフが何かの事情で断っていたのかと思っていたのだが、新しい人材を求めるカラヤンの意外な人選だったということなのだろうか。
 
 

投稿者: wakei

2020年3月まで文教大学人間科学部の教授でした。 以降は自由な教育研究者です。専門は教育学、とくにヨーロッパの学校制度の研究を行っています。

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