プーチンの演説 戦争という選択しかなかったのか2

 前回の末尾に、ロシアの復興は可能なのかと書いたが、もちろん、いわゆる復興という点では、ウクライナのほうがずっと困難だ。地域が破壊されたのはウクライナであって、ロシアではない。少なくとも、いまの状況では、ウクライナはロシアに侵攻するする意図はもっていないようだ。ウクライナ前線への補給基地は破壊しようとするだろうが。ウクライナは、勝利のあとは、いかに困難でも、欧米からの支援をえて、長い時間がかかるとしても、復興していくだろう。そして、もはや親ロ派と親欧米との争いや政治腐敗なども、おきなくなっていくに違いない。破壊されたあらゆることの復興を考えれば、争っている余裕などないからだ。
 それに対して、ロシアの復興とは、政治的復興という意味になる。私は、プーチンが失脚するなり、殺害されることなしに、この戦争は終わらない可能性が高いと考える。プーチンがあるところで、矛を収めて敗北を認めることは考えにくいのである。けんかは絶対に負けてはならないというのは、プーチンの最も固い信念だからだ。アメリカは、ロシアは長期戦のための準備をしていると、見解を発表したが、ロシア軍がウクライナ領内から完全に追い出されたとしても、長期に戦争状態を続けることができるとも思えない。さすがに、政権内でのプーチン排除の動きがおきるのではないだろうか。 

 プーチン体制では、どんなに戦局が悪化しても、反乱などはおきないという説が強いが、しかし、ロシアの歴史をみれば、何度も反乱が起きているし、また、革命すら起きているのである。ナポレオンの侵略を防いだあとの19世紀にも、デカブリストの乱やアレクサンドル2世暗殺という事件も起きている。そして、日露戦争で日本が勝利したのは、1905年におきた革命騒動のおかげである。対外戦争をしていないときの反乱は、事前に押さえつけることができたが、日露戦争で劣勢だったとき、革命運動が燃え盛ったし、第一次世界大戦に敗北の色が濃くなったとき、ロシア革命が成功したのである。
 だから、ウクライナ侵略が無残な失敗が長引いたとき、民衆暴動は十分にありうるし、宮廷革命でプーチンが除かれる可能性は否定できない。
 
 しかし、そうなった場合でも、ロシアが民主主義を重んじる国家になっていく保障はない。プーチンがロシアを変えたというよりは、ロシアという国家がプーチンを生んだとも言われる。つまり、ロシアは、強い権力をもった「独裁者」がいないと社会が安定しない国家なのだという「説」がある。もし、独裁者をロシア国民が望んでいるのだとしたら、それは今後の国際社会では、存続できなくなるのだということを、ロシア国民に納得してもらうような働きかけが必要である。
 
 考えてみると、日本という国家は、強い人物を嫌う傾向があるとされる。ロシアと正反対かも知れない。平安時代以降天皇が政治的権力者であったことはないし、武家政治になっても、トップが本当に最高権力者であり、実質的決定者だったのは、ほぼ創業者くらいである。源頼朝、織田信長、豊臣秀吉、徳川家康。徳川時代の例外は、家康を除けば、吉宗だけだった。
 つまり、彼ら以外の時代は、形式的トップ以外に、実質的トップが別にいたということであり、しかも、徳川時代には、老中のように集団指導体制ともいうべきスタイルの時代が長く続いた。また、大名においても、領主よりは、家老などの重要家臣が実質的に重要な決定・実行を行い、また責任をとっていた。これは、政治には常に誤るという危険があり、政治的な安定をもたらすには、トップが責任をとって、誤りの度に交代するのではなく、より下部の執行者が責任をとるほうが、体制を不安定にしないという、ある種の政治的知恵といえる。これがベストであるかどうかは別として、少なくとも、極めて重大な国家的危機が外部からもたらされたということが、極めて少なかったために、危機対応できる英雄を求めなかったということだろうと思われる。
 
 ではロシアはどうだったのだろうか。ロシアの歴史の本を繙くと、その国名、その領域、民族の入り乱れ具合が、驚くばかりだ。現在国家として存在する、リトアニア、モルドバ、ウクライナ、ポーランドなど、国の位置や大きさなども、大きく変化している。これらの国は、大国だった時代があるのだ。そして、ロシア史でみられる民族間、あるいは同族内の戦闘や闘争で、相手を殲滅するような激しさも、日本の歴史とはまったく異なる。特に、ロシアにモンゴルが攻めてきたときの戦闘などは、悲惨なものだ。
 日本は、海に囲まれているから、小さな島の国境、正確にいえば、領有が変わったことはあるが、4島の所属が変わったことはない。内部的な区分の変更も比較的少ない。
 ロシアやその周辺の歴史では、抗争によって国境線が変わることなどは、ごく当たり前だし、戦争を行われるときには、住民皆殺しなども、とくに珍しいことではなかった。むしろ、自国の安全のためには、相手国は消滅させてしまったほうがよい、というような感覚が受け継がれているのかも知れない。だから、ウクライナ侵攻で、民間のアパートだろうが、学校だろうが、ミサイルで爆破しているプーチンを、そのことの故に批判することもないのだろう。もちろん、正面きって、そういうことがいいのかと問われれば、否定的であるかも知れないが、「現実の戦争状態になったときには、味方の攻撃が、たとえ民間人の虐殺になっていたとしても、やむをえないと思う。戦争の結果、勝利したら、相手の領土が自国のものになるのも当然だ」そういう感覚であるとすると、ウクライナ戦争が終わったあと、やはり、国際社会の安全のためには、そういうことは、現代社会では間違いなのだということを、ロシア国民が、単に論理だけではなく、感覚としても納得するようになってもらわなければならない。ただ、完膚なきほどに打ち負かすだけでは、臥薪嘗胆でいつか仕返しを、という感情を生んでしまう危険がある。
 
 プーチンの行った今回の侵略戦争で、現代の国際社会が共通規範として確認している原則を、守る意志がないことが示されことは、いくつかある。
・武力による領土変更は容認されない。
・民間の市民を殺害してはならない。
 プーチンは、明らかに、武力による、ウクライナとロシアの国境変更を意図している。更に、マリウポリでは、当初から住民の虐殺を計画していたと言われており、その証拠として、大規模な集団埋葬の準備をしていたとされる。死体は速やかに処理しないと、疫病の原因となるために、大量の死体を処理するためには、予め準備が必要であり、ロシアは、占領地域で集団埋葬を行っている。
 つまり、プーチンは、上記ふたつの国際的規範を、守るべきものとして、まったく受け入れていないことがわかる。
 まず必要なことは、武力で領土変更ができないように、武力を制圧することである。ウクライナ人がそれを望むなら別だが、ウクライナ人自身が闘う意志を示している以上、ロシア軍を完全にウクライナから追い出す必要がある。それは、ルハンスク州とドネツク州に入っていたロシア軍も同様である。そして、そのあと、ここにいるロシア系住民とウクライナ人が、協力的な関係をもてるようにすることができるかどうか、ウクライナ政府の手腕、あるいは姿勢が問われるのではないだろうか。もし、ロシア軍が撤退したあと、この州のロシア系住民が抑圧されるようなことになれば、ウクライナに対する国際社会の目も厳しくなるに違いない。
 クリミアについては、ロシア軍が撤退したあと、冷却期間をおいたあと、再度の住民投票をするべきなのではないだろうか。
 
 そのあとは、ウクライナとロシアの平和条約の締結がどのようになされるかが、ロシア国民の意識変化に大きく影響すると思われる。ロシア軍がウクライナで行ったことを、国民に正確に伝えることを、ロシアに招致させ、ロシア人に事実を知らせる必要がある。
 そのなかで、ロシア人から、多くの人がウクライナの復興に協力する人が出てくることが望まれる。ロシアを単に侵略できない程度に弱体化させることが目的となるべきではない。むしろ、侵略などしてはいけないのだという規範を受け入れる国家に変えていくこと、そして、敵視せずに済む国家にしていくことこそが目的なはずである。

投稿者: wakei

2020年3月まで文教大学人間科学部の教授でした。 以降は自由な教育研究者です。専門は教育学、とくにヨーロッパの学校制度の研究を行っています。

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