多文化主義は終焉したのか

 現在のヨーロッパでは、ポピュリズム政党が大きな力をもつようになっているが、その躍進のひとつの理由が、多文化教育に対するネガティブな感情である。移民受け入れの積極派であるドイツのメルケル首相が、以前「多文化主義は敗北した」と発言したことはよく知られている。少なくとも、多くのヨーロッパ諸国が、政策としての多文化主義教育をやめたことは間違いない。しかし、ことはそれほど簡単ではないようだ。
 多文化主義は様々な定義があるが、共通項を整理すれば、ふたつの要素から成り立つ。
 第一に、公用語以外の言語の尊重である。そして、第二に、マイノリティの文化の尊重である。
 19世紀は、ひとつの民族がひとつの国家をつくるという「国民国家」が成立し、そこで成立した国民国家は、現在多くが先進国としての地位を保持している。しかし、ひとつの民族によって構成されている国民国家といっても、実は少数民族や、国民国家が採用した公用語とは異なる言語を用いている人たちが、ほとんどの国民国家内部に存在した。特に、そうした存在が多かったのがオーストリー帝国である。国民国家形成以前は、国境などもあいまいであり、明確だったのは都市の城壁であった。パリもウィーンも城壁で囲まれ、市民はそのなかで生活していて、障壁の外は、農民を始めとして、様々な人がかなり自由な移動もしながら生活をしていた。だから、多民族の人たちが流れ込んでいることも少なくなかったのである。しかし、国民国家となり、国民であることが定められ、都市の城壁が取り払われて、国の領域が定められることになるが、当然、そこには、少数民族が繰り込まれたわけである。
国民国家内のマイノリティ
 国民国家の形成は、同時に、帝国に支配されていた民族の自決権を求める運動を促した。19世紀に、民族自決権に基づく独立運動がもっともさかんに行われたのは、南米であったが、ヨーロッパでも三分割されていたポーランドでも、武装蜂起があった。そして、第一次大戦での帝国の敗北(ロシア、トルコ、ドイツ、オーストリア)によって、多くの独立国家が生じる。そのときに、独立国家は、また、同一民族が他の国民国家内に移住していた人たちも多くいたわけである。
 第二次大戦後、国際連盟が設立されて、世界人権宣言が採択される。そのなかに、第二条一項で「すべて人は、人種、皮膚の色、性、言語、宗教、政治上その他の意見、国民的若しくは社会的出身、財産、門地その他の地位又はこれに類するいかなる事由による差別をも受けることなく、この宣言に掲げるすべての権利と自由とを享有することができる。」と書かれている。既に「言語」による差別の禁止が入っていることに注目する必要がある。しかし、周知のように、世界人権宣言は拘束力はないので、その後拘束力のある人権規約が求められ、自由権に関する「市民的及び政治的権利に関する国際規約(B規約)」が1966年国連総会で採択され、1976年3月に発効した。第二十七条は、「種族的、宗教的又は言語的少数民族が存在する国において、当該少数民族に属する者は、その集団の他の構成員とともに自己の文化を享有し、自己の宗教を信仰しかつ実践し又は自己の言語を使用する権利を否定されない。」と規定し、やはり、自己の言語を使用する権利を保障されたのである。
 この後、特にヨーロッパでは、国内の少数民族の言語の保障について、継続的に取り上げるようになる。言語の尊重は、当然文化を尊重することにつながる。これが、戦後の多文化主義の源泉であると考えられる。しかし、これは、その後大量の移民がヨーロッパにやってきて、移民の文化や言語を、国のなかにどのように取り込んでいくかという問題に関わる多文化主義とは、異なっていた。既に生活しているマイノリティの言語や文化の尊重だったのである。当然、少数民族の言語のなかに生まれても、生活している国民国家のなかで、その公用語は習得していく。そして、少なくない人たちは、尊重されても、特に具体的な措置が政策的にとられたわけでもない少数言語を捨ててしまうことになった。
移民の子どもたちの言語
 ところが、1970年代以降の、大量に押し寄せた移民、その子どもたちの言語問題は、まったく異なっていた。多くの移民は、その移住した国の言語を習得していなかったし、それは学校に入学した子どもたちも同様だった。だから、大人のための言語講習は、労働のために不可欠であったし、子どもたちも、学校の授業を理解するために、言語を習得させるべく、ヨーロッパの移民受け入れ国は、例外なく、彼らがそれぞれの公用語を習得させるべく、特別の措置をとったのである。
 しかし、子どもに関しては、ドイツ語やオランダ語を習得させようとしても、不十分な子どもたちが多く、彼らは、当然学校の授業についていけないので、ドロップアウトする例も少なくなかった。なぜ、ドイツ語やオランダ語を習得できないのか。それに関するひとつの回答が、彼らは家庭では母語(祖国の言語であることが大多数)を使うが、学校でドイツ語やオランダ語を使う。しかし、いずれも中途半端になってしまう。ドイツ語やオランダ語を急速に身につけた子どもは、逆に、母語を習得できずに、親とのコミュニケーションがとれなくなる例も生じた。しかし、多くの子どもたちは、両方の言語が中途半端になるのは、母語をしっかりと習得しないことが原因であると考えられるようになった。そこで、構想されたのが、母語もしっかり習得するように教育し、あわせて、ドイツ語などを学ばせるというものである。バイリンガリズムと呼ばれる。バイリンガリズムを実施するために、例えば、トルコ人の移民の子どもが一定数いれば、トルコ語の教師を雇用して、母語の習得を保障、更に、ドイツ語の教師を配当して、まだ充分に習得していない子どものためのドイツ語コースを設置するというものである。当然、かなり多くの経済的負担が生じる。ただし、こうした政策は、すべての移民受け入れ国がとったわけではなく、フランスは、従来「同化主義」を採用していたので、あくまでもフランス語の教授に集中させていた。イギリスは、英語であるために、移民も比較的習得していることが多く、徹底して実施したわけではない。オランダやスウェーデンが、ヨーロッパのなかでは、熱心に実施したと考えられる。
 オランダでは、1951年に旧植民地であるインドネシアからの移民に対して、母語の教育をするようになったが、本格的に母語の教育を実施するようになったのは、1974年で、OALT(onderwijs in allochtone levende talen)と呼ばれ、5名以上の同じ言語の子どもがいると、その言語の教師を雇い、オランダ語と母語の特別コースを設置して教育をした。しかし、2001年の同時多発テロ以後、移民に対するネガティブな感情が強まり、政府の調査期間である Sociaal en Cultureel Planbureau が、OALTの効果に対する調査を2002年に実施、結局、統合政策と矛盾するという理由で、2004年に正式に廃止された。以後、政府や自治体がその費用をだすことがなくなり、1400人の教師が失業したとされる。 
 従って、現在は、母語のよる教育の保障を、公的に実施している国は、ほぼなくなった。
EUの政策
 しかし、理念としての多文化主義がなくなったわけではない。実は2015年に、EUの委員会は、Language teaching and learning in multilingual classroomsという報告書を公表し、そこで、以下のような原則を共通理解として確認している。
共通理念
・言語教育を受けないと、本来の能力を発揮できない。(移民)
・子どもたちは、母語のサポートを受けられない場合が多い
・言語教育によって、移民との相違を減らせる
・バイリンガリズムで、移民の子どもの知的能力を向上させることができる。
同意されたこと
・早期の子どもに対する教育とケアの関与
・配置と加入承認 移民が多いと成績が下がるというのは誤解で、多言語の教室には、人員の配置が必要
・言語サポートの必要性の評価
・学校制度への統合のため言語教育を学ぶ
 つまり、EU本部としては、現在でも多文化主義、バイリンガリズムを保持しており、そのための政策を実施するように求めているのである。しかし、個別の国家レベルでは、ほぼこの原則は実施されてくなっている。
 このような、ある意味ちぐはぐな状況になっている。ただ、EUでは、大学間の交流が進んでおり、EU内の言語を複数習得することが奨励されているので、言語教育の方法が格段に進化しており、やがては、特に無理なく、母語教育なども行われるようになる可能性もある。マルチリンガルの人は、有用な人材と位置づけられているから、ポピュリズム的排他主義が継続していくとも思われないのである。

 日本の今後も考えておく必要があるだろう。日本は、欧米で移民受け入れを制限するようになっている時期に、移民受け入れを事実上決めた。あまり議論もないまま、移民受け入れの法案が国会を通過したが、何がおきるかは、ヨーロッパの経験で分かっているにもかかわらず、対応策がとられているようには思えない。
 また、小学校での英語教育が正式に導入された。しかし、このことへの批判も、決定前は強かった。その批判のひとつが、日本語の能力もまだきちんと形成されていないときに、外国語を学ぶのは、よくない。日本語の習得も不十分になる危険性かあるという批判である。移民の子どもたちの言葉の教育と、日本人の英語の早期教育とは、問題が重なり合っている部分がある。次にこの点を考察してみる。

投稿者: wakei

2020年3月まで文教大学人間科学部の教授でした。 以降は自由な教育研究者です。専門は教育学、とくにヨーロッパの学校制度の研究を行っています。

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