個性を伸ばすといっても、実際には極めて難しい。特に日本の学校では、言葉では言われても、実際には一定の方向にもっていこうとする、つまり、同質性を求める。おそらく、よい教育をしようと思っている人ならば、そうではなく、人間はみんな違うのだから、それぞれの個性、よさを伸ばしたいと思っているに違いない。しかし、それは本当に難しいのだ。まず、じっくりと育てる時間がなければ無理だろう。それに、それぞれ違うものをもっている子どもたちの特性や資質を見抜く力がなければならないし、それを伸ばす方法も、異なる特性や資質に応じて違ってくるはずである。それは教育する者に相当の力量を求める。
だから、往々にみんなを同じ枠のなかに押し込むような教育が、横行してしまうことになる。現在のほとんどの学校では、教師と子どもは2年程度しか師弟関係にはない。そして、卒業していってしまう。その後のことはわからないし、また責任もとりようがない。本書は、宮大工の仕事を通してであるが、みんなを同じに促成栽培するような教育が、いかに間違っているかを教えてくれる書物である。教師の人には、ぜひ読んでほしい。
新潮文庫ででていて、著者は3人いる。西岡常一氏の他に、小川三夫氏、塩野米松氏であるが、それぞれ同じ題名で「天」「地」「人」という題になっている。今回紹介するのは、西岡氏の部分である。
西岡常一氏は、1908年生まれで、1995年に亡くなっている。奈良の宮大工の家に生まれ、祖父から小さいころから棟梁になるべく育てられ、法隆寺や薬師寺の復興の仕事をされた宮大工である。
宮大工とは、寺院や宮殿などを専門に建てる大工のことであるが、通常の大工とは相当に違う形での仕事をしており、この書には、西岡氏を最後の宮大工と人物紹介している。最も、厳密に宮大工の仕事以外はまったくしなかったという意味での「最後の宮大工」という意味だろう。二番目の文を書いている小川氏は、西岡氏の唯一の弟子であり、やはり宮大工といってよいはずである。
では、通常の大工とは何が違うのか。西岡氏が本書で繰り返し説明しているから、詳しくはぜひ読んでほしいが、法隆寺が世界最古の木造建築であり、建築以来1300年も経過していることは、日本人であれば誰でも知っていることである。日本の多くの家屋は、木造建築であるが、1000年どころか、100年もつことも稀である。少なくとも、普通の家屋で、数百年前に建てられたものは存在していない。数百年以上前に建てられた木造建築は、すべて、寺社や城だけである。しかも、江戸時代に建てられた城などで残っているものも、いかにも古くなった感じが多い。むしろ、飛鳥時代、奈良時代に建てられたもののほうが、建物としての生き生きした感じが残っているような気がする。
寺社や城を建てる大工が宮大工であり、普通の家を建てる大工とは、似ても似つかぬ考えかた、働きかたをすることが、本書でよくわかる。そして、普通の家がなぜ、100年もたず、法隆寺が1300年ももっているのかが、説明されている。
まず宮大工の口伝として、私がもっとも重要だと思ったのは、「堂塔建立の用材は木を買わず山を買え」というものだ。
大分前のことで詳細は憶えていないが、飛鳥や奈良時代に、宮大工が建てる寺院などは、植林から始まると説明されていた。木はどのように育ったか、日陰か日向か、斜面か平地か、等々様々な条件で異なる木材の性質がでるので、それをうまく組み合わせることで、長年の変質に耐えられるようにするのだというような説明だったと思う。ほしい木材を予め計画的に植林するというわけである。
しかし、西岡氏の説明はかなり違う。考えてみると、西岡氏の説明のほうがたぶん正しいだろう。というのは、いくら長く待ったとしても、植林してから伐採するまで数十年以上待つことはできないだろう。しかし、50年そこらで充分な木材が得られるはずもない。西岡氏は、法隆寺のような建築には、太さも長さも巨大な、しかもまっすぐの木材が必要だという。現代の鉄骨をとめていく手法なら、高さ100メートルの高層ビルの柱に、一本で100メートルの鋼鉄が必要なわけではないだろうが、五重の塔を支える柱は、その高さの一本の木材でなければならない。だから、樹齢1000年の檜が必要なのだそうだ。だから、植林からはじめるのではなく、そういう木が育っている山を手にいれるということだろう。すべて檜を使うのだそうだが、それは、檜は建築後1000年たっても生きていて、変化に対応してくれるのだという。つまり、2000年以上の命があることになる。
そして、木は山のどこで育ったかによって、それぞれ異なった性質をもっている。だから、その異なった性格を認識して、その性格を利用して使う必要がある。「堂塔の木組みは寸法で組まず木の癖で組め」ということになる。
道具が発達し、建築期間を短くできるようになると、次第に、木材を正確に切って、どこに使ってもいいような形にする。だから、最初に精密につくった設計図に、切り揃えた木材を当てはめていくようになる。しかし、どんな木材でも、必ず乾燥が進んでくると曲がってくる。「癖で組む」というのは、この間借り具合を予め認識した上で、その曲がりがむしろ建物を強くするように組み合わせていくことを意味している。しかし、最初から「まっすぐに」切り揃えた木材は、そうした癖を無視しているわけだから、年月がたっていくと建物の至るところが、変形してきて、綻びが生じてくることになる。だから、せいぜい100年しかもたない。
宮大工は、建てるときに、ずっともつ、最低300年はもつことを考えて建てる。だから、ひとつひとつ違う木材の癖を活かす組み合わせをするのだが、更に、もっと様々な工夫があるという。例えば、軒に出ている部分の木材は、実際の必要より、長く奥のほうに伸びるように使っているのだという。軒に出ているので雨風でどうしても痛む。取り替える必要が出てくるわけだが、そうした木をその都度取り替えるというと、大変だし、木材の手当が難しい。なにしろ癖をみて組んでいるわけだから、同じ癖の木材を手にいれられるとは限らない。そこで、痛んだ部分だけを切り落として、木材をその分引っ張りだす。もともと長くしてあるから、そういう形で何度かの修理が、木材を変えることなく可能になっているという。
さて、大規模な大工仕事だから、かなりの人数で協力することになる。そして、当然長くかかるわけだから、人を育てながらになる。この育て方も詳しく書かれているが、簡単にいえば、それぞれの癖(長所短所)を見極めながら、適切な使い方をしていく必要があるというのである。それができなければ、棟梁にはなれない。少なくとも、本人にやる気があって、努力する姿勢があれば、お前は向かないからだめだ、と追い出すようなことはないという。
木の使い方と人材の使い方に、これほどの共通性があるということが、非常に興味深かった。
この書物は、インタビューに答える形で述べられているので、とても分かりやすい。一読する価値がある。