ポピュリズム政党の教育政策(1)

 メディアでは、最近のポピュリズム政党を「極右」と位置づけて報道しているが、それはあまり適切ではない。「極右」とは何かという問題もあるが、常識的には、ネオナチやKKKのように、激しい差別感情をもって、対象を暴力をもって攻撃するような団体と考えるべきだろう。現在でも、そうした「極右」は存在しており、やはり、主要なポピュリズム政党とは区別すべきものである。本来、国民の人気とり政策をするのをポピュリズムというのだから、政治的潮流は多様である。故チャベスのような、あきらかな左翼ポピュリスト政治家もいるのである。現在問題となるポピュリズム政党は、得に欧米では、ほとんどが、「移民政策」への反対を軸にしている。程度の差はあるが、イスラム教徒の流入に反対し、イスラム教徒がその国の価値を受け入れることを条件づけることで一致している。特に、その国の言語を習得することを重視する。そういう意味では、教育が重要な意味をもっているのであるが、実は、ポピュリズム政党の政策のなかで、教育政策はあまり重要な位置を占めていない。しかし、移民問題の現われている場のひとつが学校なのだから、教育政策が彼らの移民政策と合致していなければ、彼らの政策は実現しようがないはずである。 
 移民が多くなり、その子どもたちが学校に入ってくるようになると、多くの欧米先進国は多文化主義の教育を実施した。移民の子どもの祖国の文化を尊重し、母語の育成を保障する政策である。そうしないと、移民の子どもたちは学校の勉強についていくことができず、教室を荒らす、あるいは不登校になって非行に走るという傾向が出てくる。しかし、それでも言語習得が進まない子どもが出てくるし、また、会話ができるようになっても、よい成績をとるのは、更に困難である。従って、多文化主義教育は、必ずしもみなが納得するような成果をあげることができず、最も熱心な推進者であったドイツのメルケルが、多文化主義の敗北を認めることになった。
 多文化主義の実践には、かなりの費用がかかる。特に、母語の育成と移民国の言語の習得のために、余分の人員が必要だからである。欧米で、ポピュリズム政党が勢力を増したのは、こうした社会的負担にもかかわらず、多文化主義教育がうまく機能していないことへの不満だったと考えられる。
 移民制限を掲げるポピュリズム政党にしてみれば、多文化主義教育を否定することは当然であるとしても、既に合法的に暮らしている移民・難民を追放する政策を掲げているわけではないから、彼らの教育に関する政策は必要なはずである。また、政党としては、一般的な教育のあり方に対する政策を示す必要もある。
 そこで、まだ不十分であるが、主要なポピュリズム政党の教育政策を調べてみた。
フランス
 まず、もっとも注目されるポピュリズム政党であるフランスの国民連合(Rassemblement National)である。以前は、国民戦線(Front National)という名称であったが、名称変更した。国民戦線は、1972年に設立されたが、極右団体(新秩序)が中心となっていたために、ネオナチなどが入っており、支持が広がらなかった。しかし、当時の党首ジャン=マリー=ルペンから引き継いだ娘のマリーヌ・ルペンが、極右的な要素を払拭し、民主主義を前提にした活動をして、大きく勢力を伸ばした。過去二度の大統領選挙でルペンは、決戦投票まで残っている。 
 2017年の大統領選挙に出馬したときの選挙公約で(144 engagements presidentiels)、いくつかの教育政策を述べている。

11 選択による子どもの就学の自由を保証する。すべて、認可のない私立の施設において提供される教育も、共和国の価値と共通であるという制限の下で管理される。
23 司法への外部採用者が多くなり、いいかげんな文化がはびこっているために、国立司法学院( École Nationale de la Magistrature)を廃止する。司法官の養成のための新しい道をつくる。
83 真の社会的正義のために、すべての学生に対して実習の提供先を見つける責任を、一般教育と職業教育の高等教育施設に移す。
95 フランス語を守るために、大学におけるフランス語教授を制限しているFioraso法を廃止する。
101 基礎的な訓練によって、知識の定着を確実にする。(フランス語、歴史、計算)初等学校では、フランス語の教育に時間の半分を使う。書くこと、話すこと。出身国の言語や文化の教育は禁止する。
102 教師への尊敬を建て直す。学校の制服を導入する。世界のフランスの学校やリセのネットワークを強化する。
106 大学は、チェス(?)の選抜から、成果による選抜へ。選抜方法としての抽選は拒否する。フランスの中等教育を守る。グランゼコールも。

 国民連合という名称でもわかるように、フランスを前面にだす。初等学校では、フランス語の授業が半分というのは、ずいぶん極端な話だ。多文化主義教育は明確に否定している。しかし、反イスラム的政策がないのは、フランスでは、宗教的な要素を公立学校に持ち込むことが、既に法律によって禁止されているので、特に触れる必要がなかったのだろう。基本的に極めて保守的な学校制度を念頭においた政策が提示されているといえる。
 ただ、フランス特有で、社会に定着しているグランゼコールの措置については、混乱しているように思われる。この大統領選挙でマクロンが当選し、2019年に黄色いベスト運動で、国立行政学院(École nationale d’administration)が激しく批判され、マクロンが廃止を声明した。もちろん、この選挙時点では、まったくそうした動きはなかったわけであるが、国立司法学院のみ問題にして、他のグランゼコールを守るとするのは、整合性がとれているとはいえない。グランゼコールは、フランス社会のエリート主義の象徴であるが、また、フランスを動かしている強力な動因でもあるので、議論は極めて困難である。

ドイツ
 次にドイツのAfD(ドイツのための選択肢 Alternative für Deutschland)をみてみよう。ドイツは、ナチスの反省もあって、右翼的な政党や言論への規制が厳しく、しかも、5%条項(比例代表制選挙で得票率が5%にならないと、当選者がでない)のために、戦後長い間、右翼的政党すら存在しなかった。それが、ギリシャ債務危機に対するEUの救済措置に反対する形で、AfDが結成されたのである。そして、その後移民反対などのポピュリズム的な要素が次第に入ってきたと言われている。
 ホームページに記載された教育政策(Bilgun/Schule)は以下のようなものだ。

「才能による学校システム、多様な能力に対応した制度」
・「教育標準」は、最高の水準を保持すべき。ギムナジウムは成績に基づいて入学を許可。アビトゥアは、学習の成果の証明となる。ハウプトシューレとレアルシューレは資格を付与される職業教育として維持。
・わずらわしい能力(コンピテンシー)志向からの転換と、学校の中心的な軸としての専門的知識の復活を要求する。
・国際的なコンツェルン、施設、ロビー団体、たとえばOECDやPISAの、われわれの教育システムとドイツの未来の可能性に対する影響を拒否する。
・ますます増大するドイツ教育制度の経済化とグローバル化に対抗する。
「修士のかわりに親方を。職業教育の強化」
・企業と職業学校におけるデュアルシステムは、成功のモデルである。より高いアビトゥアやアカデミックな資質への努力は、ハウプトシューレやレアルシューレの知識の増大と同様、職業形成における若い世代にとって、危険である。
・世界的に評価されているドイツの職業教育と専門教育を強化することを望む。職業教育の価値と効用は、もっと評価されなければならない。
・促進、特別教育を、われわれは、需要に即応した教育風景として保持することを望む。
「学士と修士を再導入する」
・信頼できる学士と修士の学習課程を再導入する。学習のモジュラー化とアクレディテーションは廃止する。
・学位授与権は大学に保持されなければならない。
・教授・研究言語として、ドイツ語が保持されなければならない。
「高等教育機関の自治、研究と教授の自由は保持する」
・ドイツは先端研究の国でいなければならない。第三機関への依存を低下させるために、高等教育機関のより高い基本財政を導入する。高等教育機関は、志願者を入学試験で選抜する権利を保持する。計画経済的な目的基準による、学生数、学習結果、他の比率に示された水平化の強制は終わらせる。
「国家のインドクトリネーションに代わって、大人の市民の教育」
・ドイツの学校では、真実の見解の教育が促進されているのではなく、イデオロギー的な基準の無批判的な借用がなされている。学校教育の理想は、自立的で思考する市民でなければならない。
・教師は、政治的なインドクトリネーションであってはならない。
「イスラム教授は、ドイツの学校には属さない」
・ドイツのイスラム共同体は、教会的な構造を示していないのだから、彼らには、信仰と結びついた宗教教授は、公立学校では許可されない。

 21世のドイツ教育を動かしてきたのは、極端にいえば、PISAショックである。第一回PISAの結果で、ドイツは下位集団に入るほど悪かった。ドイツの教育と研究は世界のトップクラスと信じていたドイツ人は、大きなショックを受け、それまで自信をもっていた三分岐制度の改革論議が起こった。次第に、二分岐に改正する動向となっているが、それに反対しているだけではなく、PISAなどの試験そのものへの参加に否定的である。さらに、企業と学校での二重の育成を図るドイツのデュアルシステムを強力に支持している。このことから、教育制度的には、伝統的な制度を強く保持しようとしていることがわかる。高い教育水準を求めており、「教育標準」を高いレベルで設定することを主張している。その内容に関しては、不明であるが、ただ、PISAなどの否定的態度から、各国で議論となっている21世紀に求められる能力への注目は希薄といえる。グローバリゼーションには反対し、ドイツ文化の伝統を守る姿勢であり、イスラム的要素は学校から排除する姿勢は、ポピュリズム政党として共通である。
 大学に関する説明は、わかりにくいと思われるので説明しておく。学士や修士の復活というのは何か。現在のドイツの大学は、ドイツ社会がほとんどすべての大卒を前提とした職業には、資格が決められていて、その資格取得のために大学でとるべき科目と単位が指定されているのである。学生は、自分がなりたい職業に必要な資格を取得するために、授業を受け、それがとれると大学を去って、就職するという形をとることが多くなっている。通常の国の大学のように、卒業単位が決められていて、必要年数で単位をとると学士、更に修士という学位がえられる。それが大卒とか院卒という一種の資格になるわけであるが、ドイツでは、その形態が崩れているのである。それを旧来の形の戻そうという政策である。(次回はオランダとイギリス)

投稿者: wakei

2020年3月まで文教大学人間科学部の教授でした。 以降は自由な教育研究者です。専門は教育学、とくにヨーロッパの学校制度の研究を行っています。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です