ヤフーニュースに、森の幼稚園の紹介記事があった。 https://news.yahoo.co.jp/byline/maeyatsuyoshi/20190723-00135247/
岐阜県にある森の幼稚園に務めることになった人の体験記のような記事だが、ぜひ多くの人に読んでほしい。
私が森の幼稚園を初めて知ったのは、2004年に、卒論ゼミの学生募集のときに、ある学生が「森の幼稚園」を題材に卒論を書きたいといってきたときだった。私はまったく知らなかったので、「え、なに、森の幼稚園、知らないけど」というような応対をしてしまった気がする。同じ専修に幼児教育の専門家がいたので、実は最初そちらにいったのだが、その先生が私のところにいくように勧めたのだそうだ。というのは、当時、森の幼稚園のことなどは、ほとんど知られていなくて、日本語の文献がほとんどなく、研究するには、どうしてもドイツ語文献によらざるをえなかったから、国際教育論の担当者だった私に頼めということだった。文献もないのに、何故興味をもったのかは、実はよく聞かなかったのだが、私が知らないことを、学生が研究してくれるのは大歓迎なので、それから一緒に勉強するような卒論の取り組みになった。
くりこまの森の幼稚園の活動2005年
当時日本には、森の幼稚園と称する園がひとつかふたつで、現在ある「NPO法人森の幼稚園全国ネットワーク連盟」が2005年に宮城県のくりこま高原で第一回の交流集会を開催して発足したと思われるが、(当時は任意団体で法人ではなかった)卒論の学生もそこにでかけていった。実際に森の幼稚園の活動に参加し、ビデオをとってあるのだが、かなり強い雨がふっていて、「雨の日も、風の日も、雪の日も」行うという森の幼稚園のモットーそのものを実践していた。
それから、15年、いまでは全国ネットワークの法人ができて、加盟の園も多数ある。ネットワークのホームページに一覧があるのだが、数えるのもめんどうなくらいで、ほとんどの県に複数存在している。
学生の卒論は、その体験記と、ドイツの文献を使用したものになったが、ドイツ語は当然私が読んで内容を伝えたので、私自身の勉強のようになった。
森の幼稚園とは
このブログを読んでいる人で、森の幼稚園を知らない人もいるだろうから、簡単に説明をしておきたい。
森の幼稚園は、デンマーク人がはじめたと言われていて、校舎などもない幼稚園で、一切の活動を森にでかけて行う。お弁当や遊び道具をもって、スタッフと子どもたちが森にでかけ、そこで一日過ごして、時間になったら帰ってくる。子どもたちの活動については、最大限自主性にまかせ、よほどのトラブルが発生しないかぎりは、スタッフが口をださない。そういう自然のなかでの活動によって、身体機能、自然のなかにある危険性の認知などを通して注意力、遊びのなかで人間関係などを育成していくという教育方法である。その後ドイツでも広がり、ドイツがもっとも数が多いと言われている。そして、ドイツでは、かなり研究者が、森の幼稚園と一般幼稚園の卒園生のさまざまな能力の比較研究を行っており、多くの研究で、すべての機能において、森の幼稚園の卒園性のほうが勝っているという結果が出ていた。
自然のなかでずっと過ごすのだから、当然建物のなかで多くを過ごすより、ずっと身体機能が向上する。また、ほとんどすべてを自主的な活動に任されているので、自分でやるという姿勢ができるし、また、大人の介在があまりないので、子どもたちの人間関係も、さまざまなトラブルをへながらも、協調性が育っていく。そして、虫や植物のなかには危険なものがあるので、それに対する注意力が高まるし、また、そうしたことに関する教師の注意をも真剣に聞くようになる。文字などは学ばないが、その前の精神機能が向上しているので、学校に入ると、勉強に関しても集中して取り組み、直ぐに一般幼稚園の卒園性を抜いてしまうのだそうだ。
何故日本で設置しにくいのか
これは、統計上に示されていることだが、充分に納得できることである。だから、日本でも、次第に森の幼稚園を作ろうという動きがでた。しかし、そこに立ちはだかったのが、幼稚園設置基準である。日本の学校教育法第一条に規定された「一条校」には、文科省が定める設置基準がある。そして、すべての設置基準に、なくてはならないものとして「校舎」が入っているのである。だから、校舎をもたない教育団体は、一条校として認可されない。したがって補助金も受け取ることができないわけである。だから、デンマークやドイツにある「森の幼稚園」と同じ教育をしているものは、日本にはまだまだ少ないと思われる。先のネットワークに登録されている森の幼稚園の加盟団体を、それぞれのホームページでいくつかチェックしたが、そのほとんどは、厳密な意味での森の幼稚園ではない。ほとんどが、自然体験を重視しています、というような教育方針を掲げているだけで、当然校舎もあるし、また、自由保育ではない教育活動を行っているところもあった。英語教育を重視しているというようなところもあったから、森の幼稚園とはかなり違うという印象だ。別に非難しているわけではない。いろいろな教育形態があっていいのだから、そういう方針の幼稚園があってまったく問題ない。
しかし、本来の意味での「森の幼稚園」を実現しようという立場からすると、そうした園まで含めて、森の幼稚園のネットワークを形成しているというあり方がいいのかどうかという問題は残るのではないかと感じる。
何故、単なる自然体験の重視で、森の幼稚園の団体に加盟できるかといえば、十全たる森の幼稚園の設立が、法的に極めて困難だからである。そういう園にすると、認可を受けられない、だから、補助金がもらえない、月謝を高額にせざるをえない、園児が集まりにくくなる、という悪循環になってしまう。だから、一応校舎を設置して、実際には、あまり使わずに、森にでかけていくというところもあると読んだことがある。もったいない話だ。
やはり、幼稚園に対する考えかたをより柔軟にして、校舎がなくても、充分な幼児教育が行われていれば、幼稚園として認可して、補助金の対象にすべきなのである。最初に紹介した記事は、幼児教育の無償化が始まるが、森の幼稚園は排除されている、おかしいではないか、というのがテーマの文章なのだが、他の幼稚園が無償になって、森の幼稚園が高額な月謝というのでは、経営は極めて難しくなるだろう。
しかし、考えてみよう。
ドイツの研究ではあるが、森の幼稚園と一般幼稚園の卒園生で比較すると、すべての心身の機能で、森の幼稚園の卒園生が上回っているという研究結果がでているのであり、それは、理屈で考えても納得のいく数値なのである。何故、そういう教育を、教育行政が認めないのだろうか。もちろん、ドイツでも、ただちに認められたわけではなく、それなりの運動があったという。しかし、日本では、15年も運動しているのである。文部科学省は、優れた幼児教育を排斥したいのだろうか。
まさか、そのようなことはないだろう。
早急に、幼稚園設置基準を改訂して、校舎をはずすべきである。もちろん、単純にはずすのではなく、校舎がない場合の条件などを設定して、審査することは必要だろうが。