未来の教育研究12 思考力-日本にも優れた実践がある

 考えるとはどういうことなのだろうか。心理学や哲学的に考えことの定義は難しいとしても、教育の場面では、それほど難しいとはいえない。
 発見とは、未知のことについては、新しく見つけることが発見であるが、教育実践の食めんでは、子どもたちがまだ知らないことについて、助けを借りても自分の力で、見つけたとすれば、それは子どもにとっては、発見であり、そうした手法を中心に学ぶやり方を「発見学習」という。だから、「考える」についても、既存の知識では対応できない課題を、自分の力で考えて解決の方法を見いだしたとしたら、それは、そのプロセスにおいて、考えたといえる。しかし、問題なのは、教師が出す「課題」が、本当に既存の知識で対応できないかどうかなのである。実は、教師は考えてみようという課題をだしていても、子どもは、既存の知識で簡単に答えをだしてしまうことが、少なくない。特に算数の授業でみる「考えてみよう」のほとんどはそのパターンである。数学は、未知の問題を解くときには、考えなければならないが、そうでないときには、既知の方法を駆使して解く操作的活動となる。だから、算数などで、考える作業は、新しい単元に入るとくくらいにしか、有効に機能しない。既に手法を学んだあとに、考えさせるためには、教師がかなり創意工夫して、既知の知識では解くことかできない要素を取り組むことが必要である。
 しかし、他教科では、事情が異なる。思考をうまく引き出すように工夫されているのは、「仮説実験授業」であろう。仮説実験授業では、子どもたちが知識をもっていてもよい。教師が雰囲気を壊すのではなく、うまく子どもたちも乗せることができれば、子どもたちは、一生懸命に考えて、そして、表現する。それは何故か。現在、科学的に正しいとされている説でも、かつては全く違う説が正しいとされていたことは、よくあることである。仮説実験授業は、一連の実験の前に、それぞれ問題があり、そこに選択肢がでている。その選択肢にかつての学説が折り込まれているのである。だから、現在は間違っている説であっても、子どもたちが考える理屈としては、説得力を感じさせる説となっている。でから、実は間違った説の子どもが、正しい説の子どもの判断を覆ることも頻繁に起きるのである。特に、正しい説をとっている子どもは、既にもっている知識で判断していることが多い。だから、もっともらしい理屈で迫ってくる間違った説の論理に、しばしば負けてしまうのだ。こうした議論は、科学的にものを考える非常によい方法だ。最終的には、実験で正しい結論が明確になるか、その前の討論では、正解を述べた子どもが高く評価されるのではなく、むしろ、正解の説を述べていた者を、論理的に破綻させて、間違った説に変えさせた者が、高く評価される。強力な弁論術であるというわけだ。だからこそ、間違っていたら恥ずかしいという気持ちにならず、自由に意見を述べることができるのである。もちろん、そのあと、誰も反論のしようがない「事実」が実験によって明らかになるので、それぞれの説の、それぞれの考えかたを吟味することができるのである。そして、間違った説で主張した者は、それを強力に論理化した者ほど、自分の論理の間違ったところを認識しやすくなる。このような実践を長く続ければ、科学的な思考力と、表現力が向上していくだろう。
 社会はなんといっても安井俊夫氏であろう。安井氏の実践は、単に優れた授業をしたというだけではなく、授業方法の一般的な姿を示した点に注目すべきである。歴史の記述には、「勝者史観」が一貫して主流にあり、それに対して「民衆史観」を対置する流れがある。しかし、安井氏は、どちらにも属さない。いわば「当事者史観」とでもいうのだろう。だから、勝者にも敗者にもなる。それぞれの立場を検証してみようということを超えて、自分がその人物であったら、この場面でどのような選択をするだろうか、ということを、可能な限りの資料を消化しながら、考えてみる。実際の歴史上の人物とは異なる選択をしようと考えることもできる。その場合、その相手であった人物は、どのように対応するだろうかを考えざるをえなくなる。そうして歴史を立体的に見ることが可能になるのである。安井氏の授業のビデオを見ると、中学生たちが非常に活発に意見を述べている。見学者たちがたくさんいるにもかかわらず。しかもかなり突っ込んだ議論をしているのである。通常、中学生レベルの歴史の授業で、生徒たちが議論をすると、極めて常識的な見方しかでてこない。教科書に書いてある程度の内容に留まる。しかし、安井氏の授業では、斬新な意見がどんどんでてくるのである。その秘訣は、予習にある。安井氏は、教科書を満遍なく扱うのではなく、重点的なテーマをきめて、それを深く掘り下げる授業をする。だから、教科書に関しては、授業で扱わない部分がたくさんある。しかし、テストの成績はよい。それは、予め教科書の重要項目を確認する予習プリントが宿題としてだされ、それを家庭で学習してくると、基本的な事項は頭に入ってしまうのである。通常は、そうしたプリントを授業で穴埋めしていくというやり方が多い。つまり、普通の授業で行うことを、安井実践では、家庭での予習で済ませてしまい、授業ではそれを踏まえて、理解を深めたり、討論で立体的に歴史をみる視点を獲得することに使う。他のクラスで、1時間の授業で説明するよりも、20分から30分の家庭での予習のほうが、ずっと記憶に残ることになる。

投稿者: wakei

2020年3月まで文教大学人間科学部の教授でした。 以降は自由な教育研究者です。専門は教育学、とくにヨーロッパの学校制度の研究を行っています。

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