未来の教育研究10 PISAはなぜ影響力をもったのか

PISAの特徴
 PISAとは何を目指して行われたのか。PISA実施の直前に顕されたOECDの文書で確認しておこう。Measuring student knowledge and skills A new framework for assessment OECD 1999
 PISAについて、以下のように説明している。
 まず、PISAが測ろうとする内容の説明である。(p8)
・PISAは学校のカリキュラムの修得だけではなく、大人になっての生活に必要な知識や必要なスキルを明確にすることを意図している。クロス-カリキュラム的能力の評価がPISAの統合的な部分になっている。
・過程の習熟、概念の理解、いろいろな状況で機能する能力に重点をおいている。
 測定の方法は。
・鉛筆と紙の使用する。
・選択式、記述式の回答方法。現実生活に根ざした問題をだす。
・社会背景を問う質問もある。
 2000年の第一回PISAの基礎デザインは、
・学校で習う特別なスキルや知識ではなく、より広い知識や能力を評価。技術革新の時代には、学校で習う共通カリキュラムだけでは狭すぎる。
・コミュニケーション、受容性、柔軟性、問題解決、情報技術などを含む。これらは、未来の社会における必要な能力である。(p9)
 評価については、3年ごと行うので、横断的にも、縦断的にも評価が可能であることを前提に、
・基本は、知識とスキルを評価する。
・社会的背景、人口、経済的・教育的変数の評価をしつつ、学力との関連を分析する。
・継続的な評価によってえられる指標を提示する。(p10)
 そして、それまでの国際テストとの違いは
・政府の協力事業であること。
・規則的に実施すること。(IEAは不定期だった)
・義務教育の終わりの年齢に実施するのだ、義務教育全体をカバーできる。知識だけではなく、スキルを評価することをあげている。

PISAはなぜ影響力をもったのか
 上記の内容でわかるように、それまでの国際的な学力比較テストとは違っている。
 まず何よりも、それまでのIEAなどのテストが、学術団体が国際協力して実施していたもので、結果が発表されても、国の政策に影響をあたえることは少なかったし、単なるニュースに過ぎなかった。しかし、PISAは、当初からOECDという重要な国際機関が実施し、各国政府が協力していたことが大きい。国家的に参加したことは、政府が、自国の教育をチェックすることを、当初から意識していたことになる。だから、結果に大きく影響されたのである。
 社会的に関心をもたれた理由としては、やはり、新しい概念を付与していたことだろう。それまでは「学力」という陳腐(?)な用語がテストで使われていたが、リテラシーという語を3つの領域すべてに使用した。それまでにも、当初は「識字力」つまり、文字が読めることを意味していたリテラシーが、文章を読み取る能力というような意味に拡大されて使われていた。それを、数学や科学にまで拡大し、それまでの計算が正確にできる、応用問題が解けるというレベルを超えた、より深く広範な、背景に対する理解力、問題解決力、そして表現力などを、教科全体にわたって試験するとしたわけである。以後、伝統的な「学力」よりは、リテラシー、あるいは、別のところで使われていたコンピテンシーなどの用語が、新しい知的能力として使用されるきっかけとなった。そういう意味で、社会的にアピールする要素があった。
 次に、定期的に、かつ継続的に実施されることが、当初から計画されていたことだ。散発的な試験であれば、結果に対する一喜一憂はあるかも知れないが、そこに留まるだろう。しかし、継続的に行われることになっていれば、次回に備える、改善すべき点は改善するという、政策につなげる意識になる。しかも、3年の間があれば、それなりの改善が可能である。そして、長期的な改革論議もできる。

日本での対応 
 日本は2003年の第二回結果が第一回よりも落ち込んだことで、PISAショックに見舞われた。そのために、かなり大きな改訂作業が生じたといえる。
 第一は、なんといっても、学習指導要領の改訂にあわせて、それまでの「ゆとり教育」を削減したことである。「原則」としては、明確に降ろしたといっていいだろう。
 第二に、2007年から全国学力テストを復活させたことである。ただ、1960年代に行われていたテストのように、常識的な知識の確認、計算力などを試験するのではなく、PISA型の学力を含める方向性が示された。
 第三に、2006年の教育基本法改訂にともなって行われた、2007年学校教育法の改訂で、それぞれの学校の段階における目標を示し、そこに、PISAの影響が認められることである。ただし、教育基本法の教育目標には、反映させていない。
 PISAショックが2004年のことであり、安倍第一次内閣が2006年の成立だから、安倍内閣の一連の教育改革は、ほぼPISAショックを念頭に置いたものだといえる。
 日本では、20世紀末ころから、かなり激しい学力論争が起きていた。学力論議は、過去何度も起きているが、このときには、簡単な分数の足し算が、日本の一流大学の学生が解けない、ひどい状況だとする訴えから始まり、様々なひとが、自分の経験をもとに、日本の学生の学力状況に触れていた。しかし、学力の全国的調査は、1960年代に全国学力テストが大きな問題とされ、停止されたから、存在しなかった。散発的に日教組が学力調査を実施していたが、そのデータが広く活用されて議論されることはなかった。だから、どうしても、全国的な客観的なデータではなく、経験による主観的な論争にならざるをえなかったのである。そして、学力が低下していると主張する人の多くは、ゆとり教育に反対であった。そこに、PISAの結果が現われて、まるで決着がついたかのような雰囲気になってしまったのである。しかし、よく考えてみれば、おかしなPISAの成績の受け取り方だったともいえる。
 第一回は非常によかったのであり、第二回は参加国が増えたのだから、順位がある程度下がるのはやむをえなかったはずである。そして、順位が落ちたが、必ずしも、グループ化された評価では、低下していなかった。そして、第三回以降はまた、徐々に順序をあげていったのだから、第二回PISAの結果の「順位下げ」が過大に利用されたと、現在ではいえるだろう。安倍内閣が、最大限利用して、上記の改革をしたわけである。
 政府側がPISAの結果を利用して、ゆとり教育をやめ、改革を押し進めたが、では、民間の研究者はどうだったのだろうか。
 その議論をリードしたのは、福田誠治氏だった。氏は、他の欧米諸国は、試験と競争の教育をやっており、教師の地位が高くないので、教育の成果があがらないのだ。それに対して、フィンランドは、試験もなく、少人数で丁寧な教育が行われ、また、子どもには、「わかる権利」があるということで、わかるまで教えるし、また、子どもも学習する。そして、教師の基礎資格が大学院修士になっていて、教師の地位が高く、なるのも難しい、そのために、フィンランドの子どもの成績がナンバーワンになっていると、フィンランドの教育を絶賛していた。フィンランドの教育に対する高い評価については、異論はないが、PISAの成績がトップであることの説明としては、疑問の余地がある。「競争がないから一位」というキャッチコピーのような言葉を使っていたが、PISAの順位表をみればわかるように、フィンランド以外のベストテン国家は、すべて「競争主義」が顕著な国ばかりなのである。「競争がないにもかかわらず」ならわかるが、「競争がないから」は、間違った印象をあたえるだろう。
 私は、PISAの上位10に入っている国は、明確な特徴があると考えている。それは、人口が少ないこと、移民が少ないことである。10位以内に入っている国のなかで、人口が多く、移民も多い国はひとつもない。全期間を通じてそれは妥当している。かなり参加国が増え、いきなり新参加国が上位を占めたことがあるが、ほとんどが都市国家のような存在である。(シンガポール、上海、香港)人口が一億を超えて、ベストテンに入っている国は、日本以外にはない。フィンランドは、人口も極めて少なく、移民も少ない国家だったのである。もし、フィンランドの教育システムの特徴によって、成績がよかったのならば、同じような教育をしているスカンジナビア3国の成績もよかったはずであるが、その国々は芳しくなく、デンマークは激しいPISAショックに見舞われた。スカンジナビア3国は移民が多いという特質が、フィンランドとは違っているのである。フィンランドは、長く、ソ連圏と西欧の間にあって、西欧圏に属しながら、かなり中立的な政策を維持してきた。そのために、移民が極めて少ないまま推移してきたのという事情がある。ソ連圏なら、移民は社会主義国から、西欧圏なら、旧植民地あるいは南欧、トルコから供給されていたが、中立的なフィンランドにはそれがなかった。しかし、ソ連崩壊後、西欧側であることを鮮明にする時期から、移民が少しずつ増えてきて、2010年を過ぎるころから、学校教育に影響をし始めるのである。だから、私は、やがてフィンランドの順位は落ちると予想していたが、2015年から明確に順位は落ち始めたし、フィンランド政府も移民との関連を明らかにしている。
 もちろん、だから、移民を制限するべきであるという結論になるわけではない。政治的に、移民制限の議論は、ポピュリズム政党を中心として、広まっているが、PISAのような学力試験でいい点数をとるために、移民を制限すべきだという議論は、あまり見当たらない。教育の世界では、主要には、移民の学力をどのように高めるかという課題として、取り組まれている。 
 次回、PISAの問題に則して、その特徴をみることにする。
 

投稿者: wakei

2020年3月まで文教大学人間科学部の教授でした。 以降は自由な教育研究者です。専門は教育学、とくにヨーロッパの学校制度の研究を行っています。

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