何から始まったか
新自由主義の教育政策では、「学校選択」が最も象徴的なものである。しかし、教育が拡大し、義務教育が始まってからしばらくは、学校の選択は当たり前のことだった。義務教育も、多くの国では、地方が学校を設立する義務であって、就学義務はそのあとについていったものだ。近くにある学校に通うようになるのが自然だろうが、複数選択できる地域であれば、選べるのが普通であった。特に、ヨーロッパでは、宗教の問題がからんでいた。有名なワイマール憲法は、146条で、「市町村内においては、教育権者の申請に応じて、秩序的学校経営が、第一項の意味においてもそこなわれないかぎり、その信仰または世界観の小学校が設置されなければならない。教育権者の意志は、できるかぎり、これを考慮しなければならない。」と規定して、市町村が、宗派学校を別々に設立して、親はそれを選択できる条件を整えることを原則としていたのである。オランダの学校選択も、同じ背景で発展した。オランダでは、19世紀後半の「学校闘争」で、教会勢力が、教会立の学校も公認し、補助金を受けられるように求めて闘っていたが、それが1917年の憲法で、公立と私立の財政的平等として結実するわけである。その後、オランダでは、宗教的な学校だけではなく、様々な教育理念や方法をもった学校が設立され、「百の学校があれば百の教育がある」といわれるようになった。ドイツはヒトラー政権の下で、私立学校が禁止され、強制的な通学区指定制度が作られたので、状況が根本的な変わってしまった。戦後ワイマール体制に復帰させることが、教育の世界ではとりあえず模索されたが、宗派学校を住民の要求に応じて設置していく体制は、復活しなかった。したがって、日本と同じように、私学を選択する自由が主に保障されてきた。
教育の選択か学校の選択か
長い学校選択の歴史をもつオランダでみればわかるように、学校選択とは、実は何よりも「教育の選択」なのである。自分たちの望む教育を実践している学校を選択するのであって、その逆ではない。このことは、新自由主義的学校選択を考える上で、決定的に重要である。
いい換えれば、学校選択への賛否は、教育が多様であることを志向するのか、あるいは、教育は共通のものであることを志向するのか、という賛否のことになる。現代社会を見れば、国民が、ほとんどを共通内容で、共通の方法で学ぶことを志向するのは、明らかにアナクロニズムであろう。初等、中等教育で学ぶべき共通内容を重視するとしても、学び方は多様にありうる。一斉授業で伝統的な方法、体験的学習、個別指導という一般的な分類から、シュタイナー、フレネ、モンテッソーリ、ドルトンプラン等々学び方が原理的に違う教育方法が多数ある。
また、技術革新や、文化芸術の展開を考えれば、それぞれの個性に応じて、何かを重点的に学ぶほうが、未来に生きる子どもにとって、好ましいことも確かである。実際に、画一的と言われる日本の学校でも、学校行事や部活のあり方などをみれば、学校ごとにかなり異なる教育をしているとみざるをえない。
かつて兼子仁氏は、通学する学校を指定する制度は、どの学校に入っても、一定の教育が保障されているから許容されると書いていた。(『教育法』)しかし、それは当時であっても、現実とは違っていた。その証拠に、越境入学がかなり盛んな地域がたくさんあったことでわかる。まして、21世紀の現在、どこの学校でも同じ水準の教育が行われていることを、信じている人がいるだろうか。私の住んでいる地域には、評判の高い小学校があって、わざわざその学校に入るために、転居してくる住民があとを絶たない。そういう地域も少なくないのだ。
そうだとすると、たまたまはいった学校に、自分がやりたいことがなかったという人には、学校生活全体が不満のものになるだろう。やりたい部活がないというような事例は少なくない。マッチングの問題がつきまとうことになる。社会の多様性がそれほど顕著でない時代には、特別問題にはならないが、現代のように、社会の中に、これだけ多様性が広がっていれば、社会への準備をする教育が多様でなければ、ミスマッチが至るところで起きてしまう。
ナショナル・カリキュラムとの関連
新自由主義政策のなかででてきた学校選択は、こうした「教育の選択」ではなく、あくまでも「学校の選択」であることに注意すべきであろう。新自由主義といいながら、ナショナル・カリキュラムやスタンダードやコモン・コアを決めて、多様性ではなく、共通性を確保し、全国の統一試験を実施する。こういう背景で学校選択が行われることは、共通の学習内容を確実に修得し、全国テストでよい点数をあげている学校をめざすことになる。つまり、学校間の競争が起き、しかも、競争が学力テストの成績で行われることになるのである。このことの是非は、教育観によるだろうが、私は、明確に非である。テストの競争をバネにした教育が、長い目で否定的な結果となることは、日本の受験競争で明らかである。学習そのものを嫌うようになりがちであり、得た知識は剥落してしまう。更に、こうした競争は、少数の勝者と多数の敗者を生む。アメリカのNCLB法で典型的にみられるように、敗北が続くと廃校もありうることになる。(もちろん、経過的なてこ入れはあるが。)
ナショナル・カリキュラム、全国テスト、学校選択がセットになるシステムは、教育の選択としての学校選択とは、かなり違う原理であり、かつ、マイナス面が大きいといわざるをえない。
負の問題
しかし、100年を超えて、学校選択制度を実施しているオランダでも、当然様々な問題が発生していることは事実である。
まず、学校の淘汰問題である。NCLBの規定では、学力が長く改善されないと廃校にされる可能性があるが、オランダでは、補助金が切られると廃校せざるをえなくなる。補助金の条件は、地域ごとに決められている生徒の基準数を超えることである。生徒が集まらなくなると、補助金を受け取ることができず、廃校となるが、一般的には、このことは批判の対象とはなっていない。しかし、ヒンズー教学校で、カーストを否定する新ヒンズー教の学校が人数が集まらず、補助金カットになりそうになって、学校関係者が、補助金を要求するために、バリケードを築いて立てこもったことがある。民主主義的な新ヒンズー教が補助金をえられなくて、カーストを肯定する旧ヒンズー教がえられるのかは、おかしい。民主主義に反するという理由だった。数で決めることの「明瞭」さが、価値的立場に優先されていることは、完全に解決されているとはいえない。
「数」か「学力」かという点でいえば、「数」は住民の支持を表わしているが、「学力」はひとつの基準に過ぎないから、多様な社会で学力で廃校を決めることには、当然多くの批判がある。オランダでは、学力が低いことは、より強い補助の対象となる。
古くからある学校選択の社会問題とされているのは、社会的分離の問題である。「白い学校と黒い学校」と言われる現象である。
欧米は、地域によって住民の経済力がだいたい同じになっている。ダウンタウンには、貧困層が住み、郊外に富裕層が住む。だから、特別に操作をしなくても、自然に学校は階層的に似た子どもが集まる傾向にある。しかし、オランダはその程度が比較的小さい国であるが、それでも、移民は、自分たちの文化を背景とした学校に集まっていく。イスラム系の移民であれば、イスラム学校を選ぶ。白人は、キリスト教系、あるいは、シュタイナーやモンテッソーリなどの特色ある教育理念をもった学校を選択する。だから、オランダの白人と、移民の子弟とに分かれてしまうわけである。だから、長期間議論の対象となっている。しかも、911以降オランダでも、イスラム教徒やイスラム学校への否定的な感情が高まっている。そして、学校を3年ごとに視察する結果が公表されると、イスラム学校の否定的部分がメディアによって拡大されて報道される事態が起きている。白い学校・黒い学校問題が、社会的な分離を助長している面は否めない。
しかし、だからといって、選択そのものを否定する議論にはならないのである。イスラム学校を認めないことと、選択できないことのマイナスを比べれば、後者の方が圧倒的にマイナス面が大きいと考えられているからである。
教育権と学校選択
日本に学校選択制度が導入されるようになったとき、かつての国民の教育権の立場にたつ研究者の多くが、反対の意見を表明した。堀尾輝久氏までがそうであったことに、私はかなり驚いた。堀尾理論は、選択を許容する、というより、不可欠の要素としていると考えていたからだ。堀尾論では、教師の教育の自由は、親が委託したことに根拠をおいている。委託するときには、信頼できる教師に委託するはずであり、少なくともそれが、権利論として提示されるならば、選択的な委託になるはずである。それは学校の選択に他ならないはずである。だから、堀尾氏は、当然学校選択に賛成の立場であると考えていたのである。
国民の教育権論の立場にたって、学校選択に反対した人たちは、選択が何よりも、新自由主義政策の一環として提起され、競争をあおり、選ばれる学校と選ばれない学校とに分かれて、そこに差別が生まれ、学校が荒廃するという理由を示した。そこには、ふたつの要素がある。ひとつは、主導している人たちが、新自由主義者であるということ、そして、選択を実行すれば、教育現場が荒廃するという結果、あるいはその予想である。
前者については、別途論じたので、ここでは触れない。
問題は、結果に対する考えである。競争主義になったり、荒廃するという現象が起きうることは、私も同感である。しかし、私にとって、不思議だったのは、選択制度の悪い結果は事実だとしても、選択ができない制度の悪い結果もあるではないか。そのことを反対の人たちは、まったく問題にしないのである。私が、オランダの教育に興味をもったのは、1980年代にいじめによる自殺が多数あり、なんとか「教育制度論」の立場から防ぐことに役立つことはないかと考えていたとき、自殺に至る前に、いじめグループは多くの場合、他の生徒をいじめており、その生徒は転校してしまったので、次のターゲットにいじめをするようになったというケースが少なくないことに気づいた。つまり、転校した生徒は助かり、転校しなかった生徒が自殺に追い込まれてしまう。ならば、容易に転校できたり、そもそも最初から、いじめなどにきちんと対応している学校を選択できればいいのではないかと考えたことが、きっかけだったのである。だから、学校選択は、私にとっては、最初から、学校を選択できないことの弊害、つまり、ひどいいじめにあっているにもかかわらず、学校が適切な対応をしてくれないので、自殺せざるをえない子どもがたくさんでているという、ずっと深刻な事態を防ぐための保障と考えていたわけである。だから、結果の弊害ばかり論じる意識では、とうてい、問題を把握していないと思った。
もうひとつの問題がある。選択制度というシステムを導入すれば、弊害が生じる。だから、そういうシステムは導入すべきではない、ということは、いつでも妥当なのだろうかという点である。例えば、普通選挙という制度を導入すると、買収、フェイクニュース、などが多数生じるし、また、選挙以前に、選挙区制定での醜い争い、立候補をめぐる闘争等々、いくらでも弊害がある。しかし、だから、普通選挙はやめるべきだという議論は、少なくとも民主主義の立場にたつならば、決してでてこないだろう。それは、普通選挙が、民主主義の第一に重要な具体的システムだからだ。だから、腐敗は改善の対象として、対策を講じる方向になる。
学校選択は、教育を受ける権利の第一義的な具体的システムであると、私は考えている。教育受ける権利というからには、いかなる教育を受けるかを選択できる権利がなければ、教育を受ける義務としてしか機能しない。だから、選択の結果として起きる弊害は、改善の対象なのである。そして、選択できないことの弊害のほうが、私にははるかに大きいように思われる。